梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

お礼を伝える

2017年05月27日 06時23分48秒 | Weblog
私が結婚して別所帯を持った時、家内も同席して、両親と外食することがありました。食事代は父親が出してくれました。翌日会社に行って父と顔を合わせると、朝の挨拶だけしかしない私に、「何で昨日の礼を言わないのだ!」と叱られたことがありました。

ご馳走してくれるのは当り前とは思ってはいませんでしたが、私にしてみると、家族で水臭いと感じたものです。しかしそれ以来、ご馳走してくれた人には、別れ際にお礼を言うだけでなく、誰であろうと翌日は必ずお礼を言うようになりました。亡き父の教訓です。

私の尊敬する方は、ご馳走になった時、三回お礼を伝えなさいと言われます。別れ際に、翌日会わなくとも何らかの方法でその日の内に、そして後日また再会した時に。それでしっかりお礼の気持が伝わり、相手の方は今度また快くご馳走したくなるものだ、と言われます。

最近そのお礼について考えさせられました。一人は年下の勉強仲間と、もう一人はあることでお世話になった同年輩の方と、別々にですが、食事をした時のことです。

勉強仲間の人から当日連絡が入り、その夜に予定していた食事会がキャンセルになって、その為に東京に来ていたので、もし時間があるのなら付き合ってもらえないかとのことでした。私はその日何も予定が無く、出向きました。一軒目は折半の形となり、二軒目は年上ということもあり私が支払いました。

お世話なった方とは事前に食事をすることを約束していました。その日は、一軒目で盛り上がり、そして二軒目に行きました。お世話になったお礼でお食事をお誘いしたので、こちらが支払うのは当然で、また気持ちよく私の接待も受けてくれました。

さてその後です。お二人からは、それ以来数日間、何のコンタクトもありません。お礼が無い、その解釈において意見は分かれるかもしれません。お二人は、お礼を言わない悪意や他意もないように思われますが、私のように誰かに言われたとか、そのような習慣が無いのかもしれません。

しかし他の誰かにご馳走になって、お礼が無いことで、それだけで人間性を評価されかねません。勉強仲間の人は上場企業のグループ会社の営業統括的な立場、お世話になった方は士業の肩書きを持ち顧問先の経営をサポートされている方。そのような地位の方です。

一方私としては、何も言わないで済まそうとする気持もあります。人は根底に人から嫌われたくないとの心があります。食事をおごってやったんだからお礼を言われて当然だ、でもケチな男だと思われたくない。そんな気持です。

しかし相手側に立つと、社会である程度の立場なら、そのようなことも知らないと恥をかくと考えたら、ズバリ伝えてあげることも必要かもしれません。人間関係が築かれていて、本当にその人の為と思うのなら。

本人はそう思われているとは露とも知らずの世界であり、恐ろしさが隠れています。こう書いている私にも、他にそのような落とし穴はあると考えなくてはなりません。
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双葉から香る

2017年05月20日 09時32分55秒 | Weblog
“栴檀(せんだん)は双葉より芳し(かんばし)”、という言葉があります。栴檀は白檀(びゃくだん)とも言いますが香木のことであり、普通の植物はある程度成長してから独特の香りを放つけれど、この栴檀は双葉のころから爽やかな甘い芳香がする。「大成する人は幼い時から兆しがある」との例えです。

何気なく新聞を見ていて、たまたま目に留まる記事がありました。名前や年頃やその業界、ひょっとするとあの人!? その人が、ある大きな業界の協会の会長に就任したとの情報です。その人が本人であるなら、私とは大学生の時に同じクラスの人間です。

インターネットで調べましたが、顔写真を見て、やはり彼です。その協会で、彼の会社は基幹の会員で、その会社で会長になったばかりです。従来の経営陣が会社運営の路線を誤り更迭され、新体制になり、彼が抜擢されたようです。そして、業界の協会の会長に押されたのです。

協会のことも調べてみました。平成29年3月売上高概況では、売上総額5,200億円、調査対象社80社・231店舗、総従業員数72,400人。協会会員の会社名や店舗は、我々の生活に密着していて、誰でもが知っています。そのような業界の、まとめ役に彼がなったのです。

