「直島」と聞くとかすかな記憶が蘇ります。そこに三菱の精錬所があったことを思い出します。昔私が運送の取扱業に携わっていた時、直島にあった三菱金属鉱業(現:三菱マテリアル)に荷物を運んだことがあります。上京した岡山県の運送会社の帰り便で、荷物を依頼したことは確かですが、何処から積んで何の荷物だったか、もう覚えてはいません。
この直島へは、本州側からの車両は、岡山県の宇野港からフェリーで渡ることになります。香川県の高松港からのフェリーは50分かかりますが、宇野港からは20分です。岡山県に近い直島は香川県に属します。同じく香川県の、オリーブで有名な小豆島は直島の近くにあります。両島間の定期フェリーはなくとも、船をチャーターすれば45分の距離です。
今はもうありませんが、かつて宇野と高松を宇高連絡船が行き来していました。JRが国鉄だった時代、四国に鉄道で行く場合、宇野駅で宇高連絡船に乗り、瀬戸内海を渡り、四国の玄関高松駅に上陸して、四国の各地へ向かう列車に乗り換えていました。一時期は、客車も人を乗せたまま連絡船で運んでいました。
その宇高連絡船は、本州四国連絡橋の完成や瀬戸大橋線の開業により、1988年にその役目を終えます。私はこの宇高連絡船に今から50年前に乗ったことがあります。愛媛県側から石鎚山(四国・中国・九州地方で一番高い山)に登るためで、大学のワンダーフォーゲル部でメンバーは三人。宇高連絡船の船上で、食べたうどんの味はいまだに忘れられません。
さて前置きが長くなりましたが、この度、直島を訪れることになりました。学生の時に四国に渡ったその後、何回か四国へ訪れたことはあるものの、直島へは今回が初めてとなりました。目的は旅行です。行くことを決めたのは出発日の直前です。寝台列車でサンライズ号があります。東京発21:50分発、翌早朝岡山駅で14両の列車は半分に分かれ、先頭は高松へ後方は出雲へと向かいます。このサンライズに乗ることが長年の憧れでした。
10月11日から12月下旬まで全国旅行支援が始動することになり、この援助がもらえて、サンライズの予約が取れれば、家内と四国に旅行をしてみようとの話となりました。急遽大手旅行代理店を訪れたのは10月8日の土曜日の午後、出発希望日は一週間後の16日の日曜日でした。代理店のフロアには人が溢れています。旅行支援によって旅行したいと、にわかに皆を駆り立てているようでした。勿論私たちもその同朋です。相談窓口は四つありましたが順番待ちで40分待ちました。外からの電話が鳴り止まず、係員は全く対応出来ない状態です。
実は、当初私は直島に行くことを考えていませんでした。家内が土佐に行ったことがないので、そこは外せず、帰りは淡路島経由で戻る予定でした。サンライズ車中一泊、高知市一泊、淡路島一泊のプランでした。しかし家内が高松に行くなら、直島に行きたいとの強い希望。直島は「アートの島」だというのです。私は昔の記憶のまま、そんな直島を知りませんでした。
旅行代理店のフロアで順番を待っている間に、全体の計画が固まります。サンライズの予約が取れたとしても、直島の宿が確保できなければ意味が無く、スマホで急いで直島の宿を探し、海辺に建っている食事なしのゲストハウスが見つかり、何とか予約しました。16日発の寝台が取れなければ宿もキャンセルして、旅行自体も見合わせようと思っていました。
ようやく窓口に呼ばれて、プランを伝え、早速列車の手配が出来るかの検索をしてもらいました。結果、やはりツイン部屋は完売、B寝台「シングル」は喫煙の一室のみ、B寝台「ソロ」はまだ多少あるとのこと。迷わず喫煙室でも確保してもらい、私が「シングル」を使うことにして、煙草の匂いが嫌な家内は禁煙の「ソロ」使用としました。窓口の人は、人気の「シングル」が直前で確保できたことに驚いていました。
憧れのサンライズ関連のネットを何回も見ていますので、頭に刷り込まれています。編成中もっとも多く用意されているのがこの「シングル」。コンパクトな空間にベッドやテーブル、オーディオのコントロールパネルなどが使いやすくまとめられた1人用個室です。「ソロ」は格安に寝台の旅が楽しめるやはり1人用の個室です。部屋いっぱいがベッドとなり、天井は低いですが、子どもの頃に夢見た秘密基地のような雰囲気があります。
