梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

國破れて、、、(その3)

2019年05月25日 05時47分48秒 | Weblog
『米国は自国の国益を護り自国の安全を確保するため、あの猛勇日本、あの「神風特攻隊」を生み出す日本、国のために玉砕する日本人を二度と見たくなかった。日本人から「命をかけても護らなければならないもの」を抹殺しなければ、いつまた日本が息を吹き返し強い国になり、太平洋やアジアで我々の進出を邪魔するかもしれない、我々に報復するかもしれないと恐れていた』。

日本占領下で指揮を取ったマッカーサーの、そのような拭い去れない恐怖心や日本民族に対する戦慄感を、この根底を見逃してはならないと西氏は喝破します。

『國破れて占領が始まった1945年の真夏から、「無敵の日本帝国がなぜ負けたのか」と国民は自責の病に冒され、惨敗の理由探しに苦しんだ。「精神力では勝っていた」と占領の屈辱を耐えた。飢餓寸前の食糧危機の中で自分を慰めるかのように、この念仏をつぶやき、「富」の蓄財に奔走した。しかし「富」という甘い麻薬への代償は、日本が最も大切にしていた「大和魂」を失う事だった、とは国民誰一人として気づかなかった』。

一億総懴悔、日本という「国」が悪で、日本国民は「無実の、いや無知な犠牲者」だという発想は、マッカーサーが仕組んだものだと西氏は指摘します。

『米国に押し付けられた日本憲法。なかでも第9条は「愛国心」の墓。我々の「誇り」はその中に埋葬されている。日本国民は戦後、第9条があるから日本が「平和」でおられたと信じている。また、米国が安全であると吟味したものだけを、学校教育で徹底させるべく、マッカーサーの命令一声で日本教育が大改革をさせられたのは、米国の国防と繁栄という最も重要な国益があったからだ』。

戦いに一度敗けたから、国を護ることを放棄しなければならないという発想は、マッカーサーの白昼夢からであり、無防備が最強の武器と夢見たマッカーサーは、やがてその夢から目を醒ましたが、未だに醒めていないのは日本国民。このように、『我々が自分の手で「占領の呪縛」の鎖を断ち切らねば、脈々と絶えることなき文化、世界に輝く文化を育んできた美しい日本の山河が泣く』、と西氏はこの本の最後を結びます。

600頁に及ぶ西氏の本の要旨を、私がここに短く載せること自体無謀であると考えています。これを読んだだけですと、断定的で過激な発言に捉われるでしょうが、西氏が30年間米国に滞在して、日本の占領下関わった多くの要人に面談して、残された文献を徹底して検証して書き上げた本だけに、説得力を私は強く感じました。この本は、「戦後の日本の、日本人の捉え方に修正がなければ日本の未来はない」との、現在の日本人に対する警鐘かもしれません。

1950年6月、日本が未だ占領下にある時期、日本の隣国で朝鮮動乱が起こります。北朝鮮の戦車部隊が38度線を破り、突如韓国になだれ込みます。応戦する形で米軍は日本を後方基地としながらマッカーサーが全権を握る、所謂朝鮮戦争が勃発します。

この直後に日本に誕生したのが、警察予備隊(後の陸上自衛隊)です。マッカーサーが日本政府に緊急指令したものです。これは日本の駐留米軍を朝鮮に派遣したため国内の治安上の不備を補うものでしたが、日本の再軍備の第一歩であり、憲法第9条で軍備を持たない平和国家を宣言させたマッカーサーの白昼夢が、厳しい現実にさらされ崩壊した所以といっても過言でありません。

「戦後歴史の解釈」を、私の中でも唯一絶対の捉え方まで至っていませんが、これからも関心は持ち続けたいと思っています。


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國破れて、、、(その2)

2019年05月18日 09時38分06秒 | Weblog
その評論のコメンテーターは秋田浩之という方で、日本経済新聞論説委員です。「昭和の時代にさかのぼって令和の教訓とすべきだが、新しい実証研究の成果で昭和史の解釈が年々更新されている」。「昭和の戦争では310万人の日本人の命が失われたが、この戦争に日本が走った過程についても研究が進み、古い通説が覆されている」。との論調です。

例えば、1930年代に日本は中国に何故侵攻したのかです。戦後の通説は、「その時代、地方の農村が困窮し、この危機を克服するため経済権益を求めて中国に侵攻した」でした。しかし近年の新説は、「日中が全面戦争に入った37年ごろは日本の経済は絶好調であり、38年も好況に沸いていた。日本の貧しさが日中戦争の原因ではない」とのことです。

「近現代史の研究は1970年以降、大きく進みはじめた。秘蔵の政府文書が次々と開示され、89年に米ソ冷戦が終わると旧共産圏の資料も少しずつ手に入るようになったからだ。歴史の事実や解釈が改まれば、そこから引き出すべき教訓も変わってくる」。と秋田氏は指摘します。

