梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

仕事納めに

2012年12月29日 11時32分23秒 | Weblog

昨日が仕事納めでした。私にとってみると色々なことがあったこの一年ですが、終ってみれば難問もなんとか無事に乗越えられて来ました。

「乗り越えられる試練しか神は与えない」という言葉を今年耳にしました。調べてみると聖書からの引用で、「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう逃れる道をも備えていて下さいます」。印象に残る言葉です。

昨日仕事を終えて、午後4時頃から納会をしました。飲み物は買い出してきて、食べ物はケータリングを利用して、会社の食堂で行いました。

“幹事さん、忘年会を盛り上げます。会社の忘年会で遊べるトランプ。数字面に上司や同僚に聞きにくい質問などが書かれ、参加者がカードを1枚引いて…”こんなカードが出回っていると、新聞でそんな記事を目にしました。買わずにアイデアだけを頂きました。

「上司に一言いって下さい」「奥さんや旦那さんに秘密にしていることは」「今年一番嬉しかったことは」「小さい時の将来の夢は」「今一億円あったらどうしますか」「旅行をするなら何処へ行きたいか」「自分の癖で直したいものは」「今まで観た映画で印象に残っているものは」。

そんなテーマを用意して全員に答えてもらうことにしました。殆ど即答でしたので、その人の素が現われる場面がしばしばあり、かなり盛り上がりました。

お金をかけずにやろうと今回は企画したのですが、テーブルを囲んで皆の顔を見ながら、大声も出せたこともあり、外でやる忘年会とは一味違ったものとなりました。

私の還暦祝いに頂いた、瓶に入った沖縄の泡盛も開けて飲み、最後はビンゴゲームを行い、お歳暮で頂いた品物を皆で分け、お開きとなりました。

このところ意識的に社内の飲み会を多く開催しています。仕事の最中の時と、こんな飲み会の時との、ギャップが徐々に埋まればいいなあと思っています。
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傍目八目の役割

2012年12月22日 09時41分49秒 | Weblog
徳川末期のとある藩の出来事。荒れ果てた神社に血気盛んな若侍が9人集まり密談をしている。城内に贈収賄がはびこっているのを一掃しようと決起したのだ。城代家老に意見書を提出し対応を迫ったが、拒まれたと言う。一人の侍がその日の行動を皆に報告をしている。

見切りをつけて大目付の処へ行くと、話は分かった、若い人達と共に立ちましょう、あなたの仲間を集めて欲しいといわれたと言う。皆の顔が希望に燃えた時、社の奥から声がして一人の薄汚れた浪人が現れたからその場が殺気だった。

「お前等の話しを聞いていると、当人よりも状況が良く解る」と言い、意見を述べた。それによると、大目付の方が黒幕ではないかと言うのだ。「悪い奴はとんでもない処にいる、危ない危ないだぜ」、その時浪人が外の異変に気付く。

社を遠巻きに多数の侍が迫ってきていた。「そ~ら、見てみな」、若侍たちは浮き足だったが、浪人は言った「俺にまかせな」。大目付の手の者だった。フラリと一人出てきた浪人は、「なんだ、なんだ、人が寝ているのに」。そして、社の中に入ろうとした侍たちをこてんぱんに叩きのめす。

1962年に公開された三船敏郎主演の映画『椿三十郎』、冒頭のシーンです。「お前等のやることは危なっかしくて見てられねえ!」と言われてしまい、窮地を脱した若侍たちは、三船演ずる浪人の指示のもと行動を開始するのです。

この浪人を本当に信じていいのか、疑心暗鬼に陥って行動を起こす若侍は、その後何回となくへまをしでかします。その度に、沈着冷静、臨機応変、浪人のよみの深さと圧倒的な腕っぷしの強さに救われます

傍目八目とは、『他人の囲碁をそばで見ていると、対局者より冷静で八目先まで手が読める意から、第三者の方が物事の是非得失を当事者以上に判断できるということ』と、辞書にあります。
自分のことは自分が一番分からないとも言います。若者に限らず、人間誰でも陥りやすい誤りです。如何に、傍らにそんな存在をもてるかにかかっています。

それにしても三船敏郎のユーモアたっぷりの素浪人ははまり役で、片面だけでものごと思い込んでしまいがちな私には訴えるものがありました。
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思わぬ事故

2012年12月14日 16時49分13秒 | Weblog
接触事故を起こしました。停まっている車をこすってしまいました。駐車場にバックで入れる時、それも二台の区画のところその真ん中に入れようとしたのです。普通では考えられないことです。

大切な方をお連れして、ホテルのレストランで食事をしようとした際に、地下の駐車場に停めることになりました。なるべく地上フロントへのエレベータに近いところに停めようとしました。

確かに、その同乗者との会話に気を取られていました。左右三台ずつの駐車区画をやり過ごし、ラッキーにもエレベータ近くの左側区画の真ん中が空いていました。ま反対の右側は、三台とも埋まっていました。

車の頭を少し前に出してから、ハンドルを左に切りながらバックを始めます。運転者側の右は目視で更にバックすると、“ゴツン”と音がしたのです。車を止め降りてみて分かりました。そこは大型車二台用の区画だったのです。左側に停めてあった車の前方バンパーの右角を、私の車の後方バンパー左角で擦ってしまいました。

