梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

幹事の仕事

2016年07月30日 09時16分07秒 | Weblog
業界でこの度、春の褒章受章に輝いた方がいらっしゃいます。その方はわが社が所属する団体の長でもあり、その褒賞を祝う会を、会員の発起人によって執り行うこととなりました。その発起人が私を幹事に推薦して下さり、引き受けることになりました。

二ヶ月前から準備に入りました。開催日程も決まり、会場であるホテルも決まり、後は当日どのような内容にするかです。幸いにも会場は、去年東鉄連が創立60周年式典を行った同じホテルが手配出来ましたので、勝手知ったる強みがありました。

司会者も、同じく60周年の時の女性司会者に依頼することになりましたが、台本については、私が一から書かなくてはなりません。その前に式次第はどうするか、私には受勲を祝う会の知識等はありませんのでインターネットで調べながら、何とかシナリオが出来上がりました。

余興は、これも幸い私が知っていたクラッシク畑の女性ピアニストがおりましたので、頼むことにしました。運営費は参加者の会費制で、当初参加者が少なく収支が危ぶまれましたが、直前で人数も集まり赤字が出なくて助かりました。

先週の本番、何とか無事に終了しました。シナリオは幾ら台本を書いても、その場の雰囲気に合わせたアドリブも必要でした。このようなことを経験させてもらい、尽々と感じるのは、準備が全て。事前にどれだけ仕込めるかが決め手となり、その点では課題は残りましたが、次に生かしたいと思います。

話しは変わりますが、高校の同期で鉄鋼業に従事している者が集まって、食事会を開くことになりました。先述しました東鉄連60周年で、高校卒業以降初めて再会した人がいました。前から彼のことは認識していましたが、一時期鉄鋼業から離れていたこともあり、話すチャンスがなかったのです。

その彼と意気投合して、今まで二回、互いに知っている他の同期も誘って食事会をしてきました。声を掛ける対象者は、今は5人となりました。そんな経緯もあり、私が皆に声を掛ける幹事役となりました。

その内の一人は、いまだにアナログ人間で、メールが得意ではありません。従って彼には電話でしか連絡が取れません。また5人の都合を調整するのも、結構手間が掛かります。そんな会合を皆は楽しみにしてくれますので、幹事の遣り甲斐もあります。

受賞を祝う会の幹事にしても、同期会の幹事にしても、他人に依頼されたり、事の成り行き上幹事をしたりするのも、私は拒みませんし嫌な仕事だとも思いません。人間の機微に触れられるチャンスだと思っています。
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人の目を見て

2016年07月23日 06時29分47秒 | Weblog
先日全社員が集まった昼礼で、常務が皆に話しているのをじっと見ていると、下を向いたまま、話している常務を見ていない社員が何名かいました。次に私が話す番になりましたので、思い余ってこのようなことを言ってしまいました。

「皆さん、今見ていて感じたことですが、一所懸命に話している常務を見てあげて欲しい。皆さんが耳で聞いていることは分かりますが、話している人にとってみると、本当に聞いてくれているかどうか心配なのです」、と。

目は話すことはしませんが、「目は口ほどに物を言う」と言われます。情のこもった目つきは、言葉で喋って説明するのと同様に、相手に気持ちを伝える手段と言えます。人間の喜怒哀楽を顕著に表わせるのは、むしろ目かもしれません。

ですから話している人が、目の前にいるのですから、聞いている人が目を向けて見てあげることは、あなたの話しをしっかり聞いていますよ、受け入れていますよとの、サインなのです。

今から20年程前、親しい人から「梶さんは、あまり人の目を見ませんね」と、言われたことがありました。ショックでしたが、冷静に自分を観察すると全くその通りで、自分では無意識の世界でした。

その理由を分析してみると、自分に自信が持てない、あるいは自分の考えを頑なに通したい、更には相手の人が怖い、または相手を受け入れたくない、など色々考えられますがいずれかに当てはまるものだと思います。私の場合は、一番目と二番目の混在だったのかもしれません。

赤ちゃんの目をしっかり見て、母親が愛情を持って話し掛ければ、情緒豊かな子供に育つことは、誰も疑う余地はありません。幼稚園や小学校の低学年位まで、子供の瞳は澄んで輝いています。しかし成長するに従って、そのような瞳を持ち続ける子供が少なくなるのも事実で、それがある意味社会性を持つと言われてしまっているのも現実です。

「目は心の鏡」とも、「目は心の窓」とも言われます。鏡も窓も共に、内と外との接点、あるいは境界線の意味です。例えば、部屋が汚ければ窓越しに見られてしまいますので、またプライバシーを守りたいなら、窓のカーテンを閉めればいい訳です。

