梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

ネガティブ・ケイパビリティ(その1)

2020年12月26日 04時45分39秒 | Weblog
今季最強の寒気による大雪によって、新潟と群馬県境の関越自動車道の上下線で約2100台が立ち往生しました。18日夜遅く、約52時間を経て解消されました。新潟県側の上り線で1750台。これ程まで多くの車の立ち往生は、16日午後6時ごろ、上り線の塩沢石打サービスリア付近で大型車が動けなくなったことによるそうです。

同じ16日の4時間前の午後2時、その関越自動車道のサービスリアから20キロと離れていない所で、雪による事故が発生しました。新潟県湯沢町三俣の「かぐらスキー場」のコースで、スノーボードをしていた女性(33歳)が頭から雪に埋まっているのを友人が発見し、スキー場の職員が119番しました。女性は救助された後、隣の南魚沼市内の病院に運ばれましたが、2時間半後に死亡が確認されました。

湯沢町は前日から大雪警報が出されており、16日午後4時までの24時間に降った雪の量は1m13㎝と、昭和57年の観測開始以来記録的な大雪となり、スキー場は吹雪だったとのことです。一緒に滑っていた友人の男性が、女性がついて来ないのを不審に思い、コースを戻ったところ、雪の中の彼女を発見します。死因は窒息死で、誤って新雪にはまって転倒したとみられています。この事故はニュースや新聞でも取り上げれていました。

その女性が私の次女の小学校の学友だったことを、家内経由で知らされます。群馬県高崎に嫁いだ次女から家内に電話が入りますが、電話口で泣きながら、言葉にならなかったと言います。女性の住まいは東京の江戸川区です。事故の2日後、急遽次女は千葉県市川のわが家に里帰りします。次女は大人になってからも、その彼女とはグループで集まっていた親友でした。

わが家に帰ってきたその日、次女と夕食を共にします。突然の親友の訃報に動転し、気持ちの整理がつかないようで、食事中一時間半程、家内と二人でただひたすら聞き手に回りました。何年か前にスケートボードで大怪我をした時に、彼女に気を付けるよう忠告したことも、今となっては悔やまれると次女。

「自信はあったにせよ、いささか無謀無配慮であった感は否めない」とか「本人の過失、どうしようもない」とかの、事故のニースへのSNSによる心無い書き込みが、次女は許せないと悔しがります。冬のシーズンは仲間と山籠もりをする程、スノーボードの技量はプロ並みだったそうです。

前回のブログでも紹介しまたが、佐々木閑さんの著『真理のことば/ブッダ』、第三章“執著(しゅうじゃく)を捨てる”の中に以下のような文章があります。親が子をとむらうことになってしまった時、つまり逆縁についての捉え方を書いたものです。

「不滅の霊魂というものを信じているなら、子どもを亡くした親の場合、死んだあの子の魂は一体どこへ行ったのだろうか、天国にいるのか、ひょっとしたら不幸な場所で苦しんでいるのかと色々思い巡らすことになります。しかし結論は出ず、切ない喪失感を感じ続けて生きていく。これが多くの人の死者の受け入れ方でしょう」。

「しかしブッダの考えに従えば、全く別の受け入れ方がみえてくる。人を要素の集合体と見るなら、その人が死ねばその集合体は雲散霧消してしまいます。ですが、その人が存在したことの意味は消えません。なぜなら、その人が生きていた時にまわりの無数の人たちに与えた影響は、そのままそういった人たちの集合要素の中に残っているからです」。

「子どもが生きている時に、その子を可愛がり慈しみ抱きしめた親は、そのことで自分自身の在り方も変わります。子どもを亡くした親が、人の命の尊さを深く感謝し、自分と同じ境遇の人たちに共感し、心優しく生きていくなら、それは亡くなった子の存在がそうさせているのであって、子は親と一緒に生きているというになるのです」。

2~3頁の抜粋ですが、このようなことが書かれていました。落ち込んでいる次女に、しばらくして、この本の個所を見てもらいました。言っていることは頭では理解するが、自分はまだその思いには至らないとのことでした。これを聞いて、最近知った“ネガティブ・ケイパビリティ”の言葉が浮かびました。意味は、「答えの出ない事態に耐える力」とのこと。  ~次回に続く~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何事も捉えよう(その2) 

