梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

弱さを希望に(その1)

2020年08月29日 05時04分04秒 | Weblog
長崎原爆で被爆した体験を語る、小崎登明さんという方がいます。今年92歳を迎えますが、1945年8月9日その時は17歳でした。当日いつものように、三菱長崎兵器製作所の工場で作業をしていると、耳をつんざくような音が響きます。その途端、爆風に襲われ吹き飛ばされるが、製作所はトンネルの中の工場だったため、大きな外傷はなかった。

爆心地から約2キロの地点での被爆。その後工場に避難しに来たのか、その人を見て驚く。髪は焦げて、着ている服もぼろぼろである。外で何が起こったのか、工場を後に原子野をさまよい歩く中、怪我した小学生の男の子に足にもまとわりつかれ助けを求められたが、どうすることも出来ずに振り切った。

瓦礫の下敷きになった女子学生を救助し、数人で簡易担架を作り運んでいる途中、低空で飛んできたアメリカの敵機に、怖くなって置き去りにした。逃げ込んだ森で、内臓が飛び出している瀕死の状態の先輩に出くわす。日頃から仲が悪く、一週間前に殴られたことを恨みに思っていたため、「ざまあみろ」と小さく吐き捨てるように言った。

8月9日NHKEテレ“心の時代~宗教・人生~”で、「弱さを希望に~カトリック修道士・小崎登明さん~」と題した番組が放映されました。『助けなかった』『逃げた』『許さなかった』、この三つが原爆の原体験となっているのが小崎さんです。それは今考えてみると誰でも持っている人間の本性で、これが無くならなければ人間としての平和が来ない、と当時自分の同い年の若者へ語り部として長年活動してこられた方です。以下は、テレビで実際に語られていた一部です。

「そして爆心地から500Mの私の家に帰ったら、家も母も跡形がない。残ったのが私の命だけであった。原爆で何もかも失ったが、初めて唯一残った自分の命が大事と思った。私はその年の秋に、直ぐに神学校に入った。それを創ったのがコルベ神父でした。神父がどのような生き方をしたのか、興味を持った」

「コルベ神父は長崎で6年苦しい生活をしていたが、祖国のポーランドに帰って、遂にアウシュビッツの収容所に入れられた。どん底ですが、そこで僅かな食事を若い人に分け与えるとか、皆を助けながら過ごした。ナチスの兵隊にいじめられても優しい目を向けて許し、どんな困難にも逃げずに、最後は他人の身代わりとなり命を捧げたのです」

「私が原爆の中で体験したことに、コルベ神父の中で解決があったのです。解決を見つけたけれど、若い人に何を伝えどう生きなければいけないかは、二十年間話を続けてきたけれど、最後にどのような答えかを示さないとなると難しいのです。原爆資料館で語り部をやっていた時は、人間の痛みを分かる心を持つことが原点だと掲げ、それが平和の原点でもあり、その痛みを分かる人間になろうと言ってきた」

「そのテーマは掲げているが、果たして痛みが分かるだろうか。亡くなった母は、人間の痛みは三年でもこらえられる、我慢できる、だから他人から同情は期待するなと。コルベ神父の何を伝えるか。神父が身代わりになり救われた人の、あらためて授かった命への感謝。神父は命を与えたが、お礼を求めなかったその心。ナチスの体罰に人間のプライドを捨てず、悪に負けない神父の勇気。それらを語ってきたが、理解してもらえたかまだ確信がもてない」

『助けなかった』『逃げた』『許さなかった』こと、小崎さんは戦後75年間悩み苦しみました。この三つは、自ら手を下した結果でもなく、法を犯したわけでもありません。自分の命を優先するために、誰しもが少なからず、戦争という状況下では体験することです。しかしその原体験こそ、小崎さんのそれからの人生を決定します。

小崎さんは、聖人マキシミリアン・コルベ(コルベ神父)の研究家としても知られています。小崎さんはコルベ神父に直に接していませんが、長年に亘り研究を続け、ポーランドに旅しアウシュビッツ収容所には何回も訪れ、神父が身代わりになった実際の人物にも出会っています。その過程で、先も触れましたが、三つの答えをコルベ神父の中に見出しました。  ~次回に続く~