しかし自らオープンマインドでなければ、そのような使い分けしていては、気持ちは相手には絶対に伝わりません。相手に要求する前に、自分の窓を開けることが先なのでしょう。

逆の立場にたってみると分かります。一般多数で話を聞いていただけの人が、今度一人で話をする立場になって、聞いている多数の人が全員目を伏せていたとすれば、話す意欲と自信は瞬時に消え失せます。それほど無意識にしている世界もあるのです。
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後で調べてみて

2016年07月16日 09時52分24秒 | Weblog
一週間前に、WOWOWで中国と香港の合作の映画を観ました。“薄氷の殺人”と言う題名、2014年に上映された映画で、第64回ベルリン国際映画祭で最優秀作品賞の金熊賞を獲得して、主演の男優リャオ・ファンも最優秀男優賞の銀熊賞を受賞した作品です。

たまたま日曜日の午前中、私は自宅に居てなんとなく時間がありましたので、TVを付けて何か見たい番組はないかと探しながら、出逢った映画です。そのような賞を獲った作品だったとは、後で調べて分かりました。

1999年中国東北地方、男のバラバラに切断された死体が6つの都市にまたがる15カ所の石炭工場で発見される。刑事のジャン(リャオ・ファン)が捜査を担当するも、容疑者を追い詰めながら逮捕時に抵抗され射殺してしまい真相は闇の中へ。2004年、警察を辞め、しがない警備員として暮らしていたジャンは、警察が5年前と似た手口の事件を追っていると知り独自に捜査を開始。その連続殺人事件の被害者たちはいずれも若く美しい未亡人と親密な関係にあり、ジャンもまた彼女に惹かれていく。そんな筋書きです。

場面が進展していく中、私は引き込まれました。わが社は今から25年から15年前は、中国から厚板をかなり輸入して国内販売をしていました。その中国の鉄鋼メーカーには、ある時期頻繁に訪れたことがあり、その懐かしい風景と映像が重なったのです。

登場人物の台詞は決して多くありませんが、大胆かつ繊細さを感じさせる巧みな撮影技法には訴えるものがあり、全体的にはとても綺麗な映像です。何といっても、季節を替え主役男優の経年変化を醸し出した、1999年から2004年への切り替えが印象的でした。

しかしこの映画は、一回観ただけでは少し難解な所もあり、筋を追えない場面もありました。私はそんなこともあり、印象に残った映画は観終わった後は、必ずインターネットでその映画を調べます。筋書きの要約が殆ど載っていますので、助かります。

“薄氷の殺人”も複数のサイトで調べますと、色々な事が分かります。原題は“白日焰火”で、日本語の意味は昼間の花火のこと。この邦題はスケートリンクのシーンが何回か登場するので、こう付けたのでしょが、映画を実際観ると白日焰火の方が核心に迫るキーワードだと私は思いました。

またこの作品はノワールの分類に入るのだそうです。ノワールとは、「フランス語で黒を意味して、暗黒小説、人間の悪意や差別や暴力などを描き出している」とあります。従ってこの作品も、混沌としていて、全てを明らかにしなくてもいいのだ、との解釈もありました。

いずれにしても興味を持って、調べれば調べるほど、作品には何か意味や意図があって作られたものだと分かります。事前にチェックして面白そうだから観る映画もありますが、何となく観出して引き込まれて行って、後で調べたら凄い映画に出逢うと、より感動します。
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AIはどこまで進む

2016年07月09日 09時50分38秒 | Weblog
最近新聞の記事などで、AI(artificial intelligence:人工知能)について書かれているものが目に留まります。同じ新聞社の記事でも日が変ると、「AI活用を急ぐ」と書かれていたり、「AI付き合い方を今後研究」と書かれていたりします。

「AI活用を急ぐ」と書かれていたのは、大手旅行代理店がサイバー攻撃に遭い、大量の顧客情報が流出した事件に関しての記事でした。その企業は不審メールを開封しないように、遮断する体制を念入りに整えていたそうですが、通常業務を(現存する会社を)装ったメールの添付ファイルを、うっかり開いてしまったというのです。

社内の膨大なデータの中で、一握りだけ存在する攻撃者の通信を、日常業務に追われている人間が特定するのは難しい。そこで注目を集めるのがAIで、社内システムの正常な状態を学習させ、逸脱した動きを察知するのがAIであるとの記事でした。

