梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

長いお付合い

2012年02月25日 06時11分14秒 | Weblog
八十歳を過ぎた女性が亡くなられました。私の父親の親友であったその奥様でした。自宅で骨折をして入院され、治って退院日も決ったものの、その間近に肺炎になり急逝されました。

父親は大学時代相撲部に入っていました。家も近く同じ年で、中学時代から仲が良かった親友を、大学で相撲部に誘ったのは当然の成り行きでした。その方の実家は繊維関係の商売で、互いに家業を継いだこともあり、その親交は生涯に亘りました。

父親が22年前に他界してから、その方が4年前に亡くなられるまでの18年間、その方と私はお付合いをさせて頂きました。理由は、私も父と同じ大学の付属高校に入り高校の相撲部に一時期席を置いていたから。もう一つはその方に私と同じ様な年の息子さんがいて、同じく家業を継いでいたからです。

父の死後私は代理として、相撲部OBの旅行には何回か声を掛けて頂き、同行致しました。その会社が上海に工場があったこともあり、中国には2回も視察に行きました。上海が飛躍的な繁栄をする前の、懐かしい時代でした。

その親子と私と私の弟とで、年に3・4回は、後継者としての勉強会を開いていました。経営者としての悩みや諸問題を本音で語る会でした。しかしその方が8年前に大病を患い第一線から退き、そして4年前に亡くなられ、縁が遠くなるかと思われました。

私は以前、損害保険会社の代理店をしていました。代理店法には、自己(自社)契約と、それ以外の契約も一定量確保する規制があります。そこで保険会社の薦めもあり、その会社の経理を担当されていた奥様に掛け合いました。

結果、気持ちよく申し出を受けて頂き、全ての損保の契約を私に切り替えてくれました。以来契約の更新の都度、私の自宅の直ぐそばの会社に伺うこととなり、縁は復活し、縁の不思議さと感謝を実感してきました。

私が小さい頃、その家族と一緒に何回かドライブ旅行に行った思い出があります。会社に伺った当初は言葉少ない奥様でしたが、徐々に色々なことを話して頂くまでになり、寂しい限りです。ご冥福を心よりお祈り致します。
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不機嫌の考察(その2)

2012年02月18日 09時53分00秒 | Weblog
誰しもが思春期になると不機嫌になりがちです。身体の異変や成長に伴い、それまでのものの考え方や捉え方にも変化が表れ、自分の世界に引きこもったり、特定の人にしか自分を分かってもらえないと偏った考えに陥ったりします。

著者の齋藤孝氏も、親元を離れ東京で大学生活を送るようになった頃から、激しい不機嫌時代に突入したと言います。かく言う私も、高校時代はクラブにも入らず、家族とも口数が少なくなり、上機嫌だったわけではありません。

『他人に対する罵詈雑言を最も得意とする私が、とてつもない不機嫌な時代を乗り越え、実際に自分で上機嫌を技として身につけた。だからこそ、人前での不機嫌には意味がない』と、著者は言い切ります。

明るく笑っているお母さんと、暗くこわばっているお母さんとを見て、赤ん坊がどう反応するか。テレビでそんな番組を観たことがありますが、その結果は明らかです。赤ん坊は生まれた時から既に無意識の中で認識しているのです。大人になった私達が、何故その反応を活かせないのでしょうか。

人間は基本的に、素は不機嫌で、暗いものだと私は思います。でもその不機嫌がどこまで許され、上機嫌の必要性をどこまで必要と思うかです。それを認識して訓練で上機嫌を癖化すれば、思わぬ効果が得られ素晴らしい人生が開けるのでしょう。

上機嫌を表現すには、顔や言葉などが主な手段です。それも含め、体全体から醸し出されるものかもしれません。肉体と精神が繋がっているとしたら、むしろ心構えを変えることが先決です。

心構えを変えて上機嫌を技と出来れば、恐らく悪い病気等には罹らない。そんな連鎖になっているかもしれません。少なくとも健康でない限り、上機嫌は維持できないものです。

人間はそんな単純でなく、上機嫌はバカ、不機嫌は知的という誤解。今はバカで不機嫌が増大中。不機嫌が許されるのは赤ん坊か、特殊な才能を持って際立ったものを創り上げる芸術家か学者のような天才だけ。そう著者は切捨てます。
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不機嫌の考察

