梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

銀行との付き合い(その2)

2021年10月30日 05時17分43秒 | Weblog
「銀行との付き合い方」の裏を返せば、「銀行はわが社のどこを見ているのか」となるのではないか。と前回書きました。それでは、「銀行からどこを見られても怖くない」と言い切れる経営者は多いのでしょうか。むしろ少ないと思います。今から30年以上前ですが、社長になりたての私も銀行に対する苦手意識がありました。それまで銀行折衝は先代の仕事であり、私は営業を担当していました。

どこの会社の社長でも、自社の事業について語ってくれと言われれば、自信をもって語れるでしょう。それは自分の得意なフィールドだからです。銀行の人との話しは得意でない分野もあるからで、ハードルが高くなってしまうのではないでしょうか。私の苦手意識を分析してみると、一つは財務知識がなかったこと、もう一つは銀行と付き合いたくないのではなく付き合い方が分からなかったから。当時の自分を振り返ってみて、今はそう思います。

自社の得意先であれば、つまり仕入れ先や販売先は、ハードルが高いとの意識はありません。そう感じてしまうと商売になりません。銀行も他の企業と同様に、仕事で付き合う得意先の一つなのです。むしろ特別でとても大事な取引先です。逆に銀行からみたら、預かったお金を運用するために、取引先(融資先)企業は得意先なのです。ビジネスをする上で両者の立場は対等なのです。

それでは社会性の面で銀行(金融機関)とは、どのような存在なのでしょうか。簡単にいうと、銀行法に則ってお金を集め融資する金融機関のことです。政府機関である金融庁の管轄となり、国との関係も深いことが分かります。その金融庁が金融機関をチェックする点を調べてみると、次のようなものです。健全な中小企業に円滑に資金提供を行っているか。融資先の経営実態の把握に努め、きめ細かな経営相談を通じて、積極的に事業再生に取り組んでいるか。融資先の安全性の自己評価が行われているか。以上3つです。

つまり銀行には法令のしばりがあることから、我々企業には評価で厳しい面もありますが、取引先企業の経営実態の把握に努め、健全な事業再生を目指す中小企業に、円滑に資金提供を行っているのです。違う側面は、銀行はお金を扱うプロ集団です。全国ネットワークを持つ都市銀行(メガバンク)には膨大なビジネス情報が集積されていて、中小企業にとっては頼りになるシンクタンクともいえます。

企業は資本金を調達して創業します。資本の資は、資で(もとで)とも読みます。身近な人から集めるお金です。しかしこの自己資本だけで運営するのは中々難しく、銀行から融資を受けて発展していくのが中小企業の実態です。この銀行からの資金調達を間接金融といいます。では直接金融とはなんでしょう。お金を借りたい人に対して、お金を貸す側が直接的に出資する取引です。例えば、企業が株式や債券を発行し、投資家が証券市場で購入することです。しかし厳しい指導や審査があり、この直接金融は中小企業には険しい道があります。

としたら我々は資金を得る道は、ほとんどが金融機関からということになります。だからこそ間接金融である銀行を大事にしなくてはならないのです。大事にするとは、企業からの銀行への情報発信です。それも日常的な発信です。会社の業績が良い時はどの経営者も、胸を張って銀行と話しができますが、業績が悪化している時や悩ましい問題を抱えていると、銀行と距離を置いてしまいます。これは日常的な情報発信ではありません。ピンチの時にこそ、銀行には早め早めに行くべきです。相手の立場に立てば当然のことと理解できますが、突然では手の打ちようがありません。

無借金経営を目指せという人がいます。それは理想ではありますが、企業永続の観点からしたら脆弱さも潜んでいるのではないでしょうか。盤石な企業になる為には、幾多の困難に直面して、社内の結束でそれを乗り越えていくようなや会社の底力が必要です。そして、むしろ借金があった方が銀行(第三者)からの定期的なチェックも受けられます。

銀行との付き合いについて、銀行はわが社のどこを見ているのかの観点で、私の体験を踏まえて次回以降書いていきます。その事柄については、個々に表題をつけて一つ一つ見ていきたいと思います。   ~次回に続く~