全国旅行支援は、代理店の窓口で申し込んだ段階では確約はありませんでした。しかし出発前に、宿泊代と旅費及び地域クーポンの、一人11,000円の補助金はもらえることが確定しました。このような経緯で旅が始まります。 ~次回に続く~
「シングル」
「ソロ」
この直島へは、本州側からの車両は、岡山県の宇野港からフェリーで渡ることになります。香川県の高松港からのフェリーは50分かかりますが、宇野港からは20分です。岡山県に近い直島は香川県に属します。同じく香川県の、オリーブで有名な小豆島は直島の近くにあります。両島間の定期フェリーはなくとも、船をチャーターすれば45分の距離です。
今はもうありませんが、かつて宇野と高松を宇高連絡船が行き来していました。JRが国鉄だった時代、四国に鉄道で行く場合、宇野駅で宇高連絡船に乗り、瀬戸内海を渡り、四国の玄関高松駅に上陸して、四国の各地へ向かう列車に乗り換えていました。一時期は、客車も人を乗せたまま連絡船で運んでいました。
その宇高連絡船は、本州四国連絡橋の完成や瀬戸大橋線の開業により、1988年にその役目を終えます。私はこの宇高連絡船に今から50年前に乗ったことがあります。愛媛県側から石鎚山(四国・中国・九州地方で一番高い山)に登るためで、大学のワンダーフォーゲル部でメンバーは三人。宇高連絡船の船上で、食べたうどんの味はいまだに忘れられません。
さて前置きが長くなりましたが、この度、直島を訪れることになりました。学生の時に四国に渡ったその後、何回か四国へ訪れたことはあるものの、直島へは今回が初めてとなりました。目的は旅行です。行くことを決めたのは出発日の直前です。寝台列車でサンライズ号があります。東京発21:50分発、翌早朝岡山駅で14両の列車は半分に分かれ、先頭は高松へ後方は出雲へと向かいます。このサンライズに乗ることが長年の憧れでした。
10月11日から12月下旬まで全国旅行支援が始動することになり、この援助がもらえて、サンライズの予約が取れれば、家内と四国に旅行をしてみようとの話となりました。急遽大手旅行代理店を訪れたのは10月8日の土曜日の午後、出発希望日は一週間後の16日の日曜日でした。代理店のフロアには人が溢れています。旅行支援によって旅行したいと、にわかに皆を駆り立てているようでした。勿論私たちもその同朋です。相談窓口は四つありましたが順番待ちで40分待ちました。外からの電話が鳴り止まず、係員は全く対応出来ない状態です。
実は、当初私は直島に行くことを考えていませんでした。家内が土佐に行ったことがないので、そこは外せず、帰りは淡路島経由で戻る予定でした。サンライズ車中一泊、高知市一泊、淡路島一泊のプランでした。しかし家内が高松に行くなら、直島に行きたいとの強い希望。直島は「アートの島」だというのです。私は昔の記憶のまま、そんな直島を知りませんでした。
旅行代理店のフロアで順番を待っている間に、全体の計画が固まります。サンライズの予約が取れたとしても、直島の宿が確保できなければ意味が無く、スマホで急いで直島の宿を探し、海辺に建っている食事なしのゲストハウスが見つかり、何とか予約しました。16日発の寝台が取れなければ宿もキャンセルして、旅行自体も見合わせようと思っていました。
ようやく窓口に呼ばれて、プランを伝え、早速列車の手配が出来るかの検索をしてもらいました。結果、やはりツイン部屋は完売、B寝台「シングル」は喫煙の一室のみ、B寝台「ソロ」はまだ多少あるとのこと。迷わず喫煙室でも確保してもらい、私が「シングル」を使うことにして、煙草の匂いが嫌な家内は禁煙の「ソロ」使用としました。窓口の人は、人気の「シングル」が直前で確保できたことに驚いていました。
憧れのサンライズ関連のネットを何回も見ていますので、頭に刷り込まれています。編成中もっとも多く用意されているのがこの「シングル」。コンパクトな空間にベッドやテーブル、オーディオのコントロールパネルなどが使いやすくまとめられた1人用個室です。「ソロ」は格安に寝台の旅が楽しめるやはり1人用の個室です。部屋いっぱいがベッドとなり、天井は低いですが、子どもの頃に夢見た秘密基地のような雰囲気があります。
全国旅行支援は、代理店の窓口で申し込んだ段階では確約はありませんでした。しかし出発前に、宿泊代と旅費及び地域クーポンの、一人11,000円の補助金はもらえることが確定しました。このような経緯で旅が始まります。 ~次回に続く~
「シングル」
「ソロ」