2020年12月19日 04時45分34秒 | Weblog
友人からもらった本『真理のことば/ブッダ』と『般若心経』の著者、佐々木閑さんは元々科学者を目指そうとされた方です。京都大学工学部工業化学科を卒業された後、同大学の文学部哲学科仏教学専攻を卒業しました。現在は、花園大学文学部仏教学科の教授をされている仏教学者で、専門は仏教哲学や古代インド仏教学です。科学と仏教の両方の観点から捉えられる佐々木さんは、ブッダの考え方はかなり科学的だとの見解です。

ブッダの死後できた般若心経、つまり大乗仏教では、この世の全ての法(基本的存在要素)は、空(実体がないという状態)である。この世を形成しているおおもとのその存在要素には、そもそも実体がないと捉えている。一方ブッダは、この基本的存在要素までは否定していない。この佐々木さんの論により、私としてはブッダの真理と大乗仏教の違いが、はっきり分かりました。

物事をより細かくしていくと、これ以上分解できない基本要素にたどり着く。それがこの世の実在であり、それらがそれぞれに、因果の法則に沿って寄り集まったり離れたりし、常に転変しながらかりそめの姿としての物体や現象を現出させている、との捉え方がブッダである。この考えは、物事を構成している要素をどんどん分解していくと素粒子にたどりつく、現代科学に通じるものだと佐々木さんは云います。

ブッダと大乗仏教は、どちらが正しくどちらが間違っているという話ではなく、私自身は子供のころから生粋の科学っ子であるため、あいまいなところがないブッタの方が好きである。しかしブッダは隙のない論理で世界観を構築しているだけに、人の情が求める不思議だとか運だとかの「救い」の要素があまり感じられず、反面大乗仏教はこの世の厳密な因果のシステムを空の概念によって無化し、全てが漠然とはしたが、見果てぬ夢にも希望が持てるようになり一般化した。このように氏は分析します。

突然ですが下の図を見て下さい。これはイタリアの心理学者である、カニッツァが作った「カニッツァの三角形」と呼ばれている図です。三角形が二つ重なっていますが、黒い線で書かれた上に白い三角形が重なって見えます。白い三角形が背景と比べ明るく、浮き上がって見えます。この白い三角形に輪郭があるよう見えますが、何も描かれていません。これは私たちの心の中にある輪郭である。



実はこの図は、氏の本の中で「ブッダの教えと脳科学」というテーマ引用されています。科学的に物事を捉えるというのは、つまり原因と結果によって世の中が動いているか見ていくことで、例えば脳科学であれば、脳の中がどのような形で作用していくかを見ていくことである。仏教の場合であれば、それが自分の心の中がどういう因果則の連鎖によって動いていくのか、それを見ることになる。

この図で輪郭が見えるのは、やるべき仕事として脳が補完(網膜像)している。間違ったものを見ているということではなく、ここにあるものと写る網膜像と、ありのままの世界を理解したいと働く脳の機能とのズレである。仏教も科学も、要は世の中を正しく見ようと、本当の姿はどうなのだろうとの共通した出発点がある。以上が氏の論点で、ブッダと科学の共通点を知りました。

現実の世界に置き換えてみると、目の前に現れる事象についても、正しく見ようと本当の姿はどうなのだろうと、我々は日々努力します。前回のテーマのわが社のプロジェクトの取り組みについても、提携先との関係や新規の攻め方について、社内でも積極派と慎重派に分かれてしまいます。今は混沌として答えが直ぐに出ないかもしれまん。トップに立つ物としては、例えば清濁併せ吞むような度量も問われます。

この世で起こっている物事の正しい姿とは何か。それはすなわち「すべてうつろう」ということ。すべてのものは時々刻々と変化するのであり、永遠不滅なもの等どこにもない。これを、ブッダが説いた『諸行無常』といいます。諸行無常の世界を正しく認識し、我を捨て、執着を離れる捉え方を持ち続けたいと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何事も捉えよう(その1)

