梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

目的は何だったのか

2014年08月30日 09時37分01秒 | Weblog
大学二年の息子が、福島のいわき市に在る自動車教習所で、二週間の合宿を経て卒業しました。しかし、自宅に帰って来て一週間以上過ぎても、筆記本免許の試験を受けに行く気配がありません。

 
小学校からの友人と一緒に合宿に行ったのですが、友人は同じ日に帰って来られなかったそうです。息子は順調に教程をこなして、予定通り卒業出来たようです。それなのに、何故早く運転免許場に行って、試験を受けないのかと、妻は息子のお尻を叩きます。

実は彼には、自宅に早く帰りたい理由があったのです。私の次女が里帰り出産する為に実家に戻っていて、無事に出産を終えた事はこのブログ上でお伝えしました。出産直前に彼は合宿に行ったもので、生まれたばかりの甥っ子の赤ん坊に一刻も早く会いたかったのです。

簡単に言えば、赤ん坊に会う為に早く帰りたいその目的が終わってしまったのです。二週間無味乾燥な合宿生活を強いられた反動からか、帰った矢先から飲み会も続きました。夏休み中ですが、彼はバイトをしています。一年前から勤めている飲食店の、主に夜間のバイトを、帰った早々に再開しました。

私はそんな息子にはガミガミ言わずに、観察していました。言ったところで、本人が行こうとしない限り、「言われたからしかたなくやる」との習慣が身に付いてしまいます。冷たいようですが、彼が免許を早く取ろうが取らまいが、私には関係ありません。

勿論当初は、免許を取得して運転したいとの目的もあったのでしょうが、赤ん坊を早く見たいにすり替わったのでしょう。しかし合宿先から、路上試験も受かって帰るその日、「今度一緒にドライブしたい!」と嬉しさのあまり、彼は私にメールを寄こしました。

従って私は、「いつ頃ドライブを予定したらいいのか、何処へ行きたいのか」位の話しで、いつ試験に行くのかは詰め寄りませんでした。昨日の話しですが、彼が試験に受かったとの知らせが入りました。運転出来る、彼の楽しみはこれからです。
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赤ちゃんの誕生

2014年08月23日 06時36分14秒 | Weblog
日本経済新聞の二頁『迫真』の連載欄に、今週“ウエルカム赤ちゃん”と題した記事が出ました。赤ちゃんが生みにくくなった日本。2013年の出生率は1.43、人口維持に必要な水準2.07には遠く、現状のままでは日本の総人口は60年には9千万人を割り込むとの指摘です。

危機感を抱いた政府は、6月の閣僚決定で、50年後に人口一億人を維持するとして抜本的対策に乗り出すようです。日本の少子化は、色々な面で、解決しなくてはならない大きな課題です。人口減少は、日本の国力に直接影響を及ぼします。

そして記事には、自治体による子育て支援や、企業による育児の優遇制度や、NPO法人による第二子促進運動や、また不妊治療大国としての日本などが、紹介されています。子供が欲しい女性にとっても、先ずは結婚からスタートして、それから幾つものハードルを越えなくてはならないのが実態です。

私が“ウエルカム赤ちゃん”の題が目に留まったのは、実は違う意味で訳がありました。娘に男児が誕生したからです。去年群馬県の高崎に嫁いだ次女が、里帰り出産の為に実家に戻っていて、お盆の休み前に無事出産を終えたのです。私達夫婦にとっては初孫、正にウエルカム赤ちゃんでした。

娘はお産の大変さから完全に解放されないまま、赤ん坊の世話に心血を注ぎます。お腹が空いたのか、オムツの交換なのか、眠たいのか、四六時中敏感になります。自分の事はさて置き、赤ん坊に対して無償の愛を与えます。母親となる為に、皆が経験することです。

何時までも顔を見ていても飽きないほど、確かに孫は可愛いものです。家内と娘との、育児についての話しなども尽きません。孫ができて、改めてまた家族の大切さ考え直します。

お盆休み中でもあり、私は娘の出産した病院に何回か行き来しました。地元では出産専門の人気の病院で、ここでは多くの赤ちゃんが生まれています。出生率の回復を願うばかりです。
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内蔵されているもの

2014年08月16日 10時25分00秒 | Weblog
歴史は、結果が分かっています。特に戦史の結果は、白黒明白です。単に結果だけ見れば流の中に組み込まれた必然として受け止めてしまいますが、そのようになった要因やプロセスも詳しく見て行くと、示唆に富んだ教訓も見えてきて、とても興味が湧きます。

NHKBSテレビで放映していた『英雄たちの選択・スペシャル』、“両雄対決 石田光成vs.徳川家康 選択の攻防が生んだ関ヶ原”を観ました。日本史上空前の決戦であった関ヶ原の戦いを、決戦までの90日間の両雄の熾烈な「選択」を検証しながら、各分野の論客が東西両陣営に分かれて激論し、戦国最大の活劇の全貌に迫る、面白い番組でした。 

約7万の軍勢の家康の東軍が、約8万の軍勢の三成の西軍を、たった一日で撃破しました。この結果だけ見れば、圧倒的に強い東軍が勝利を収めた、になります。しかし、家康も当初から決戦の覚悟は定まっておらず、東軍は決して盤石ではなく、波乱含みの戦いであったようです。

