梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

新春の集い

2009年01月31日 11時18分54秒 | Weblog
遅い新年会となりましたが、昨日鉄屋さんの集まりである江戸川鐡栄会の新年会を、東京ディズニーシー・ホテルミラコスタで開催致しました。

『この様な景気の中皆さん参加してくれるかと心配しましたが、70名多くの参加を頂きました』
『さて唐突ですが、皆さん景気は良くなります!!ただしいつからか分かりません。半年後なのか、一年後なのか、もっと先なのか。現状これは高く上げたボールが落ちる、月も満つれば欠けると言う大自然の摂理と捉えるべきで、景気は必ず循環すると私は信じています』 
『また最近100年に一度の何とやらとよく言われますが、ものは考えようです。経営者の立場からすると、仮に100年は3~4代にも亘る長さですが、お父さんお爺さんも経験してない貴重な体験が出来る訳で、今生きていることは幸せです。これを乗越えれば自信になり、100年続く企業が保証されかもしれません』
『私事ですが年明けにわが社で、スローガンを作成しました。簡単に言うと、否定でなく肯定語を使おう、マイナスでなくプラス指向してお客様から選ばれ会社を目指そう。要はやることをやって前向きに明るくなろう。また将来を見据え、この時期こそ会社の基礎造りに専念しようと言うことで作りました』
『この時期求められているのは本来の人間性を考えることです。だから今を喜べるくらいのしたたかな心構えも必要です。少なくとも江戸川鐡栄会は一社も欠ける事無くこの一年元気に乗り切りたいと思います』 
この様な内容の挨拶を会長として致しました。

行き成りミッキー・ミニーのキャラクターグリーティングで始まり、各テーブルで写真撮影に子供達は大喜び。シェフが腕をふるうイタリアンテイストの料理を着席ビユッフェで味わい堪能しました。

大道芸ワールドカップでは何回も優勝しているサンキュー手塚さんを迎え、ヒット曲にのせて繰り広げられる奇想天外なパントマイムショーで会場は抱腹絶倒。また最後は恒例のビンゴゲームも、今回初めて若手に仕切ってもらい好評でした。

世の中の大不況は何処へやら、盛り上がった新春の集いになりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Y氏と再会

2009年01月24日 09時56分35秒 | Weblog
国名でグアテマラと聞いて、どこにあるか正確に言える人は少ないと思いますが、中米にありメキシコの隣国です。私と弟がその国を訪問したのは7年ほど前になります。

なぜその国に行ったのか、簡単な話しが日本で知り合った人がグアテマラで永住している日本人で、その方からお誘いがあったからです。どうして知り合ったのか、簡単な話しがパブで見ず知らずのその人から話しかけられたからです。

現在還暦を少し過ぎたそのY氏は首都グアテマラシティーで、コーヒー豆の輸出や機械類の輸入業務をしたり、ショッピングセンターのテナント店舗を供給したり、30歳代で単独でグアテマラに移り住み手広く商売をしています。

先週の日曜日来日していて、翌日帰国するY氏とお会いしました。前回来日したのが3年前、それ以来の再会です。相変わらずバイタリティーの塊のようなY氏。空手で身を立てようと海外に飛び出した昔を彷彿とさせます。

今世界経済は同時大不況の最中ですが、グアテマラは被害を受けていない、景気は悪くないと言います。世界は広いです。外食の値段はほとんど日本と変わりないが、高いレストランも流行っているそうです。宵越しの金は持たない、そんなラテン系の気質がそうさせているのでしょうか。

中国人や韓国人に比べると極端に日本人は少なく、現地では日本人に対する評価はすこぶる高いものがあるそうです。Y氏もその一人ですが、ゼロから積み上げた信用は一朝一夕で出来た訳でなかったと想像します。

このところ日本の先行きに嫌気をさし、蓄えたお金を持って移り住む人も多いとか。「生まれ育った日本も勿論母国だが、ビジネスチャンスを与えくれたこの国も母国だ」とY氏。

10年前あのパブで同じ時間帯に居合わせた偶然さ。Y氏がたまたま声を掛けてくれた気まぐれさ。自分のコントロール外の力も加わっている、そんな人の縁を大切にしたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会社の将来2

2009年01月17日 05時32分57秒 | Weblog
先週お話しした会社と、今回登場する会社には共通点があります。その一つは“100年続く企業”にしたいと言う信念です。

今回登場するところも、以前私のブログで紹介した会社です。御父さんが起こしたスクラップ業を18歳の時から一人で、鋼材販売業に変身させ、現在では鋼板関連では大よそ出来ない加工は無い会社に育て上げました。

タンクメーカーの経営者とお会いした翌日、その社長と会食する機会を得て、じっくりとお話しを伺うことが出来ました。

この急変した経済環境の中、年明け5日に全社員を集め、自社の取り組みと社員の対応について所信表明したとのことです。A4サイズの紙面で7~8頁の内容ですが、それを見せて頂きました。

