梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

朝の9時まで

2010年10月30日 10時32分42秒 | Weblog
私の起床は5時です。家内も一緒に起きます、いえ起きざるを得ません。何故ならば私と息子の弁当を作るからです。私はシャワーを浴び、朝食を済ませて、市川の自宅を出るのは5時40分となります。浦安の会社に着くのは、6時15分前後です。

例えば、飲み会で午前様となったとしてもこのサイクルは変えていません。そんな時はぎりぎりまで寝ていて、会社にそこまで早く行く必要も無いのですが、朝の時間帯は遅くなればなる程交通ラッシュに遭いますし、これは長年の私の習慣になっています。

会社の玄関の鍵を最初に開けるのは、やはり私となります。奇特な社員が一人いて、二着になるその営業マンは7時頃です。自慢する訳ではないのですが、私はダントツです。

会社に着いて、この6時15分から7時までが、唯一自分の時間となります。前にもここで紹介しましたが、或る小冊子を音読して、それから瞑想に入り呼吸を調整することが、ここ二年程のルーティン・ワークとなっています。それから、新聞を読んだりメールを開いたり、朝一番にしなくてはならない仕事に取り掛かります。

わが社には幹部社員が4名います。8時15分から、毎朝その幹部が私の部屋に集まり、幹部会を開きます。大よそ会社のあらゆる話しが、そこで出されます。各自がその日話すべきこと話したいことを話し、意見交換をし会社の問題を共有しますが、私は聞き手に回ります。最近私が最終決断を下す事柄は、大変少なくなりました。また敢えてそのように務めています。

その会合が9時直前まで続き、製造部門を除いた朝礼が、8時55分に始まります。朝礼と言っても、皆で朝の挨拶をして、当日の来客予定者などを確認して、それで終わりです。1分と掛かりません。むしろこの後、全員で手分けして、毎朝5分事務所の掃除をするのが目的です。それで9時から、全員仕事開始です。

幹部会や朝礼も、頻度や時間帯など今まで色々試しましたが、現在はこのスタイルで落ち着いています。私にとってはこの朝の9時までが、一日の中でも大事な凝縮された時間です。
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わが身を正す

2010年10月23日 07時22分03秒 | Weblog
先日、素材の販売先の社長がわが社にお見えになられました。伺えばその日早朝に伊豆下田で商用があり、栃木県の会社に戻られる途中、わが社の浦安にお立ち寄り下さいました。お忙しいところ気に掛けて下さり有り難く思いました。

そのお客様には、わが社の在庫品ではなく、ひも付き契約販売をしています。つまりそのお客様の使われるサイズは特殊でもあり、前もって明細を頂き鉄鋼メーカーに発注し、製品が出来上がったらメーカーから直接その先に納入してもらう、そんな先物を繋ぐ形態の商売です。

しかし残念ながらこの半年間以上、わが社の提供させて貰っているメーカーの価格が折り合わず、他社から買われていることもあり、受注がありません。それでも訪問を頂き頭が下がる思いでしたが、こんなことをその社長は話されていました。

「わが社は従来の仕入先に対しては“浮気”はしません。しかしこのところ、本当に多くの材料屋さんが来られます」。「何かで調べてわが社を見つけて来られる方、誰かの紹介で来られる方、まちまちです」。「そんな時は曖昧なことは一切言わず、従来の仕入先があるのでと、はっきりとお断わりしています」。

「しかしこの間スポット品で、梶哲さんにも、もう一社既存の仕入先にも現物が無いとのことで、他に聞いて見ますと仁義を切り、新規売り込み先の一社に見積もりを出しました」。「価格はともかく、そこは在庫があったのですが、行き成り即金決済でないと売れませんと言われました」。

「正直言って、ショックでした」。「ちゃんと調べて、わが社に売り込みに来たつもりでした。わが社には即金でなくては売れないと判断したのか、初回はそこの会社の決まり事なのか、低姿勢で営業に来た時と、こちらから見積もった時とは手のひらを返した様でした」。

これは他人事ではありません。わが社も新規開拓の為、営業が回ります。そこのお客様をどこまで事前に調べ上げているか、そして初引き合いの時は価格や支払い条件等如何に綿密な思案をしているのか、どれ程お客様の対場に立った営業活動をしているのか、あらためて考え直されるお話しでした。
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究極の選択4

2010年10月16日 09時46分16秒 | Weblog
やっと辿り着いた山小屋の戸を叩くと、深夜でもあり、我々の疲れ果てた形相を見られ、その山小屋のおやじさんにはこっぴどく叱られました。無謀な登山だと察したのでしょか。でも我々としては、体を休め、泊めてもらうのが先決でした。

今まで以上の疲労を一気に感じ、ことの重大性に気付き、異常な興奮を覚えました。山小屋に入って、安堵感と共に、そんな複雑な心境になっていたことを今でも思い出します。翌日は晴れ、そして全員無事に下山することが出来、悪夢の様な遭難はここで終止符を打つこととなりました。

もう少し山が高かければ、尾根に登り詰め右の道を選択していたら、皆の体力・気力は限界を超え、その先は言うに及ばず、です。計画段階での無謀さ、道中での判断のあまさは、後になっての反省でした。

