梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

ギブアンドテイク(その2) 

2022年12月31日 06時06分27秒 | Weblog
ある本を読んで、傾聴にはギブアンドテイクの関係が必要だと思うようになったことは、前回お伝えしました。「聞き手が誰かに自分の話をじっくり聞いてもらえなければ、他人の話を聞くことに限界がある」との内容でした。この本にはギブアンドテイクの言葉は出てきませんが、ギブは人の話を聞く、テイクは人に聞いてもらうとなります。改めて、本のタイトルは『聞く技術 聞いてもらう技術』、著者は東畑開人さんです。氏は現在40歳、臨床心理士です。以下、本の概要です。

筆者は仕事柄「聞く」より「聴く」を専門としてきた。しかし普段「なんでちゃんとキいてくれないの?」とか「ちょっとはキいてくれよ!」と言われるとき、求められているのは「聴く」ではなく「聞く」なのである。相手は心の奥底にある気持ちを知って欲しいのではなく、ちゃんと言葉にしているのだから、とりあえずそれだけでも受け取って欲しいと願っている。ならばどうしたら「聞く」ができるのか、これがこの本の問いである。

あなたが話を聞けないのは、あなたの話しを聞いてもらっていないから。話を聞けなくなっているのには事情があること、耳を塞ぎたくなるだけの様々な経緯があったこと、あなたのストーリーがあったこと。そういうことを聞いてもらえたときにのみ、私達の心に他者のストーリーを置いておくためのスペースが生まれる。「聞く」は「聞いてもらう」に支えられているのである。臨床心理士の世界にはある程度「聞く技術」が蓄積されているが、従って「聞く技術」も「聞いてもらう技術」によって補われなくてはならない。
 
部下の文句を受け止めるには、上司自身が他に善き繋がりを持っている必要があるし、お母さんが子供の話しを聞こうと思ったら、お母さんの話しを誰かが聞いていないといけない。更にはその誰かがお母さんの話しを聞くためには、これまた別の誰かがその人のバックアップをしなくてはいけない。聞いてもらえているから、聞くことができる。繋がりの連鎖こそ大事である。そこに「聞いてもらう技術」の重要性がある。

「うまくしゃべれる技術」ではなく、耳慣れないが「聞いてもらう技術」である。話を聞いてもらえないとき、能動的に、私達はついつい自分のしゃべり方が悪いからと思いがち。いま私たちが必要としているのは、強みではなく、弱みを、カッコいいところではなく、情けないところを分かってもらうための受動的な技術となる。

賢い頭ではなく、戸惑う心である。混乱した心が漏れ出すと、まわりは心配して、「なにかあった?」と聞いてくれるようになる。そうなってしまえばしめたもの。よって「聞いてもらう技術」とは「心配される技術」にほかならない。まわりに「聞かなくちゃ」と思わせる。このとき変化するのは、自分ではなく、まわりである。環境を変質させるのが「聞いてもらう技術」の本質である。

では具体的にどうすればいいのか。もちろん、そんな技術は臨床心理学の教科書にも書かれていない。しかしながら、筆者もカウセリング一筋で15年やってきたので、多少の蓄積がある。これまでの経験で見聞きした小手先を、一覧でお見せしたい。

日常編、①隣に座ろう ②トイレは一緒に ③一緒に帰ろう ④ZOOMで最後まで残ろう ⑤たき火を囲もう ⑥単純作業を一緒にしよう ⑦悪口を言ってみよう。緊急事態編、①早めにまわりに言っておこう ②ワケありげな顔をしよう ③トイレに頻繁に行こう ④薬を飲み健康診断の話しをしよう ⑤黒いマスクをしてみよう ⑥遅刻して締切りを破ろう。(本にはこの項目に具体的に細かい説明がなされている)

ここにリストアップしたテクニックは、実をいえば筆者が普段使っている「聞く技術」を反対から書いたもの。クライエントの体調が悪いとき、装いが変わるとき、遅刻してきたとき、筆者は「なにかあった?」と尋ねる。「聞く技術」の本質は、「聞いてもらう技術」を使っている人(先のクライエントのような)を見つけ出すところにある。従って、両方の技術はセットであり、どちらからスタートしてもOKである。

ここまでで、一旦本の概要から離れます。今までの私の傾聴(あるいは聞く)の姿勢を、整理してみたいと思いました。自分に打ち勝ち、徹底して聴く。自分の弱さは脇において、相手に寄り添う。などについてです。   ~次回に続く~
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ギブアンドテイク(その1)

