梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

13年に思うこと(その2)

2019年06月29日 09時41分03秒 | Weblog
拒んでいる訳ではありませんが、私のブログには殆どコメントが寄せられません。たまに、誰かまわず自動的に送られてくるコメントは削除しています。もう11年前のこと、「nz(tetsuro) gannbatteruyo」との書き込みがあり、訳の分からないコメントかと、削除しょうと思ったところでした。

よく読めば、ニュージーランドに行っている息子哲郎から、「頑張ってるよ」とのコメントでした。当時中学三年になる息子は、通っている中高一貫教育の学校の制度を利用して、ニュージーランドで二ヶ月間の語学研修留学をしていました。遠く離れたnzに来て一ヶ月、里心付いて私のグログを探したのでしょう。

近くにいない息子とこのブログが橋渡しになるとは。そんな出来事があり、子供(娘二人と息子)達が年を取って、親から直接聞けなかった話を、将来このブログが介在役となれば。ブログを書き続けた一つの理由は、そのようなことでもありました。

“読むことは人を豊かにし、話すことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする”、と哲学者のフランシス・ベーコンは言いました。考え感じただけでは、確かになりません。書くことで人は疑いないものにします。また書いておけば、記録として残ります。逆に記録になるのであれば、滅多なことは書けません。

ブログを記録として残しておいて助かったのは、今から6年前に遂行したわが社の60周年記念行事の際でした。60周年記念誌を作成することになり、先代の父の時代には社史の様なものはありませんでしたので、それまでブログに都度・都度書いてきたことがベースとなりました。

わが社のルーツ、子供の時から父の商売を傍らで見てきたこと、私が入社して怪我が切っ掛けで運送の別会社が出来たこと、そして先代からバトンを受け継いできた経緯、土地移転問題など等。昔を思い出しながら、折に触れまとめたブログが活かされました。

初期の頃、事前に内容をチェック(誤字脱字など)してもらっている家内に言われました。「家族のことでこんなことを書いたら恥ずかしい!」「誰が見ているか分からないのにそこまで書く必要があるの?」。第三者の目で見てもらうことも大事なので、修正すべきことは直してきました。

しかし私の考えの基本は、極力隠さないで、ありのままを書こうとしてきたことです。何故なら読んで下さる皆さんが、関心を寄せず、興味が湧かないからです。勿論、隠すかどうかのその境目はわきまえなくてならないと思っています。

自分が書きたいこと大事にしたいでのですが、読んで下さる側の立場になって興味が湧くかどうかの視点が、もっと大切だと思っています。このブログの継続は自分の為でもありましたが、読んで下さる方がいるから書き続けてこられたのも揺ぎ無い事実です。

毎週土曜の午前中にアップして、早ければ翌週の月曜位から、また何を書くか考えています。書くテーマが沢山ストックされていれば良いのですが、テーマが湧いてこない時は焦ります。過去のブログ見ると懐かしく、前より文章が長くなっているのが最近です。

お陰様でこのブログを書くようになり、色々と関心と興味が持てるようになりました。書くためには、物事を良く観察し経験もしなくてはなりません。文章が長さは、それらに比例するのかもしれません。

このブログは“梶哲日記”と題していますが、日記ではなく皆さんには一週間に一回だけです。私としては、その一週間の日々の積み重ねを綴っています。13年、何の為に何を書いていくか苦悶してきましたが、これからもそれは続くことでしょう。

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13年に思うこと(その1)

2019年06月22日 05時41分22秒 | Weblog
先週このブログが、週一回のアップを続けて700回を迎えました。その際、ある人からお祝のコメントを頂きました。その人も書いて下さいましたが、初回の投稿が2006年4月でしたので、既に13年は経過しています。700回よりも、13年を思い巡らすと感慨深いものがあります。

ブログを始めた切っ掛けは、当時わが社のコーチング指導を受けていた方に誘われて、ブログを開設する講習会に一緒に参加したことによります。私は社内のコミュニケーションを図るために始めました。その方の目的は違っていましたが、暫くしてブログからフェイスブックに変りました。

