「武士たる者は、行く、止まる、座る、臥す等の起居動作全てに覚悟をもち、油断のないようにすべきである」「外出している時には、家の中のことを忘れるべきである」。これは松下村塾で吉田松陰が、門下生に口述で諭したものをまとめた『武教全書講録』の中に出てきます。『武教全書講録』は、『武教全書』を教科書としています。
この『武教全書』を著したのが、山鹿素行(やまがそこう)という人です。素行は江戸時代前期の儒学者・軍学者でした(1622~1685)。9歳で林羅山に入門して朱子学を学び、15歳の時には小幡景憲、北条氏長の下で甲州流軍学を学びました。21歳で、北条氏長の印可(熟達した弟子に与えられる許可)を受けた素行は、それらを基にしてやがて山鹿流兵法を生み出すに至ります。
山鹿流兵学の特徴は、単に戦術に重きを置いた軍学ではなく、戦乱の世が終わり天下泰平となった武家社会において、武士の生き様はどうあるべきかを探究し、武士道精神を示した点にありました。吉田松蔭は、素行が確立した山鹿流兵法を広めようとした学者です。
12月14日東京高輪の泉岳寺では、毎年恒例の“義士祭”が行なわれます。高輪警察署によれば、今年この日の人手は1万7千人を越えたとのことです。言うまでもなくこの祭は、元禄年間の同日、赤穂浪士討ち入りにまつわるものです。
赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が江戸城松の廊下で、吉良上野介に刀傷に及び、即日切腹の刑を受ける。後に家臣の大石内蔵助らが討ち入りを果たし、主君の墓前(泉岳寺)に上野介の首級をささげる。主君の仇をとった赤穂浪士は、幕府の命により切腹となる。この忠臣蔵で大活躍したのは大石内蔵助ですが、内蔵助の師にあたる人が山鹿素行なのです。
その素行は45歳の時、官学である朱子学を否定した書を著し幕府の怒りをかい、播州赤穂藩に預けられることになります。浅野家は約10年に亘って素行を優遇し、兵学の教育に当たらせました。この時大いに影響を受けた一人が、内蔵助でした。
北条氏長の教えは山鹿素行へ、山鹿素行から大石内蔵助や吉田松陰へ、教えは伝承されます。北条氏長の自宅で、素行が赤穂配流の命を受けた時、師が「どんなことであってもよいので、言い残したいことがあれば書きなさい」と、硯箱を出します。
しかし素行は、「以前から外出する時は、家の事を忘れるだけの覚悟をしておりますので、今更言い残すことはありません」と、笑みを浮かべ応えたのです。冒頭松蔭の『武教全書講録』の中にあった言葉です。
素行は“常の勝敗は現在なり”との言葉も残しています。「勝敗を決するものは常日頃の中にある」との意味です。いざという時に備えて、どれだけエネルギーを溜め、能力を研ぎ澄ましておけるか。勝負や結果は明らかにそれ以前に決している、との解釈になります。
「あっ、パソコンが無い!」と動転してはいけないのです。一旦外に出てしまったら、家の中のことを一切忘れるくらいの、覚悟の大切さを説いているのです。山鹿素行が武士に伝えたかったのは、そのような日頃の覚悟だと思います。大石内蔵助も吉田松陰も、自分のことよりも大儀の大事さを悟り、命も賭す覚悟で全てに臨んでいたのです。
今回のテーマである「覚悟とは」の、私なりの解釈です。覚悟とは、嫌なものへ立ち向う勇気。覚悟とは、目先の自分を捨てる潔さ。覚悟とは、難問であっても好転する可能性。そのように捉えています。
年内はこれが最後の投稿となります。皆さま良いお年をお迎えください。
この『武教全書』を著したのが、山鹿素行(やまがそこう)という人です。素行は江戸時代前期の儒学者・軍学者でした(1622~1685)。9歳で林羅山に入門して朱子学を学び、15歳の時には小幡景憲、北条氏長の下で甲州流軍学を学びました。21歳で、北条氏長の印可(熟達した弟子に与えられる許可)を受けた素行は、それらを基にしてやがて山鹿流兵法を生み出すに至ります。
山鹿流兵学の特徴は、単に戦術に重きを置いた軍学ではなく、戦乱の世が終わり天下泰平となった武家社会において、武士の生き様はどうあるべきかを探究し、武士道精神を示した点にありました。吉田松蔭は、素行が確立した山鹿流兵法を広めようとした学者です。
12月14日東京高輪の泉岳寺では、毎年恒例の“義士祭”が行なわれます。高輪警察署によれば、今年この日の人手は1万7千人を越えたとのことです。言うまでもなくこの祭は、元禄年間の同日、赤穂浪士討ち入りにまつわるものです。
赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が江戸城松の廊下で、吉良上野介に刀傷に及び、即日切腹の刑を受ける。後に家臣の大石内蔵助らが討ち入りを果たし、主君の墓前(泉岳寺)に上野介の首級をささげる。主君の仇をとった赤穂浪士は、幕府の命により切腹となる。この忠臣蔵で大活躍したのは大石内蔵助ですが、内蔵助の師にあたる人が山鹿素行なのです。
その素行は45歳の時、官学である朱子学を否定した書を著し幕府の怒りをかい、播州赤穂藩に預けられることになります。浅野家は約10年に亘って素行を優遇し、兵学の教育に当たらせました。この時大いに影響を受けた一人が、内蔵助でした。
北条氏長の教えは山鹿素行へ、山鹿素行から大石内蔵助や吉田松陰へ、教えは伝承されます。北条氏長の自宅で、素行が赤穂配流の命を受けた時、師が「どんなことであってもよいので、言い残したいことがあれば書きなさい」と、硯箱を出します。
しかし素行は、「以前から外出する時は、家の事を忘れるだけの覚悟をしておりますので、今更言い残すことはありません」と、笑みを浮かべ応えたのです。冒頭松蔭の『武教全書講録』の中にあった言葉です。
素行は“常の勝敗は現在なり”との言葉も残しています。「勝敗を決するものは常日頃の中にある」との意味です。いざという時に備えて、どれだけエネルギーを溜め、能力を研ぎ澄ましておけるか。勝負や結果は明らかにそれ以前に決している、との解釈になります。
「あっ、パソコンが無い!」と動転してはいけないのです。一旦外に出てしまったら、家の中のことを一切忘れるくらいの、覚悟の大切さを説いているのです。山鹿素行が武士に伝えたかったのは、そのような日頃の覚悟だと思います。大石内蔵助も吉田松陰も、自分のことよりも大儀の大事さを悟り、命も賭す覚悟で全てに臨んでいたのです。
今回のテーマである「覚悟とは」の、私なりの解釈です。覚悟とは、嫌なものへ立ち向う勇気。覚悟とは、目先の自分を捨てる潔さ。覚悟とは、難問であっても好転する可能性。そのように捉えています。
年内はこれが最後の投稿となります。皆さま良いお年をお迎えください。