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銀行との付き合い(その1)

2021年10月23日 05時25分56秒 | Weblog
我々の体に流れている血液が止まったら、5分で死に至る危険性があります。心臓が止まると血液が体に回らなくなり、先ず意識を失います。5分で死に至る最大の原因は脳の障害です。脳への血流が途絶えると、脳の細胞に血液中の酸素やエネルギーなどが供給されなくなります。約10秒で脳の細胞は酸欠になり、エネルギー源であるブドウ糖も5分と持ちません。脳の細胞が死んでしまう時間がこの5分です。

人間にとっての血液は、企業にとってのお金といえます。同じく、お金(血液)が回らなくなると、企業は倒産(死)に至る危険性があります。例えば、支払手形の期日に引き落とせるお金が一円でも不足すれば不渡りとなり、6ヶ月以内に不渡りを二回出すと銀行取引停止処分となり、企業は事実上倒産となります。

人間が心肺停止となった時、AED(自動体外式除菌動器)があって操作できる人が適切な処置をしてくれれば、心臓は蘇生し延命は可能です。元々心臓疾患がある人なら、医者にかかってしっかり治療を行っていれば不慮の事態に備えることもできます。もっといえば、人の手を借りず日頃から健康状態にしておくことが大切です。

企業の場合お金を供給してくれて、救命や延命をする役割をしてくれるのは、やはり銀行ではないでしょうか。人間の場合の緊急の救命は、全く面識がない救急隊員であり運ばれた先の病院の医者です。しかし企業の社長が、取引がない銀行にいきなり訪れて、緊急融資を頼んでも応じてくれるはずがありません。対応してもらうには、既に取引があり普段の実績がベースとなります。

わが社において、緊急時に銀行から融資を受けて、助けられたことは今まで数度あります。その大きなものとしては、13年前のリーマンショックの時と、去年のコロナ禍が始まった時です。長年取引があった複数の銀行へ状況を説明し、しかるべく社内資料を提出して、申し込んだ全額の融資を受けて、事なきを得ました。

世界経済が一気に収縮し、日本の鉄鋼需要も急激に落ち込み、高騰していた鉄鋼素材価格が急落しました。それによって、品不足・先高だった市中相場が激変し、わが社も販売数量が急落し、仕入れ価格が高い在庫が積み上がりました。売上が低迷する中、仕入れ原価を割っての赤字販売が一年半ほど続き、大きな欠損を出しました。それが13年前のリーマンショックでした。その結果として、損失補填の為の資金調達でした。

経済活動が停止したかの様相でした。得意先は社員の出社制限をし、操業も抑え、わが社への発注も落ち込んできました。体験したことが無い先々の不安の中で、先々の売り上げ予測は難しく、一定の経費だけは発生する状態が長く続くことも想定しました。それが去年のコロナ禍でした。出来るだけ手元に厚くと、その備えの為の資金調達でした。

どちらも借りたお金です。先々の利益からか、いずれ生ずる余剰資金からか、借りたお金は必ず返さなくてはなりません。しかしその時点で必要なお金が無ければ、会社は立ち行かなくなります。借金は、時間を借りることです。利息は、時間を借りた使用料です。また他者からお金を借りるには、信用が絶対条件です。信用とは、約束を守ったことの積み重ねです。借りたお金は勿論のこと、利息を乗せてしっかり返すことが信用です。

「銀行との付き合いを教えて下さい!」と、社長から最近申し出がありました。私が会長になって後継の社長が就任して二年経ちました。バトンタッチした直後から、私は銀行交渉に直接関与することも、銀行の方と会うこともしていません。社長からは銀行の方は私の存在に重きを置いているように感ずる、と言われました。

私は30年社長として在任しましたので、銀行側からしたら、まだ私を意識しているのかもしれません。新社長はどのような経営方針で会社を運営していくのか、会長との引継ぎや連携はどうなっているのか、気になるところなのでしょう。会社の実績や財務は当然のことですが、それだけ銀行は経営者を見てるということです。

「銀行との付き合い方」の裏を返せば、「銀行はわが社のどこを見ているのか」となると思います。拙い私の体験をあらためて振り返ってみて、社長に口頭で伝えるより、このブログで文章を残すことでまとめたいと考えました。  ~次回に続く~
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居場所と断捨離(その4)

