梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

景気の動向2

2008年10月24日 14時16分02秒 | Weblog
〔内田さんコメント有り難うございました。的確なご指摘だと思います、参考にさせて頂きます。〕

先週のブログを投稿した後20日月曜日、ある電炉メーカーの売り出し価格が発表されました。業界で激震が走りました。このメーカーは毎月価格を発表し注文を受け付けていますが、全品種前代未聞の大幅な値下げをしたのです。

前回スクラップの暴落で電炉メーカーが製品を値下げした話をしましたが、わが社が扱っている厚板でも予想を超える値下げをしたのです。

値段が下がるから良いじゃないかと思う方もいるかもしれませんが、そうは単純ではないのです。以前から継続して買っている流通は高い契約品を、マーケットの催促に合わせ、安く売らざるを得なくなるのです。実はわが社も高い契約があるのです。

そのメーカーは、思い切った出直し価格、需要喚起、安い外材の流入の排除などの理由を言明していますが、要はスクラップが下がった分製品販価を下げ注文を取り込みたいのです。単純明快です。

このメーカーの厚板は、高炉に比べ規格や厚みが限定されています。この安い契約が入って来るのはまだ3ヶ月ほど先です。一方、高炉メーカー品の下げは無いのです。どう考えるかです。

そのメーカーが大幅に下げることの是非論、流通が被る損の待って行き場の責任論、事が起こってからの議論は数々あります。

しかし価格(相場)は上がることもあれば、下がることもあります。それが需給連動の市場原理です。また新価格が形成するまで時間は掛かります。

その電炉メーカーの担当者は言いました。スクラップが暴騰した時には誰も救ってくれなかたし、流通は素材が上がる過程で販売に先行転嫁した分だけ利益は出ませんでしたかと。
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景気の動向

2008年10月19日 07時10分15秒 | Weblog
世界的な金融危機により、日本の景気の先行きの悪化は避けられなくなっています。国内鉄鋼需要は今後どうなるのか、我々中間流通業界でも悲観的な見方が日増しに広がっています。

その上、鉄のスクラップ暴落が鉄鋼業を直撃しています。何故かと言いますと、わが社でも製品を加工した後にスクラップが発生しますが、その販売益が二ヶ月ほどの間で7割近くも減り、月間では数百万円の減収となります。

もう一つはそのスクラップを再生して鉄を作る電炉メーカーが、原料が安くなったので製品を値下げ仕出したのです。鉄鉱石を原料とする高炉メーカーの価格は高止まっていますが、今まで一本調子で値上がりしてきた鋼材が一部軟調に転じました。

わが社が扱っている厚板に限って言うと、国内高炉メーカーの供給は需要に追いつかず逼迫感は依然変わらないのですが、今後鉄鋼需要が落ち込むとさすがに割高感は拭い切れません。

しかし景気のせいで自社の業績の低下を言い訳にする気持ちは毛頭ありません。景気のせいにしていると、努力しない理由を作ってしまうからです。

今出来ること、自社で今だから出来ることに専念すべきだと思っています。日々のアクション、行動によって活路が見出せる、行動によって変わることを信じたいと思います。

考えてみれば二ヶ月前スクラップがそこまで暴騰したことも異常でした。異常から正常に戻る過程なのかもしれません。人間のはかなさですが、異常でもそれが続くと当たり前になってしまう落とし穴があります。

米国のサブプライムローン危機も、問題が大きいだけに正常に戻るまでには大きく極に振れる可能性があります。

異常になる前に、ここまで来る前にどうしてかと思いますが、これが人の生み出す景気なのかもしれません。
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長男と次男

2008年10月12日 08時01分02秒 | Weblog
私は長男で、三つ下に弟がいます。三十数年前にそれぞれ社会人になると同時に、父親の会社に二人とも入社しました。

