梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

消える仕事・市場

2017年07月29日 09時29分35秒 | Weblog
鉄鋼流通業で、形鋼を幅広く在庫して仲間売りを主体としてきた特約店が、今年の秋に廃業すると発表しました。社歴も長く、業界でも知名度があり、存在感のある会社でした。店売りが抱えている危機や共通の問題など、“形鋼流通の変遷”と題し、業界紙が10回のシリーズで取り上げるほどでした。

大阪河内長野の、鋳物製造業の会社が民事再生法の適用を申請しました。江戸時代の享保年間に、鍋・釜・農業用具の製造を目的として創業した会社で、業暦は300年になります。近年は汎用の継手を中心にあらゆる産業の金具を製造していましたが、売上はピークの半分以下となり破綻しました。実は私はその社長を個人的に知っていて、業界紙を見て今回の破綻を知りました。

わが社で取引がある会社でも、この数年間、廃業や本業撤退が後を絶ちません。わが社も他人事ではないのは、15年前に加工会社の事業を継承し、その鋼板の加工をしていなければ、それまでの素材販売だけの会社であったなら、今日のわが社はどうなっていたか分かりません。

話は変わります。私の親しい会計士や税理士の方達は、「ITやAIによって、将来自分達の職業がいずれ無くなってしまうのではないか」との、衝撃的な危惧を抱いています。現実に、北ヨーロッパに在るエストニア共和国では、電子化が進み会計士や税理士が消滅したからです。

エストニアの場合、人口が少ない(約150万人)、国が電子政府を推し進めた、税制が非常に簡素化された。日本のように複雑な税制とは違って、エストニアの会計士や税理士が、付加価値の高い仕事をする余地が無くなった。との現状もあるようです。

世の中のITやAI化が加速しています。それによって、新たな産業も生まれるでしょうし、今後期待される企業もあるでしょう。しかし、エストニアの会計士や税理士の例のように、代行業務主体の仕事であれば、ITやAIに取って代わられてしまいます。

日本の鉄鋼流通業での国内需要の減退は、抗えない現実です。また例えば近年、我々の仕入先のメーカーや商社が、我々の先のユーザーに対しての物件営業に力を入れれば入れるほど、流通は構造変化を起こし、素材店売りの市場のある部分は確実に消滅してしまいます。

以上二つに共通して言えるのは、目の前にあった役割や仕事も目の前にあった市場や商売も消えてしまい、今まで資格で保障されていた士業の人でも業歴が長かった企業でも存在が無くなることです。

「物件営業のようないびつなひも付き化が業界の主流になったにしても、いざ困った時にメーカーが頼るのは毛細血管である我々流通である」「店売りの重要さは時々脚光を浴びる。だが不遇をかこつ時期の方が何倍も長い。されど業界において店売りの世界は必要なのである」。業界紙がシリーズで取り上げた記事の最後に出てくる言葉です。

社会から何を必要とされているのか、変化する社会と密接に繋がっているか、人に喜んでもらえる仕事をしているか。自問自答を繰り返し、未だ見えていないものを見ようと努力しながら、前に進んでいかなくてはなりません。
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集中力を高める

2017年07月21日 21時05分07秒 | Weblog
「集中力を高めよ、集中力を高めれば生産性も上がる」、とは言うものの具体的にどうしたらそれが可能なのか。「二つの事を同時に行えば集中力は二分してしまうので、極力一つのことを追い求めよ」、これは理解出来ます。しかし一定の時間は集中出来たとしても、長時間持続できるわけでもありません。そのような疑問を持っていました。

新聞の広告で、“神・時間術”とのタイトルの本が目に留まりました。サブタイトルは、「脳のパフォーマンスを最大まで引き出す・時間の使い方は人生の使い方だ」、でした。上述の疑問もあり、早速買い求め読みました。著者は、精神科医の樺沢紫苑(かばさわしおん)と言う方です。

