梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

神頼み?

2007年10月28日 09時07分14秒 | Weblog
千葉工場の近く、歩いて10分ほどの所に、稲荷神社があります。『牧野稲荷大明神』と幟に書いてあります。この地域は山武郡芝山町牧野の地名ですので、牧野稲荷なのでしょう。

最近昼休み時間を利用して、運動の為、近くを散歩しています。それで発見しました。樹齢にしたら結構な杉林に、うっそうと囲まれ、昼間でも薄暗い不思議な霊気を感ずるところにありました。

石碑を見ますと、西暦806年に京都伏見稲荷大社の祖神を、この地開墾の時、分霊をして創立したと書いてあります。平成15年に天皇・皇后両陛下が記念植樹をした樹木もありました。こんなところに由緒ある神社があったのです。

ところで一週間前に浦安工場に、素材の8幅(2438ミリ)が切断できる新しいガス溶断機が納入されましたので、お神酒で機械を清めお米を供え、内輪だけの安全操業祈願をして、その後機械の火入れを行いました。 

神の存在を信じるか信じないかは別として、例えば家を建てる時に、地鎮祭を行わない人はほとんどいないと思います。それ程日本人は神事を習慣化しています。私は毎朝、仏壇と神棚には手を合わせます。

或る会合で、全く同じお酒を半日神棚に置いたものと、そうでないものとを飲み比べました。10名ほどの全員が、味か違うと言いました。神棚に置いた方はあまりお酒の味がしなかったのでした。こう言う現象は何なのでしょうか。

千葉工場には7月から新しいレーザー切断機が導入され稼動しています。9月に素材を置く定盤も更新しました。古い定盤は老朽化し、フラットも出ていなかった為、時々機械が異常を感応して止まっていたのです。特にレーザーは夜間操業をかけますので、作業員がいない深夜にストップすると、納期遅れや収益の低下になります。

定盤を替えてからも、新しい機械の感知度が増したのか、他にまだ原因があるのか、一時期止まりました。今後の安定操業を、牧野稲荷大明神に、当然のこと手を合わせ祈願しました。
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事業の継承

2007年10月21日 11時04分33秒 | Weblog
私の知っている会社の社長の交代のケースです。父である社長が58歳の時に、30歳の息子にバトンタッチをしました。それまで息子には社内で肩書きすら付けていなかったとのことです。

若くして任せたのは、若ければ若いほど、世間の人から色々教わることが出来る。場合によっては注意をしてくれる、叱ってくれる、そんな理由があったようです。事実「こんな事も分からないのか」とよくお叱りを受けたそうですが、そんな会社に限って仕事も出してくれたそうです。

万一息子が適任でない場合、父親が再登板することも考え、自分も歳をとらない内にとの読みもあったようです。陸上競技のバトンタッチもそうであるように、お互いに歳をとってからでは勢いもなくなると、考え方は明確です。 

それから4年、まだまだこれから先は分かりませんと現会長は仰いますが、息子さんは立派に会社を切り盛りしています。

事業継承はその経営者の最後にして最大の事業と言われています。継承の仕方で会社がおかしくなる実例は多々あります。しかし経済産業省のある調査によれば、中小企業において年齢的に経営者が継承の時期にさしかかっていても、準備すら出来ていない企業が8割もあるそうです。

後継者が身内にいた、新社長は若く活力がある、暫くは先代が伴走し助言し、対外信用も保持している、この会社のケースは非常に上手く行っているむしろ稀なケースかもしれません。

わが社も他人事ではなく、何れこの時期は必ず来ます。会社存続には無限の可能性がありますが、人は有限です。ズバリ今後継者が決まっている訳ではありません。選択肢は色々ありますが、気持ちの上での準備は早めに越したことはないとは思っています。

今般中期三年計画立てましたがこれが継続し回って行くことを願っています。またわが社の経営理念が社員に引き継がれ浸透していくことも大事だと思っています。私としては無責任な中途半端な事業継承は有り得ないと考えています。
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内田さん

