日本海海戦といえば、今から113年前大日本帝国とロシア帝国との、日露戦争での戦いです。三笠を旗艦とした日本の連合艦隊は、当時世界最強といわれたバルチック艦隊を撃滅し、戦力のほとんど失わせ、日本側の損失は極めて軽微という成果を上げました。
ロシアの敗因(失敗)と日本の勝因(成功)については、日本側の先見の明や周到準備や偶然の味方など、ロシア側の侮りや準備不足や予期せぬ不運など、いまだに語り尽くされていませんが、戦いが始まりほぼ30分で勝敗が決まる、海戦史上稀な圧倒的勝利となったのです。
両国の損害を比較すると、ロシア側/21隻沈没:拿捕6隻:中立国抑留6隻:戦死者4,830名に対し、日本側/3隻沈没:戦死者117名です。日本の沈没3隻はいずれも小型の水雷艇で、内2隻は互いの衝突によるものです。実質的に攻撃されて沈没したのは、たった1隻となります。
日本が大国帝政ロシアにこのように圧勝し、当時の日本人がその勝利に酔いしれたのも十分に理解は出来ます。しかしその後、燦然たる戦歴を持ち帰還した戦艦三笠で起こった事故については、現在の日本には知らない人が多くいるかもしれません。
戦争終結直後の明治38年9月11日に、三笠は佐世保港内で後部弾薬庫の爆発事故で沈没し、この惨事で399名の死者を出します。弾薬庫前で、当時水兵間で流行っていた「信号用アルコールに火をつけた後、吹き消して臭いを飛ばして飲む」、その隠れての飲酒の最中に、誤って火のついた洗面器をひっくり返したのが原因とされています。日本海海戦の戦死者の、約3倍の死者を出す大失態をしてしまいます。
“連合艦隊解散の辞/訓示”なるものがあります。戦時編成の連合艦隊を解散し、平時編成に戻すこととなり、同じ明治38年12月21日に行われた解散式において、連合艦隊司令長官の東郷平八郎が読み上げたのが、それにあたります。
訓示の骨子は、日露戦争と歴史を紐解きつつ、国家における海軍の大事さを説き、平時における海軍や軍人の在り方について示唆し、有事に備える心構えの重要さを示しています。文面の起草は、日本海海戦で大活躍した参謀秋山真之です。
解散の辞最期の一節は、“神明は、ただ平素の鍛練に力(つと)め、戦はずして既に勝てる者に、勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者より、ただちに之を奪う”とあり、最後の言葉は“古人曰く、勝って兜の緒を締めよ・・・と”です。
大成功に有頂天になっていた兵隊(国民)により:「一勝に満足して治平に安ずる者より」、大惨事を引き起こし:「ただちに之を奪う」、古来日本に伝わっていた戒めを:「勝って兜の緒を締めよ」、実践出来なかった。活かされなかった成功として、秋山真之の無念さがここに滲み出ていると感じました。
三笠は第二次世界大戦後の占領期には、ロシアからの圧力で解体処分にされそうになりましたが、横須賀市の三笠公園に記念艦として残っています。先日、経営者の勉強会でじっくりと見学しました。「失敗をしない」勉強をするのではなく、「失敗から学ぶ」勉強を心掛け、成功に慢心しない謙虚さを持つことを痛感しました。
ロシアの敗因(失敗)と日本の勝因(成功)については、日本側の先見の明や周到準備や偶然の味方など、ロシア側の侮りや準備不足や予期せぬ不運など、いまだに語り尽くされていませんが、戦いが始まりほぼ30分で勝敗が決まる、海戦史上稀な圧倒的勝利となったのです。
両国の損害を比較すると、ロシア側/21隻沈没:拿捕6隻:中立国抑留6隻:戦死者4,830名に対し、日本側/3隻沈没:戦死者117名です。日本の沈没3隻はいずれも小型の水雷艇で、内2隻は互いの衝突によるものです。実質的に攻撃されて沈没したのは、たった1隻となります。
日本が大国帝政ロシアにこのように圧勝し、当時の日本人がその勝利に酔いしれたのも十分に理解は出来ます。しかしその後、燦然たる戦歴を持ち帰還した戦艦三笠で起こった事故については、現在の日本には知らない人が多くいるかもしれません。
戦争終結直後の明治38年9月11日に、三笠は佐世保港内で後部弾薬庫の爆発事故で沈没し、この惨事で399名の死者を出します。弾薬庫前で、当時水兵間で流行っていた「信号用アルコールに火をつけた後、吹き消して臭いを飛ばして飲む」、その隠れての飲酒の最中に、誤って火のついた洗面器をひっくり返したのが原因とされています。日本海海戦の戦死者の、約3倍の死者を出す大失態をしてしまいます。
“連合艦隊解散の辞/訓示”なるものがあります。戦時編成の連合艦隊を解散し、平時編成に戻すこととなり、同じ明治38年12月21日に行われた解散式において、連合艦隊司令長官の東郷平八郎が読み上げたのが、それにあたります。
訓示の骨子は、日露戦争と歴史を紐解きつつ、国家における海軍の大事さを説き、平時における海軍や軍人の在り方について示唆し、有事に備える心構えの重要さを示しています。文面の起草は、日本海海戦で大活躍した参謀秋山真之です。
解散の辞最期の一節は、“神明は、ただ平素の鍛練に力(つと)め、戦はずして既に勝てる者に、勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者より、ただちに之を奪う”とあり、最後の言葉は“古人曰く、勝って兜の緒を締めよ・・・と”です。
大成功に有頂天になっていた兵隊(国民)により:「一勝に満足して治平に安ずる者より」、大惨事を引き起こし:「ただちに之を奪う」、古来日本に伝わっていた戒めを:「勝って兜の緒を締めよ」、実践出来なかった。活かされなかった成功として、秋山真之の無念さがここに滲み出ていると感じました。
三笠は第二次世界大戦後の占領期には、ロシアからの圧力で解体処分にされそうになりましたが、横須賀市の三笠公園に記念艦として残っています。先日、経営者の勉強会でじっくりと見学しました。「失敗をしない」勉強をするのではなく、「失敗から学ぶ」勉強を心掛け、成功に慢心しない謙虚さを持つことを痛感しました。