何で35年も前の話をここでしたのかですが、ある勉強会がきっかけです。“あなたの今迄のミラクル(奇跡)は何ですか”そんな設問が出されました。私の過去にも色々なミラクルはありましたが、生死を賭け、そして助かったのは、先にも後にもこれ程のものはありません。

単純に超ラッキーだったと言ってしまえばそれでお仕舞いです。右か左かの究極の選択を迫られたのですが、その結果が最悪の選択になった確率は半々です。この出来事は、自分で生き切ったのではなく、どう考えても“生かされた”としか言いようがありません。

もっと言ったらサムシング・グレート、神から手を差し伸べられ、チャンスを与えられたとしか言いようがありません。月並の表現になってしまいますが、私は「一所懸命に生きる」しかありません。そんなことも、与えられた命の重さも、あらためて今回気付きました。

聞いた話ですが、昔松下幸之助さんは入社試験の面談者に「あなたはついていますか?ついていませんか?」と質問したと言います。そして「自分はついています!」と堂々と答えた人を採用したと言います。私も、些細なことでも、ミラクルだと受け止められる、そんな心を大事にしたいと思います。
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究極の選択3

2010年10月09日 09時43分44秒 | Weblog
日が暮れると共に雨は上がりましたが、突然訳の分からない言葉を発した彼も、精神的に限界だったのです。先を急ぐ気持ちはやまやまでしたが、無理をせずに休憩する術しかありませんでした。その甲斐もあり彼も落ち着きました。

しかし新たな問題が発生しました。山登りには地図と磁石は必携ですが、登山道が無いルートを行く場合や道に迷った時は、周りの地形を見てこの二つの道具で、今いる位置と高度を確認するのです。今回の様に道が無い沢に入り、源流を登り詰めていく過程では、枝沢に入り込んでしまう可能性もあり、真っ暗闇になり周りの地形が見えないことは致命的となりました。

要するに、後どれだけ高度を稼げば、どこの稜線に出られるのかが全く分らなくなったのです。方向感覚も見失った訳です。選択肢は、唯ひたすらその沢を登り詰めるしかありません。沢の水も無くなり谷の形状も終ると、それは、そろそろどこかの尾根に辿りつくサインです。

そしてやっと尾根に出ました。その時点で殆ど深夜でした。いつしか登り始めて、14時間が経っていました。皆の体力・気力は限界の極みに達し、多少は歩けても、もう長時間は持ちません。

しかしこれからが究極の選択となりました。つまりその尾根に出てから、尾根伝いに左右歩けるルートはあるのですが、左に行けばいいのか、右に行けばいいのか皆目分らないのです。

道に迷って偵察に出るのは、サブリーダーの役割です。メンバーを残して私一人で偵察に出ました。当然右の方と左の方へ、両方暫らく行ってみてから判断するのですが、明確な結論は出ませんでした。どっちかその先で、明らかな上り勾配が続いている方が正解なのですが、漆黒の闇の中ではその判断も付きませんでした。

最後の決断は直感でした。左に行くルートに、何故か“人の気配”がしたのです。そして皆のところに戻り、全員で再出発して約20分後、遂に稜線上の正規の登山道に出くわし、暫らく経って待望の山小屋に辿り着きました。

《書き出してみるとこのテーマは3回で終らず、次回が最終回です》

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究極の選択2

2010年10月02日 12時15分30秒 | Weblog
雨は弱まる様子は無かったのですが、結局沢登りは決行をすることにしました。しかしその御茶屋さんを出発したのは、午前9時を回っていました。それでも順調に行けば、山の稜線に出て宿泊予定の山小屋には、遅くとも午後5時や6時には到着する目論見でした。

パーティーを組んで山登りする時は、先頭はサブリーダー、後尾はリーダー、その間に経験や体力が無いメンバーが前から順番に並ぶのが、我が大学のクラブでのしきたりでした。従って私が先頭で、セカンドに山登りの経験者はあるが沢登りは初めてと言う女性が入りました。

暫らくは問題無く沢の渡渉が続きました。沢は初体験者もいましたので無理をせず、難しそうな滝や深いよどみがある箇所は、それを避ける様に、その沢を高巻いて登って行きました。

その沢の下流から中流にさしかかるところに、長い滑滝が出て来ました。その滑滝は傾斜もきつくなく広い廊下状のところで、水量もそれ程多くなかったので左岸から右岸、また右岸から左岸と渡渉を繰り返して登って行きました。

その時です、アクシデントが起こりました。セカンドの女性が、足元をすくわれ流されたのです。数m流されて、最後尾のリーダーがやっと彼女を止めたのです。怪我等は無かったのですが、秋の冷たい沢に流され、全身ずぶ濡れになったのです。

その女性には着替えられる範囲で着替えてもらい、他のメンバーの動揺も鎮める為に、そこで大休止。再出発したのも束の間、その先の中流からが、思いもよらず苦戦しだしたのです。山登りが初めての男性も、最初は元気だったものの、見た目程の体力も無く、彼がパーティーの足を引っ張り始めたのです。

山登りは、体力も勿論必要ですが、精神力も大切です。終始雨で視界が悪く、行けども行けども進捗感を感じられず、一体何処まで登ればいいのか、そんな暗い頽廃ムードがパーティーに蔓延してしまったのです。

上流にさしかかったものの、太陽は落ちどっぷり暗くなってしまいました。そして、くだんの彼が突然、訳の分からない言葉を発し始めたのです。 《次回続く》
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