2020年12月12日 04時47分37秒 | Weblog
一週間前の5日と6日は、本来なら大学時代の山のクラブの同期の忘年会でしたが、中止となりました。一泊二日で、初日は登山そして温泉宿に泊まり翌日はその地の名所など訪れる企画で、参加者は8名でした。開催地は静岡市で、幹事役の私ともう一人が、11月初旬に調査行(現地下見)をして準備をしていました。

中止の理由はコロナの第三波の襲来で、政府がGoToキャンペーンの見直しに入ったからです。「静岡市内でもこの一週間、感染者が急増している。感覚的に静岡市民の方が、コロナに関しては東京の人より脅威の度合いが大きい」と、静岡に住んでいる幹事の一人からも連絡が入りました。参加者の皆さんに諮り、中止(正確には順延)としました。

その5日ですが、東京で夕方6名が集まることにしました。一泊二日の企画は順延となりましたが、打合わせる事もあり、集まれる者だけで会食をしました。この日東京は朝から冷たい雨。静岡地区は晴れの予想でしたが、登山しても快晴ではなく肌寒かったかもしれません。ものは考えようですが、実行しなくて良かったと思います。

その打合せとは、去年亡くなった同期の一人(Hさん)の追悼文集を出すことになり、その話し合いでした。去年の忘年会の参加を表明していたHさんが、開催の一週間前に帰らぬ人となりました。4年ほど前から癌を患っていましたが初日の宴会だけは参加したいと、この忘年会は初めてのエントリーでした。

Hさんの文集を作ることは決まりましたが、今後逝去者が出る度に追悼文集を作成することは困難である、との見解となりました。後に残る人ほど負担は増えます(笑)。そこで、その文集の半分は現役時代の写真集の構成ではどうかとの案が出て、更に細かな詰めの話し合いが必要でした。ZOOM会議も可能ですが、集まったことで話は先に進みました。来年の三月の発行を目指します。

その集まりで、一人の同期から二冊の本とCDを手渡されました。どちらも佐々木閑(ささきしずか)著の『真理のことば/ブッダ』と『般若心経』、そして“NHK100分で名著”の番組でそれを取り上げた録画でした。その同期の彼とは、仏教に関わる勉強会に一緒に参加したこともあります。
 
人が生まれ、老い、病んで、衰え死ぬことが世の法則、自然の摂理である。それを変えることも無くすことも出来ないのであれば、受け入れる側の自分の在り方を変えるしかない。そこにブッダの教えの本義があります。

般若心経でも難しい、「空」の解釈です。色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是。般若心経に出てくる一文です。色 (物質要素)は空(実体がないという状態)と別のものではなく、空は色とは別のものではない。色が空なのであり、空が色なのである。受(感受作用)、想(構想作用)、行(意志作用)、識(認識作用)、についても色と全く同じことが言える。直訳はこのようになります。受想行識(心の作用)も色と全く同じとなれば、空つまり実在がないとのことです。

般若心経この後の、もう一文です。是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不滅。この世の全ての法(基本的存在要素)の特徴は、空(実体がないという状態)である。それらは起こってくることもなく、消滅することもない。汚れることもなく、清らかになることもない。減ることもなく、一杯になることもない。そのような意味になります。つまりこの世を形成している一番おおもとの存在要素には、そもそも実体がないと云っているのです。我々に見えている転変の現象も、錯覚であるとのことです。

ブッダはこの基本的存在要素を否定していません。例えば石は一見すると、安定的に常住しているように見えるが、実際は単にそれらを形成している基本要素の集合体にすぎないので、実体がない。そして常に変化し続けていて、それが空であると云います。一方、ブッダの死後五百年以上経って現れた、「大乗仏教」という新しい宗教運動を信奉する人たちの中から生まれたのが般若心経です。般若心経では、この世の中は人知では捉えがたい、むしろ漠然として神秘的な形で存在していると考えたのです。同期の彼から手渡された本と番組録画から、そのようなことを学びました。

この一年会社も私生活もコロナに振り回され、そのコロナによって同期忘年会も順延となりました。同期の死にしても、悼む文集を作ることにも、色々心をとらわれます。ブッダも般若心経も私は十分理解はしていませんが、今見えているものは錯覚であると捉え方を変えれば、また何か見えてくるものもあるように感じます。 ~次回に続く~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロジェクトとネーミング(その3)

