梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

息子との距離(その2)

2011年06月25日 06時12分07秒 | Weblog
息子は朝6時に起き、学校に行く為に家を出て行くのは7時ちょっと前です。4ヶ月前の私であれば、毎朝息子とは顔を合わせることはありませんでした。何故ならば、それ以前の私は6時前には家を出ていたからです。

心境の変化もあり、私は会社に極端に早く行くことを止め、一時間は遅く家を出ることにしましたので、当然のことながら息子とは朝顔を会わすこととなりました。そしてこの時間を、息子との関係をより良くキープする為にも、有効に使えないものかと考えました。

試しに彼に学校のことや勉強の話題を振ってみて、乗って来るのであれば、こんなことを続けてもいいのかなあと思ったのです。実際一ヶ月前からやっていて、彼の抵抗感はさほどありません。

人間とは弱いもので、誰かが傍にいて注目してもらって応援してくれないと出来ないこともあります。例えばダイエット等はその良い例かもしれません。相当に意志が強いか、または明確な目的があるか、はたまた強制されるものが無いと長く続くものではありません。

強制はしていません。前の日にやった自己学習の成果や、今日やろうとしていること等、彼の話を毎朝聞いています。そこまで介入して親バカだと言われるかもしれません。体は立派な大人ですが、考え方には未だ幼稚な面もある息子です。

わが家は朝日新聞を取っています。一面の下段に、『天声人語』と言うコラムがあります。最近息子がこれを音読することになりました。最近のニュースや話題を題材にして、社説とは違って内容は柔らかい割に、結構掘り下げていて、社会性を養うにはいい教材です。

その中には難しい漢字もあり、息子が読めず私が読めると親の威厳が一気に高まります。その逆もある訳ですから、私も勉強になります。そのテーマにしても、解釈の仕方にしても、それを媒体にして親子の会話があります。

あくまでも最後は、息子の自立です。父親がそれをどれだけサポート出来るか、私にとっても、その試しをされていると思っています
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息子との距離

2011年06月17日 08時21分59秒 | Weblog
長男は今、高校三年です。私立の中高一貫校に入ったものの、ハッキリ言って勉強は嫌いな方で、大学受験の為の勉強等は今まで特別なことはしていません。それでいて高望みの大学には入学したいと言っているのですから、矛盾が生じていて、母親とはそれを巡りしょっちゅう言い争いが絶えません。

私は一切この息子には、勉強をしろとは言いません。勉強をしろと言って、やるのであれば、とっくに彼は勉強をしています。勉強をするハッキリとした目的や動機や習慣性が無ければ、勉強はしないものだと私は思っているからです。

家内からは、「お父さんは、いい子ぶりっこで息子には甘い」と言われます。それは当たっていないと訴えたいのですが、家内からどう思われようが、息子との関係性や距離間を私は大切にしています。私までもが息子を追い詰めたら、彼は逃げ場を失います。

そんな家内も私の気持ちを少しは理解をしてくれて、一方的に勉強しろとは言わなくなりました。しかし「今日はこれとこれをやる!」と宣言しておいて、ゲームやインターネットに翻弄され、クラブ活動で疲れてなのか挙句の果ては寝てしまう、そんな息子を見ると家内は切れてしまいます。でも私は思います、人間は機械じゃないからな~。

仮に大学受験の結果が出なくとも、その時にはその失敗で、息子は何かを気付くかもしれません。親が強制的に無理やり、ここで良い結果を出すように仕向ける必要を私は感じません。

親が勉強の大切さを伝えてあげることはしても、勉強ができる環境を作ってあげられても、後は腹をくくって口出しをせず、じっと成長を見守る忍耐力がむしろ必要かと思います。子供をロング・アイで見られるかどうかです。

口やかましく言う母親の注意は、息子は抵抗して聞こうとはしません。あまりしつこく言い過ぎると、反発して、時には罵声を浴びせ返します。傍で見ていて私にはよく分かります。彼位の年代では、その反応は普通かもしれません。

ですから普段口出しをしない私は、彼に対して何かを言うと、私の言葉は聞き入れてくれます。この距離間は常にキープしたいものです。
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諏訪日帰出張

2011年06月11日 10時49分32秒 | Weblog
8日の水曜日、長野県の諏訪に行って来ました。その目的は、わが社が入会している協同組合の理事会が、本部の諏訪であったからです。異業種交流研修や高速道料金割引共同利用の事業を主としているのがこの組合で、私は今期で任を解かれますが、その理事を仰せつかっています。

朝8時新宿発、松本行き“スーパーあずさ”に乗り込みます。乗客は窓側の座席も点々と空いている状況で、ビジネス関係の人がその半数と言ったところでしょうか。乗客の少なさは、大震災後の景気の影響かもしれません。

立川が最初の到着駅です。この特急は在来線を通りますので、駅のホームに立っている人は殆どが朝の通勤の人々。窓越しから見られ、旅人気分の私にとっては何かちょっと気恥ずかしく、違和感を覚えてしまいます。

八王子を過ぎて、景色は次第に山並みと変わり、鮮やかな緑が続きます。こんな平日でも甲府駅では、シニアの登山者が少なからず降り立ちます。この中央本線沿線には名峰が幾つもあります。私も大学の頃山登りをしていましたので、登ったその懐かしい山々の思い出が甦ります。