2022年12月24日 05時57分30秒 | Weblog
私たちはこの言葉をどのように使い、この言葉でどんなイメージを抱くのでしょうか。よく使われるのはビジネスの世界です。ギブアンドテイクの意味として一般的に広まっているのは、「公平なやりとりをする。またはお互いに合理的に妥協する」「持ちつ持たれつ」「一つ譲る代わりに一つを通す」といったところです。英語では「Give and take」と書きまので、直訳すると「与えて、与えられる」となります。

このギブアンドテイクに、利益が絡むとしたら、どんな関係となるでしょうか。お互いに利益だけ生じるなら、「ウィンウィン」となり理想的です。お互いに利益と不利益を被る関係となれば、「何かを得る代わりに、何かを差し出す」といった関係となり、これが対等に成立していればギブアンドテイクは「公平なやりとり」となります。従って、一方だけが利益を被り片方だけが不利益を被るならば、ギブアンドテイクとはいえません。

では利益が絡まないとしたらどうなるのか。「助け合い」との意味あいとなり「お互いに力を貸しあう」です。「利益が生じなくとも力を貸す」といった相互依存です。「助け合い」は一方に重い負担が掛かる場合もありますが、「情けは人のためならず」との言葉もあるよう、「助け合う」ことで、自分が本当に困った時に助けてもらえる可能性もでてきます。

そのギブアンドテイクが、良いか悪いかは、使う場面とお互いの関係性によると思います。お互いに利益・不利益が生じ、差があっても納得しているのならば、それはいい意味となります。しかし、損得を優先し気にし過ぎると、それは悪い意味となります。がしかし、更に悪い使い方は、駆け引きとして、はなから「与えたものに、見返りを求める」とする場合です。これを私たちは、普段意外としているのではないでしょうか。

例えば、会社での接待です。取引を有利にしてもらうために、姑息に相手先の会社(担当者)にお金を使うことです。飲食にしても、盆暮れの付け届けにしても、ゴルフの付き合いにしても、この接待は先代の時代は横行していました。また例えば、男性が行く夜の店でのことです。店の女性に好かれるために、男性が足しげく通ったり貢物をしたりすることです。逆に女性の方も、好きではないお客さんでも来てくれれば、自分の利得(収入)となります。これはお互いの下心のぶつかり合いです。

しかしながら、このような決めつけは片面固持かもしれません。何故なら人間には避けて通れない、欲に支配されている性があるからです。人が生きていくために、下心が100%悪いとは決めつけられません。世の中が回っていくなら、この欲得のギブアンドテイクは、最低限必要かもしれません。利他の悟りを得て社会奉仕を貫く人の場合は別ですが、見返りを全く期待せず与えるだけの人は、この世にはほとんど存在しないでしょう。

長々とギブアンドテイクについて書いてしまいました。本題として、「傾聴」に関連した話をしたかったのです。ある本を読んで、傾聴には良いも悪いも関係なく、ギブアンドテイクの関係が必要だと思うようになりました。今までの私の傾聴の捉え方は、話し手に如何にじっと耳を傾けられるかでした。この本の主旨は、「聞き手が誰かに自分の話をじっくり聞いてもらえなければ、他人の話を聞くことに限界がある」でした。今回は「傾聴」の言葉を使わないで、敢て「聞く」と表現します。

ギブアンドテイクを、本の意図に添って言葉を置き換えれば、ギブは人の話を聞く、テイクは人に聞いてもらうとなります。本を読んで新たに理解したのは、「聞く技術はギブだけでは無理であり、テイクの誰かに聞いてもらう技術がなければ、行き詰まる」ということでした。私の解釈ですが、聞いてもらいたい下心は大いに許される、です。損得などは超越して、聞く・聞いてもらうことの、ギブアンドテイクは不可欠なものであると確信しました。

それでは、少しずつその本の内容を紹介していきます。先ず本のタイトルですが『聞く技術 聞いてもらう技術』で、著者は東畑開人さんという方です。氏は1983年生まれ、博士(教育学)・臨床心理士です。専門は、臨床心理学、精神分析、医療人類学、「心の治療とは何か」を大きな問いとして、白金高輪カウセリングルームを主宰されています。

「“聞かれることで、人は変わる”聞くための小手先の技術から、聞いてもらうことに備わる深いちからまで、20年近い臨床経験から学んだことをすべて書く。コミュニケーションが変わる革新的な一冊」と、帯にありました。   ~次回に続く~ 