 小崎登明さん
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育てること(その3)

2020年08月22日 08時09分55秒 | Weblog
以下は、脳科学者の中野信子さんの著書“空気を読む脳”で、「褒めるは危険」の論旨です。1990年の終わりコロンビア大学の研究チームで、人種や社会経済的地位の異なる、10~12歳までの子供約400人に知能テストを行った実験に基づいています。

ある知能テストを行い採点しますが、実際の成績は秘匿にして、その代わり個別に「あなたの成績は100点満点中80点だ」と全員に伝えます。そしてテストを受けた子供たちを3つのグループに分け、成績以外に伝えるコメントを、グループ1:「本当に頭がいいんだね」と褒める、グループ2:「努力のかいがあったね」と褒める、グループ3:何のコメントもしない、としました。

更なる課題を与えます。ひとつは難しく、平均的な子供たちには問題が解けないかもしれない水準の難易度。しかしやりがいがあり、正解でなくとも何かしら学びとることが出来るような課題です。もうひとつはずっとやさしいもので、さくさく解けてしまいます。だた、そこらら学べるのものはあまりないという課題です。3つのグループに分けられた子供たちは、2つの課題のうち一体どちらを選んだのでしょうか?

難しい課題を選ばなかった子供の割合は、グループ1は65%、グループ2は10%、グループ3は45%でした。つまり「本当に頭がいいんだね」と褒められたグループ1の子供たちは、何も言われなかったグループ3の子供たちよりも、難しい課題を回避した割合が高くなった。褒めることが自尊心を高めると信じててきた人々にとっては、驚きの結果です。より良い成績を大人たちに確実に見せられるとなると、やさしい課題を選択するという圧力が働いたと考えられます。

更に衝撃的なことです。この難しい課題で、自分の成績を皆の前で発表させたところ、褒めれたグループ1の子供の約40%が、本当の成績より良い点数を報告していたのです。つまり自分を良く見せようとウソをついたのです。この実験の最後として、一回目と同様の課題が子供たちに与えられました。一回目の知能テストでは、どのグループも成績に差が無かったのが、最後に行われたテストで、グループ1の子供たち方がグループ3の子供たちより、はるかに成績が悪かったのです。

一連の実験で、グループ1の操作を行った子供たちへの見解です。頭がいいと褒められた子供は、頑張らなくても良く出来るはずだと思うようになり、必要な努力をしなくなる。本当の自分は頭がいいわけではないが、周囲に頭がいいと思わせなければと思い込む。頭がいいという評価から得られるメリットを維持するためにウソをつくことに抵抗がなくなる。頭がいい評価を失いたくないから、失敗を恐れる気持ちが強くなる。

以上の研究結果を踏まえ、中野信子さんは短絡的に褒めることは危険だと指摘しているのです。大人の世界でも、捏造、改ざん、記録の紛失、記憶違い、が頻発する昨今。これらはしばしば安直に指摘されるような劣化などという現象ではなく、周囲から「すごいね」「頭がいいね」と褒められ続け、そんなふうに育ってしまっただけなのかもしれない、と言及しています。 

前回、子供には個々のタイプがあり、その特性に合った得意な方法で学習させれば、子供の持つ能力は大きく引き上げられる。人間(子供)の持つ知能には、言語的知能、論理・数学的知能、空間的知能、音楽的知能、身体運動的知能、対人的知能、内省的知能、博物的知能、これら8種類のタイプがあるとの話しをしました

学校の勉強として評価される知能は、このうちの最初の2種類だけです。しかし残りの6タイプも、その特性を活かせば勉強もうまく運ぶと言われています。そのタイプに着眼して引っ張り出していくのは、子供を普段からよく観察することにつきると、私は思います。

その手間を省き、面倒くさいから、大人は子供を表面的に「褒める」のではないでしょうか。勉強嫌いな子供が勉強していると、その姿だけで満足して、終わったら何かご褒美をあげるから、との気持ちは分かります。子供を甘やかすし迎合するのではなく、問題が解けたら「努力のかいがあったね」と、先ず褒めることが大切だと思います。

「褒め方には注意が必要で、その子のもともとの性質ではなく、その努力や時間の使い方、工夫に着目して評価することが、挑戦することをいとわない心を育て、望ましい結果を引き出す」。その研究チームは最後に結論づけていると、中野信子さんは自書で言っています。会社での上司と部下との関係性にも繋がると、今回捉えることにしました。

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育てること(その2)

2020年08月15日 10時05分00秒 | Weblog
夏休みを利用して次女が二人の孫を連れての、我が家への里帰りは続いています。二週間ほど経ちますので、二人の孫もすっかり私たち(爺さん婆さん)に馴染んできました。下の二歳の女の子は、自分から私に近寄ってくることはありませんでしたが、最近は私の体に触れて「ジイジ」と、ちょっかいをかけてくるほどになりました。

こちらの気分で一方的に孫をあやしても、向こうが受け入れがないと嫌がられます。ですので、私は二歳の孫が隣に座っても、見て見ないふりをして観察しています。向こうから関心を示して、接触してきた時がチャンスだと思っています。大人の世界でも、共通するものがあるのではないでしょうか。

その二歳の子は常に何かを話していて、未だ半分は分かりませんが、半分は何を話しているか分かるようになりました。母親からすると、後の半分は無駄な音声を発しているのではなくて、意味が分かるといいます。私がちゃんと受け答えをしてあげると、二週間の進歩すら感じます。その歳にして、感受性の豊かさも伝わってきます。

上の六歳の孫が一歳の時、このようなことがありました。食卓に着いて、フォークを持って遊んでいるので、母親が叱っていました。その孫は何をやっていたのかです。皿に盛られたおかずをフォークで突っつくだけで、自分のプレートにフォークを戻すと、また別の皿のおかずをフォークで突っつき、同じようなことを繰り返していまいた。

母親はそれを見て、食べないで遊んでいると叱ったのです。私はようやく、何をやっているのか理解しました。大人の真似をしていたのです。一つ一つおかずを手元にとって食べている、大人の行為をその様に見て、同じようにしていたのです。真似ることは、「まねぶ」こと。子供の学ぶことの基本です。

子供の教育論などを少し紐解くと、それぞれの子供には個性があり、それを重視した教育が大切だと言われています。つまり子供には個々のタイプがあり、その特性に合った分野を見つけ、得意な方法で学習させれば、その子供の持つ能力は大きく引き上げられるとのことです。

人間の持つ知能には、言語的知能、論理・数学的知能、空間的知能、音楽的知能、身体運動的知能、対人的知能、内省的知能、博物的知能、これら8種類のタイプに分類した人がいます。1983年にハーバード大学の心理学者ハワード・ガードナー博士が提唱しました。学校の所謂「お勉強」として評価される知能は、このうちの2種類だけ。最初の言語的知能と論理・数学的知能だけだそうです。

残りの6タイプの子供も、その特性を活かせば学習もうまく運ぶと言われています。六歳になったばかりの上の子は、前回書いたように字の書き順にはまだ難点がありますが、その年齢にしては話す語彙が豊富です。幼い時から、母親との対話で吸収したものと思われます。

子育てでは、子供の欠点の方が目立ちます。母親は家事に追われその上兄弟が多いとなれば、その子だけに集中し良いところ見出すのも簡単ではありません。またその良いところを伸ばすにしても、どのように伸ばすのか。私たちの時代と違って、最近は「褒めて育てる」との考え方がますます主流になってきました。

その「褒める」は危険と、警鐘を鳴らしている方がいます。脳科学者の中野信子さんです。最近、“空気を読む脳”とのタイトルの中野さんの著書を読みました。第三章は、『「褒める」は危険~日本人の才能を伸ばす方法とは?』とのテーマです。「褒めて育てる」ことで、失敗を恐れる脳を作ってしまい、そしてウソをつくことに抵抗がなくなってしまう。

