前回はあらたまって文章を書くことについてお話しましが、今回は話すことについて少し触れたいと思います。話すことと言っても、会議とか会話は除外して、一人で人前で話すことに絞ります。
私は社内の朝礼では定期的に話しをしますが、最近は社外で話す機会も増えました。それも前もって分かっている場合と、突然に指名されて話すケースがありますが、当然のことながら突然の指名は困惑します。
皆さんはどうか分かりませんが、私は事前に分かっている場合は、必ず原稿を書きます。
しかし本番ではその原稿は原則見ません。何故なら前回のスピーチの極意で教えられたことですが、インパクトを考えると、聞いてもらっている人を見て話した方が伝わると思っているからです。
従って、原稿を書きそれを覚えなくてはならない作業が入るのですが、近頃はそれを無理に暗記することはしません。どうするかと言うと、読んではそらんじて、間を置いて何回か繰り返します。不思議なもので寝て一日経つと、自然と頭に入っていることもあります。
後は本番ですが、詰まったらメモを見ればいいや程度で、忠実に原稿通りに話すことには拘ってはいません。結果としてメモはお守りの様な物で、出す事は滅多にありません。
そんな訳で突然の指名は、準備も出来ず頭の中も真っ白になり、得意ではありません。急な指名で支離滅裂の話になり、恥ずかしい場面も暫しありました。本来私は上がり症だと思います。
もう一つ大事な事は、誰か熱心に話を聴いてくれている人を早く探すことです。人間は合い槌を打って、承認してくれる人が(ポーズでも)一人でもいるとホッとするものです。
スピーチは本来一方的なもので、反応を聴衆に言葉で聞けないところに辛さがあります。
いずれにしても、あらたまって文章を書くことも、人前で話すことも何事も訓練と思って取組んでいます。そろそろ私の歳になると気になる○○防止の、脳トレと捉えています。
会話の範疇になりますが、一番癒しとなるのは、「あれ」とか「それ」で、何とか通じる家庭での話です。
私は社内の朝礼では定期的に話しをしますが、最近は社外で話す機会も増えました。それも前もって分かっている場合と、突然に指名されて話すケースがありますが、当然のことながら突然の指名は困惑します。
皆さんはどうか分かりませんが、私は事前に分かっている場合は、必ず原稿を書きます。
しかし本番ではその原稿は原則見ません。何故なら前回のスピーチの極意で教えられたことですが、インパクトを考えると、聞いてもらっている人を見て話した方が伝わると思っているからです。
従って、原稿を書きそれを覚えなくてはならない作業が入るのですが、近頃はそれを無理に暗記することはしません。どうするかと言うと、読んではそらんじて、間を置いて何回か繰り返します。不思議なもので寝て一日経つと、自然と頭に入っていることもあります。
後は本番ですが、詰まったらメモを見ればいいや程度で、忠実に原稿通りに話すことには拘ってはいません。結果としてメモはお守りの様な物で、出す事は滅多にありません。
そんな訳で突然の指名は、準備も出来ず頭の中も真っ白になり、得意ではありません。急な指名で支離滅裂の話になり、恥ずかしい場面も暫しありました。本来私は上がり症だと思います。
もう一つ大事な事は、誰か熱心に話を聴いてくれている人を早く探すことです。人間は合い槌を打って、承認してくれる人が(ポーズでも)一人でもいるとホッとするものです。
スピーチは本来一方的なもので、反応を聴衆に言葉で聞けないところに辛さがあります。
いずれにしても、あらたまって文章を書くことも、人前で話すことも何事も訓練と思って取組んでいます。そろそろ私の歳になると気になる○○防止の、脳トレと捉えています。
会話の範疇になりますが、一番癒しとなるのは、「あれ」とか「それ」で、何とか通じる家庭での話です。