凄い!の一言でした。正月2~4日まで殆ど外出をしないで、何度も何度も書き直し修正し書き上げたそうです。社長の魂を感じました。

末端のユーザーが多いこともあり、またここ数年の努力も実り、売上は前年同月に比べ落ちてはいないとのこと。しかし売上が落ちた場合利益はどうなるか、目標を達成できない場合給料や賞与はどうなるか、そのようにならない為にも社員の一人ひとりがどう行動するか、危機感を訴えながら明確に書いてありました。

その社長の凄さは、普段から自社の状況や社員の対応について、ことあるごとに発信しているのです。今回の危機を通して、伝えたいことが沢山あると言います。

家族をことの外大切にし、社員も家族、育っていくのを見るのが一番楽しいと、二人の経営者にはその他にも共通点は多くあります。

次世代にバトンは渡されて行くことになるでしょうが、100年を見通す経営の理念は、これからもぶれることはないと思いました。この経営環境が、将来に向けこの様な会社をより強固なものにする、そんな風に私には映りました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会社の将来

2009年01月10日 11時53分55秒 | Weblog
午後2時に新年の挨拶に来られたお客様ですが話が弾み、気が付いたら午後6時、それからお食事に誘い帰られたのは8時を回っていました。北関東の会社に着くのは恐らく11時を過ぎたに違いありません。

一年前このブログでも紹介しましたが、わが社の鋼板素材の販売先で地下石油タンクを製造販売している会社の、そこの経営者です。

4~5年前御父さんが癌を患い、それまで全く違う業界にいた息子さんが会社に入りました。その後御父さんは亡くなられ、その息子さんが会社を短期間で掌握し立派に経営されています。

地下タンクの需要は伸びていないこともあり、製造する同業者が減り続け、業界トップの会社がかなり見えてきたと言います。自分はやることをきっちりやっていくので怖くないと断言します。

バトンタッチしてから、自己資本比率を10%台から、50%までにしたと言います。しかしまだ攻めの経営はしないと、営業と現場のバランスを図っています。

自社経営についてほとばしる様に、活き活きと話す若い経営者です。抜群の集中力があり、タンク造りが好きでたまらないと言い切ります。凄い会社になるだろうなと、他人の私でもハッキリとその会社の将来が見えます。

小さい時学校で問題を出されても、その問題の矛盾を考えてしまい、けっして出来る子供ではなかったと。でも空を見上げ宇宙を連想したり、運命を考えたり変わった子供で、喧嘩は誰にも負けませんでしたと。その方の弁。

3人兄弟の真ん中で、一番親父からは鉄拳をくらい厳しくされたとか。しかしそんな自分が、今会社を継いでいるのは不思議ですと。病気の親父からは継げとは言われなかったが、最後の親孝行のつもりで前職の会社を辞めたとか。

最近身近な人から、「若い時の親父さんにそっくりだ」と言われるそうです。まんざらいやではなさそうな顔付きでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族の風景

2009年01月03日 16時11分23秒 | Weblog
2009年、新しい年が始まりました。皆様には新春のお慶びを申し上げます。

今年の会社の正月休みは例年になく長期間となりました。もっとも私は、残務で31日まで会社に出ましたが、気分的にはゆったりとした日々を過ごせました。

社会人一年生で神戸に勤務している長女が27日から、また神奈川に下宿している次女が28日から自宅に戻って来ました。家内と息子3人だけの生活が、一気に賑やかになりました。

娘たちは日頃積もり積った話を、しゃべり出すともう止まりません。私もそこそこ付き合うのですが、体力・気力が続きません。あとは家内に任すしかありません。

そんな中息子が一番姉たちの帰りを待ち望んでいたらしく、最初は照れていた彼も、だんだん嬉々として姉弟同士の話が弾みます。姉弟の絆は離れていても、深いものがあるのでしょう。

年末から年始にかけ、墓参り、買い物、初詣、親戚との顔合わせなど等行事をこなして行くのですが、5人が行動を共にするとなると大変です。出発時間を30分位早くさばを読まないと、時間には出られません。 

そんな家族一緒での行動もあと一日限り。それぞれまた日常の生活に戻ります。

次女は今年大学を卒業して社会人となりますが、企業に正社員として勤めることはせずに、学生の頃から数人で手掛けていた自主出版雑誌の仕事を中心に、あとはバイトで生計を立てると言います。それも彼女の人生なのでしょう。

中学3年の息子は、通っている学校の制度で、自ら希望して短期語学留学をします。ニュージーランドに、一月の上旬から二ヶ月間行ってきます。成長を期待したいところです。

いつでも集まれば、わいわいがやがや出来る家族でありたいものです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする