梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

プラス・ワンその後(その2)

2023年02月25日 06時23分34秒 | Weblog
2021年4月プラス・ワンを、独立採算事業とすることを決めました。企業内起業と位置付けする所以です。専任は二人、技術面を担当するM氏と、営業と現場も担当する私の息子です。息子は大学を卒業してわが社に入社して5年が過ぎ、大学生の頃からバイトでわが社の現場は経験していました。

息子はプラス・ワンの専任なるまでは本体の営業をしていました。移籍するにあたり従来の担当先は、他の営業に引き継ぎましたが、完全に引き渡しはできず暫くは兼任していました。M氏も従来の現場サポートや指導から直ぐには離れられず兼務していましたので、プラス・ワンで発生する経費は本体とプラス・ワンとで案分することにしました。

新規が取れてから、徐々ではありますが仕事が増えてきました。本体の取引先でもこの立体加工を利用してもらえる顧客も現れてきましたが、安定収益には及びません。独立採算事業としてから半年後の状況です。ここでプラス・ワンとしても、大きな決断をしなくてはならないことになります。それは新たに購入するロボ機の選定です。A社にいつまでも外注し依存する訳にはいかないからです。

ロボ機選定の課題は、A社と同種のロボ機を選ぶか、わが社でもっと使い勝手がいいロボ機を選ぶかです。使い勝手がいいといっても手本や見本はなく、わが社で受注した仕事をA社に外注した際、A社通いながらA社のロボ機を使わせてもらい、利点や欠点をみつけるしかありません。A社が導入したロボ機は、所謂産業用ロボットでした。

ロボットは大別すると、産業用ロボットと協働ロボットとになります。産業用ロボットとは、特定の場所に固定して使われ、単純なルーティンワークを人の代わりに行うものが主流です。繰り返し行う単純作業は得意ですが他の作業に流用しづらいことから、頻繁なライン変更を行う現場などでの導入は困難な状況といえます。一方協働ロボットとは、協(力を合わせる)働(はたらく)との文字の通り、人と協力しながら一緒に働くロボットのことです。協働ロボットの特徴は、小型・軽量で、人と同じスペースで作業が行えるよう設計されている点で、多品種少量生産のニーズ対応出来ます。

A社のものは小型の産業用ロボットでしたが、協働ロボット的に使用していました。一か所に固定されていて、アームの動く範囲での切断でした。長い素材を切断する場合は、素材の方を移動させなくてはならない欠点がありました。わが社は使わせてもらいながら、ロボ機を自由に移動できないかとの問題意識がわいていました。その場合、ガス溶断に必要な熔材(液体酸素・プロパンガスのボンベ)も同じように移動しなければなりません。

そのような相談を投げかけたのが、わが社で取引があった、ガスやレーザー切断機のソフトウエア開発会社です。A社のロボ機には、そのソフトウエア会社のシステムが組み込まれていました。わが社の相談に応じてくれるかたちでソフトウエア会社は、主に産業用ロボットを組み立て製造している中堅の会社を紹介してくれました。

そのロボットを製造している会社にとってみると、鋼材加工やガス溶断等については、皆目見当もつきません。ゼロからのスタートです。打ち合わせに長い時間を費やしましたが、その会社にとって初の試みとなる、ガス溶断協働ロボットの製造を引き受けてくれることになりました。結局、一つのカーゴ(カゴ台車)にロボットも熔材も一緒にまとめるものでした。家庭用電源100V使用で、固定ではなく移動可能の協働ロボットです。

このロボットは汎用品ではなく全て特注です。プラス・ワン専任の二人は、形が無いものを創っていくので苦労したと思います。しかし少しでもその形が見えてくれば、遣り甲斐があるとも言えます。独立採算制は厳しいかもしれませんが、自らの結果がすぐ出ることになりますので、やらされ感ではなく自主性が原動力となるはずです。

新たなものを創っても世の中の変化と共に陳腐化します。企業においても、新陳代謝は避けては通れません。勿論、必要性がある限り既存のものを守るのも大切です。振り返って創業から、わが社の歴史も変遷の繰り返しでした。しかし社内では、今回は既存勢力(本体)と新興勢力(プラス・ワン)との戦いもありました。プラス・ワンが何をやっているのか、社内周知の大事さも知りました。そして発注したロボ機は、半年後の2022の5月に納入されることになります。   ~次回に続く~ 

