『米国は自国の国益を護り自国の安全を確保するため、あの猛勇日本、あの「神風特攻隊」を生み出す日本、国のために玉砕する日本人を二度と見たくなかった。日本人から「命をかけても護らなければならないもの」を抹殺しなければ、いつまた日本が息を吹き返し強い国になり、太平洋やアジアで我々の進出を邪魔するかもしれない、我々に報復するかもしれないと恐れていた』。
日本占領下で指揮を取ったマッカーサーの、そのような拭い去れない恐怖心や日本民族に対する戦慄感を、この根底を見逃してはならないと西氏は喝破します。
『國破れて占領が始まった1945年の真夏から、「無敵の日本帝国がなぜ負けたのか」と国民は自責の病に冒され、惨敗の理由探しに苦しんだ。「精神力では勝っていた」と占領の屈辱を耐えた。飢餓寸前の食糧危機の中で自分を慰めるかのように、この念仏をつぶやき、「富」の蓄財に奔走した。しかし「富」という甘い麻薬への代償は、日本が最も大切にしていた「大和魂」を失う事だった、とは国民誰一人として気づかなかった』。
一億総懴悔、日本という「国」が悪で、日本国民は「無実の、いや無知な犠牲者」だという発想は、マッカーサーが仕組んだものだと西氏は指摘します。
『米国に押し付けられた日本憲法。なかでも第9条は「愛国心」の墓。我々の「誇り」はその中に埋葬されている。日本国民は戦後、第9条があるから日本が「平和」でおられたと信じている。また、米国が安全であると吟味したものだけを、学校教育で徹底させるべく、マッカーサーの命令一声で日本教育が大改革をさせられたのは、米国の国防と繁栄という最も重要な国益があったからだ』。
戦いに一度敗けたから、国を護ることを放棄しなければならないという発想は、マッカーサーの白昼夢からであり、無防備が最強の武器と夢見たマッカーサーは、やがてその夢から目を醒ましたが、未だに醒めていないのは日本国民。このように、『我々が自分の手で「占領の呪縛」の鎖を断ち切らねば、脈々と絶えることなき文化、世界に輝く文化を育んできた美しい日本の山河が泣く』、と西氏はこの本の最後を結びます。
600頁に及ぶ西氏の本の要旨を、私がここに短く載せること自体無謀であると考えています。これを読んだだけですと、断定的で過激な発言に捉われるでしょうが、西氏が30年間米国に滞在して、日本の占領下関わった多くの要人に面談して、残された文献を徹底して検証して書き上げた本だけに、説得力を私は強く感じました。この本は、「戦後の日本の、日本人の捉え方に修正がなければ日本の未来はない」との、現在の日本人に対する警鐘かもしれません。
1950年6月、日本が未だ占領下にある時期、日本の隣国で朝鮮動乱が起こります。北朝鮮の戦車部隊が38度線を破り、突如韓国になだれ込みます。応戦する形で米軍は日本を後方基地としながらマッカーサーが全権を握る、所謂朝鮮戦争が勃発します。
この直後に日本に誕生したのが、警察予備隊(後の陸上自衛隊)です。マッカーサーが日本政府に緊急指令したものです。これは日本の駐留米軍を朝鮮に派遣したため国内の治安上の不備を補うものでしたが、日本の再軍備の第一歩であり、憲法第9条で軍備を持たない平和国家を宣言させたマッカーサーの白昼夢が、厳しい現実にさらされ崩壊した所以といっても過言でありません。
「戦後歴史の解釈」を、私の中でも唯一絶対の捉え方まで至っていませんが、これからも関心は持ち続けたいと思っています。
日本占領下で指揮を取ったマッカーサーの、そのような拭い去れない恐怖心や日本民族に対する戦慄感を、この根底を見逃してはならないと西氏は喝破します。
『國破れて占領が始まった1945年の真夏から、「無敵の日本帝国がなぜ負けたのか」と国民は自責の病に冒され、惨敗の理由探しに苦しんだ。「精神力では勝っていた」と占領の屈辱を耐えた。飢餓寸前の食糧危機の中で自分を慰めるかのように、この念仏をつぶやき、「富」の蓄財に奔走した。しかし「富」という甘い麻薬への代償は、日本が最も大切にしていた「大和魂」を失う事だった、とは国民誰一人として気づかなかった』。
一億総懴悔、日本という「国」が悪で、日本国民は「無実の、いや無知な犠牲者」だという発想は、マッカーサーが仕組んだものだと西氏は指摘します。
『米国に押し付けられた日本憲法。なかでも第9条は「愛国心」の墓。我々の「誇り」はその中に埋葬されている。日本国民は戦後、第9条があるから日本が「平和」でおられたと信じている。また、米国が安全であると吟味したものだけを、学校教育で徹底させるべく、マッカーサーの命令一声で日本教育が大改革をさせられたのは、米国の国防と繁栄という最も重要な国益があったからだ』。
戦いに一度敗けたから、国を護ることを放棄しなければならないという発想は、マッカーサーの白昼夢からであり、無防備が最強の武器と夢見たマッカーサーは、やがてその夢から目を醒ましたが、未だに醒めていないのは日本国民。このように、『我々が自分の手で「占領の呪縛」の鎖を断ち切らねば、脈々と絶えることなき文化、世界に輝く文化を育んできた美しい日本の山河が泣く』、と西氏はこの本の最後を結びます。
600頁に及ぶ西氏の本の要旨を、私がここに短く載せること自体無謀であると考えています。これを読んだだけですと、断定的で過激な発言に捉われるでしょうが、西氏が30年間米国に滞在して、日本の占領下関わった多くの要人に面談して、残された文献を徹底して検証して書き上げた本だけに、説得力を私は強く感じました。この本は、「戦後の日本の、日本人の捉え方に修正がなければ日本の未来はない」との、現在の日本人に対する警鐘かもしれません。
1950年6月、日本が未だ占領下にある時期、日本の隣国で朝鮮動乱が起こります。北朝鮮の戦車部隊が38度線を破り、突如韓国になだれ込みます。応戦する形で米軍は日本を後方基地としながらマッカーサーが全権を握る、所謂朝鮮戦争が勃発します。
この直後に日本に誕生したのが、警察予備隊(後の陸上自衛隊)です。マッカーサーが日本政府に緊急指令したものです。これは日本の駐留米軍を朝鮮に派遣したため国内の治安上の不備を補うものでしたが、日本の再軍備の第一歩であり、憲法第9条で軍備を持たない平和国家を宣言させたマッカーサーの白昼夢が、厳しい現実にさらされ崩壊した所以といっても過言でありません。
「戦後歴史の解釈」を、私の中でも唯一絶対の捉え方まで至っていませんが、これからも関心は持ち続けたいと思っています。