2012年02月11日 10時55分37秒 | Weblog
『なんで無意味に機嫌の悪い人が多いのでしょう。不機嫌にしていることで、メリットがあるのでしょうか? 考えてみてください。誰かが気分がよくなったり、もしくは仕事が進んだりするのか。不機嫌ムードを発していることで仕事がうまく進むのであればともかく、実際そんなことがあろうはすがない。くよくよして、むっとして、無気力でいて、何か新しいものが生まれるのでしょうか?』

息子は現在大学受験真っ只中です。受験する大学の過去問の、国語の長文で、その内容が夕食時に話題となました。私と家内の前で、彼がその文章を読み上げました。齋藤孝著『上機嫌の作法』、前出の文はその一部です。

息子はこの内容に共感したのでした。ということは、彼は少なくとも不機嫌の無意味さを知っているということになります。実際今の彼には、受験中の悲壮感や暗さはありません。

目指している大学の入試の難易度にもよるし、ひょっとしたらもう諦めの境地なのか、それは分かりません。それでも彼の機嫌が悪くないのは、親としてはちょっぴりの逞しさと、妙な安堵を感じます。

息子の事はこのくらいにして、本題の上機嫌と不機嫌との話に戻します。先程の次にこのような文が続きます。

『私には、不機嫌さは「なんらかの能力が欠如しているのを覆い隠すため」だとしか考えられません。たとえば、無能さを突っ込まれないようにするため。あるいはお調子者だとかバカだと思われないようにするため。不機嫌であることが、あたかも威厳があり、知的であるかのように思うのは大きな勘違いです』

機嫌とは人の表情や態度に表れる快・不快の状態であり、気分的なものに左右され自分の意志では制御できないと思われるが、上機嫌の状態は自ら作り出せて、それを「技」とするならば、世の中から対人関係のトラブルがなくなる。しかし自分の不機嫌さに気付かず、場の空気を淀ませる人が増殖している。著者はそんな提唱と警告をしています。 (次回に続きます)
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会話の妙

2012年02月04日 05時22分16秒 | Weblog
今週はわが社に来られる方が多く、週の後半に集中しました。当然のことながら、訪問されるお客様は目的があって来られます。しかし、これも当然のことながら、皆さん誰もが行き成りその本題から入ることはありません。

所謂世間話というか、落語でいうと枕とでも言いますか、導入の部分の会話が欠かせません。むしろこれは本題と匹敵するくらい、私は大事ではないかと、今回皆さんとお話しをしていても感じました。

その話の内容は、気候のことから始まって、世相のこと、互いの出身地や家族や趣味趣向に関連したこと、最近体験したこと、その他ありとあらゆることです。途中で遮ることをしなければ、話題は尽きることなく広がります。

一対一ではなく、ここにもう一人でも加わるものなら、話は思いもよらぬ方向に飛んで行くこともあります。後で考えてみたら、どうして最初のテーマから、ここまで話が展開して来たのか、その道筋か思い出せない時もあり、思わず笑ってしまうこともあります。

でもこれがよいのだと思います。この導入の部分で盛り上がれば上がるほど、互いの心がパカッと開いて、相手を受け入れる準備が出来るからです。そんな心の快を作り出し、人間関係を築くことが大事であるとつくづく思います。

16世紀イギリスの哲学者フランシス・ベーコンは、“読むことは人を豊かにし、話し合うことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする”と言及していたと、以前ここで紹介したことがあります。

相手の話を汲み取って、相手の表情も読み、次の展開を何通りも考えながら話を繋いで行くのですから、機敏になり、感受性豊かにならざるを得ません。

結局本題の商用の話しが、全体の2~3割になってしまい、導入部分の話しが多過ぎてしまいました。今回鉄鋼メーカーの担当の方が、二社来られましたが、どちらもそんな感じでした。

互いの後のスケジュールも考え、臨機応変にしなくてはならないとは思います。
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