2021年10月16日 06時43分32秒 | Weblog
“濡れ落ち葉”という言葉があります。濡れた落ち葉が地面に貼り付いて取れないさまから、主に定年退職後の夫が特に趣味もないために、妻が出掛けようとすると必ず「ワシも一緒に行く」と言って、どこにでも付いて来る様子を指すようになりました。その結果、高齢になって離婚というケースも結構あるようです。夫は今までの社会からも遠ざけられ、自立しなければ妻からも見放される悲劇が待っているのです。

男性はそれだけ家以外が長い居場所であったのであり、一方女性の居場所は家が中心なのでしょう。早朝ウォーキングをしていて、歳を取った女性二人が楽しく話しながら散歩をしている光景は見かけますが、男性同士は皆無です。女性は身近な友達を求めますが、男性は居場所を求めるともいえます。夫がやることが無く、家にずっと居て要らぬ口を出せば、自分だけの時間を自由に使っていた妻との衝突となるわけです。私の場合今のところ、妻との衝突は回避できています。

半年前から、会社に出社する日が徐々に少なくなり家に居る時間が多くなった段階で、先々を色々と想定しました。市立の図書館が家の近くにあるので、自習机の席を予約するのに必要な利用カードも作りました。しかしコロナ禍で学生や受験生など多く利用していますので、年寄りの私が行き場所がないからと占有してしまうのはよくないと感じ、図書館には行かずじまいでした。

老いて(一線を退いて)からの生き方などの本を読むと、家に籠っているだけでなく、例えば近くのお気に入りの喫茶店へ行ってみたらどうかとあります。毎日同じ時間に行って、自分にとっての濃密な時間を作ることが精神衛生上とてもよいとの理由です。しかし、人の目が気になる私の性分には合わないと思っています。自分の書斎をまた使えるようになって、図書館や喫茶店を利用しなくても、現在は事足りています。

家に一日居ても自分のリズムが作れるようになりました。本を読んだり、調べ物をしたり、このブログを書いたり、一日6時間以上机に向かっていても苦ではありません。食事の時は妻との会話がありますので、それ以外は別々の時間を過ごします。私が妻の時間と空間を侵害しないということは、逆に私もそうして欲しいということです。その意味では、書斎は私の結界です。このようなことが同じ屋根の下で心地よく過ごせる秘訣かもしれません。

それでは、こうして家に居て会社のことは気にならないのか。私の本音をいえば、後ろ髪は引かれます。ある人が『「経営がうまくいった」だけでは50点、次にきちんと引き継いで100点』と、言明しています。その社長の経営手腕が天下一品でも、企業存続の観点から、後継者を育て事業継承を確かなものにしなければ50点の評価とのことです。後継者を決めて、一見任せたようで、会長の存在がその後継者を潰している実例を知っています。会長がやることがないから会社に出てきて、社長の言動が気になって、立ち入ってしまう。会社から一線を画すことを、私は肝に銘じています。

今から5年ほど前のことです。社長を退任したら、実は私は起業をしようと思っていました。私は大学を卒業して直ぐ父親の会社に入りました。爾来45年間同族会社の中で、仕事としては鉄鋼と運送しか経験がありません。もう一人の自分とは、私は一体何者か、自分に他にできるものは何か。5年前、そのようなことが頭を駆け巡りました。

どのような分野で起業をしようとしたかはさておき、自分に対する疑問に応えようとしたのです。私の性格として、後継に社長を譲ってもなんだかんだと関与してしまうので、起業することに専念すればそうならないとの、一つの方法論としても考えていました。既に5年前とは気力・体力は違います。その選択をしなかったのが、良かったのか悪かったのか正直分かりません。現在の会長職の関わり方で、これから新たな人生を送るために、こころのもっていく場所を変えようと思います。

先ずは過去を捨てる。物の断捨離に通じるところがあります。すると見えてくる世界が違ってきます。今までの居場所を変えれば、これからやりたいことが見えてくることでしょう。70歳を前にして、それが私の活動意欲となることを信じています。