それは何故か、ではどうしたらよいのか。目から鱗的な見解が、そこには書かれています。この本を読むまで「褒めて育てる」ことに、一度も違和感を持っていませんでした。  ~次回に続く~
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育てること(その1)

2020年08月08日 04時35分55秒 | Weblog
息子から孫をしばらく会社で預かって欲しい、との依頼がありました。息子が週末(土曜日)わが社に出て来て仕事をしたいのだが、嫁は用事があるとのこと。その日私も会社に行く予定でしたので、孫の二歳の男の子を2~3時間の目途で預かることになりました。

息子たちは結婚して、一年程私たち夫婦と同居していました。現在は会社の近くにアパートを借りて、自分たちで生計を立てています。私には息子の他に娘が二人いて、それぞれ二人の子供がいますので、私の孫は五人(上は六歳から下は一歳)になります。娘たち家族も関東域に住んでいますので、互いに行き来はできます。

コロナ対策はやった上で、つい最近全家族でオートキャンプに行くことが叶いました。息子の孫ともそこで遊んだので人見知りはしないはずですが、今回は一対一、時間が持つか心配になります。私の部屋で、一人で静かに遊んでくれていれば、やろうとした私の仕事は出来ると思っていました。

息子は仕事に取り掛かる前に、孫がよく観ている動画をPCでセットしてくれました。しかしじっと観ていたのは5~6分でした。そのうちPCのボタンを勝手に押して、動画を止めてしまったりします。唯一持ってきたミニカーで遊びますが、これも飽きてしまいました。とうとう私の仕事は手付かずとなりました。

一緒に絵を描いたり、紙飛行機を作ったり、紙でゲートを作りミニカーを走らせたり。座っているのが苦痛のようで、後は床で自由に遊ばせました。書類が入った棚の扉を開けようが、させるままにしましたが、時折私の顔を見ます。叱られるかどうかか見ているのです。孫の遊び相手をするにも、創意工夫が必要です。普段の仕事の方がよっぽど楽です。 

夏休みでもあり、次女が二人の孫を連れて、現在我が家に里帰りしています。上は五歳の男の子、下は二歳の女の子です。長男の孫を預かった翌日の日曜日、今度は次女の上の子を会社に連れて行くことになりました。娘が「お爺さんと一緒に会社に行く?」と尋ねたところ、孫は「行く!」とのこと。娘は「お爺さんに、勉強を見てもらったら」と、ちゃっかりひらがなのドリルを持たせました。

会社に着いてから帰るまで三時間ほどでした。時間を決めて、ドリルの学習とゲーム機で遊ぶのを交互にすることにしました。最初にドリル、さすがに六歳児一人でやり出しました。ひらがなの読みは、濁点と半濁点を含めてほぼ読めます。しかし書き方については、書き順が間違っています。ドリルには書き順の矢印が記されていますが、孫は形をまねているだけの字があります。

例えば“ね”が正確に書けませんでした。「最初に縦に1本書いて、それから横、左から右に行って下がって左、、」と口頭で伝えながら一緒に何回も書きましたが、中々飲み込めません。私自身少し苛つきを感じましたので、ゲームで遊んでいいから、それからまたドリルをしよう、とのことになりました。

娘たちの子育てを傍で見ていると頭が下がります。食事にしても、何事をするにしても、子供優先で自分は二の次です。起きている時は四六時中子供に付きっきりです。黙って勉強のドリルに向かい合っているのなら、それで良しとして、細かいところまで手が回らないかもしれません。私がしゃしゃり出て孫が勉強を嫌がったら元も子もありません。

その日はそれまでとして、時間をおくことにしました。しかし翌朝、口頭で孫に書き順をおさらいしている私がいました。娘が孫にこっそりと聞いたところ、「ジィジとはしばらく勉強はしたくない」と言っていたそうです。しかしながら、“ね”の字の書き順はしっかりと覚えていました。