2020年12月05日 06時32分38秒 | Weblog
さて、今年8月に始まったPJの名前を、“社長賞争奪‼ 新加工プロジェクト ネーミングコンテスト”と銘打って社員全員から募ることにしました。仮称で「ロボ立体加工」としてきましたがPJメンバーから、全社員から募集してその中から決めたらどうかとの発案があり、皆に考えてもらうことにしました。

わが社では職場によって出勤時間が違いますので、週一回昼休み時間(食事後20分位)を利用して、全員参加の昼礼を行っています。この昼礼で、PJの取り組みは折にふれ話してきました。昼礼で今回のネーミングの主旨を説明しましたが、PJ事態がよく分からないとの発言が2名からありました。会社としては伝えてきたとの思いもありますが、十分には理解してもらえなかったのでしょう。

三カ月半の間、提携先の会社でロボ機が稼働して、どのような製品を切っているのか、撮った動画や写真があります。それをこの際全社員に観てもらいました。また、ネーミングで一等に選ばれた人への社長賞も、最初はプリぺードカードや図書券を考えていましたが、金一封としました。その効果か、全員から名前の応募がありました。

中には折角考えたのだから、皆の前で名前についての思いを、プレゼンテーションしたいとの社員も現れました。そのような発表の機会も昼礼で織り込みながら、思った以上にこの企画は盛り上がり、一人持ち点3票(自分への一票も可)として投票が行われた結果、“プラス・ワン”と決定しました。わが社では最年少、それも女性社員のネーミングでした。この立体加工はわが社の未来へ向けた、大きなプラス・ワンです。

このPJを基に外に働きかけ、違う切り口で営業をしたところ、既存の得意先から従来受けていな仕事が入りました。並行して、ロボ機の加工を必要とする、であろうユーザーを調べリストアップしてきました。11月にその一軒に訪問をして、新規の仕事を受注出来ました。大きな利益に直ぐには繋がりませんが、貴重な第一歩です。

その新規先は、事前にアポも取らず「飛び込み」でした。訳の分からない押し売りが来たと思われたようで終始立ち話だったと、訪問した営業から聞きました。「すみません、三分間だけ時間を下さい!」と、会社概況とどんな加工が出来るのか手短に説明し、A4一枚の写真が入ったパンフを渡したところ、そこで一気に話が進んだそうです。

社内ネーミングもそうでしたが、言葉より視覚に訴えるビジュアルの威力は侮れません。飛び込み先からは、その場で見積依頼をされ、後日受注となりました。従来の平板の切り板の営業開拓は、断り続けられるなど大変な苦労を強いられます。今回の取り組みは、お客様がその加工を必要としていれば、そこが突破口です。

わが社が新規に受注させてもらった加工は、肉厚のパイプに切り込みを入れるものでした。そのユーザーの職人さんが内製化で、ラフに手切りし削りながら仕上げしていたものです。手間が掛かり、誤って削り過ぎると製品になりません。「この手間が解消できれば、職人には他の仕事をしてもらう」と、先方の担当者は言われたそうです。わが社がお客様の手間を請け負うことで、先方にとってもプラス・ワンになったと思います。

ネーミング募集で全社員に理解してもらったその同じ時期に、新規のお客様と取引が出来ました。不思議なタイミングを感じました。会社としてPJを進める上で、直接のメンバーだけでなく、他の社員の間接的な支援もとても大切です。

鋼板の切断加工は一般的には、ガス溶断、レーザー切断、プラズマ切断。いずれの切断機も一長一短はあり、板厚、枚数、形状、精度によって使い分けをします。わが社は、ガス溶断機とレーザー切断機を擁しています。概して、ガス溶断は火口(トーチ)や切断スピードの微妙な調整が必要で熟練の職人の介在する世界、レーザー切断は自動制御や夜間操業も出来て無人化の領域が広がっています。

近年同業者は、職人の高齢化や熟練工の後継が育たないことから、レーザーやプラズマ切断機を導入する傾向が強まっています。その結果、溶断業は薄ものの自動加工は進んでいますが、肉厚の製品で特殊な形状を扱える同業が減っているとも言えます。わが社はプラス・ワンを駆使して、独自の技術力の向上を目指したいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする