梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

会社訪問

2009年08月29日 07時23分48秒 | Weblog
この写真は何だか分かりますか? チョークを作っている工場なのです。作り方の説明を簡単にします。原材料を混合→粘土状の棒を製造→長さをカット→加熱炉で乾燥→コーティング→箱詰め、となります。

この工程は、粘土状の棒をパレットに手作業で載せたところで、これからチョーク本来の長さに押し切り、炉に入れるところです。数時間後には黄色のチョークが出来上がる訳です。

日本理化学工業㈱と言う会社ですが、ある団体で企業訪問をさせて頂きました。川崎市高津区にあり、主にダストレスチョークを製造販売しているところです。ここまで書くと在り来たりの企業ですが、重度障害者の雇用にチャレンジしていて、何とここ川崎工場は70%が障害者とのことでした。

最近はマスコミに随分取り上げられ、村上龍氏が絶賛しているベストセラーの著書『日本でいちばん大切にしたい会社』にも紹介されています。当日は大山泰弘社長が、自ら会社説明と工場案内をしてくれました。年内外部からの見学者の予定がほぼ埋っている、大変な会社です。

わが社が最近力を入れ出した5S活動も、当たり前のようにやっています。障害者の方達も年間の個人目標を設定していて、全員の目標が食堂に張り出されていました。それも日々の結果を棚卸して、翌日に反映できる仕組みを作っている、物凄い会社です。

ある日、養護学校の先生が大山社長のもとを訪れ、障害をもつ二人の少女を採用して欲しいとの依頼。二回断ったが、就業体験だけでもとの先生の姿に心打たれて、そして、それから50年の月日が・・・。

何かに出逢っても、そこで感じ、学び、挑戦し、新たな縁を結んで行ける人はごく僅かでしょう。利益とか我欲のみで会社を経営するのではなく、企業のあり方を考え抜いた会社がそこに在りました。

「外見は健常でも心の悩みを持った人も障害者かもしれませんね。重度障害者との区別はどこにあるのでしょうか」大山社長の印象的な言葉でした。
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浅草と私2

2009年08月22日 10時05分20秒 | Weblog
その東本願寺にあるお墓は、祖父の時代に購入したものです。それも宝くじが当たって、そのお金で取得したのだそうです。何ともご利益があると言うか、そんなお金で建てたと言うか、そんな由縁のお墓です。

以前ブログでも紹介しましたが、私の父方の祖父は石川県の出身で、親族一統北海道に移住しましたが、祖父と祖母だけで、また新たな生活の場を求め住み移ったのが東京です。

従って浅草のお墓には祖父以前の先祖はいませんが、17年前に亡くなった実父も当然一緒の墓です。一頃母親は「お爺ちゃんと父さんはお墓の中に居ないね、浅草を飲み歩いてる気がするね~」と言ってました。いい場所にお墓を建てたものです。

父がよく通っていた寿司屋さんが、言問通りにあります。父はわがまま勝手を言い、寿司を食べながら、ビフテキを頼むのです。近所のお店から出前を取るのです。

私が家内と結婚する時、互いの両親が初めて顔合わせをしたのも、その寿司屋さんの二階でした。今では先代も亡くなり、二代目、娘さんの婿さんが継いでいます。たまに私達も利用させてもらいますが、下町の風情が残るお店です。

浅草には老舗の食べもの屋さんも多いのですが、庶民的で、子供の頃家族でよく行ったのは吾妻橋ビヤーホールでした。昔はアサヒビールの工場が隣接していて産直のビールが飲めました。出されたおつまみの塩豆は、子供達が食べてしまうのですが、そんな素朴な味が懐かしさとして残っています。

最近私は、浅草には定期的に来るようになりました。二ヶ月に一回、天ぷらの大黒家さんの別館会議室で、或る先生(94歳)を囲む勉強会があるのです。浅草にその先生は住んではいませんが、浅草とは縁が深い方なのです。

私にとっては、先祖のお墓がある以上に浅草は特別なところです。東京は近年再開発で街全体が変貌してしまいますが、ここはあまり変わらない街であって欲しいものです。
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浅草と私

2009年08月13日 10時33分38秒 | Weblog
先週の日曜日、16歳の息子と浅草に墓参りに行きました。台東区西浅草にあり、正式名称は浄土真宗東本願寺派本山東本願寺である、そのお寺にお墓があります。境内は四千坪以上もあり、この界隈寺院が多いのですが、一際大きいお寺です。

前の日の8日土曜日は、会社の方針発表と社員研修会がありました。毎年のことですが、前期6月の決算が締まり新年度の経営目標を発表するこの会は、私にとっては大きな区切りです。と共に、今までの準備やら緊張感から開放される瞬間です。

家内は一週間前に彼女の実家山形酒田に行っていて居ませんでしたので、また娘も仕事で忙しく、息子と二人の墓参りとなりました。

その後の楽しみは、いつもの事ですが、浅草をブラブラすることです。その日は、ビヤーホール風のレストランに入り、遅い昼食を取りました。生ビールが腹に染み込みます。溜まっていた疲れも、少しずつ取れて行く感じです。

最近の浅草は、外人観光客が増えました。上野や浅草は長期滞在する、外国人用のホテルや旅館も多いのでしょうが、江戸文化の観光名所として見直されて来たようです。また観光用の人力車も近年目立ちます。殆ど外人は乗っていませんので、日本人で利用する人が多いのでしょう。

まだ暑い昼下がりを、食後二人で歩きました。写真は浅草寺境内で、左半分切れている宝蔵門、真ん中に五重塔、その隣に見えるのが浅草ビューホテルです。本堂は右手奥で、現在は修復工事中で、すっぽりと幕が張られています。

息子とこの様に歩いていると、昔のことを思い出します。両親がよく私達子供を連れて、浅草に遊びに来ました。六区街で映画を見たり、花やしき遊園地に入ったり、その後必ず外食をする。昭和30年代まではこの様なことが最大の娯楽でした。

小学生低学年の頃の息子とは、、仲見世の玩具で釣っておいて、週末の私の気晴らしに付き合せたものでした。親に似るものです。知らず知らず同じ様なことをしています。
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落語に感動

2009年08月10日 16時04分26秒 | Weblog
業界関係での知人が、落語体験講座に5月より入門して5~6回の授業を受け発表会を開くことになったので来て欲しい、との事で参加しました。会場は西新宿の小学校の、現在は閉校になっている教室でした。

当日は夜7時から、30名の人が発表を行っていました。四つのグループに分かれ、私の知人は一年一組の教室で、出番は三番目でした。最初の人がスタート、緊張感がこちらにも痛いくらい伝わって来ます。

私の知人は『犬の目』と言う噺でした。目を患った男が医者のところに行きますが、この医者が不思議なというより奇想天外な治療を始め、悪くなった目をくり抜いて治療するという。ところがくり抜いた目を犬に食べられてしまい、仕方が無いので、この犬の目をくり抜いて男に入れることにした。と言う内容でした。

「その知り合いって、医術の心得でもあるのか?」「いいや、近所に住んでるから行っただけだ。あの野郎、俺の目をジーッと見て、雨降りの目だって言いやがんだよ」「なんだ、そりゃ?」「一面に雲がかかっているから雨だろうって」「馬鹿にされてるんだよ。どれどれ、俺が見てやる。ウーン晴れてる目だな」「なんだ?」「一面に、星が出ております」「遊ぶな、人の目で!!」

面白かったのです、それも抜群に。本人からは期待しないで下さい、緊張している自分がいたら他人の素振りして下さいと、前振りがあったのですが。受けた、笑ってもらえた、この快感は癖になるのではないでしょうか。

後で本人いわく。練習する場所がなくお風呂に入って練習していたら、外で歯を磨いていた子供達がげらげら笑っていました。「よしっ!!うけてる、うけてる」と。これは絶対うけるぞーと思ってたのも束の間、子供達が「お母さん、お父さん頭がおかしくなってしまったみたい。なんか変なこと言ってるよ」と落語のネタで笑っていたのではなかったことにショッキングーでした。

何事も新しいことに挑戦する人を、私は尊敬します。極めれば、大きな自信に繋がるでしょうし、身を助ける芸にもなることでしょう。
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驚きました

2009年08月01日 09時22分39秒 | Weblog
車で浦安事業所を出て、東京ディズニーランドエリアを左手に見ながら直進し、湾岸道路を市川方面に行く為右に曲がりました。私の後方から、右一車線からしか右折出来ないのに、左車線から右折して来たトレーラーがいました。

湾岸道路に入った途端、私の左サイドにピタリと接近していました。猛スピードで進入して来たのでしょう。気が付かない私は接触寸前、ビックリしました。

理由がようやく分かりました。湾岸道路に入る前直進している時、直ぐ後方にそのトレーラーが走っていました。2tトラックがその間に割り込んだのです。つまり私の車と2tトラックが信号の変わり際、右折したのですが、そのトレーラーが後から追っ掛けて来たのです。割り込まれた事に、逆上したのでしょう。

それからどうなったか!? そのトレーラーは左車線の私を追い越し、右車線のその2tトラックに追い付き追い越し、蛇行運転を始めました。次の信号のところで急停車して後ろの2tトラックを強制停止させたのです。

私は左車線の流れに乗って走り、その光景を横目で眺めるだけで事の顛末は見ていません。理由は何がどうあろうと、ここまで来ると立派な犯罪行為です。その運転手は自制心が全く無くなったのでしょうが、恐ろしいことです。

それから私は思い余って、その運送会社に電話しました。社名と車番の、会社の看板を背負っているので仕方ありません。電話に出た女性は普通の応対でしたが、最後に「あなた様に怪我などありませんでしたか」と。救われました。

翌日路上駐車して昼食を取っていたら、後ろに来たトラックの運転手さんが車を降り私の車に近づいて来ました。荷物を降ろすので、もう少し車を前に移動して欲しいと言うのです。

運転手さんは自分の車に戻りましたので、移動した私は自分の車の窓から、OKかとサインを出しました。頭を下げてくれました。荷卸が終わった後もクラクションを鳴らして出て行きました。こんな清々しい運転手さんも世の中にはいるのです。
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