かつて勤務医だった樺沢氏は、地獄のような多忙な生活を送って、皮肉にも精神科医がそのストレスで病気に。これを切っ掛けに、仕事中心の生き方を改め、自分らしく生きることを決意して、時間配分や時間の使い方を根底から見直した。自分の体験や、最新の脳科学や心理学も取り入れ、科学的な根拠の基に体系化したのがこの本です。

朝:脳のゴールデンタイムをフル活用する。昼:脳に良いリセット術でダラダラ仕事を脱する。夜:正しい運動が疲れた頭をシャキッとさせる。朝起きてから2~3時間が最も集中力が高く、それが段々と低下していくが、集中力をまた回復させて、それに合わせ仕事の質や中身を変えていく。この時間術の要諦です。

日本人は勤勉と言われているけれど、アメリカ人は日本の1.6倍も労働生産性が高いとの統計があるとのこと。樺沢氏はその時間術が奏功し、3年間アメリカに留学されたそうで、そのアメリカ人の労働効率が高いことをしっかり観察したと言います。

「アメリカ人は5時に退社する」と聞いてはいたけれど、やはり5時に帰っていたそうです。「では5時に帰って何をするか」と質問したところ、「何をバカな質問をするのだ、家族と一緒にご飯を食べるに決まっている」と。夕食を一緒に食べるために必死に5時まで仕事を終わらせる。アメリカ人が、人生を楽しんでいるのを認識します。

少しこの本から外れます。「残業時間抑制へ数値目標/総労働時間など経団連が要請へ」との新聞記事を、最近読みました。経団連による会員企業の調査では、2016年の年間の総労働時間は、非製造業で2006時間と前年に比べて7時間多くなり、製造業は8時間減の1979時間で、非製造業での働き方改革が不可欠としています。

樺沢氏の指摘です。日本人で5時に自宅に帰る人は滅多にいない。人生を楽しむことに罪悪感を持っている人が多い。残業が当たり前、でも残業は決して生産性は上がってない。遅く帰り、寝る前に食事をして、睡眠も削り、疲れが取れずに翌日の悪循環に繋がっている。 

私はどちらかと言えば、仕事が終わらなければ、時間を掛けてでも完遂することに賛同する意見を持っていました。しかしこの本を読んで、記事のようにまだ増えている日本人の非製造業の職場での労働時間の多さが、本当に生産性を上げているのか、疑ってみることも必要だとの考えに変わっています。

人間の生体のリズムには逆らえません。であるならば、時間帯によって、仕事にも緩急をつけ、また脳や身体をリフレッシュすることで、そこで集中力を高めることを追求したらよいのではと考えています。
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お世話になった方

2017年07月15日 09時30分54秒 | Weblog
昔わが社の仕入れの窓口商社の、部長職だった方が亡くなられました。死因は肺気腫で、80歳で逝去されました。その方は部長から後に役員になられ、そして退職され、長らくお会いする機会はなくなりましたが、年賀状のやり取りはさせてもらっておりました。

わが社とその商社との取引は今から32~33年前、昭和60年頃から始まります。わが社は昭和50年からスタートした、高炉メーカーの発生品や市中の端材を在庫販売する事業が何とか軌道に乗って、電炉メーカーや輸入材の厚板を扱うようになっていた時代です。

先代は、発生品や端材を更に手広く仕入れる為に、わが社の営業に総合商社まで飛び込みに行かせました。ある商社の製鉄原料部に飛び込んだ時に、興味を持たれ、しばらくしてその原料部の部長の人脈で、関西から発生品を仕入れることが出来ました。奇跡のような話ですが、わが社の規模の会社が商社に直に営業に行くことは稀だったかもしれません。

わが社は、元々ミル・スケール回収やスクラップ加工の事業で成り立ってきた会社です。昭和50年代はその事業を兼業しながら、厚板素材に進出したものの、端板という限られたマーケットに販売していましたので、知名度や実績等ありませんでした。