百田尚樹氏の著書に“大方言”があります。第一章は「現代の若きバカものたちへ」、その中の小題「ブログで食べたものを書くバカ」で、以下のようなことが書かれています。
  
『かつて日本ではブログが大流行した。2006年にインターネットの世界で、ブログで最も使われている言語として日本語が英語を抜いて世界一に。60億人の世界の人口のうち僅か1億2千万人しか使われていない言語が世界のブログの頂点に達した。長い間そうではなかったが、なんと日本人は世界で一番何かを主張したい民族なのだ。ところが多くのブログには、英語でいうI insist(主張)といった内容のものが殆ど無い』

『書かれている多くは単なる身辺雑記。しかしどのブログも最初からこうではなく、開設当初少しは格好良いものにしよとの気持ちは見える。しかし大抵の人は三日もすると書くことがなくなってしまう。そこで多くのブロガーは自分の食べたものを書けばいいとの思いに至る。有名人でもない、あなたの日々の食事に関心を持っている人が世の中にどれほどいるのだろうか』

“大方言”ですのでデフォルメした表現はあるのでしょうが、頻繁に発信する多くのブロガーが陥る安易性がそこに見られます。『かくいう私自身も、毎日ツイッターで全く内容もないくだらないことを呟き続けている。いやしくも職業作家がお金にならない文章を書き続けるのだから、SNSの魔力はすごい』。これも百田氏の言です。

因みに私の初回投稿の2006年が、日本でブログが大流行しインターネットの世界で、ブログで最も使われている言語として日本語が英語を抜いて世界一になった年、だったとは知りませんでした。誘われるまま流行に乗ろうとした、私のミーハーも自認しています。

当初から私は週一回の発信と決めていました。それ程頻繁に発信する内容もなく、一週間の間に書くことをまとめ、出来れば長く続けたいと思っていました。週一回でしたので、「ブログで食べたものを書くバカ」的にならなかったかもしれません。いえ、私のブログが読み手にどう映っているか、それは自分で判断してはいけません。

スタートの時点では社内のコミュニケーションを図るためと書きましたが、その目的は13年を経ながら変遷してきました。日々の私の考え方や感じ方は、中々社員に直に伝えるチャンスが無いので、ブログでそれを表現出来たらとの思いは確かにありました。

進化するSNSの世界で、また個人情報保護法の浸透などによっても、13年前とはブログの存在感も変化しています。私の場合は、このブログで何の為に何を書いていくかを色々と苦悶してきた13年でもありました。  ~次回に続く~
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仙台への旅行

2019年06月15日 06時32分51秒 | Weblog
先週の6月8日と9日で、仙台一泊の社員旅行がありました。毎年一泊の旅行は行なっていませんので、ここ2~3年で若手(5名)やシニア世代(2名)が新たに入社していて、従来の社員と親睦を図る好機となりました。

30年近く前、私が先代から社長のバトンを受けた頃、社内旅行や親睦会は会社が全て企画し実施していました。その旅行や親睦会では、必ず何かトラブルがありました。バス車中で酒に酔って大声を出す社員が出たり、宴席で社員同士の口論が始まったり。終わった翌日その社員とじっくり話そうとしましたが、酒に飲まれてしまっていたのか、大半は覚えていないのです。

しかし、度々このようなことが起これば、楽しく参加している他の人に迷惑が掛かります。そのような行事を暫く見合わせたこともありました。その後紆余曲折はありましたが、現在はこのような行事は全て社員が運営しています。

社員同士の親睦を図る目的で、社内に“親和会”なるものを作りました。毎月僅かですが社員全員が積立をして、そこから行事の費用をまかない、任期2年持ち回りで幹事を二人選出して、この幹事が社員を代表して旅行や親睦会の企画・実施をします。併せ、社員相互扶助ため慶弔規程も定めました。

現在の幹事の任期最後の仕事となったのが、今回の仙台一泊旅行でした。初日は、東京駅から新幹線で仙台へ、昼食後は半日各自自由行動、夜は宴会。二日目は、笹かま工場見学とかまぼこ作り体験、東日本大震災で津波の被害に遭った小学校視察、日本三景の松島で昼食と観光、新幹線で帰路。このような行程でした。

のんびり半日の自由行動あり、宴席では盛り上がり全員が二次会へ、かまぼこ手作り体験もあり、皆でバスに乗って観光などなど、非常にメリハリの利いた楽しい旅行となりました。私の自由行動は、JR仙山線に乗ってニッカウヰスキー仙台工場へ行って来ました。ふたつの清流(一つは広瀬川)に恵まれた、緑豊かな峡谷にある蒸留所でした。