その先の小淵沢や茅野などの地も、昔の登山に限らず、家族旅行で訪れ楽しかった思い出は尽きません。そんな数々の懐古に心を委ねてばかりいると、車中に持ち込んだ仕事は半分もできずに、目的地上諏訪に到着してしまいました。

その組合の、現在最大課題は組合員の増強です。本部が諏訪である長野地区、わが社が所属している関東地区、そして信越地区と山梨地区、併せ四地区で総組員数210社とはなっていますが、最盛期には280社を擁していました。

7月に開催される定時総会には、私はもう出席しないつもりです。年2~3回出ていたこの理事会も出席することもなく、当分この特急あずさに乗ることもなくなり、この車窓かの景色は暫らくは見納めとなります。

復路、八王子からは山の姿は消え、また関東の広大な平野が続きます。その日の夜は都心で、或る会で知り合った方の81歳の誕生会に誘われていました。茜色に映える雲の下、喧騒の大都会、私は次の目的地に向かうこととなりました。
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当面私の仕事

2011年06月04日 07時46分45秒 | Weblog
今から12年前のこと、わが社の江東区東雲にあったスクラップ加工工場を閉鎖しました。先代から永く事業の柱としてやって来た鉄屑部門は、その数年前からなかなか採算が取れず、その工場の全社員が定年を過ぎ一年契約の嘱託社員でしたので、次期雇用は継続せず、実質その事業からの撤退をしました。

私としては将来の展望も見えず、打開策も無く、足元では採算が厳しい商売を惰性でするよりは、早い決断を優先すべきとの思いでした。そしてその数ヶ月前に工場閉鎖の決定をしました。空いてしまうその工場を、どう運用するかを計る前に。

それから不思議なことが起こりました。或る不動産仲介業者から、シャッターを締め切ったその工場を見つけて、突然連絡が入ったのです。そしてその業者の広告雑誌に掲載する前に、借り手の会社が決ったのです。

大手の運送会社のリサイクル事業で、主に都心のオフィスから古紙などを回収して保管・仕分けする場所として借りたいとのことでした。東雲の立地や工場の大きさも、先方の条件に叶ったのです。工場はそのまま改造もせず、何と、閉鎖してから一ヵ月後に入居することが決りました。今日まで変わらず、その借り手に活用してもらっています。

さて今回わが社の千葉営業所の閉鎖、そして浦安への移転集約です。受け入れ側の浦安の方へ集約が完了して、一ヵ月半が経ち、漸く落ち着きました。一方千葉営業所の方は、若干の後片付けは残っているものの6月末には整理がつくはずです。要はこれから、空いた不動産をどうするか考えなくてはなりません。

二度目のラッキー・ミラクルは無いとは思っています。行動が全てだと思っています。地元の不動産業者に一任してしまうのも一つの手段です。今は検索サイトで、インターネット上で行なう仲介業者に頼るのも方法かもしれません。

実はこの様な仕事を、現在会社で一番余裕があり動けるのは私です。先日幹部社員に、総務経理部の一要員として私が動くことはやぶさかではない旨を提案したところ、正式に要請がありました。上記の二つ以外の方法も考えながら、動いてみるつもりです。
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私の当面の仕事

2011年06月04日 07時45分09秒 | Weblog
今から12年前のこと、わが社の江東区東雲にあったスクラップ加工工場を閉鎖しました。先代から永く事業の柱としてやって来た鉄屑部門は、その数年前からなかなか採算が取れず、その工場の全社員が定年を過ぎ一年契約の嘱託社員でしたので、次期雇用は継続せず、実質その事業からの撤退をしました。

私としては将来の展望も見えず、打開策も無く、足元では採算が厳しい商売を惰性でするよりは、早い決断を優先すべきとの思いでした。そしてその数ヶ月前に工場閉鎖の決定をしました。空いてしまうその工場を、どう運用するかを計る前に。

それから不思議なことが起こりました。或る不動産仲介業者から、シャッターを締め切ったその工場を見つけて、突然連絡が入ったのです。そしてその業者の広告雑誌に掲載する前に、借り手の会社が決ったのです。

大手の運送会社のリサイクル事業で、主に都心のオフィスから古紙などを回収して保管・仕分けする場所として借りたいとのことでした。東雲の立地や工場の大きさも、先方の条件に叶ったのです。工場はそのまま改造もせず、何と、閉鎖してから一ヵ月後に入居することが決りました。今日まで変わらず、その借り手に活用してもらっています。

さて今回わが社の千葉営業所の閉鎖、そして浦安への移転集約です。受け入れ側の浦安の方へ集約が完了して、一ヵ月半が経ち、漸く落ち着きました。一方千葉営業所の方は、若干の後片付けは残っているものの6月末には整理がつくはずです。要はこれから、空いた不動産をどうするか考えなくてはなりません。

二度目のラッキー・ミラクルは無いとは思っています。行動が全てだと思っています。地元の不動産業者に一任してしまうのも一つの手段です。今は検索サイトで、インターネット上で行なう仲介業者に頼るのも方法かもしれません。

実はこの様な仕事を、現在会社で一番余裕があり動けるのは私です。先日幹部社員に、総務経理部の一要員として私が動くことはやぶさかではない旨を提案したところ、正式に要請がありました。上記の二つ以外の方法も考えながら、動いてみるつもりです。
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