その商社の原料部と取引が出来たことが切っ掛けとなって、思わぬ展開がありました。その商社の厚板部と取引が開始したのです。従来わが社は、ある電炉メーカーの厚板契約を、鉄鋼専業商社を窓口としていました。わが社に不利だった諸条件を改善してくれて、その商社の厚板部が窓口となってくれたのでした。その部の部長が今般亡くなられた方です。

実は、その商社との初期の頃のやり取りを、私は間接的にしか知りません。当時、私は梶哲商店の関連部門である運送会社の責任者でした。当時、梶哲商店で先代である父の下、弟が担当としてその商社との接点でした。大手の商社と取引が出来たと、父が大変喜んで、経緯を話してくれたことが思い出されます。

その厚板部の部長は、とても頭脳明晰で人格者でもありました。話すことに無駄がなく、かといって堅苦しくもないのです。その商社と取引を開始して2年目でしたが、私が運送会社から梶哲商店に戻り、弟が梶哲商店から運送会社に移籍しました。それから1年目に父が他界しました。

以来その商社とは今日に至るまで取引は続いています。ただ残念なことに、おしなべて総合商社は、鉄鋼部門を切り離し他の総合商社の鉄鋼部門と合併する動きが加速して、現在はその商社も社名は変わりましたが、その商社との取引が原点は変わっていません。

弟の結婚式披露宴では祝辞を述べて下さり、父の一周忌では弔辞を読んで下さったのもその方で、公私共に色々な指導を頂戴いたしました。32~33年前に商社に無謀に飛び込んだものの、そのお陰で、わが社が厚板分野に順調に進出が出来たと言っても過言ではありません。

通夜では、その商社のOBや関係会社に行かれた方々も多く参列されていました。“アイアン・クラブ” という、主に鉄鋼メーカーや商社の現役やOBの交流を目的とした、伝統ある親睦団体の副理事長をされていた事を知りました。お人柄が偲ばれる通夜でした。
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政党より人柄

2017年07月08日 10時10分27秒 | Weblog
7月2日、東京都議選が行われました。東京23区や市町村部や島部など、42選挙区で定数127を争う、戦後では19回目の選挙とのことでした。1955年、日本民主党と自民党が合同して単一保守政党の自由民主党を結成して以降、殆どの時期をこの自民党が第一党の座を占めてきました。しかし過去自民党は二度大敗したことがあります。

今回の選挙では、小池都知事が率いる地域政党の都民ファーストの会が圧勝して、自民党は過去最低の38議席を下回る、23議席にとどまる歴史的な大敗となりました。方や圧勝し、方や大敗したのは、私が言うまでもなく背景は明らかになっています。

わが社は長く東京の江戸川区に在って、私も結婚するまでは会社の敷地に住んでいました。江戸川区に会社がある時は、同区に住んでいる社員が多くいました。しかし、現在私は千葉県市川市に住んでいますし、わが社も浦安市にありますので、都議選は直接関係なくなりました。

ところが先月、今回江戸川区から都議選に立候補された方がわが社に挨拶に伺いたいとのこと。多忙な時期でしょうしと、丁重にお断りしたのですが、顔だけでも見たいと来社されました。この方とは10年ほど前に、私がお世話になっている、江戸川区の運送会社の社長を介して知り合いました。当時その方は江戸川区議会の議員でした。

大学を卒業して外資系企業で働いていた時に政治に興味を持って、政治の道を選んだ女性です。区議から都議補欠選挙に出馬するも、次点で惜敗。その後都議に当選するも、次の都議選でまた次点で惜敗。当初所属していた政党が、一時期国政で政権を握ったものの、次の選挙で敗れてしまった。そのような風に、その方は良くも悪くも影響されました。

二度目の都議に落選した後、しばらくは一般の会社に勤め、地域活動は続けられ、その間他の区の都議の方と結婚され、お子さんを授かりました。そんな時期にもその方とお会いしましたが、志を棚上げにしなくてはならない意味では、苦節の時代だったのではないでしょうか。

私は政治に関心が無いわけではありませんが、今まで政治家とはあまり関わりることを避けてきました。身近なところで、縁があって知り合い、人柄も尊敬できる方であれば別です。ですから、人づてに頼まれてポスターを預かったりその候補を宣伝したりすることは、私は気が進みません。