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居場所と断捨離(その3)

2021年10月09日 05時31分52秒 | Weblog
断捨離について、少し調べてみました。断捨離の言葉の由来は、断行、捨行、離行、とのヨガの思想のようです。もったいないという固定概念から解放され、身軽で快適な生活を得ることが目的で、執着から離れ、取捨選択を行い、本当に必要なものだけにする。との考えのようです。

10年以上前、作家のやましたひでこさんが、不要な物を減らし生活に調和をもたらそうと断捨離を提唱して、本を書いたことで、我々が広くこの言葉を使うようになったのだと思います。断:本当に必要な物以外を買わず、いらない物を断つこと。捨:家にある自分の物でいらない物を捨てること。離:これはいつか使いそう、何かに使えるかも、という執着から離れること。彼女の断捨離の主旨です。

彼女の母親は物を捨てられずに溜め込む性格で、片付けるためと称して収納家具を買い足してはさらに部屋を狭くし、「片付かない、家が狭い」と愚痴をこぼすことを繰り返していたそうです。母親が反面教師となり、物を減らせば全て解決するのに、なぜそれに気づかないのかと長く疑問を持っていたのが、断捨離を広めようとした動機だと言います。

現在彼女はテレビ番組を持っていて、物への執着を捨てられない人の指導をしています。登場人物は年老いた女性が多く、自宅は一見ゴミ屋敷のようにみえますが、長年の生活の営みの足跡でもあります。本人だけの力では無理で、他人の力を借りなければ断捨離は難しいのだと、番組を観ていて感じます。本人も葛藤しますが、長年の習慣を変えさせられることに心を閉ざし、毎回家族との険悪な状況が映し出されています。

しかし断捨離を自分の代で終わらせておかないと、その人が死んだ後、残された家族がその役割を担わなくてはなりません。親の残した物を処分する辛さは、私の家内が体験しています。山形酒田の実家の両親が亡くなって、家内は親が残した物を10年以上一人で整理してきました。お盆の時期に誰も居ない実家に一人で戻って、4~5日間その作業をして、私は後から行って家内と一緒に帰ってくるといったことが、恒例となりました。

処分する物は実家でゴミとして出し、まだ使える物や形見として遺したい物は、私達の自宅に持ち帰ってくる。そのようことを繰り返してきました。それでも片付けは終わりませんでした。その実家(土地)は3年前売り先が見つかり、遂に処分することになりました。14年間私達の家に持ち帰った物以外、実家を解体する際、残した全てを産廃業者に処分を委ねるしかありませんでした。

“親家片(おやかた)”との言葉があるそうですが、子が歳を取った親の家の片づけをするとのことです。快適な生活を送る為の前向きな作業であるのに、実際にこれを行うと、親子双方に大きなストレスを抱えると言われます。家内の実家は物を置けるスペースがあり、両親は物を大事にして簡単に捨てられない価値観を持った世代でした。

家内は親家片を両親が亡くなった後、一人で行うことになったのです。今度は私達も価値観が違う子供達に、その負担を掛けてしまう可能性があります。中村メイコさんが最近の著書『大切なものからすてなさい』で、次のようなことを言っています。「写真について記憶のある人間が処分するのがエチケットだ」「年齢に合わせて思い出もそぎ落としていかないと、人は前に進めない」と。写真に限らず親の断捨離は、次世代へのマナーであると私も思うようになりました。

断捨離の提唱者やましたさんは、物を捨てられない人の3パターンを指摘します。一つ、現状認識・状況判断ができない。二つ、時間の経過による関係性の変化を受け入れられない。三つ、成功体験・失敗体験にしがみつく。

忙しいからできないのではなく、現状を見ず(怖い)状況を理解したくないので、忙しくしている。時の流れ(生活スタイル)で変化しているのに、過去に執着してその進化を受け入れられない。成功したことや失敗したこと、捨てなくて良かった・捨てて困ったなどの体験にこだわる。いずれも今に生きていながら、過去に引きずられ、未来に無用な不安を感じてしまう、とのことです。断捨離は科学や心理学の世界です。

