翌15日、朝方幾らか肌寒さも感じ目が覚めました。曇り空ですが、雨の心配はなさそうです。宿泊した宿の前で集合写真を撮り、スタートです。
この歩いてのリレーには万一に備え、九州から乗り継いでいるレンタルのサポートカーが伴走しています。ポイント毎に先回りして待機しています。車には最新の医療機器、AED(自動体外式除細動器)も積んであります。
馬籠宿を出て暫く歩いたところに見晴台がありました。昨日中央自動道で長いトンネルを通過しましたが、その上にそびえる雄大な恵那山(標高:2191m)が本来素晴らしく見えるところです。ガスっていて、上1/3は見えませんでした。
馬籠と妻籠間の道はほとんど旧道が残っていて、一般車道を歩かずに済みました。細い山道は別として歩きやすい道でした。山里の民家の何百年も変わらないかのようなたたずまいは街道の歴史を感じます。
木曽路はもう秋の気配です。しかし昼近くから天気も回復し、何時しか流れる汗。そう簡単には問屋は卸さず、やはり太陽が出ると夏の暑さに戻ります。サポートカー差し入れの水分やスイカなど、格別の潤いとなりました。
歩きながらふと、日常の生活や残してきた仕事が気になります。その瞬間今自分はどこにいるのか戸惑い、昔の山仲間と歩いているんだと自らに言い聞かせます。そんな気持ちの移ろいもすぐに、山里の自分に引き戻されます。仕事を忘れるにはいい体験でした。
今回参加した先輩で70歳を越えた方が4名いました。50年前の創立100周年で我がクラブは同じような企画をしたのですが、なんとその先輩は現役で参加した方々だったのです。その日も元気で9キロを踏破されました。
妻籠宿は観光客で賑わっていました。予定時間通りの到着です。ここで昼食を取り、私は皆と別れ、家内の実家山形酒田に向かいました。運動不足の私はその後2日間は足が棒でした。
この歩いてのリレーには万一に備え、九州から乗り継いでいるレンタルのサポートカーが伴走しています。ポイント毎に先回りして待機しています。車には最新の医療機器、AED(自動体外式除細動器)も積んであります。
馬籠宿を出て暫く歩いたところに見晴台がありました。昨日中央自動道で長いトンネルを通過しましたが、その上にそびえる雄大な恵那山(標高:2191m)が本来素晴らしく見えるところです。ガスっていて、上1/3は見えませんでした。
馬籠と妻籠間の道はほとんど旧道が残っていて、一般車道を歩かずに済みました。細い山道は別として歩きやすい道でした。山里の民家の何百年も変わらないかのようなたたずまいは街道の歴史を感じます。
木曽路はもう秋の気配です。しかし昼近くから天気も回復し、何時しか流れる汗。そう簡単には問屋は卸さず、やはり太陽が出ると夏の暑さに戻ります。サポートカー差し入れの水分やスイカなど、格別の潤いとなりました。
歩きながらふと、日常の生活や残してきた仕事が気になります。その瞬間今自分はどこにいるのか戸惑い、昔の山仲間と歩いているんだと自らに言い聞かせます。そんな気持ちの移ろいもすぐに、山里の自分に引き戻されます。仕事を忘れるにはいい体験でした。
今回参加した先輩で70歳を越えた方が4名いました。50年前の創立100周年で我がクラブは同じような企画をしたのですが、なんとその先輩は現役で参加した方々だったのです。その日も元気で9キロを踏破されました。
妻籠宿は観光客で賑わっていました。予定時間通りの到着です。ここで昼食を取り、私は皆と別れ、家内の実家山形酒田に向かいました。運動不足の私はその後2日間は足が棒でした。