その女性の方の話に戻りますが、今回の都議選に立候補するにあたり、当初所属していた政党を離脱しました。過去江戸川区議に選ばれた際、前の政党として支援してくれた方々を裏切るのではないかと、最後まで悩んでおられました。

2日の投票日の夜、速報でその方が当選確実になりました。それも同区では上位当選となりました。他人事とは思えず、3日の早朝メールにて御祝を申し上げました。その日の午前中に早速御礼の返信が届き、驚きました。

政治家は誰しもが選挙の前は必死です。しかし当選した後の行動や時間の使い方は、人柄が出るように思います。その方には、政党よりそのような人柄を感じます。
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電車に乗って

2017年07月01日 08時53分58秒 | Weblog
外に出れば色々な事に遭遇します。電車に乗っても事故等で、予定して乗った電車が大幅に遅れるだとか、電車が運転を見合わせて違う路線に乗り換えるだとか、このような事は少なからず起こります。

その日品川駅近くに行く用件がありましたので、自宅から京成本線に乗りました。品川駅に行くのは京成に乗って、青砥で都営浅草線に乗り入れている京急本線快速に乗り換えれば一本です。事前に乗換えナビで検索して、予定の電車に乗りました。

乗ってから直ぐに車内放送でアナウンスが流れました。都営浅草線が押上でストップしていてその先は(品川には)行けないとの情報です。しかし青戸からそのまま京成に乗って行けば、その先の暮里駅でJR線に乗り換えて、難なく品川には着きます。しかし青砥駅に着くと、ホームに人が溢れていました。浅草線や京急本線でその先に行けない人達が、青砥から振替で京成に乗ってくるからです。

そして日暮里に着きました。京成日暮里駅のホームは狭く、JR線に乗り換える為のエスカレーターも少なく、何時も込みます。案の定その日ホームは、ほぼパニック状態。エスカレーターに近い車両から降りた人そうでない人、その様なことなど関係なく、遅々として前に進みません。

大方の人は自然の流れに合わせますが、中には明らかに割り込みをする人もいます。「割り込みをしないで、順序を守って下さい!」とホームの駅員さんの声が流れますが、割り込みをする人はお構いなしです。

漸くJRの山手線・京浜東北線の日暮里駅のホームに辿り着きます。直ぐ来た電車に飛び乗りますが、そのようなこともあって、乗る人が多いのです。車内に入ると、反対側のドアの入り口でポールを掴んで背を向けている人がいましたが、大きなリュックザックを背負っています。

私は車両の中に進もうとしますが行けません。そこで無言で、私はそのザックを後ろから動かしました。グーッとどかしてその人は気付きました。そしておもむろにザックを足元に下ろしました。年の頃、40歳前後。何のエクスキューズもありません。

そして中ほどに進んで吊革を掴んで、私はズボンのポケットからスマホを出して、品川駅着を確認しようとしました。すると隣に立っていた女性が、しゃがんで何かを拾って、私に渡すのです。私はスマホを出す時パスモを落としたのです。気が付きませんでした。

「ありがとうございます!」と、言い掛けて顔を見ると外国の女性。「サンキュー」と言い直しました。その方が何処かで降りる時、私はもう一度お礼を伝えようとしたのですが、降りる素振りを見せずスーッと身を引いて、東京駅で降りて行かれました。その外人に何故か、本来の日本人を感じました。

列を割り込む人などにズバリ言うのは確かに勇気が要ります。勿論身の安全の問題はあります。しかし、注意されなければやりたい放題、傲慢な人も世間には存在します。事なかれ主義や、逆恨みされたくないと、言わない方にも問題があるかもしれません。

電車の事故が無ければ、30分前の品川駅の到着でした。結局15分遅れの到着で、余裕を持って出掛けたのが幸いでした。電車の中も小さな世界です。不愉快なこともあるでしょうが、爽やかなこともあります。ブレない自分でありたいと思いました。
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