豊臣政権を継承した三成は公としての大義があり、一方の家康はそれに対抗した私利に走った逆賊とされてもおかしくないと、そんな見方も番組ではしていました。戦いとは、誤算の繰り返し、決定打が無いまま霧の中を進んで行くようなもの、とも番組では話されていました。

それが実際の戦いにおいては、西軍の小早川秀秋を東軍に引き寄せた家康の説得工作が功を奏して、離反した小早川が西軍を叩くことによって、東軍大勝利で決着します。野戦とスピードを得意とする家康が、最後は詭道をもって決定打を放ちます。

私利と言われようが狸おやじと言われようが、殺し合いの乱世である戦国時代に終止符を打って、260年続いた平和な江戸幕府を創設した結果を見れば、関ヶ原で戦った家康の行動が後に大義となったことは明らかです。

物事には必ず二面性が内蔵されています。一面が正しく、その反面が間違いであるとは、時の経過を見ないと判断できないこともあります。
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相手の気持ち立場

2014年08月09日 10時02分17秒 | Weblog
一通のFAXが届きました。私が会長を拝命している地区鉄鋼流通団体の会員からの、突然の退会願いです。会員歴も長く、長年に亘きっちりと会費を納入されていましたが、残念ながら何年も前から会の行事には参加されていなかった会社です。

退会されるには、それなりの事情や都合があるのでしょう。しかし事前に電話などの連絡も入っていませんので、会の運営に対する不満なのか自社独自の問題なのか、この段階では私には一切の状況が分かりません。

その会社も入会される時は、目的があって、メリットもあって入会されようとしたはずです。入会の際には、当会の二人会員の推薦をもって、上部団体の承認も受けなくてはなりません。退会する時も、会長一任では決められず、同じような手続きが必要です。

全く話は変わりますが、車で通勤途中の出来事です。線路の踏み切り直前で、信号が鳴り遮断機が降りました。私は踏切直前で停止しました。すると線路に沿った一方通行の道から、私の車から見ると左側からですが、ほぼ左目の位置に車が一台現れました。

中年女性のその車は、右に曲がって、反対側の道路に出ようとしていたのです。そこで突然、彼女はクラクションを鳴らしました。私の車を後退させろとの意味なのでしょう。しかし後ろの車が接近しているので、私は後ろには下れないと、手を横に振って合図をしました。

前方にスペースがあって、「前に出てくれ」ならば喜んでそうします。踏み切りが締まっている間に反対車線に出たい、その気持ちは分かります。しかし、状況が整って相手があってのことです。一方的にクラクションを鳴らして「後ろに下れ」とは、何と傲慢な態度でしょう。

物事には、全て手順があります。同意や協力を仰がなくてはならない、相手が常に存在することを忘れてはなりません。他人事と思わず、自分自身を振り返ってみます。
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ことの良し悪し

2014年08月02日 09時27分08秒 | Weblog
物事は、思った通り上手く行くこともあれば、思わぬ誤算があり上手く行かないこともあります。順調に事が進んで成功することが単純に良しとして、ミスが起こり失敗することが単純に悪であるかというと、必ずしもそれだけでは白黒はつきません。

江戸川鉄栄会の秋恒例の社員・家族の慰安の集いを企画しました。今回は、東京スカイツリー見学と天空パーティー。ツリーを見学した後、隣接して建つイーストタワー31階のソラマチダイニングで昼食(着席で中華コースメニュー、飲み放題)及ビンゴ大会。

日帰りで多くの家族が参加出来て大人から子供まで楽しめるもの。何処に行くのか食事はどうするのか、毎回毎回企画についてはマンネリにならないように、役員会では悩みます。費用は会からほぼ半額負担で、残りは参加者から会費徴収としてきました。

今回は現地集合・現地解散で、徴収する会費は、大人4000円、子供2000円としました。席の都合上、120名と限定、先着順としました。開業二年も経ち、既にスカイツリーに行っている人もいれば、果たして120名も集まるのかと役員の間では不安もありました。

ところが何と締め切り前に定員オーバーとなって、更に増え続け結果的に応募者は200名を優に超えてしまいした。嬉しい誤算ですが、調整する役員として悩みが始まりました。締切日前に、定員になったとスパッと切ってしまえばよかったのかもしれません。

今回は例年参加されていない会社の申し込みもあり断り切れず、取り敢えず一旦全部受けて会社ごとに調整しようとの考えもあったのです。役員会社の参加を辞退してもらったり、最悪約8名近い役員は食事を取らない覚悟を決めてもらったりもしました。

しかし、レストランの方へも掛け合って、椅子を隣のお店から借りてもらい、8名分の席も確保出来ました。最終的には120名若干オーバーで、人数の調整は収まりました。

今年度江戸川鉄栄会の役員もだいぶ中堅に入れ替わりました。会長である私は、今回は企画の段階からその役員達に一任しました。今回の人数の調整においても、侃々諤々と役員の中でやり取りはあったようですが、結束が固まったようです。申し込みベースでは過去最高の人数、何よりも今回の企画が大当たりしたことは紛れもない事実です。
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