西氏の著作“國破れて マッカーサー”は、三十年後ごとに全面公開してきた米政府の極秘文書を、徹底的に調べて研究した大学院での論文が、この本のベースになっていることは前回紹介しました。政府の秘蔵文書を活かし実証研究するところは、秋田氏のコラムの話と奇しくも一致します。

「米国の国防省には『歴史局』と呼ばれる組織がある。同省当局者は、日頃から戦史や過去の失敗を研究し、軍首脳に助言するのが役割だ。重大な決断に際し、国防長官が歴史家の意見を仰ぐケースもある」。とはやはり秋田氏の記述で、そのコラムは「愚者は自分の経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」を引用し、それも「最新の史実や歴史の解釈を知っていることが前提で」、と結んでいます。

西氏は論文を書いてから、2005年に初版された“國破れて マッカーサー”との間に、米国で一冊の本を出版しています。フーバー研究所出版から1982年に初版が出されましたが、22年経過して2002年にペーパーバック版として再版され反響を呼びます。米国のアフガン戦争と占領とイラク戦争と占領が大混乱に陥り、当地は無政府状態が続いている背景がありました。

その本が反響を呼んだのは、大成功をおさめた日本占領をもう一度詳しく吟味すれば、アフガンとイラク占領に役立つものがあるであろうと、期待をもたれた結果です。(本のタイトル名は“Unconditional Democracy”、「有無を言わさず民主主義化された」という皮肉を含んだタイトルです)

「米国国防省の歴史局は戦史や過去の失敗を研究し軍首脳に助言するのが役割で、重大な決断に際し国防長官が歴史家の意見を仰ぐケースもある」。と、正に秋田氏が書かれていたような役割が、西氏の再版の本だったのだと思います。

私自身、西氏の本を読んで戦後の日本史の通説であった視点が全く変わってきています。たまたま講演会に参加して、その本を買い求めそして読んでみて、改めて西氏の存在を認識しました。残念なことに、西氏のことを知る人は少ないかもしれません。それではその戦後の占領下の日本をどう捉えるか、その話に移りたいと思います。 ~次回に続く~

秋田氏のコラムの一部です
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國破れて、、、(その1)

2019年05月11日 09時21分18秒 | Weblog
4月27日に始まった過去に前例がない「10連休」が5月6日で終わりました。多くの人が7日からが、「令和」の仕事始めとなったことと思います。わが社は受注した加工の仕事がありましたので、4月30日と5月1日製造現場は出社となりました。

この連休私は、3日間は家族で過ごしたり友人と集まったりしましたが、7日間は会社に行っていました。だらだらと目的もなく家で休んでしまうと、生活のリズムが崩れそうで、通常と同じ時間に会社に行って帰ることを心掛けました。

実は、この連休を使って或る本を読みたかったこともありました。文庫本サイズですが、約600頁にも及ぶ大作です。その頁数に圧倒されて、だいぶ前に手に入れた本でしたが、読まずに積んどく状態でした。タイトルは“國破れて マッカーサー”、著者は西鋭夫(としお)という方です。3年半前に著者の講演会に参加して、その後会場でこの本を購入させてもらいました。

戦後の米国による日本占領を、克明に著している本です。10連休中には改元もあり憲法記念日もありました。この本には、昭和天皇とマッカーサーのことや日本新憲法施行の経緯も書かれていましたので、とても時宜を得た本となりました。

そもそも西鋭夫はどういう方か、との話から入ります。1941年大阪に生まれ、疎開先の岡山で終戦を迎える。関西学院大学卒業後、ワシントン大学大学院にて学ぶ。その後一旦米国の民間企業に勤めるも、ワシントン大学に戻り博士号を取得。スタンフォード大学フーバー研究所博士研究員等を経て、米国に30年近く滞在して帰国。複数の日本の大学の教授や顧問を歴任して、今日に至っています。

西氏がワシントン大学で学んだのが、日米外交史であり太平洋戦争についてでした。米政府は極秘文書を三十年後ごとに全面公開してきました。西氏が再び同大学に戻り博士号学位論文を書こうとした時が、1945年度の機密文書公開の時期だったのです。つまり昭和20年、GHQによる日本占領が始まった年でした。米国人ですら誰も見ていない文書を徹底的に調べ研究してみることで、論文のテーマは決まりました。

その論文が世界的にも有名なシンク・タンク、フーバー研究所の目に止まり、西氏はそこで働きながら、日本占領について更に調査の枠を広げ、長い時間を費やして米国でも埋もれていた他の重要資料を清査して、その上で数々の研究業績を発表します。