訪れた所で特に印象的だったのが、“荒浜小学校”でした。この小学校は仙台市中心部から東に10km離れた太平洋沿岸部に建っています。津波は2階床上にまで達し校舎が大きく損傷したものの、児童や教職員、付近の住民ら計320人が屋上に避難し、津波の被害から難を逃れたのです。

津波で荒浜地区の民家は小学校の建物以外はほぼ全壊、多くの犠牲者を出します。その後学区内が災害危険区域に指定され、小学校は閉校。しかしこの悲しい惨事を風化させないため震災遺構として保存されることになり、二年前から一般公開されています。1~2階部分は圧倒的な津波の威力を物語る痕跡を目の当たりにする場となっています。

今回は、色々な発見がありました。この旅行で、私はなるべく一人ひとりの社員と話すことを心掛けましたが、皆さんの家族や趣味や今までの生き方が背景となって、社員は普段仕事をしている。今まで無関心ではなかったのですが、そのような時間を作ってこなかった反省をしています。

また今回は、若手と年配者が折に触れ、絶妙に懇親が図れました。社員皆がこの旅行を楽しくしようとの意志を感じました。自由行動では、一人で行動した人もいましたがグループで時間を共有した人も多くいて、その話題が宴会で花を添えました。

互いの作品を比べ合うかまぼこ作り初体験も盛り上がり、震災遺構の視察は忘れかけていた大災害の教訓も呼び起こされ、その後の松島観光では大自然に癒され、悲喜こもごもの旅でした。昔の社内旅行が刷り込まれていた私にとっては、とても後味が良い行事となりました。

(津波浸水高の表示がある荒浜小学校)
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機械に念が

2019年06月08日 06時41分22秒 | Weblog
わが社で自動開先機の導入の本格的検討に入ったのは、一年半前のことでした。「国の“ものづくり補助金”を申請し受理され補助金が受けられれば導入する」、が前提でした。わが社はガス溶断機とレーザー切断機での開先加工を4~5年前から行なってきましたが、この自動的に削り取る開先機導入は、実は2~3年前から話は持ち上がっていました。

この開先機とは、垂直に切断された切り板をテーブルにセットすれば、入力データから自動的に切削面積を割り出し、適した送りスピードを決定したカッターが高速回転して、斜めにその板を削り出す機械です。本格的に購入を考えたのは、カッターが上下2軸の、同時に上面と下面の開先処理ができるものでした。

従来受注した仕事で、開先機向きの加工は外注先にお願いしてきました。新たに投資をして自動開先機を自社に導入するにしても、一定量の仕事の裏付けがなければ採算は合いません。それでは十分に仕事の裏付けがあってから導入しても、機械の発注から納入まで早くとも半年は要しますので、どのタイミングで決断するか難しい面がありました。

幹部より一年半前、社内稟議書が提出されました。しかし“ものづくり補助金”申請の締め切りが迫っていました。その間申請書作成の方に注力するだけで、本当にその機械の必要性について私として伝わるものがなく、補助金が下りなければ却下するとのこととしました。

結果補助金は下りず、見合わせました。しばらく経って、補助金に頼らず導入したいとの伺いが再度上がりました。申請書の締め切りに追われることなく、購入先との値引き折衝も真剣に行なって、百万円単位の成果を得ます。その分は、最終段階で検討した部分開先が取れる機能のオプション代に回すことが出来ました。

去年の夏に発注をして、今年5月に機械の納入の日を迎えました。納入設置日は11日の土曜日午前中でした。午後からメーカー側の技術者より、オペレーション指導がありましたが、製造現場の若手中心で自主的に会社に出てきて、熱心に講習を受けていました。新しい機械に対する若手の関心の強さを感じました。

「ガスとレーザーと今回の自動機と、選択肢が増えそれぞれの良さを活かしつつ開先の仕事を幅広く取り込める」「ガス溶断は常に火口を見ながら。自動開先機はセットしてしまうと安心で、その間他の仕事に専念ができる」。とは、この自動機を動かして2週間ほど経ってからの工場長の言葉です。

少なくとも、直線で枚数が多いものや長い距離の開先には、この自動開先機は最適です。「ガス溶断で切り口がギザギザになった手直しでも、この機械は使える」、とも工場長は言っています。創意工夫しながら、使い方は色々挑戦してもらえばと思っています。