 わが社が導入したロボット
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プラス・ワンその後(その1)

2023年02月18日 06時15分39秒 | Weblog
プラス・ワンの名もわが社内ではすっかり定着しました。二年半前にスタートした、企業内起業と位置付けたロボット立体加工事業の名称のことです。あくまでも会社内での話ですが、創業日も資本金も設定しました。去年の5月に、わが社の発想で製造してもらったロボットも導入して、そのロボ機も順調に稼働しています。

そして去年の秋から二回ほど、外部のコンサルタントに相談して、このロボ機の将来性について助言をもらいました。その助言を通して、また実際にロボットを操作してみて、当初の事業構想とはまた違った道がありそうな期待感があります。ここで、スタートから現在までを振り返ってみて、今後の展開についても開示できる範囲で、お伝えしたいと思います。

2020年6月わが社は、社員の結束を固め足元の難局を乗り切るために、社長は緊急事態宣言をして改善計画を発表しました。併せ、他社が追随できない「未来に向けた独自性のある加工」に、将来のわが社をたくしたいとの思いも告げました。現社長がその前年9月に就任し、一年も経っていない頃でした。当時わが社は、突然のコロナ禍に見舞われ、鉄鋼景気の後退とも重なり苦戦していました。

しかしその時点で、「未来に向けた独自性のある加工」とは、殆んどの社員は理解していなかったと思います。この構想は、ある会社(以後仮にA社)からのアドバイスによるものでした。従来のように平板を寝かせ上から切るのではなく、素材(例えば肉厚パイプ)は固定しておいて、ロボットの腕の先にガスの火口があり、三次元で動き回り立体切断をする加工です。当時そのロボ機はわが社にはないので、A社とタイアップが必要でした。

先ずA社の説明から入ります。わが社は20年前に、取引先の会社が破綻して大きな負債を抱えましたが、その会社の事業を継承・統合する形で加工事業に進出しました。統合する先の会社から、わが社に移籍したガス溶断のプロがいました。その社員はわが社で、製造統括として技術開発や後進の指導に携わり、現在はプラス・ワンの技術責任者(以後M氏)となっています。そのM氏が以前A社で働いていたのです。

企業統合する前に商社から招き入れた常務と、M氏との確執(両者とも会社・社員を思っての)が露わになり、そしてM氏は前から懇意にしていた同業者のA社に転職します。企業統合してから3年目でした。しかし2年後M氏はわが社に復帰します。70歳を超えた常務が辞めることになったからです。常務と入れ替わるように、M氏がわが社に戻ってきたのです。

業界ではどこも導入していないガス溶断ロボットが、既にA社にはありました。「こようなロボ機で立体的な加工に挑戦できたのは、Mさんがいたからだ」と、A社社長は言います。わが社を辞めてその会社にいた期間に、Mさんがそこの技術レベルを向上させ、難しい加工にも対応し、色々ヒントをもらってロボ機を導入できたとのことでした。「ロボ機は彼と共同開発してきたようなものだから」と。

A社の社長は、このロボ機は溶断業界には簡単に浸透はしないだろうと予測しました。同業者には、肉厚の物が切れるガス溶断を熟知した職人が少なくなる中、それをさらにロボットに転用するメリットを理解している経営者は皆無ではないか、と力説しました。オーバーな表現ですがそのアドバイスの取り組み如何によっては、わが社の将来が変わると感じました。

そして2020年秋から、わが社は「ロボ立体加工事業(仮称)」をスタートします。ロボ機による立体加工は、ユーザーが内製化している職人の手間を請け負うことが一つの売りになります。我々が一次加工したものの納め先で立体的加工をする場合、更に手間を掛け二次加工(手切や削り)がなされています。ユーザーではそれが当たり前のようになっていますが、ロボ機では最終仕上がりの精度を高め、一発で切れる大きな利点があります。

この歳の暮れ、“新加工プロジェクト・ネーミングコンテスト”と銘打って社員全員から名称を募ることにしました。投票が行われた結果、“プラス・ワン”と決定しました。名前が決まった直後、プラス・ワンとして新規が取れました。正に狙い通り、その会社で職人さんが、手切でラフに加工しその後はサンダーで削って仕上げていて、相当な時間を掛けていたようす。その仕事をプラス・ワンが請け負いました。

ロボ機はわが社にないので、受注した仕事はA社に外注です。高齢の社長から先々その会社の事業継承まで話が出ましたが、その1年半後A社とは当面距離を置き違う道を歩むとは思いもよりませんでした。   ~次回に続く~  