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旅番組や紀行文

2022年12月17日 06時10分27秒 | Weblog
テレビの旅番組や雑誌・新聞などの紀行文は、観たり読んだりしているだけで旅の気分があじわえます。行ったことがなければ、いつかその地へ旅してみたいと誘われます。一方、自分がかつて旅した所であれば、思い出を蘇らせてくれます。場合によっては、そんな見所を知らずに巡ってしまい、悔やむことがあるかもしれません。いずれにしても、旅の魅力を伝える旅番組や紀行文は、相変わらず人気です。

このブログで書かせてもらいましたが、10月に家内と一緒に香川県の直島に旅をして、12月に大学のクラブの同期と焼津付近を訪れました。フェリーで行った「直島」は、多くの芸術品が身近に鑑賞できるアートの島でした。日本坂の麓にある「花沢の里」は歴史ある古代東海道であり、大井川にかかる「蓬莱橋」は日本の近代を象徴する構造物でした。印象が深ければ深いだけ、訪れた所が旅番組や紀行文として再現しないものかと、期待してしまいます。

同期の忘年会が終わった四日後ですが、会に参加した静岡市に在住する同期から、メールで新聞の記事が送られてきました。静岡新聞に『隠れ里の風情そのまま/焼津花沢地区』と題して、紙面のほぼ一面に記事が載っていました。正に我々が数日前訪れた所。なんとタイムリーでしょう。前回のブログで、花沢の里について書きましたが、実はこの紀行文を参考にさせてもらいました。

今月10日のことです。NHKの番組の『ブラタモリ』で、タイトル「大井川越すに越されぬ川の謎・江戸の川越しを体験」と、あるではないですか。放映の夕方の時間帯は観れませんでしたので、しっかり録画をしました。翌日楽しみに再生しようと思ったのです、が、録画されていません?!ネットニュースを見ると、「NHKの人気紀行バラエティー『ブラタモリ』(土曜後7・30)が10日、急きょ放送延期となった。旧統一教会問題の被害者救済法の成立を受けて岸田首相の記者会見を報道したため。今回の放送は1月14日(土)に予定している」と、ありました。

こんなこともあるのですね。ネット上では、岸田首相の記者会見よりも
『ブラタモリ』を観たかった、との意見が多く寄せられていました。その前の週3日の『ブラタモリ』の放映は、「静岡~家康が愛した駿府ってどんな所?~」がテーマでしたので、二週に亘ってNHKは静岡県を採り上げたようです。

同じく10日のことです。私は午後、なにげなくBSテレビを観ていました。番組は途中からでしたが、岡山県の宇野港が出てきました。これから島にフェリーで渡るというのです。番組表を確認すると、「岡山&香川で瀬戸内海をぐるり周遊!▽瀬戸大橋線の雄大な車窓を満喫!▽空飛ぶ水族館で金魚&瀬戸大橋の不思議なコラボ?▽多くの芸術品が点在しているアートの島!直島」との説明がありました。直島の名が出てきました。

番組名はBS朝日の、『新 鉄道・絶景の旅』でした。日本国内の人気鉄道路線とその車内外からの絶景、名所、食事処、温泉宿など、沿線の魅力を余すところなく紹介。鉄道ファンならずとも楽しめる鉄道紀行番組の決定版! 番組概要を調べるとこうありました。ナレーターは、噺家の林家たい平さん。その軽妙なナレーションは旅心をそそります。

鉄道路線なのに、何故フェリーが出てくるのか。その昔、岡山県の宇野と高知県の高松との間は、列車ごと乗る国鉄の宇高連絡船が、直島の脇を通っていたからです。さて、そして番組は、いよいよ直島に到着。私は、宮ノ浦港の見覚えのある風景や、埠頭にあるカボチャのオブジェに再会。番組のその日の宿は、港から近い高台にある、洒落た洋風ハウスでした。そこから瀬戸内が一望でき絶景でした。

カメラが見下ろした風景に、驚きと感動でした。私達が10月に泊まった、海岸沿いに在ったゲストハウスが映し出されています。その時、泊まったゲストハウスから見上げ、建っている立派な建物はマンションなのか、一体何なのかと家内と話していました。この番組を観て正体が分かりました、この宿泊施設だったのです。後半は、またフェリーで高松に渡り、番組は続きました。

直島に関しては、旅の後、テレビや新聞などに登場しないか、実は念じていたのです。偶然に観たテレビで出逢うとは。いえいえ念じたから出逢ったのではなく、直島も、花沢の里も、選ばれる名所や旧跡なのでしょう。来年放映される『ブラタモリ』も、今から楽しみです。こんな出来事がなかったら、このブログも書いていないところでした。

 旅番組の宿から映し出された風景
 その中(左上)に私たちが泊まった宿がありました
 10月に泊まった時に撮った写真(右上に番組の宿が写っています)



