Kさんは現れました! 既に集まっていた仲間は歓喜の声を上げます。相変わらずスリムでしたが、顎と上唇には白い髭をたくわえ、皺が深く刻まれ、仙人のようないで立ちでした。容姿からは、やはり45年のギャップを感じました。
彼は錦糸町に早く着いたので、持ってきた野菜をお店に置いて、昔学生の頃一年間この界隈で下宿をしていたそうで、懐かしく街をぶらぶらしていたとのことです。長く務めた会社は定年退職して、現在は農業の技術指導をしているとのことで、持ってきたのはその収穫物でした。お店側で、その素材をアレンジした調理を出してくれました。
45年のギャップは話している内に解消して、昔の彼が目の前に居ます。私はやっと再会出来たことの安堵感で、しばらく我を忘れます。彼は何回か手術をして現在胃を全摘しているそうで、酒も飲めず食事も量は食べれませんでした。それでも酒を飲んでいる私たちに合わせてくれて、意気投合します。約二時間半の宴は終わり、お店の前で集合写真を撮って解散となりました。
去年仲間の一人が亡くなっています。恒例の同期忘年会の直前です。その彼は5年前から肺癌を患っていましたが、去年初めて参加を表明しました。「初日の宴席だけは参加できる」と。ところが開催二週間前、彼からかすれた声で「肺炎になってしまい緊急入院するので、ごめん参加出来ない」との電話です。それから一週間後、奥さんから訃報の知らせでした。「皆にまた会いたい」との、彼からの最後のメッセージだったと思っています。
Kさんと同じく、彼とも忘れられない想い出があります。大学二年の時、彼と私は夏合宿で同じパーティー。十日間程の夏合宿で、その学年は四年間で一番過酷な山行となります。二年生の荷物は一番重く、その上ルートを見極める役割があり、隊の先頭を日替わりで歩きました。バテたとしても、二人以外に交代要員はいません。それでも行程を踏破でき、それこそ同じ釜の飯を食い苦楽を共にした戦友でした。
親しかった仲間が亡くなることは寂しいですが、私も後二年で古希になり、そろそろ私たちの年代も死は日常茶飯事になりつつあります。何年も疎遠なっている同期がまだ二人います。出来れば年内声を掛けてみたいと思います。4年経つと私たちは大学卒業50周年を迎えます。一人でも多くの同期と、50周年を祝いたいと思っています。
出口治明さんの著書“還暦からの底力/歴史・人・旅に学ぶ”を読みました。「人生の楽しみは喜怒哀楽の総量で決まるので、年齢の縛りから自由になれ」「高齢者は次世代のために生きているので、定年制も敬老の日もいらない」。本の表紙や帯から拾うと、このような言葉が出てきます。
『人はみな顔が違うように、考えや嗜好、能力、あるいは置かれた状況や環境も異なります。だから「これが普通だ」ということはあり得ません。個人が平均や普通という意味のない言葉に縛られて人生を送る必要などどこもないのです。いくつになっても自分の好きなことを、自分の好きなようにやればいいのです』
『好きなことをやる、あるいはやれること。人間の幸せはそれに尽きます。いろいろな人に会い、いろいろな本を読み、いろいろなところに出かけて行って刺激を受けたらたくさんの学びが得られ、その分人生は楽しくなります。人の感性はさまざまなので、好きなことにチャレンジしていけばいい。還暦だろうが古希だろうが、年齢など関係ありません』
このように、出口治明さんが言われています。年齢の縛りから解き放たれることが大切だと感じました。古希にしても、型にはまった年齢として括らず、自由な通過点としたいと思います。誰と会い、何を読み、どこへ行くかは、私の行動次第ということになります。
健康であってはじめて、好きなことに好きなように取り組めます。ワンダーフォーゲルの昔の仲間が楽しく集えるのも、山登りがあるからです。仲間に誘われれば、それなりの脚力の備えは怠れません。健康寿命を延ばしながら、平均や普通という意味のない言葉に縛られず、道なき道を歩んでいこうと思います。