弟彼とは、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と全て同じ学校でした。親がそうさせたのですが。挙句の果てもらった奥さん同士も同じ大学、結婚する前も互いに銀行(さすがに違う銀行でしたが)に勤めていて、なんとも奇遇です。この結婚は親が決めたわけではありませんが。

そんな私と彼ですが、全く性格は違います。一言で言うなら私は守り、彼は攻めです。内向的で慎重な私、外交的で大胆なのが彼です。もっとも最近は年齢とともに、状況設定にもよりその特性は微妙に変化しているかもしれません。

この様な性格の違いを、簡単に長男と次男とに括ってしまっていいのかどうか分かりませんが、敢えてそうしてみます。

家督を継ぐ風習の中では長子はそれなりの権利と義務を与えられ、それなりの教育を親から施されます。これが長男であり、次男は (長男以外)はまた違う方向性で教育されます。

これは小さい時から潜在意識に刷り込まれ、大人になってからも無意識にその様な言動となってしまうのは当たり前と言えば当たり前です。

しかしそれは刷り込まれたものであって、本来の純粋無垢な本質はどうだったのでしょうか。現在の自分を自己改革することも可能であり、一旦自分を捨ててみることも大事かもしれません。

とは言え私と弟のその性格の違いは、それぞれ別会社を経営してグループ関係にある現状では、互いに補完し合っていると思っています。

昨夜ある方々と会食をしました。相手の方は2人が長男、1人が次男。やはり長男の人には、何か家を背負っているように見えてしまうのは(長男の私には)致し方ないことなのでしょうか。
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有り難うございます

2008年10月10日 16時35分45秒 | Weblog
山下様、「ある生き方」にコメントを頂きまして有り難うございます。再度、温かい励ましのお言葉も添えての投稿、感謝しています。

中村文昭氏のCDを借りた方から、本も(PHP文庫/出会いを生かせば、ブワッと道は開ける!)借りていて今読んでします。「また会いたい!」そう言ってもらえる人間になるためにはどうすればよいかが、書かれています。
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ある生き方

2008年10月05日 07時37分15秒 | Weblog
中村文昭氏の講演録のCDを、ある方から借りて聞きました。数日前に借りましたがもう3回ほど聞いています。名前は忘れていましたが、三年前に氏の講演は直接聞いていました。

氏は年間300回近くも講演をするとのことで、自宅に帰らず連泊し、長いときは一ヶ月を超えるそうです。依頼されれば断らず、それほどまでに氏を動かしているものは何なのか。それはある人との出逢いにあるのです。

18歳で三重県の山奥から上京し、今で言うフリーターをしていました。ある時焼き鳥屋で偶然隣に座った人との出逢いで、人生が劇的に変わったと言います。

出逢った人から氏は、何の為に働くのか、生きていく目的をとことん質問されるのですが、結局お金の為としか答えられなかったそうです。

その26歳の先輩から、貧しかった自分の父が教師になりたい一念で機械に手を入れ、その怪我の補償を学費として教師になり、壮絶な人生を送ったことを聞かされます。社会人の入り口で明確な目的と目標があったと言うのです。

明確な目標と目的が持てないのなら、人を喜ばし驚かすことに徹しろと諭されるのです。その先輩の野菜行商集団に入り、最後は六本木の新しくオープンするバーの店長を任されるまで、3年半修行を積みます。

「返事は0.2秒で」「頼まれ事は試され事」数々の教えを先輩からスパルタ教育されます。団地の広場で軽トラックの上に乗り、鉢巻にきゅうりを二本立て踊りながら客寄せを命ぜられることも・・・。

出来ない、断る、理屈を言う、多くのことはすべて自分の都合や立場で考えていることがほとんど。行動することで壁を破る、頼まれたら度肝を抜くお返しをさせてもらうことで、熱狂的な応援者が増えて行った実体験を語っています。

氏はその後三重に帰りブライダル産業の会社を興しますが、武田鉄矢ばりの話には素直に学ぶところがありました。
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