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三年ぶりの忘年会

2022年12月10日 06時06分18秒 | Weblog
大学時代のワンダーフォーゲル部、同期の忘年会を三年ぶりに再開しました。この忘年会は7年前から始めたもので、一泊二日で行うこともあり、コロナ禍の影響で見合わせていました。初日は山に登り夜は温泉がある宿に泊まり、二日目はその地の名所や旧跡を巡る、そんな形式が定着していました。今年は12月2日と3日に行うことが出来ました。

実は今回開催する場所は二年前から決まっていました。静岡市にある市民の森の高山に上り、宿泊地は油山(ゆやま)温泉でした。二年前私は幹事でした。もう一人の幹事と、本番の前に調査行をおこないこの地を訪れ、同期に提案したのですが、当時コロナに対する捉え方も過敏で、皆の意を汲み、やむなく断念しました。再開する時は、この地と決めていました。

油山温泉は、静岡市内を流れる安倍川の中流から支流に入り、静かな山間に位置しています。この温泉の歴史は古く、今から450年ほど前、京都の公家出身の寿桂尼は正室として、駿河の今川氏親に嫁ぎました。氏親亡きあと、幼年の氏輝、義元の後見として政治をつかさどり、女戦国武将とも呼ばれました。そんな寿桂尼が訪れ、疲れを癒したのが油山温泉です。

しかし今年9月に発生した台風15号による豪雨で、二軒ある油山温泉宿は土砂災害など壊滅的な被害を受けました。濁流とともに土砂が宿に流れ込み、未だに復旧の目処が立っていません。そのような様な訳で、急遽場所を変えました。焼津市と静岡市の境界線にある満願峰(470m)に登り、焼津駅近くのホテルに泊まることにしました。前回と同じく私ともう一人の幹事と、事前に日帰りで調査行をおこないました。

満を持しての三年ぶりの今年の同期会です。同期は連絡がつく者で、15名います。当初今回の参加者は10名を超えていましたが、直前で体調不良や身内の不幸などで、最終的には9名となりました。大分県や和歌山県や福島県に在住の同期もいますので、毎回参加できないのは仕方がありませんが、参加したい気持ちは伝わっています。

我々の大学のワンダーフォーゲル部のOB・OGは、年会費を払っている部員だけでも650名を数えます。OB・OGを対象に、春と秋には日帰り登山があり、南や北アルプスを目指す夏合宿もあります。春秋の日帰りは、難易度によって10パーティ以上に分かれ、参加者は毎回100名を超えます。

皆さん集まれば、必ず現役時代の昔話となりますが、今もって一緒に山に登りますので、話題は豊富です。現役の時は、一学年違えば天国と地獄の世界でした。体力的にもハードな山登りであり、遭難などを想定すれば、上下関係は厳しく規律を保つ必要がありましたので、致し方ないと思います。それでも年々、会う度に近寄り難かった先輩との関係が変化していくのを感じています。

さて同期忘年会の数日前ですが、私はぎっくり腰になってしまいました。当日なんとか歩けるまでに回復し、朝から皆さんにも会いたいので焼津に向かいました。焼津駅の喫茶店で3時間半あまり時間をつぶし、そして「花沢の里」に向かいます。ここは、満願峰に登った登山組が降りてくる場所でもあり、やいず観光案内人の会にガイドを頼んであり、花沢の里を案内してもらうことになっていたからでした。

山々に囲まれた、狭い範囲に集落が密集する花沢の里。中央を貫く街道沿いには、江戸時代建てられた母屋や石垣が連なります。焼津市街と離れているため、隠れ里のような風情を感じさせます。里を通る道は北部の日本峠(下を日本坂トンネルが通る)へと続く、古代東海道とされます。交通の要衝だったことから、多くの旅人が行き交いました。道路際には、江戸時代に建てられた母屋に加え、農作業場として使う独特な付属屋が立ち並びます。歴史、文化、自然と色々なものを体験できる場所でした。

翌日は蓬莱橋に向かいました。明治2年、江戸幕府を護衛してきた幕臣たちが大井川右岸にある牧之原を開拓してお茶を作り始めました。苦労の連続でしたが、順調に茶の栽培が進みます。生活が安定するに従い島田宿(大井川左岸)の方へ生活品や食料品を買出しに出かけるようになり、また左岸方面からも開墾する者が往来するようになり、当時満々と流れる大井川を小舟で渡ることは大変危険なことでした。そこで開墾人総代は時の県令に陳情して、明治12年大井川を渡る蓬莱橋が完成します。全長897mの蓬莱橋は、「世界一長い木造歩道橋」としてギネス社に認定されました。