“國破れて マッカーサー”は、これ等の生資料がベースになっていて、西氏がここに重点を置くのは、米国が敗戦日本を独占し好きなように操った事実があるからだと言います。この本は単なる文庫本ではなく、膨大な資料をまとめた学術書です。

本来の「國破れて 山河あり」とは、国は破壊されてしまったが山河は依然としてありつづけ、そこに夢を託し誇りと希望を持とうとの意味です。西氏がこの本のタイトルを付けたのは、米国が「占領劇」の主役で、米国が「戦後日本」の生みの親であり、そこに日本はないとの意味が込められています。

しかしこの本は、米国の悪口を言ったり非難をしたりした本ではなく、占領政策がどのようなものであったかを米政府の極秘資料を使い赤裸々に記述したもので、「戦勝国米国の肩を持たない、敗戦国日本の弁護もしない」と、西氏は言います。

このようなブログを書いている矢先、新聞に興味深いコラムがありました。タイトルは“昭和の教訓、生かす時代に”。令和に入る直前に平成を振返るブームともいえる現象が広がったが、令和への教訓を探すなら、もっとさかのぼって昭和の時代に光を当てるべきだとの内容でした。 ~次回に続く~




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顧客の困りごと(その3)

2019年05月04日 05時47分02秒 | Weblog
メタル便関東が2000年にスタートし、関西(2001年)と中部(2003年)とが設立されたことは前回お伝えしました。その後、北海道2013年、静岡2015年、九州2015年、中国・四国2015年、北陸2016年、新潟2016年と相次いで各社が誕生し、鋼材の小口を共同配送で日本全国を網羅する念願は達成されます。

全国九ヶ所に拠点が誕生することでグループが形成され、この九つの会社はそれぞれの地区の前にメタル便の社名が付けられています。メタル便の社名は冠していませんが、東北地方は福島県に在る運送会社が、デポとなり東北六県を網羅しています。

そもそもメタル便は、鋼材の「長尺品・重量物・異形材」配送をうたい文句に扱い量を増やしてきました。以前は、大手路線便がこれ等を請け負っていました。しかし他の雑貨品等に、キズが付いたり油が付着したり重ね積が出来なかったりして、敬遠されてきたのです。最近は鋼材に限らす、大手の路線便に断られた他の長尺商品の依頼がくるとのことです。

そこにはメタル便にとって大きな追い風が吹きました。近年のネット通販の急成長は目を見張るものがあり、この通販商品は物流を劇的に変えてしまいした。一般雑貨がトラック便に大挙して押し寄せることになり、ますます積載効率の悪い小口の「長尺品・重量物・異形材」は拒絶され、配送してくれる運送会社は希少となりました。そして今や社会現象になった、深刻なドライバー不足が拍車を掛けています。

その象徴ともいえる出来事が起こりました。これまで長く関東をはじめ本州から北海道向けに長尺鋼材や重量物の小ロット貨物を取り扱ってきた物流企業が、今年に入り「4月以降の配車ができない」「混載オーダーを断る」と、荷主に通達してきたのです。

この動きは複数の物流企業にも及んだ様子で、荷主にとっては北海道への混載手段がなくなり今後の対応に苦慮。この中にはメタル便の顧客も多く、メタル便に対し打開策を打診してきたのです。こうした声を受け、メタル便では北海道向けへの円滑な物流と安定供給を目指し、新サービス開始を決定しました。

鋼材を混載・運搬する海上トレーラーシャーシを確保して、週1便定期運行を開始し、今後の貨物扱い量の動向を見極め、必要に応じ週2便から3便に増やす計画です。海上輸送に対応できないオーダーは、既存の幹線輸送スペースを併用しカバーします。

今回の出来事は、長年頼ってきた荷主にしてみれば一方的な「サービスの完全停止」です。価格交渉などで時間を稼ぐ余地もなく、多くの荷主にしてみれば代替手段もみつからず心底困惑していたところです。運賃についていえば、メタル便は過去何回か値上げをしてきました。顧客に対しては勿論事前に周知した上ですが、荷主からは一切の抵抗がなかったそうです。

「長尺品・重量物・異形材」長距離配送については、メタル便のライバルは殆どいない状態です。それ以上に大手路線便や物流大手は、ますますこれ等の輸送から撤退していきます。そのような輸送手段がなければ、荷主はその製造や販売を中止せざるを得ません。

しかしその配送業務はメタル便にとっても、とても手間が掛かり効率は悪い仕事です。他社が敬遠・撤退するからこそ、工夫してグループで力を合わせ、挑戦する意義があるとメタル便関東の社長は明言します。

メタル便関東は、メタル便関西の社長との後に活かされる出逢いや、運送業界の追い風の運に恵まれたことも事実です。しかしながら、「顧客の困りごとを解決すること」に一貫して徹したからこそ、メタル便の今日があると私は思っています。


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