 H社のロボット

  肉厚のパイプ加工
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ライフ・シフト(その4)

2023年02月11日 06時59分59秒 | Weblog
トヨタ自動車は先月の26日、豊田章男社長(66歳)が4月1日付で会長に就き、佐藤恒治執行役員(53歳)を社長に昇格させる人事を発表しました。急速に進む自動車の電気化の流れの中で、トップの若返りを推進した背景があります。「デジタル化や電動化、コネクティビリティーも含めて私は古い人間だ」「車屋を超えられない、それが私の限界であると思う」。オンライン記者会見での豊田氏の発言です。

日本最大の企業である66歳のトップが、「私は古い人間」と認めた上での判断です。トヨタ自動車であっても、業界の環境激化に直面していることを物語っています。14年間に亘り、数々の苦難を乗り越え好業績を残した経営者も、その成功体験が企業の将来に繋がらないと自覚したのです。

もう一度、鉄鋼流通業界で70歳を過ぎても社長業に就いている方が最近多いとの話しです。人生100年時代を迎えて、確かに70代は昔から比べれば若い年齢となりました。しかし、会社の永続性や危機に対する対応力を考えれば、トヨタの豊田氏の決断ではありあせんが、後進のためにもトップはなるべく早くバトンタッチしたほうが得策です。

リンダ・グラットンさんの著書『LIFE SHIFT』は、何を訴えているのでしょうか。人生100年になりつつある時代に、年齢の長さだけの享受ではなく、「質を変えろ、生き方を変えろ」と言っているのだと思います。学ぶ、働く、引退するという、これまでの型にはまった人生における3つの大きなステージを、どのように新たに設計し直すかということです。

寿命が100年に延びる社会では、そのステージのどこかあるいは全部を、少しずつ伸ばしていくという単純な変化では対応できず、生き方すべてに大きな「シフト」が訪れることです。本では旧来のステージに代わり、「エクスプローラー」「インディペンデント・プロデューサー」「ポートフォリオ・ワーカー」という新しい3つのステージを説きます。冒険者のように未知の環境を渡り歩きそこでの新しい知識や技能を得て人との関係を築くこと。従来の起業家とは違い事業を生み出すことを目的として生産活動を通じ学習を続けること。先の2つのステージを含む様々な活動に同時並行的に取り組むこと。【(その1)からも引用】

100年ライフにシフトしようとする働き手の、受け皿となるべく企業のこれからの取り組みです。この新しい個人の3つのステージを、受け入れられるかです。有形資産(金銭的資産)の構築は当然の事、企業が社員の無形資産の形成に目を向けられるかどうかとなります。

「賃金の上昇が鈍い中、副業への関心が高まっている。政府の後押しもあり、副業を認める企業も増えている」。このような書き出しで、日経新聞に『初めての副業、目的で選ぶ/転職視野、異業種で経験』こんなテーマで、特集が組まれていました。

特集の中で、リクルートの調査で、副業をしているもしくは過去に副業経験があり再開する予定がある人に、複数回答で尋ねた結果が載っていました。その副業・兼業を手掛ける理由で、上位からです。1、貯蓄や自由に使えるお金の確保。2、生計を維持(生計費や学費を稼ぐ)。3、本業では得られない知識や経験を獲得。4、副業・兼業での経験を本業に活用。5、転職や独立の準備に向けた経験をする。6、本業とは異なる場でやりがいを見つける。

このように、副業の目的は大きく3つでした。収入、経験、やりがいです。『LIFE SHIFT』で書かれていた、「エクスプローラー」「インディペンデント・プロデューサー」「ポートフォリオ・ワーカー」を、働き手が既に先取りしているように思えてなりません。会社員の副業は政府も後押しをしていますが、同じくリクルートの調査では、約半数の企業は認めていません。副業の是非だけでも、企業には避けて通れない大きな課題となります。

『LIFE SHIFT』が発刊されて6年経ちました。人生100年時代という言葉や書かれている指針も、当時は新鮮だったのでしょう。しかし、喉元過ぎればではありませんが、今の若者に浸透しなければ意味がありません。法制度や政府や企業の対応が遅いのは、社会変化が遅いからです。茹でガエル状態で、その若者達が中年になって、慌てても遅いのです。