たまたまホテルのマネージャーが遠くからその場を見ていたので、私の名刺を渡し、当然のことながら非を認め、お連れの方とレストランに向かいました。

食事が終り、そのマネージャーが待機していて、一緒に地下に降りて行きました。現場に行くと更にホテル側の人達が居て、相手車の持ち主が分からないとのこともあり、何か異様な雰囲気です。このまま立ち去るのかとの様相です。

わが社から近いホテルでしたので、連絡をもらえれば即刻に直行する旨を伝えその場を去りました。結局その日は連絡が入らず、翌日の午前中にそのホテルの宿泊客と判明して現場に戻って、相手の方に会い警察の検分も済ませました。

全ては私の原因です。それは分かっているのですが、その宿泊客の若い夫婦の方にしても、何でこんな接触事故を起こしたかのような憮然とした態度には、少しへこみました。そんな思いは察知されないように平身低頭するだけでした。

一方会社には、良い話題を提供しました。社長はへまをする。
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机上と頭の整理

2012年12月08日 10時47分30秒 | Weblog
仕事場での机の整理や書類の保管においては、私は決して上手ではないと自覚しています。むしろ、なかなか満足のいく整理法が身に付かないと常々思っています。

身近に書類を置く場所としては、机の上、机の引き出し、そして私の直ぐ後ろにはラックがあり、そんな所が候補地となります。過去の書類で、滅多に見ないけれど保管を必要とするものは、離れた収納棚に仕舞ってあります。

どちらかと言うと必要と感じないものは即時捨てるようには心掛けています。しかし判断が迷うものもあり、候補地の分類も一応して取り置きますが、どうしてもそれは溜まって行きます。特に机の上は。

そんな私にとって朗報です。『できる人の「机」整理術、書類平積みOK、見る頻度で分類』。ユニークな記事が新聞に載っていました。何人かのすご腕ビジネスパーソンと言われる人達に取材した内容で、以下その趣旨です。

書類は直ぐに捨てずに積み上げておき、積み上がったら定期的に仕分ける。直ぐに処分しないのは、自分は足で稼げる営業ではないので、多くの情報を生かしその中から必要なものをえりすぐり自分の武器とする為。

自分の席でモノの置く位置を決めている人も多いだろうが、三ヶ月に一回位机の上に置くモノや配置を変える。同じやり方を続けていると考え方まで一つに固まってしまう。だから慣れてきたなと思ったら変える。

書類は手の届く範囲で積み上げていき、やがて山が増え邪魔になったら上から3センチ分だけ残して遠くに押し出す。外側の書類が机から落ちそうになったら捨てる。必要なモノは10秒探し見つからなければ諦める。

捨てても同僚の誰かが持っている可能性もある。先ず手元に置き、後に見る頻度で分類・処分すれば何を捨てたのかも把握できる。本当に重要なことは覚えているので、全ての資料が揃わなくても整理に掛ける時間を思考に回せる。

このようなものが、一見片付けのセオリーに逆行するような整理術のメリットでした。要は、頭(思考)の世界が机上に表現されているとのことでしょうか。
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前回のブログで

2012年12月01日 10時06分13秒 | Weblog
「社長は老後に向けて、蓄えがないと思われます!」。前回のブログを見た社員の言葉です。仕入先の商社にわが社の営業が揃って訪れ、その帰りに飲みながら出た話しでした。そんな機会が無ければ、出なかった話しかもしれません。

実際に私に蓄えが有るのか無いのかもさて置き、確かにそのように取られてもおかしくない文章です。ここで言いたかったのはちょっと違う意味ではありましたが、率直に進言してくれた社員には感謝しています。

本来の65歳からの老齢基礎年金も、会社で支給される給料が一定の額を下回ると、カットされず全額給付を受けられます。それに対して私は、財源が無い国の年金給付を受けるのであれば、会社で働ける限り働き、相応しい給料を頂き、少しでも企業負担が多い方が国の為になると思ったのです。

現在の年金制度は高度成長時代のもので、人口も今の少子高齢化を全く想定していません。そのような危機に直面して、年金の給付不足を補う為にも、政府は税と社会保障の一体改革を推進しようとしています。

若者に負担を強いる、そんな将来の日本にますます不安が募ります。私の個人の蓄や老後の生活の不安と取り違えられたのであれば、私の伝え方の悪さに、反省するところがあります。
  
また、いつまでも活き活きと働くことが健康維持に繋がります。医療費なども国から負担してもらうかもらわないか以前に、極力医者にかからないように自ら健康を管理することが大切です。

話は戻りますが、その営業社員との談話の中で、私のブログは社員が見ているのか見ていないのかとの話しとなりました。件の社員曰く、「意外と皆はしっかりと見ていますよ」とのこと。嬉しいことです。

続けて「社長のブログは、面白い時と面白くない時があります」と、手厳しい意見です。更に「でも毎週必ず書いて六年半以上続けていることは、尊敬しています」と、そんなことまで気付いてくれて有難う。

中々本人を前にして本音は言いづらいもの。私は素直に受け止めました。
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