2007年10月14日 07時50分37秒 | Weblog
~内田さんコメント有難うございました。垂直統合と水平統合よく分かりました。わが社の溶断加工進出は垂直統合の一部なのですね。~

ところでその内田さんとの出会いですが、もう十年以上前に遡るでしょうか、それ以来の縁です。メインの仕入先の商社の担当者でした。歳は私より一回り若い割に、ズバリ物事を言うというのが最初の印象でした。

「梶哲さんはこのままの事業形態では近い将来苦戦するでしょうね」と彼は言いました。正直、長い付き合いでもないのにそんなこと何故言い切れるのかと、最初彼の進言を受け入れられませんでした。しかしその一年後の決算では、見事に赤字に転落してしまいました。

結果を示された私としては、それからは素直になりました。事業構造の転換の為、当時数千トン在庫してあった葛西の自社倉庫を総合トラック(弟の物流会社)に貸し、わが社は市川の岸壁の倉庫を借りると言う、仕入れコスト削減にもなる彼の提案を採択しました。

その商社も在庫があり、その岸壁倉庫に移転してもらい、保管・入出庫を受託し家賃収入を得ました。またその在庫を利用することで、自社の在庫はかなり削減が出来、品揃えを維持しながらキャッシュフローが大幅に改善しました。正に画期的な提案でした。

その後彼はその商社を退職して、アメリカに留学して経営を学び、会計士の資格を取得しました。帰国して今は、外資系の会社の部長となっていますが、折にふれ情報交換をさせてもらっています。

わが社の4年前、葛西の土地有効活用において、度々相談に乗ってもらい多くのアドバイスを受けたのも彼からでした。その結果葛西を売却し、買換えとして新たに浦安を取得しました。

ある時彼に質問したことがあります。「何故そんなにわが社を気にしてくれるのか」と。彼曰く「当時自分のような若造の意見を真面目に聞いてくれたから」と、答えが返ってきました。

不思議な縁の繋がりと、外部に頼れる相談者がいることに、大いに感謝しています。
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会社を変える

2007年10月06日 11時15分51秒 | Weblog
群馬県の前橋や高崎あたりからは、有名な妙義山や榛名山や赤城山がよく見えます。中でもその裾野の広さ、雄大さでは赤城山が勝っています。

その南側の裾野を前橋から桐生まで駆け抜ける鉄道が、上毛電鉄です。沿線はのどかな風景が広がり、二日前に行った時は稲穂が黄金色に茂り、秋の青空と、その赤城山が見事でした。

そんな場所にわが社の取引先の一つがあります。10年程前までは、鋼板の一時加工である、溶断シャーリング業者でした。現在は階段専門の製作会社に変身をしています。

シャーリング業者として、過当競争の中で、存続については強い危機感を抱いていたとの事でした。仕事を取るには安値で取らざるを得ず、しかし安い材料を使うと信用問題に関わる、苦悩が長年続いたとの事でした。

付加価値を高める為に少しでも二次加工が出来ないか、お客様が欲しがっている加工や機能は何か、真摯に耳を傾けたそうです。紆余曲折はあったようですが、辿り着いたのが階段の一貫製作工場、マンションなどに取り付ける完成品をこの会社は作っています。つまりメーカーに成ってしまった訳です。

会社を何とか変えたいそんな強い意志を持ち続けた結果でもあったようですが、もう一つ従業員を大事にする風土も、会長(先代社長)からの信念で、これも大きく寄与したようです。

「業績がよい限り従来の賞与の他に報奨金を年に数回支給しています、新入社員でも同じです」「若者が辞めません、しかし悪い時は協力してもらいます」と役員。若い社員が嬉々として働く、社員との一体感を常に考えている当然の帰着です。

最近工場の外壁を綺麗に作り直しました。自分たちの作った階段の、ビルに取り付けられている大きな写真が数枚その外壁に貼ってありました。日々進歩・・・、とスローガンが書かれていました。

「この変化が無ければ、今日わが社は無かったかもしれません」と一言、帰りしな役員は言われました。
コメント (2)
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