私の知人や友人で会社を経営している人は少なからずいます。家業を継いでいる二代目・三代目の人もいれば、自分の代で創業している人もいます。大学のクラブの同期で、錦糸町で17年前に居酒屋を開業した友人がいます。
彼は大学を卒業して大手の水産会社に入社します。しかし15年程経って、輸入冷凍エビを扱っている社長に誘われ、水産会社を辞めて共同経営者的な存在となります。結局は、その社長とそりが合わずそこも辞めてしまいす。
その後、彼はやはり輸入エビを国内流通に販売する会社を自分で設立します。ある時期まで順調でしたが、為替の変動や国内景気の波によって段々と商売も先細りとなっていきます。そこで副業として末端消費者を狙った海産品販売を考えます。
まだわが社が葛西に本社倉庫が在った頃、週末シャッターが締まっている倉庫の軒下を、彼の海産品販売の場所として提供したこともありました。しかしいくら安くて美味しいものを提供しても、不定期開催や安定仕入れ在庫管理などがネックでした。
彼は、その販売で、バイトに来ていた板長を経験している人と出逢います。海鮮の仕入れでは長年の経験があり、美味しいものを末端消費者に提供いたい願望を抱いていた彼です。板長経験者を誘って海鮮居酒屋を開業したのも、自然の流れだったのでしょう。
この17年間も決して平坦な道ではありませんでした。JR錦糸町駅から歩いて3分と掛からない場所で、その後新手のお店が近くにどんどん参入して来ますので、お客を奪い合うことは日常茶飯事であったと思います。
実は彼は、今他の水産会社に勤務をしています。息子さんが実質その居酒屋さんを切り盛りしています。お店の採算が厳しい時期もあり、前の輸入エビの会社の食い込みもあったので、彼自身も他で収入を上げざるを得なかったのです。
その彼がしみじみ言いました。「二月は開店した月なので、毎年お店の従業員とバーベキューで内輪の御祝いをしているけれど、20周年になったら贔屓のお客さんを招いて何かしたい」と。 ~次回に続きます~
彼は大学を卒業して大手の水産会社に入社します。しかし15年程経って、輸入冷凍エビを扱っている社長に誘われ、水産会社を辞めて共同経営者的な存在となります。結局は、その社長とそりが合わずそこも辞めてしまいす。
その後、彼はやはり輸入エビを国内流通に販売する会社を自分で設立します。ある時期まで順調でしたが、為替の変動や国内景気の波によって段々と商売も先細りとなっていきます。そこで副業として末端消費者を狙った海産品販売を考えます。
まだわが社が葛西に本社倉庫が在った頃、週末シャッターが締まっている倉庫の軒下を、彼の海産品販売の場所として提供したこともありました。しかしいくら安くて美味しいものを提供しても、不定期開催や安定仕入れ在庫管理などがネックでした。
彼は、その販売で、バイトに来ていた板長を経験している人と出逢います。海鮮の仕入れでは長年の経験があり、美味しいものを末端消費者に提供いたい願望を抱いていた彼です。板長経験者を誘って海鮮居酒屋を開業したのも、自然の流れだったのでしょう。
この17年間も決して平坦な道ではありませんでした。JR錦糸町駅から歩いて3分と掛からない場所で、その後新手のお店が近くにどんどん参入して来ますので、お客を奪い合うことは日常茶飯事であったと思います。
実は彼は、今他の水産会社に勤務をしています。息子さんが実質その居酒屋さんを切り盛りしています。お店の採算が厳しい時期もあり、前の輸入エビの会社の食い込みもあったので、彼自身も他で収入を上げざるを得なかったのです。
その彼がしみじみ言いました。「二月は開店した月なので、毎年お店の従業員とバーベキューで内輪の御祝いをしているけれど、20周年になったら贔屓のお客さんを招いて何かしたい」と。 ~次回に続きます~