この一ヶ月から二ヶ月の間、取引先関係や、社員の家族や、私の親戚などから訃報が届くことが重なり、お葬式に参列することが続いていました。
父は生きていれば91歳ですが、同じ歳の方が亡くなられました。父とは大学で同クラス、大手の都市銀行に入社して副頭取にまでなられた方です。父の現役の昭和50年代に、わが社がその銀行と取引できたのもその方の尽力によるところが大きく、26年前の父の社葬の際は、弔辞の読み上げをお願いいたしました。
父は生前から大相撲の溜席を持っていましたので、父の死後も同じように、毎場所の東京のチケットを差し上げてまいりました。そのような繋がりもありましたので、2年半前のわが社の創業60周年記念式典にはご夫婦で参加して下さって、とても喜んでもらいました。
その同じ銀行の葛西の地に以前勤めていて、当時わが社の担当者でもあった方から、訃報の連絡をもらいました。その担当者の方は銀行を退職されて、不動産会社に転職をされた方です。わが社が葛西から浦安に移転する大事業は、その方なくしては成し得なかった経緯や、今年3月にその方と久しぶりにお会いしたことは、ブログ上で紹介いたしました。
父の親友でありその銀行のOB役員の訃報は、銀行の社内報的な情報サイトから、その方も知ったとのことでした。その方と今年再会していなければ、その情報は絶対に私には入らなかったことでしょう。重職をまっとうされて、91歳まで生きられたことは大往生だったのではないでしょうか
家内の姪が49歳で命を閉じました。小学3年生の男の子と中学2年生の女の子がいました。通夜や告別式では二人の子供は一切涙を見せず、弟は未だ無邪気にあどけなく、お姉さんは弟をかばうように気丈に振る舞っているのが、参列された多くの学校の父兄の涙を誘っていました。
お父さんは子供達に、お母さんの長年の病気(癌)との闘いを見守るように、世話を掛けてはいけないと諭していたのでしょう。その姪自身も、母親(私の家内の姉になります)を早く亡くし、以後独り身となった父親を、最後まで支えて来ました。自分も早死にする運命を辿るとは、考えてもいなかったことでしょう。
自分で命を絶つ以外、人生の終焉の時期は自分では決められません。多くの葬儀に参列して、それでも、生き方やさだめによって、人の命の長さが決められているような感じを持ちました。その方の生まれてきた意味や存在意義は、単に命の長さではないように思います。
姪のお子さんにとっても、これからの大事な時期に母親がいないことは、並大抵の苦労では済まされません。しかし母親の肉体としての存在は無くなっても、母親の精神や生き様は二人の子供の心に永遠に刻まれることでしょう。そのように、私は感じました。
父は生きていれば91歳ですが、同じ歳の方が亡くなられました。父とは大学で同クラス、大手の都市銀行に入社して副頭取にまでなられた方です。父の現役の昭和50年代に、わが社がその銀行と取引できたのもその方の尽力によるところが大きく、26年前の父の社葬の際は、弔辞の読み上げをお願いいたしました。
父は生前から大相撲の溜席を持っていましたので、父の死後も同じように、毎場所の東京のチケットを差し上げてまいりました。そのような繋がりもありましたので、2年半前のわが社の創業60周年記念式典にはご夫婦で参加して下さって、とても喜んでもらいました。
その同じ銀行の葛西の地に以前勤めていて、当時わが社の担当者でもあった方から、訃報の連絡をもらいました。その担当者の方は銀行を退職されて、不動産会社に転職をされた方です。わが社が葛西から浦安に移転する大事業は、その方なくしては成し得なかった経緯や、今年3月にその方と久しぶりにお会いしたことは、ブログ上で紹介いたしました。
父の親友でありその銀行のOB役員の訃報は、銀行の社内報的な情報サイトから、その方も知ったとのことでした。その方と今年再会していなければ、その情報は絶対に私には入らなかったことでしょう。重職をまっとうされて、91歳まで生きられたことは大往生だったのではないでしょうか
家内の姪が49歳で命を閉じました。小学3年生の男の子と中学2年生の女の子がいました。通夜や告別式では二人の子供は一切涙を見せず、弟は未だ無邪気にあどけなく、お姉さんは弟をかばうように気丈に振る舞っているのが、参列された多くの学校の父兄の涙を誘っていました。
お父さんは子供達に、お母さんの長年の病気(癌)との闘いを見守るように、世話を掛けてはいけないと諭していたのでしょう。その姪自身も、母親(私の家内の姉になります)を早く亡くし、以後独り身となった父親を、最後まで支えて来ました。自分も早死にする運命を辿るとは、考えてもいなかったことでしょう。
自分で命を絶つ以外、人生の終焉の時期は自分では決められません。多くの葬儀に参列して、それでも、生き方やさだめによって、人の命の長さが決められているような感じを持ちました。その方の生まれてきた意味や存在意義は、単に命の長さではないように思います。
姪のお子さんにとっても、これからの大事な時期に母親がいないことは、並大抵の苦労では済まされません。しかし母親の肉体としての存在は無くなっても、母親の精神や生き様は二人の子供の心に永遠に刻まれることでしょう。そのように、私は感じました。