『他社のまねできないオンリーワン加工を目指す』が、今期以降のわが社の経営目標です。ガスとレーザーと自動機、三つがそれぞれ不足を補完し連携しながら、開先加工を主軸として、いずれ経営目標を達成することを願っています。

「お金の補助があったら導入」では、その機械を「何としても活かしていこう」との念が入っていなかったと感じています。そのようなことがあり、最終決定まで半年間を費やしてしまいました。

「機械に念が入る!?」と思われるかもしれませんが、「どうしても欲しい、活かしていく」との、社員がその念を出せるかの、半年間はひょっとしたら天からのお試しだったと思っています。




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自己矛盾はないか

2019年06月01日 09時45分03秒 | Weblog
「私どもが何屋か分からなくなるでしょうが」と言い訳をしながら、銀行の担当者の方が、電気代や電話料金やETC料金の見直しを提案する、各企業の紹介をして下さいました。銀行も何かのメリットがあるのでしょうが、昔からすれば、何屋さんか分からない時代です。当座貸し越しの枠の設定で、担当者の方がわが社に来られた際の話です。

そして「会社に余裕の資金があれば短期の投資はどうですか」と、勧められました。「会社にここ2ヶ月月末の余裕資金がないから当座貸し込みを申し込んでいるので、もし余剰資金があれば先ずは借入金の返済をします」と、お伝えしました。「ごもっともです!」と、担当者の方は納得されました。自己矛盾がないと、私の中では思っています。

この自己矛盾の意味を調べると、『自分自身の内部で、論理や行動がくい違うこと』と出てきます。例えば安い物やサービスを買ったり提供を受けたりして、必要以上に文句を言う人やクレームをつける人は、自己矛盾が起きているのではないかと私は捉えます。

格安のホテルに泊まって、テレビの音がうるさいと、隣の部屋から壁を叩かれた人が言っていました。「安いホテルなので多少の安普請はある。少々の音など我慢したらどうか」「音が気になるなら、しっかりした構造の高いホテルに泊まったらどうか」、と。

私の息子夫婦がアパートの2階に住んでいます。最寄りの駅も遠く、それなりの安い家賃です。しかし壁や床が薄いらしく、気を使うと言います。彼らには1歳ちょっとになる息子がいます。ある時その息子が歩いている時に、下の階の住人から棒で突かれたそうです。

逆に下の住人(夫婦に子供もいる)の声も聞こえる時があるそうで、「お互い様だと思う」と、息子は主張します。その住人は異常にヒステリックなので、一時期は自分達が引越しを考えたそうですが、何が理由か分かりませんが、近々その住人が引っ越すそうです。

権利の主張だけをして片面だけを見てしまうと、自己矛盾に陥りがちです。傍目八目と言いますが、他人の行なっていることを客観的に観察すると、それはよく分かります。権利の主張をして片面だけを見ている人を、観察する機会がありました。

新橋の大衆的な居酒屋での話です。たまたま私は一人で入りました。一人用の長いカウンターに案内され座りますが、両隣は勿論一人者です。何と日本酒のコップ酒が190円(一合はちょっと欠けますが)。つまみ類も安く300円代があります。そのようなお店なで時間帯も夕方6時前後なので、超混雑していました。

左隣の40歳代のお客さんが店員さんに怒りをぶつけています。「何で20分前に注文した物が出て来ないんだ!」。ホールの店員さんも捕まらないくらい忙しく働いています。私の後ろのキッチンの店員さんもてんてこ舞いです。言われた店員さんはひたすら謝るだけです。

私の注文した“煮込み”は既に30分経過しています。そんな光景をみていましたので店員さんに、「まだ出て来ないので、煮込みはキャンセルしてもいい?」と告げました。「ハイ、申し訳ありません」との返答です。

そのお店は代金と受け取る価値はバランスしている。だからお店に合わす。私の中で自己完結をしていました。働いている人は大変でしょうが、経営者側は安いのだから多少のトラブルは承知の上か。色々考えを巡らし、人間観察していると興味は尽きません。

さて件の銀行担当者は、上司から言われた投資商品を顧客に伝えたと、自己矛盾はなかったと思います。お金を借りて投資のリターンを期待する顧客がいるならば、その方から見た私の矛盾はあったのかもしれません。
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