街道沿いには当時の風情を残し、薫る江戸や明治時代がありました。今回山に登らなかった私でしたが、二か月前調査行で既に登っていましたので、同期と気持ちは一つで久しぶりの忘年会を楽しみました。

  花沢の里

  蓬莱橋
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欠礼とリビング・ウィル(その3)

2022年12月03日 05時22分20秒 | Weblog
リビング・ウィルは、ピンピンコロリと安楽死や尊厳死との折衷的なあるいは橋渡し的役割にあるものだと、私は思っています。いや、むしろ安楽死や尊厳死が実現可能になるのは、手段としてのリビング・ウィルなのではないでしょうか。その話を進める前に、医療の現場で医師が安楽死や尊厳死を素直に受け入れられない実情を見てみようと思います。

私はこのところ、癌になった時の対処や治療について書かれた本を多く手にします。私の身内で癌に罹り手術をした者がいます。この歳で自分も健診などで、癌が見つかったらどうするか。そのような背景がありました。本を読んで感じるのは、医師のいわれるがまま手術や抗がん剤治療をすることへの疑問です。老いたら癌になる可能性は誰にでもある。癌はむしろ痛みを感じない病気であり、癌は最高の死に方ではないか。との説に興味を持ちました。

関連する本を読んで、以下は、癌に限らず最近の延命医療についての情報です。例えば、脳卒中や心筋梗塞で意識を失って倒れた場合は、近くに人がいれば救急車が呼ばれて病院に搬送されます。そして集中治療が始まります。人工呼吸器、点滴の管、心電図モニターなど何本ものリード線、尿道カテーテルなど多くの管が装着され、いわゆるスパゲッティ症候群となります。

救急搬送でなくても、末期患者で一度つけられた人工呼吸器を外すことは、現在の日本では極めて難しいといわれます。何故でしょうか。よくならない限り外せず、そうでなく外す場合は色々と問題があるとされます。本人の意思もさることながら、家族の思いや意向もあるからです。加えて刑法上の問題もあり、医師の側からは自発的・積極的には動けないのです。

前述以外でも、医師が人工呼吸器を外すことに躊躇する理由として、それは日本にはびこる至上主義があるからといわれています。医学生時代から「何がなんでも命を救え」という「延命至上主義」にどっぷりつかってきたため、治療を止めたり差し控えたりという考えになじめないことが挙げられる、との指摘です。

第二には、点滴など数ある延命処置の中でも、人工呼吸器はとくに難しく、患者には自発呼吸がないので取り外すと数分で死亡するからです。呼吸器を外して直ぐに死なれてしまうと、あたかも人を殺したような格好になり、心理的抵抗感が大きいのです。これに対して点滴の中止であれば、数日間かけてゆっくり亡くなるので、抵抗感は少なくなります。

延命についての論点はこれに留まらず、病院経営のためのカラクリがあるからだと、ズバリいう延命治療の実態を熟知した医師もいます。患者を延命させることが「メシの種」になっている日本医療の現状が大きい。どういう状態でも患者さんが長生きしてくれると、病院収入が安定する。延命至上主義の本音は人道的な動機ではない。これは国民医療費も増大させ、これも無視している。このように切り捨てます。

本からの情報の最後です。患者本人が事前に明確な思いを伝えていなければ、家族としては当然延命を希望します。そして本人は意識がなくなり治療が長期間続いたとしたら、家族は心身ともに疲労困憊し、経済的負担が重くのしかかるのです。延命措置の中止を医師に訴えても、「あなた方は私に殺人をすすめるのか!」といわれかねません。よって、自分や身内の平穏死や尊厳死を望むなら、終末期に医師を頼るのはナンセンで有害と心得たほうがいい。このような見解があります。

そのようないずれ訪れる実態は、私たちにとって、経験しなければ分からないのです。少なくとも本人と家族とがその問題に直面したときに起こる齟齬を回避するためにも、日頃から話し合っておく必要性は強く感じます。昔は自宅での自然死が多く、自然死とは何もしないことだったのです。死に医療が濃厚に介在する現在の医療死でなく、何百年と続いた先祖の死に方の自然死を、現代医学に対峙して、受け入れた方がいいのではないかと考えます。

ピンピンコロリもままならない、延命措置も思うに任せられない、そんな現実があります。そこに風穴をあけるリビング・ウィルは死に方の一つの理想であり、『安楽な死を認めよ』の尊厳死に繋がるのではないでしょうか。このテーマの(その1)で紹介した自ら欠礼を書いた方の手紙は、端的で明確なリビング・ウィルだったのだと思えてなりません。

リビング・ウィル
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