話は変わります。私は昔ある経営コンサルタント会社が主催する、講習会や勉強会に参加していました。その代表は、大学院生の時に米国でMBAの資格を取得し、その後大手銀行に入社して、それまでの経験を活かし銀行を辞めて独立します。20年前のことですが、主に中小企業を経営指導する会社を興しました。

代表は何年か前から、執筆や講演活動そしてテレビのコメンテーターとしても、広く名を馳せるようになります。設立当時から代表の片腕がおりました。対外的な活動に傾注する代表を支え、実質会社を切り盛りして、その方は後に専務となります。

私の弟の会社がそのコンサルタント会社の顧問先となっていたこともあり、私は別の勉強会に活路を求め、10年前遠ざかることになりました。今年4月に創業者の方が会長に退き、専務の方が社長に昇格になったとのことを聞き、新社長に祝電を打ちました。

すると先日新社長が、わざわざわが社に挨拶に来て下さいました。そのコンサルタント会社の会員数は、今では全国で400社を超えると言います。オーナーの経営者が更に個人的な活動に専念する為、ご自身の還暦を機に、新社長を任命したのです。

このような二人の近況に接しました。ホームルームクラスが一緒で席も近く、会えば良く話はした、大学の友人と別れて40年以上が経ちます。合宿の研修の懇親会では、よく酒を酌み交わし色々な話をした、新社長とは10年振りの再会でした。
 
二人に共通しているのは、当時から人に何かを感じさせる、根本からほとばしる何かを持っていました。私にとってはそれぞれの年月は空白ですが、突然に二人が変わったのではなく、以前から兆しがあった、“栴檀は双葉より芳し”を感じさせる人物です。
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結婚しない理由

2017年05月13日 07時25分38秒 | Weblog
結婚を意識した時に、私にはためらいがありました。時期尚早ではないかと。26歳当時私は親の会社に入り仕事をしていましたが、金銭的に自立している訳でもなく、家内を養っていける自信は正直ありませんでした。「私は長男で家業を継ぐ身、苦労すると思うけど・・・」このようなダメ押しが、家内へのプロポーズとなりました。 

今となれば、その躊躇は何だったのかと想い出します。結婚するのは、金銭的裏付けでもなく生活力でもなく、タイミングだと思います。そして結婚して、私達には三人の子供が生まれました。上の娘二人は既に結婚して子供が生まれ、連休中は二人が孫を連れて里帰りをしいて、私はすっかりジイジでした。

私の時代、結婚することは当たり前でした。しかしそんな当たり前だったことが、現在ではなかなか難しくなっています。私達の時代と何が変わったのでしょう。現在の若い人達は何故結婚しなくなったのか、調べてみました 

インターネットで検索すると、『無理に結婚しないが41.3%!何故20代30代の未婚男女は結婚に前向きでなくなったのか?』とか、『日本人男女が結婚しない理由!!』などのテーマの記事が飛び込んできます。

1980年の頃は生涯を通して結婚しないという人は、男性は約3%、女性は約5%。現在首都圏に住む30代前半の男女では、男性は2人に1人が独身、女性は3人に1人が独身。2030年には、男性の3人に1人、女性の4人に1人が、一度も結婚しない生涯独身者となる時代が来る。このような恐ろしい数字が並びます。

男性が結婚しない理由は、第一位:出会いが全然ない52.7%、第二位:低収入/雇用が不安だから36%、第三位:1人でいるほうが自由で気が楽だから33.2%。女性が結婚しない理由は、第一位:他人と暮らすのは煩わしい45.2%、第二位:良い出会いがない40%、第三位:1人でいる自由が大切34%。ある調べによるものです。

その背景として、コンビニ・SNSの発達、仕事以外で食事や住宅や娯楽に至るまで一人でも不自由を感じないライフスタイルに変化、特に女性の自立、などがあるようです。結婚はしなくても本人の自由という風潮が蔓延して、結婚の必要性が低下しているとしています。

しかし気になる一つは、「結婚とコスパ」のようなネガティブなメディア情報です。結婚をコストパフォーマンス(費用対効果)に置き換える、つまり損得勘定で考えようとする傾向です。もう一つは、結婚を前向きに捉えられない子供を卑下したり、厳しい言葉をかけてしまったりする、親達の追い討ちです。

私自身も漠然とした不安は払拭できずに、いざ結婚となると大きな決断を迫られましたが、今はっきり言えるのは、結婚はしてみなければ何も分かりません。結婚してからも、順風満帆だけではありません。夫婦の間でも堪え忍ぶことも多々。しかしその先には大きな収穫や幸せも待っています。

将来の日本の国力を左右する為、政府も少子化問題や晩婚や非結婚への対策は手を打っています。結婚している私達は、身近な人達に、金銭では計れない素晴らしさを伝えていくことも使命になるでしょう。
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伊藤祐靖という人(その2)

2017年05月06日 06時24分18秒 | Weblog
氏の父親は、昭和2年生まれ陸軍中野学校出身です。戦時中に軍籍を抜かれ、蒋介石の暗殺命令を受け、そのまま終戦を迎えます。戦後は一般人として普通に生活はしつつ、「暗殺命令は却下されていない」と、いつでも作戦行動がとれるよう、蒋介石が死ぬまで戦後30年間訓練と準備を重ねていたとのことです。

氏はそのもとに生まれ、厳しい教育など一切されなかったけれど、父親の生き方や考え方に、自分の観念がひっくりかえることが沢山あったと話されます。日体大卒業後は体育教員に内定していたそうですが、自ら志願して海上自衛隊の最下級生として入隊します。志願は父親の意向ではないと言われますが、しっかりとDNAを受け継いでいます。

話は戻りますが、能登半島沖不審船事件が起き、これを切っ掛けに海上自衛隊内に初の特殊部隊を創設され、氏はその部隊に大きく関わります。足掛け八年を先任の小隊長として勤務し、世界と肩を並べる態勢になりつつあところまで現場を指揮されます。

しかし42歳の時、艦艇部隊に戻れと命ぜられ、日本は本気で特殊部隊を使う気がないと確信して自衛隊を辞めます。そしてその二日後、民族・宗教闘争や殺人が頻発する比国ミンダナオ島に飛びます。治安の悪い場所で、腕だめし運だめしをしたくて、また特殊部隊で築いたコネを維持し世界で通用する技術を後進に伝える為に。と、動機を語られます。

実際に行って緊張感があり過ぎるという誤算の中で、沢山の出会いと別れ(死別)を繰り返します。水中格闘を始め各種の技術を習得し、氏が今実際に使える技術や役立っている経験は、特殊部隊を辞めた後、あの島で得たものが90%以上であると言い切ります。

能登半島沖事件の秘話、特殊部隊創設の詳細、ミンダナオ島で経験した戦いの本質、帰国して抱いた日本に対するあらたな想いなど、氏は自らの書『国のために死ねるか』の中に著しています。私の概念に無かった「目の前の敵と戦うことの本質」や、知ることが無かった「自衛隊(軍隊)の実態」に触れ、この本を一度読みまた読み返しました。

基本的に、一つの乗り物に乗って戦闘する海軍と個人が歩いて戦闘をする陸軍とでは、考え方や習慣に大きな違いがあると言います。一つは意思疎通の手段の違い、二つは意志決定のシステムの違いと氏は説明します。

海軍は、通信によってあらゆる情報を吸い上げ、それを最後は艦長一人で意思決定する。陸軍は、戦場で状況が変化して指揮官との意思疎通が図れない時でも上の意に沿う任務分析をして各自判断し、最後は一人の責任で意志決定する。この違いと言います。

「海上自衛隊の中に特殊部隊を創る。これは海軍の中に陸軍を創るようなもので、その文化の違いが非常に厄介であり苦労したことであった」と、氏は回顧します。海軍式か陸軍式か。経営者や会社はどちらを選ぶのか、これは企業運営の組織論でもあります。

幸い二回目の講演の後、伊藤祐靖氏と直にお話する機会を得ました。書かれた本は、優れた「ビジネス書」として、また自分の命を何の為に使うのかの「人生指南書」として、私は受け止めています。


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