「世界でいち早く長寿化が進んでいる日本は、他の国のお手本になれる」と、著者のリンダ・グラットンさんは言います。「人生の途中で変身を遂げることの重要性を実証するという面でも、世界の先頭に立って欲しいと思う」と。


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ライフ・シフト(その3) 

2023年02月04日 05時42分40秒 | Weblog
「100ライフを生きる人たちは、多くの変身を遂げることになる。そのために必要なのが変身資産だ。自分についてよく知っていること、多様性に富んだ人的ネットワークをもっていること、新しい経験に対して開かれた姿勢をもっていることなどが含まれる」。変身を成功させるにはこの三つの要素が必要であると、『LIFE SHIFT』の本に書かれています。他の無形の資産の中で、私はこの変身資産に興味を持ったと前回伝えました。

第一の、自分についてよく知っていることとは。変身には自分をよく理解していることが不可欠であり、自分の過去、現在、未来についてほぼ絶え間なく自問し続けていること。自分自身を呼び出す能力を持っていること。

第二の、多様性に富んだ人的ネットワークをもっていることとは。活力と多様性に富むネットワークをすでに築いている人ほど、円滑な移行を遂げやすい。どのように変身できるか、色々なイメージや手本を得られるから。

第三の、新しい経験に対して開かれた姿勢をもっていることとは。変身のプロセスが受け身の体験ではないことは自明で、私たちは考えることでなく、行動することによって変化に到達する。その開かれた姿勢をもつこと。

三つの要素は、簡略化すればこのようになります。何故高齢の私が、変身資産に惹かれたのかの話しになります。これからも変わることが必要と感じたからです。私自身、後何年生きていられどれくらい健康でいられるか分かりませんが、平均データから推測することは可能です。最新の日本人男性の平均寿命は81.4年、健康寿命72.7年とのことです。この寿命年齢は毎年更新されているとのことであれば、持病がない今70歳の私は、80歳までは何とか大丈夫だと想定しました。

この年月をどう過ごすのか。余生の生活に埋没してしまうのか、何か新しいことに挑戦するのか、私が決めることになります。「80歳になった自分がいま隣に座っていると想像してみてほしい。80歳のあなたは、いまのあなたがどのような点を尊重することを望むだろう?」「未来の自分と現在の自分を結び付けて考えることが不可欠であり、つまり未来の自分に責任をもつこと」。と、本にありました。

以前このブログ上で、私は「傾聴」についての仕事に取り組んでみたいとの話をしました。想定する10年が短いのか長いのかはさておき、私自身のライフ・シフトをしたいと考えています。そのシフトは自分をよく理解することが必要です。自分を内省し、世の中も見ながら、修正を続けることになるでしょう。これは、変身資産の要素の第一に該当すると思いました。

私は二年ほど前に、15年間続けてきた勉強会を退会しました。あることがきっかけで、物の見方や物の考え方の相違を、押さえることができませんでした。15年間続けてきたことは事実であり、そこで学んだことや習得したことは多く、感謝の念は今もって変わりません。しかし途中から違和感を覚えて、一旦封印したものの、そのきっかけは開いた蓋を閉められなくしました。

「あなたのことを最もよく知っている人は、あなたの変身を助けるのではなく、妨げる可能性が最も高い人物なのである。その人たちは多くの場合、あなたが今まで通りで変わらないことに最も多くの投資をしている人間だからである。その点、新しい人的ネットワークに接すれば、新し価値観、規範、態度、期待に触れられる。そのような人たちと自分を比べることで初めて、あなたは変身への抵抗を乗り越える『臨界点』に到達できるのだ」。変身資産の要素の第二の説明として、本にありました。

15年間続けた勉強会を辞めるには勇気も要りましたが、新しいネットワークに出会うためにも、よいタイミングだったと受け止めています。強い絆で結ばれて同質性が高い集団は、メンバーに変化を促すよりも、同質であり続けることを後押しする傾向が強いと、退会してみて感じました。

社長業に30年従事して67歳で私は後進に譲りました。社長業とは日々の行動というより、判断・決断・決行の仕事が主で、頭で考えてしまうことです。新たな取り組みするのであれば、従来のスキルは通用せず、行動・実践が全てで、異なった経験を受け入れるしかありません。

「新しい自分についての理解を深めたり、外的な要因の影響を受けたりすることにより、既存の行動パターンは崩れる」。そうです、変身資産の要素の第三の解説にそうありました。    ~次回に続く~

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