梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

近づいた遠国1

2008年04月27日 09時00分47秒 | Weblog
今から13年前の話ですが、仕事でブラジルに行きました。当時わが社はブラジルから厚板を継続輸入していたので、輸出元のウジミナス製鉄所を見学し、窓口商社コチアを表敬訪問するのが目的でした。

勿論ブラジルは初めての訪問でした。ロサンジェルス経由でサンパウロに入り、ここまでで既に24時間、そこから内陸の滞在地ベロオリゾンテに向いました。日本からすると地球の裏側、最も遠い国です。

それから更に飛行機で一時間位の町イパチンガにウジミナスはあります。空からは原野の中、鉄鉱石の山がむき出しに見える、その脇に製鉄所がある感じです。今から50年前に日本・ブラジル両国出資で合弁会社を発足し、日本からは現在の新日本製鐵が主に参画しこの製鉄所は始動しました。

たかだか4~5日の見聞の限りですが、この地ミナスジェライス州には質素で忍耐強いと言うミナス気質があるそうで、日本人が本来持っている同質の志を共有できたのが両国事業の成功のカギだったのではないかと思います。

滞在中この紙面では語りきれない貴重な体験をしました。しかし今思い出として甦るのはその時知り合った人々です。暫く数名の方と年賀状のやり取りをしていましたが、その後ブラジル側の事情で対日輸出を止めてから残念ながら音信も途絶えてしまいました。

そのウジミナスが最近日本の鉄鋼業界でも注目を浴びています。世界的な鉄源(石炭・鉄鉱石・合金鉄など)の異常な高騰を受け、新日本製鐵とウジミナス共同でイパチンガに新たに高炉を建設するなど拡張投資計画を打ち出したのです。

日本の鉄鋼メーカーが、鉄源が確保できる海外で鉄を作り日本に持ってこないで海外に製品を供給するそんな狙いです。40年ぶりに日本の鉄鋼メーカーが高炉を作る、そんなニュースが話題となりました。

あのウジミナスの当時の担当だった方たちは、今どうしているのか、思いを馳せます。
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クレーム対応

2008年04月20日 10時08分58秒 | Weblog
お客様からのクレームや、お客様とのトラブルはどこの会社でもあるものです。またそれはどんなに社内努力をしたとしても、皆無にはならないものです。
 
会社として肝心なのは発生した場合、クレーム・トラブルとしてしっかり受け止め、受け取った者がきちっと報告をして、責任をとれる者が対応策を考えて行動しなければならないと思います。

わが社には前にもお話しましたが、経営方針書があります。その中にクレーム・トラブル対応に関する方針がありますが、要約すると次のようになります。

①この対応は全ての業務に優先する。お客様を信用し、お客様の言い分に耳を傾ける。②全て速やかに社長に報告し、相談・指示を受ける。最終責任を負うのは社長とする。③会社として対応にかかる労力・費用は度外視する。同じ迷惑をお掛けしない様社内周知をする。

先日発見をしました。この方針の中で「処理」と言う言葉を使っていたのです。ある人からクレームは処理してはいけない、「対応」しなさいと言われました。事務処理とは違うのだと言うのです。言葉を改めたいと思います。

わが社千葉工場の販売先で、大手建設機械メーカーの協力会社があり、納めた製品が精度不良でクレームが続きました。それはそこで溶接され補強材となる為、三角形のその製品の一角が直角でないとだめなのです。

手のひらに乗るくらい小さな部材ですので、ガス溶断加工では難易度が高く、検品もかなりの手間を掛けていましたが、先方で使えない物が多く出荷されていたのです。

その後わが社の社員のアイデアで、その会社から大いに褒められ、わが社のクレーム対応を、真剣に考えてくれた事例として上層部に挙げたいと言うのです。

簡単に言うと形の違った積み木を、それぞれの形の窓に入れて仕舞い込んで行く様な幼児のおもちゃがありますが、そんな物をある社員が作ったのです。正確に切断出来た外枠を取っておき、それに製品をはめ込んで検品したのです。

「処理」ではなく、「対応」を社員が考えてくれた好事例です。
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父親の存在

2008年04月12日 08時05分11秒 | Weblog
我が家にはもう一人の娘、次女がいます。この4月からは大学四年になり、今就職活動の真っ盛りです。

彼女が中学三年の頃でしょうか、家の門限を破るようになりました。当時ビジュアル系のバンドが流行り、原宿に行くと沢山の同好の士がいて、初対面でも直ぐに意気投合したらしいのです。そんな仲間が出来家に帰るのが遅れ出しました。

ある時、家内が何度注意しても言うことを聞かないので、私がきつく言いましたら、娘の自由を奪う権利が親にあるのかと反論され私も切れました。家にはルールがありそれを守れなければ娘ではないと、怒りがこみ上げ、自分でも信じられないくらいの叱りようでした。

こんなこともありました。娘はその女友達の実家に誘われ、宇都宮の花火大会に日帰りで行ってくると言うのです。夕方、今日は帰らなくてもよいかと娘から電話がありました。約束が違うぞと、私。

先方のお父さんが電話を換わられ、この時間では東京に帰ると遅くなるし責任を持ちますとのこと。また電話に出た娘に、しかたがないが翌朝の東北本線の始発で帰って来いと。翌日早朝上野駅に娘を車で迎えに行きました。娘は3日間口を利きませんでした。

誤解なきように、普段私は小言をうるさくは言いません。いや、そのつもりで自分に言い聞かせてきました。後にも先にも、次女にはこの期間だけしか厳しく叱っていません。

渡辺昇一の著、『父の哲学』を読みました。感動したというよりは、私の行動は間違っていなかったのだと承認された安堵感です。もっとも書かれてある父の役割、全部は出来ていませんが。

日本の戦後の父親がどうして威厳がなくなってしまったのか、日本の今抱えている問題を、父親の復権を通し喝破しています。一読をお勧めします。
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この季節

2008年04月05日 08時26分18秒 | Weblog
我が家の長女が学生生活をようやく終え、この4月に社会人となりました。徳島県に研修所がある会社に入ったのですが、1日の入社式に参列するために前日から家を出ました。そこで一ヶ月間の新人研修があり、それから配属される勤務先が決まるそうです。

先日電車で都心に出掛けましたが、それらしきフレッシュマンを多く見受けました。ういういしさが伝わりますので新社会人と分かりますが、新たな人生のスタート、その輝きは忘れないで欲しいと思います。

またこの時期会社では人事異動の季節でもあり、わが社の仕入先の鉄鋼メーカー及び商社の営業担当も数名転勤されました。恐らく短期間での仕事の引継ぎや住居の引越しやらと慌しい中、新勤務地に赴かれたのではないでしょうか。

私ども経営者は幸いにも転勤はありませんが、転勤は会社のため仕事のためとは言え、本人も家族にとっても大変なことです。私は家族がベースになってしまっていますので、もし私が単身赴任になったとしたら、やっていける自身はありません。

そんな正に別れと出会いの時期に、毎年桜が咲きます。桜は季節のうつろいを告げると共に、そんな人間社会の営みの悲喜こもごもを柔らかく包んでくれているようにも見えます。

そんな桜を、特に日本人は大好きのようです。肌寒かった日々が続く中、昼夜を問わず爛漫の桜の下で宴を囲んでいる人々を、今週は見かけました。

我が家から歩いて20m位のところに、境川と言う川がありその川岸に多くの桜があります。毎年この時期は多くの人が集まり、ちょっとした名所になっています。

散りかけた桜を惜しみながら、私も仕事から帰り家内と夜桜を満喫しました。
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