一方「AI付き合い方を今後研究」と書かれていのは、内閣府や文科省が、急速に進化するAIと社会がうまく付き合うための研究に乗り出す、との内容でした。AIは将来、車の運転や接客、書類作成などの対応が期待される反面、事故時の責任所在をどうするかなど、様々なトラブルが起きるといった懸念があるというのです。

「自動運転車が絡む事故が起きたが責任の所在が決まらず裁判が難航」。「工場での作業をAIロボットが担い従業員が不当に解雇される」。「対話型のAIに人が恋愛感情を持ってしまい依存するようになる」。「購買情報の分析により宗教や政治など個人の信条が突き止められる」。AIで起こりうる問題の事例として、以上が挙げられていました。

そんな折、6月にアメリカの電気自動車メーカーのテスラ・モーターズは自動運転中に衝突事故が起き、車内に居た人が亡くなったと発表しました。相手の大型トレーラーを検知しにくい、極めて特殊な状況下で起こったことを理由にしていますが、自動運転車では初の死亡事故でした。

AI を作り出しているベースは、アルゴリズムのシステムと言われています。アルゴリズムとは、一つの問題を解くためには手順や方法は複数あるけれど、そのやり方を工夫し、より速く修正して見つけようとするものです。

人間であれば、前進して、失敗して、修正して、そしてまた前進するという、行為でしょうか。この学習効果を身に付ければ、徐々に間違いを少なくしていけます。またこの課程で、人間は成長を実感し、達成感や満足感すら得ることができます。

人間の頭脳の判断ミスや、肉体的疲労がある限り、自動車事故は起こります。その人間が介在しない、事故が限りなくゼロに近いAIによる自動運転ははやはり魅力があります。

しかしAIは、人間の尊厳の分野や生命の意味を知るまでは入っていけません。あくまでも主導権は人間にあるのでしょうが、これからAIは人間との棲み分けの分野にどこまで入り込んでいくのでしょうか。
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タイミングが合う

2016年07月02日 11時44分07秒 | Weblog
前々回このブログ上で書きましたが、私が長年載っていてエンジンが不調になったプリウスは、結局中古エンジンを載せ替えることに決めました。従来車検などでお世話になっている修理工場で載せ替えることも可能とのことで、正式にお願いすることにしました。

話しは変わりますが、私は夜飲み会がある時は早めに自宅に帰り、車を置いてから飲み会の場所に向かいます。仕事が忙しくて家に帰る余裕が無い時は、車で直にその場所に行って、終わってから運転代行を頼むという選択肢もあります。飲む場所にも依りますが。

その修理工場から、「中古エンジンも手元に届いて工場も段取りが付いたので、本日プリウスを引き取らせてもらえますか。代車も出しますので」、との連絡が突然入りました。私は、「代車は要りません、本日どうぞ」と返答しました。実はその日は飲み会がありましたので、自宅に一旦車を置きに帰ろうかと思っていたので、好都合でした。

これを、“タイミングが合う”というのでしょう。タイミングの同義語や類語を調べてみると、波長が合う、同調する、同期する、呼応し合う、共鳴する、共振する、等が出てきます。本来個々に発生する事象が同時性を持って起こることであり、一つの事象が違う事象を誘発するとも解釈できます。

最近私はタイミングが合った時、素直に喜ぶようにしています。つまり、“自分はついている”と思うようにしています。以前なら自慢話とられてしまうので言わなかったことですが、このような時は、自分はついていると自認するようにしています。

あの経営者の神様と言われた松下幸之助さんは、入社面接に来る人に対して、面談の最後には必ず、「あなたは運が良いですか?」と質問したそうです。「運が悪いです!」と答えた人は、どれだけ学歴や面接結果が良くても不採用にしたという話は有名です。

「自分は運が良いのかな」と思っていても人も、見かけだけ謙虚な人や、あるいは自信が無い人は、言葉に表さない人もいるでしょう。松下幸之助さんは、そのようなマイナス思考の人や、または本当に運が無い人を、会社に入れたくなかったのでしょう。

自分で運が良いとしっかり言える人には、運命に本当に謙虚なために自分の力に酔うことはなく、恵まれているなとの自覚から恩返しに社会で役立とうとするでしょうし、成功や失敗は所詮運であることを知っているので過度に一喜一憂しない、そのような真相がありそうです。

もっと簡単に言えば、運が良いと思えば感謝の気持ちが湧きますが、運が悪いと思えば誰かを恨みます。従って、タイミングが合った時は、運が良いと素直に感じることが正しいようです。時勢が味方すると言う言葉もあります。運気は誰にも平等にあると思いますが、考え方感じ方で、時勢まで味方をするのでしょう。
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