彼は錦糸町に早く着いたので、持ってきた野菜をお店に置いて、昔学生の頃一年間この界隈で下宿をしていたそうで、懐かしく街をぶらぶらしていたとのことです。長く務めた会社は定年退職して、現在は農業の技術指導をしているとのことで、持ってきたのはその収穫物でした。お店側で、その素材をアレンジした調理を出してくれました。
45年のギャップは話している内に解消して、昔の彼が目の前に居ます。私はやっと再会出来たことの安堵感で、しばらく我を忘れます。彼は何回か手術をして現在胃を全摘しているそうで、酒も飲めず食事も量は食べれませんでした。それでも酒を飲んでいる私たちに合わせてくれて、意気投合します。約二時間半の宴は終わり、お店の前で集合写真を撮って解散となりました。
去年仲間の一人が亡くなっています。恒例の同期忘年会の直前です。その彼は5年前から肺癌を患っていましたが、去年初めて参加を表明しました。「初日の宴席だけは参加できる」と。ところが開催二週間前、彼からかすれた声で「肺炎になってしまい緊急入院するので、ごめん参加出来ない」との電話です。それから一週間後、奥さんから訃報の知らせでした。「皆にまた会いたい」との、彼からの最後のメッセージだったと思っています。
Kさんと同じく、彼とも忘れられない想い出があります。大学二年の時、彼と私は夏合宿で同じパーティー。十日間程の夏合宿で、その学年は四年間で一番過酷な山行となります。二年生の荷物は一番重く、その上ルートを見極める役割があり、隊の先頭を日替わりで歩きました。バテたとしても、二人以外に交代要員はいません。それでも行程を踏破でき、それこそ同じ釜の飯を食い苦楽を共にした戦友でした。
親しかった仲間が亡くなることは寂しいですが、私も後二年で古希になり、そろそろ私たちの年代も死は日常茶飯事になりつつあります。何年も疎遠なっている同期がまだ二人います。出来れば年内声を掛けてみたいと思います。4年経つと私たちは大学卒業50周年を迎えます。一人でも多くの同期と、50周年を祝いたいと思っています。
出口治明さんの著書“還暦からの底力/歴史・人・旅に学ぶ”を読みました。「人生の楽しみは喜怒哀楽の総量で決まるので、年齢の縛りから自由になれ」「高齢者は次世代のために生きているので、定年制も敬老の日もいらない」。本の表紙や帯から拾うと、このような言葉が出てきます。
『人はみな顔が違うように、考えや嗜好、能力、あるいは置かれた状況や環境も異なります。だから「これが普通だ」ということはあり得ません。個人が平均や普通という意味のない言葉に縛られて人生を送る必要などどこもないのです。いくつになっても自分の好きなことを、自分の好きなようにやればいいのです』
『好きなことをやる、あるいはやれること。人間の幸せはそれに尽きます。いろいろな人に会い、いろいろな本を読み、いろいろなところに出かけて行って刺激を受けたらたくさんの学びが得られ、その分人生は楽しくなります。人の感性はさまざまなので、好きなことにチャレンジしていけばいい。還暦だろうが古希だろうが、年齢など関係ありません』
このように、出口治明さんが言われています。年齢の縛りから解き放たれることが大切だと感じました。古希にしても、型にはまった年齢として括らず、自由な通過点としたいと思います。誰と会い、何を読み、どこへ行くかは、私の行動次第ということになります。
健康であってはじめて、好きなことに好きなように取り組めます。ワンダーフォーゲルの昔の仲間が楽しく集えるのも、山登りがあるからです。仲間に誘われれば、それなりの脚力の備えは怠れません。健康寿命を延ばしながら、平均や普通という意味のない言葉に縛られず、道なき道を歩んでいこうと思います。