最後にお伝えしようとした、私のこれからの活動意欲(心の居場所)については次の回にいたします。  ~次回に続く~



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居場所と断捨離(その2)

2021年10月02日 02時58分35秒 | Weblog
週二日しか出社せず、会長職として実務に関わることも極力減らし、会社ともだいぶ距離を置いて、私の主な居場所を自宅に移したことを前回書きました。このような事を書くと、まるで隠遁生活を送るような、一般社会からも引退するのか、と誤解されるかもしれません。

私は後一年で、70歳となります。「70歳が老化の分かれ道。人生100年、これからは70代がカギになる!」と、言っている方がいます。精神科医の和田秀樹氏です。30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わってきた方です。「70代の過ごし方が、その後の若さを維持することができる」「ただ70代には特有の脆弱さがあり、例えば活動意欲と運動機能の低下である。無自覚に過ごしていれば自然と老いは加速していく」。このような事を仰っています。

私の運動機能については、三年前から毎日のウォーキングが定着して、幸い歩くことは自信が持てるようになりました。しかし会社から距離を置くことが、リタイア状態になってしまうなら、今まで使っていた脳機能の低下は避けられません。意図的に活動レベルを落とさないようにする必要があります。「70代に身につける『習慣』が、その後の人生(80代以降)を救う」と、和田氏は断言します。これからの私の活動意欲については、次回のブログで書いてみたいと思っています。
 
さて、書斎を25年ぶりに復活し利用できるようにしたように、私の断捨離の話しに移ります。会社に出社することが少なくなくなれば、自由な時間が持てるようになります。自宅で仕事をするなら自分の場所を確保しなくてはならなくなります。これが同時進行となりました。そしてこの機会に、前からいつかはやろうと思っていた、自宅の物の整理を始めました。

生活するには物が必要ですが、どうしてもその物が溢れます。必要と思って買い、使い切って処分するだけではありません。今使わなくなっても、いずれ使うからと、もったいないので取っておく行為が生じます。新たな物を入手したら古い物は捨てるのであれば、物も置き場所も増えませんが、家の中に置くスペースがあるからとため込んでしまいます。記念品や写真や大切な書類などはさらに厄介で、そもそも処分する発想がありません。

今回、衣類を半分以上捨てました。スーツやコートは、昔と体形が違っていますので既に処分はしていました。今後公用がますます少なくなるであろうと、ネクタイは3/4捨てました。本や道具などは、まだ道半ばです。私はそれ程物を持っていませんが、自分意外の家の物の整理となると、どれから手を付けていいか、ちょっとひるみます。仕事に追われている時は時間があれば出来ると思っていましたが、整理する心のゆとりと捨てる勇気が大切だと今回気付きました。今まで手を付けなかった断捨離に挑戦していきます。

現在の関心ごとは「家事」です。家事は妻の仕事だと決めつけていました。外の仕事優先を長く送ってきた私です。家で多くの時間を過ごすようになって、家事は大変な仕事であることを認識し、私には新鮮でもあり奥が深いと思うようになりました。断捨離も含めて、過去のツケが一気に回ってきたように感じています。

最近は共稼ぎの夫婦も増えています。それに伴って、外の仕事の勤務時間などで相応に、家事や育児も夫婦二人で分担を決めて行っているケースも珍しくありません。私の家内は専業主婦です。子供三人はそれぞれ家庭をもって自立しました。その分家事に専念できるかというと、寄る年波もあり、それに充てる時間は少なくなってきました。私がやれる、家事をすることを今回決めました。色々と将来を考えると、70代に身につける習慣がその後の人生を救うかもしれません、ので。

以前なら私が掃除すると、「もっと、綺麗にしてくれ」と、妻には嫌味でしか受け取られませんでした。今は同じ住人として、家事をすることは当たり前と解釈しています。女性は往々にして、物の置き場を変えたがりません。置き場を変えることが、客観的に見て、より便利な場合があります。これからも私達の棲家は癒しの場です。棲家には人と物が混在(境が在って無いようで)しています。だからこそ、自分たちの棲家をより安全により快適に、住みやすい空間にしていきたいと思っています。   ~次回に続く~

 書斎
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