アメリカに留学されたU氏が、二年半ほどして日本に帰国されました。今から17~18年前のことで、そしてわが社を訪ねてくれました。わが社の葛西本社には既に従来の機能は無く、市川の岸壁で在庫販売をする体制が定着している時期です。長年本社近くに借りていた第二の倉庫があった土地も、所有者がマンションを建てるとのことで返却していて、葛西は本社事務所だけとなっていました。
帰国後U氏とまた頻繁にお逢いすることになります。ご自身は、当時30代半ばでしたが、外資系IT関係の企業の部長職に就職が決まります。また、わが社に関心を寄せてもらいます。そのテーマは、前々から私も考えていたことですが、葛西の移転問題です。
わが社の将来を考えると、都市化が加速する葛西の土地や、既存の建物は何かにつけて限界でした。幸にも移転の最大の課題であった、現業機能は葛西にはありません。葛西の売却、代替え地の取得、それに絡む諸問題をU氏は私と一緒にシミュレーションしてくれました。課題を一つひと解決して、そして現在の浦安への移転が実現したのです。
U氏には一人娘がいらっしゃいます。娘さんが成長していく課程で、自分の育った環境は恵まれていたと、自宅地域のボランティア活動で家庭教師などをしていました。その縁もあって“千葉県若人自立支援機構”の理事と知り合い、U氏もその活動を援助されることになります。
若人自立支援機構とは、児童養護施設の卒園者(高卒)に対し就職をサポートして、ある年齢になるまで経済的な自立を見守る、有志の会です。その目的で、生徒に職場体験のインターンシップを仲立し、就職説明会を開催し企業面談を疑似体験させるなど、国の支援を受けずに色々と努力している団体です。
わが社もU氏の紹介でその団体を知り、高校生のインターシップを受け入れたり、就職説明会に一企業側としてエントリーしたり、貴重な体験をさせてもらいました。その活動を通し、3年前に当時二十歳の女性社員を、そして去年二十四歳の男性社員を採用することが出来ました。
思ってもみなかった若手の採用は、U氏との縁によるものです。若手採用したいが為の気持ちではなく、U氏の人柄に惹かれたお陰です。振返れば、わが社の事業改革そして土地移転と、不思議な連続性に導かれていています。それも、25年前U氏との出逢いからの始まりでした。
U氏は帰国してから外資系大手IT企業に転職を重ねます。現会社での役職は常務執行役員です。現在51歳ですが、4~5年後娘さんが社会人として独り立ちしたら、第一線を退くと話されます。相変わらず、大組織でトップに登り詰める貪欲さはありません。このような方が結果として世間から評価され、重職に就くように私は感じます。
U氏がアメリカに留学される直前、酒も入っていた席で、疑問だったことを私は尋ねました。「どうしてこの私に、親身になってアドバイスをして下さるのですか」。U氏の返答は、「だって梶さんは、誠意を持って私を受け入れてくれるから」。
軍師という存在があります。軍師は過去の戦いの歴史を学んで、戦略や戦術を身につけています。しかし軍師自らは戦いません。傍目八目から観て、その戦いの在り方を将に進言して、採択してもらうことが役割です。軍師U氏は私より16歳下ですが、いつしか歳の差を感じなくなりました。
前述の返答の後、U氏からこのような言葉が発せられました。「私はアドバイスこそ出来ますが、最後は判断して決行するのは社長です」。前にも書きましたがこのような考え方が、他人の力を借りる時の、私の経営のバックボーンになっています。
帰国後U氏とまた頻繁にお逢いすることになります。ご自身は、当時30代半ばでしたが、外資系IT関係の企業の部長職に就職が決まります。また、わが社に関心を寄せてもらいます。そのテーマは、前々から私も考えていたことですが、葛西の移転問題です。
わが社の将来を考えると、都市化が加速する葛西の土地や、既存の建物は何かにつけて限界でした。幸にも移転の最大の課題であった、現業機能は葛西にはありません。葛西の売却、代替え地の取得、それに絡む諸問題をU氏は私と一緒にシミュレーションしてくれました。課題を一つひと解決して、そして現在の浦安への移転が実現したのです。
U氏には一人娘がいらっしゃいます。娘さんが成長していく課程で、自分の育った環境は恵まれていたと、自宅地域のボランティア活動で家庭教師などをしていました。その縁もあって“千葉県若人自立支援機構”の理事と知り合い、U氏もその活動を援助されることになります。
若人自立支援機構とは、児童養護施設の卒園者(高卒)に対し就職をサポートして、ある年齢になるまで経済的な自立を見守る、有志の会です。その目的で、生徒に職場体験のインターンシップを仲立し、就職説明会を開催し企業面談を疑似体験させるなど、国の支援を受けずに色々と努力している団体です。
わが社もU氏の紹介でその団体を知り、高校生のインターシップを受け入れたり、就職説明会に一企業側としてエントリーしたり、貴重な体験をさせてもらいました。その活動を通し、3年前に当時二十歳の女性社員を、そして去年二十四歳の男性社員を採用することが出来ました。
思ってもみなかった若手の採用は、U氏との縁によるものです。若手採用したいが為の気持ちではなく、U氏の人柄に惹かれたお陰です。振返れば、わが社の事業改革そして土地移転と、不思議な連続性に導かれていています。それも、25年前U氏との出逢いからの始まりでした。
U氏は帰国してから外資系大手IT企業に転職を重ねます。現会社での役職は常務執行役員です。現在51歳ですが、4~5年後娘さんが社会人として独り立ちしたら、第一線を退くと話されます。相変わらず、大組織でトップに登り詰める貪欲さはありません。このような方が結果として世間から評価され、重職に就くように私は感じます。
U氏がアメリカに留学される直前、酒も入っていた席で、疑問だったことを私は尋ねました。「どうしてこの私に、親身になってアドバイスをして下さるのですか」。U氏の返答は、「だって梶さんは、誠意を持って私を受け入れてくれるから」。
軍師という存在があります。軍師は過去の戦いの歴史を学んで、戦略や戦術を身につけています。しかし軍師自らは戦いません。傍目八目から観て、その戦いの在り方を将に進言して、採択してもらうことが役割です。軍師U氏は私より16歳下ですが、いつしか歳の差を感じなくなりました。
前述の返答の後、U氏からこのような言葉が発せられました。「私はアドバイスこそ出来ますが、最後は判断して決行するのは社長です」。前にも書きましたがこのような考え方が、他人の力を借りる時の、私の経営のバックボーンになっています。