前回偶然にも名前を挙げました西部邁氏が、そのブログを私が投稿した翌日、多摩川に飛び込んで自殺しました。西部氏は50歳代から独特の死生観を持っていて、自分の生の最期を他人に命令されいじくり回される病院死は嫌だと、周りの方にその思いを遺されていたと言われます。
長年持病の激痛と背中合わせに、自分の生き方の結末を常に考えていた、西部氏らしい亡くなられ方だと感じました。そのような出来事もあり、前回の二回まででこのテーマは終わらせようとしたのですが、付け足したいこともあり続けることにします。
日本の歴史で、私は戦国時代末期と明治維新に興味があると書きました。しかし戦国時代から江戸時代に入りそして明治を迎え、更に大正や昭和に至ったのであり、一つひとつの時代が断片的ではなく、大きな流れの中にあることは言うまでもありません。
しかし断片的ではないにしても、前の時代の反動のようなものが次の時代に現れます。違う言い方をすれば、前の時代と連続性を持ちながら、揺り返しのような現象が起こり、それが次の時代に繋がっていくのが、歴史の必定のようにも思われます。
その連続性が切断した唯一希な時期があったと、あの歴史小説家の司馬遼太郎氏は指摘しています。「昭和ヒトケタから同二十年敗戦までの、十数年は、長い日本史のなかでも特に非連続の時代だった。魔法にかけられた時代、別の国だったかもしれないと思わせる」と。
「日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦に至る40年間は、日本史の連続性から切断された『異胎』の時代であり、明治憲法下の法体制が、不覚にもはらんでしまった鬼胎(鬼っ子) のような感じがする」とも、表現しています。
歴史学者の磯田道史氏の著“「司馬遼太郎」で学ぶ日本史”を読みました。その第二章は「幕末という大転換期」、第三章は「明治の思想はいかに実ったか」、第四章は「鬼胎の時代の謎に迫る」。特に第四章に興味を持ち、上記はその本の中から拾ったものです。
明治維新は国民の国家を成立させ、日本を植民地化の危機から救い出す為に、一挙に封建社会を否定し、そして強くなり日清日露戦争にも勝利し、アジアで唯一列強へと駆け上がることになる。明治政府は三権分立を確立したものの、更なる軍備の近代化により、本来文民で統御される統帥権が、後々軍部独裁にまで変異した。鬼胎の正体はこれである、との司馬史観です。
「鳥羽伏見の戦いが、太平洋戦争を敗戦に向かわせる第一歩だった」と、やはり前回名前を出しました、鈴木荘一氏は喝破しています。明治の維新の戦いに、昭和期前半の大きな失敗が芽生えていた。司馬史観とほぼ一致します。
何故失敗を犯したか。正しく過去を見つめて検証をしないと、同じ過ちを繰り返す恐ろしさがあります。歴史を正しく見ることは、その教訓を学ぶことに他なりません。歴史は正に現在にまで生きています。
勿論私がこれまで書いてきたのも、また一つの見方でもあり、絶対ではありません。歴史も両面性で、真逆の見地からも見て、立体化していくことを心掛けたいと思います。
長年持病の激痛と背中合わせに、自分の生き方の結末を常に考えていた、西部氏らしい亡くなられ方だと感じました。そのような出来事もあり、前回の二回まででこのテーマは終わらせようとしたのですが、付け足したいこともあり続けることにします。
日本の歴史で、私は戦国時代末期と明治維新に興味があると書きました。しかし戦国時代から江戸時代に入りそして明治を迎え、更に大正や昭和に至ったのであり、一つひとつの時代が断片的ではなく、大きな流れの中にあることは言うまでもありません。
しかし断片的ではないにしても、前の時代の反動のようなものが次の時代に現れます。違う言い方をすれば、前の時代と連続性を持ちながら、揺り返しのような現象が起こり、それが次の時代に繋がっていくのが、歴史の必定のようにも思われます。
その連続性が切断した唯一希な時期があったと、あの歴史小説家の司馬遼太郎氏は指摘しています。「昭和ヒトケタから同二十年敗戦までの、十数年は、長い日本史のなかでも特に非連続の時代だった。魔法にかけられた時代、別の国だったかもしれないと思わせる」と。
「日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦に至る40年間は、日本史の連続性から切断された『異胎』の時代であり、明治憲法下の法体制が、不覚にもはらんでしまった鬼胎(鬼っ子) のような感じがする」とも、表現しています。
歴史学者の磯田道史氏の著“「司馬遼太郎」で学ぶ日本史”を読みました。その第二章は「幕末という大転換期」、第三章は「明治の思想はいかに実ったか」、第四章は「鬼胎の時代の謎に迫る」。特に第四章に興味を持ち、上記はその本の中から拾ったものです。
明治維新は国民の国家を成立させ、日本を植民地化の危機から救い出す為に、一挙に封建社会を否定し、そして強くなり日清日露戦争にも勝利し、アジアで唯一列強へと駆け上がることになる。明治政府は三権分立を確立したものの、更なる軍備の近代化により、本来文民で統御される統帥権が、後々軍部独裁にまで変異した。鬼胎の正体はこれである、との司馬史観です。
「鳥羽伏見の戦いが、太平洋戦争を敗戦に向かわせる第一歩だった」と、やはり前回名前を出しました、鈴木荘一氏は喝破しています。明治の維新の戦いに、昭和期前半の大きな失敗が芽生えていた。司馬史観とほぼ一致します。
何故失敗を犯したか。正しく過去を見つめて検証をしないと、同じ過ちを繰り返す恐ろしさがあります。歴史を正しく見ることは、その教訓を学ぶことに他なりません。歴史は正に現在にまで生きています。
勿論私がこれまで書いてきたのも、また一つの見方でもあり、絶対ではありません。歴史も両面性で、真逆の見地からも見て、立体化していくことを心掛けたいと思います。