子育てや子供の教育に関して、今の私にとっては遠い昔の話となってしまいました。それは実の親に任せ、口出しをする気はありません。しかしこの歳になって孫を通して見えるものあります。いずれにしても孫と直面することは、己の忍耐と知力に向き合うことになります。  ~次回に続く~
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人は変われるのか

2020年08月01日 05時43分39秒 | Weblog
地元のFMラジオを聴いていると、フリーランスでキャリア・コンサルタントをされてる狩野賢さんという方がゲストで登場しました。引きこもりやニートやフリーターの若者に、就職、転職、在職のキャリアアップ等の悩み相談を受け、自立を手助けされています。江戸川区の就労支援事業「きずな塾」の塾長としても活躍されています。

番組のパーソナリティから、「そのような人たちが、どうしたら変われるのですか」との質問でした。「ある意味で簡単です、自分で変わろうと思うことです」と狩野さんは即答されました。ご自身も引きこもりの経験があり、自分のことはほっといてくれと強く思っていた時期を経て、引きこもりの心境は誰よりも分かると話されていました。

「きずな塾」は開設時間が決まっているものの、来訪者は予約をしなくてもよいそうで、予約をした瞬間から気が重くなる人がいるからだそうです。入口の手前で引き返しても、それはそれで進歩だといいます。そこまで来たことは行動を起こしたと評価します、と狩野さんは話されていました。

私の勉強仲間で、退会の意思表明をしていませんが、勉強会に来なくなってしまった人がいます。直接その本人と話す機会がありました。勉強会で先生の言われていることは、全て正しいと理解しているしもっともだと納得している。しかしそのような自分には変われない、むしろ変わりたくないとの思いが最近は強くなっている、とのことでした。

限られた紙面なので、その勉強会がどのようなもので、先生とはどのような方なのか全部は説明出来ません。しかし先生は、「私に褒められようと学ぶ人は長続きしない」「先ずは我を捨て素直になることが大切」「他者に何か言われて腹が立つところが己の欠点」、このようなことを常に仰います。

私達はどうしても他と比べて、自分の価値基準で、楽をして良いものだけを選ぼうとする傾向があります。その仲間の人は勉強会に何年も続けて、自分を向上させたいと努力されてきたことは確かです。自分の耳障りな真実は今後どこから入るのか、遠ざかる(避ける)ことで問題は解決するのかどうか、私としては懸念があります。

私は「人は本当に変われるのか」のテーマを、ずっと意識してきました。例えば新たな事を始め継続する人を私は信用して、自分を変えられる可能性があるとみていました。仏教用語に“縁覚界”と“声聞界”とがあります。縁覚界とは体験だけで苦を乗り越えて悟りに至る世界(独学とも)、声聞界とは仏(師)の教えに従い修行によってその境地を体得する世界です。

体験だけで苦を乗越えようとしても、それが摂理に合っているかの第三者のチェックが必要です。その段階を踏まなくては、新たなことを始めやり続けたとしても意味をなしません。また独学を実践すると置き換えたら、師に付いて学び、実践(独学)し、その後師にチェックを受け、検証することが必要不可欠です。師を求め、師について、縁覚と声聞を繰り返さないといけないと考えます。

“私にはたった二つのルールしかなかった。出来ることはすべてやれ、やるなら最善を尽くせ”。ケンタッキー・フライド・チキンの創業者のカーネル・サンダースの言葉です。カーネルがその仕事を始めたのは65歳の時。FCビジネスを展開しようとしたのだが1000軒ほどは断られる。それでも熱意をもって仕事に取り組むことにより、今では世界を制覇しました。カーネルに師がいたかどうか分かりませんが、途中で諦めないでやり抜いたその継続性には敬服します。

先ず自分で変わろうと思うこと。そして思い続けること。少しでも行動に移すこと。そして行動を継続すること。「人は変われるのか」の命題に対して、現在の私はこのような考えを見出しています。
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