今回は、わが社にとっての「パーパスとは」について話します。パーパスは目的の意味ですので、会社であればその存在意義となり、経営理念と同義語といえます。最近の経営関連記事では、経営理念は多くパーパスと表現されています。カタカナのパーパスに私は少し抵抗感がありますが、日本もグローバル化になったと受け止めています。社内に浸透させるだけに留まらす、社会に広く発信していく「パーパスブランディング」という概念も、近年注目されています。
そして「目的」といえば「手段」、目的と手段とは対語となっています。目的とは「何の為に」であり、手段は「何をする」です。目的が「心」であるなら、手段は「形」ともいえます。少し回りくどくなりましたが、目的を明確にすることが大事であり、その目的を達成すべく、後に手段がくるべきで、この目的と手段を履き違えてしまうことが多々あります。
例えば、私は健康のためにウォーキングをします。この場合、健康になるためが目的で、ウォーキングをするが手段となります。しかし、やらなくてはならない気持ちが先行して、ウォーキングが目的となってしまうと、やり過ぎて体を壊してしまうこともあり、本来の目的は達成できません。また健康のためならば、手段のウォーキングに拘る必要はありません。食生活を改善することも、立派な手段となります。
私の父は、昭和27年にスケール回収業で会社を創業します。「戦後の日本で、自分や家族を養っていくために仕事を始めた」と、昔明言していました。当時の先代の企業目的は、「自分が食っていくためお金を稼ぐ」でした。事業が順調に発展して、社員も多くなり、取引先も増えていきました。社長の金儲けのためだけで社員はついてきませんし、いつしか得意先からも必要とされる企業となり、経営のステージが変わることで、事業の目的の昇華も進んだのだと思います。
ここまででいえるのは、目的と手段を間違えないことと、会社の目的は経営者の個人的なものではないということです。経営者が手段と目的を間違えると、世間から相手にされず、働く社員も不幸になります。では、企業は金儲け(利益を出すこと)をしたらいけなのでしょうか。企業の存続や発展のために、利益は絶対に必要です。がしかし、少なくとも利益は目的ではなく手段です。どんな手段を使っても儲けようとする利益至上が目的の会社に対し、取引先などは相手にしないからです。
それでは、わが社の経営理念とは。『わが社は、わが社の鋼材商品をユーザーに提供し、社会に貢献する』と、『わが社は、わが社の仕事を通じ楽しさを分かち合い、社員の物心両面の豊かさを追求する』です。理念の理は、「ことわり」です。ことわりとは、物事の筋道ないしは法則のことです。さらには、自然界の摂理ともいえます。世の中には、何事も順序・秩序があり、支配している原理には逆らえないという意味です。この理に反すれば、会社の存続もないとのことになります。そして理念の念は、「常に心の中を往来してる思い」です。わが社の理念も、それに添ったものでなければなりません。
会社は公器であり、社会との関係性なしでは、会社として成り立ちません。従って、世の中で何か役立っているかの視点、つまり社会への貢献が最も大事です。我々の得意な分野の鋼材商品で、わが社がどれだけ社会貢献できているかです。それは、やはり利他の精神です。私利や私欲だけで、貪欲に浮利だけ求めれば、世間から抹殺されるでしょう。これは理です。
「人間の生きる目的は幸福であり、不幸を求める人はいない」と、いったのはパスカルです。物心両面の豊かさとは、金銭的な豊かさと精神的な豊かさです。人間の生きる目的の幸福は、物心両面の豊かさで追求できます。また、生きることは働くこと、働かない者は生きる資格はないのだ、ともいわれます。働くことで、仕事を深めれば仕事を通して楽しさも実現でき、その成果の報酬も享受できます。物心どちらが欠けても、豊かさや幸せは達成できません。これも理です。
会社の社会貢献と社員の仕事の喜びが繋がっているか。経営理念は公と個を繋ぐ橋渡しだと私は考えます。さてその個の社員の、社訓(わが社社員としての心構え)について次回ふれて、今回のテーマを終えたいと思います。 ~次回に続く~
そして「目的」といえば「手段」、目的と手段とは対語となっています。目的とは「何の為に」であり、手段は「何をする」です。目的が「心」であるなら、手段は「形」ともいえます。少し回りくどくなりましたが、目的を明確にすることが大事であり、その目的を達成すべく、後に手段がくるべきで、この目的と手段を履き違えてしまうことが多々あります。
例えば、私は健康のためにウォーキングをします。この場合、健康になるためが目的で、ウォーキングをするが手段となります。しかし、やらなくてはならない気持ちが先行して、ウォーキングが目的となってしまうと、やり過ぎて体を壊してしまうこともあり、本来の目的は達成できません。また健康のためならば、手段のウォーキングに拘る必要はありません。食生活を改善することも、立派な手段となります。
私の父は、昭和27年にスケール回収業で会社を創業します。「戦後の日本で、自分や家族を養っていくために仕事を始めた」と、昔明言していました。当時の先代の企業目的は、「自分が食っていくためお金を稼ぐ」でした。事業が順調に発展して、社員も多くなり、取引先も増えていきました。社長の金儲けのためだけで社員はついてきませんし、いつしか得意先からも必要とされる企業となり、経営のステージが変わることで、事業の目的の昇華も進んだのだと思います。
ここまででいえるのは、目的と手段を間違えないことと、会社の目的は経営者の個人的なものではないということです。経営者が手段と目的を間違えると、世間から相手にされず、働く社員も不幸になります。では、企業は金儲け(利益を出すこと)をしたらいけなのでしょうか。企業の存続や発展のために、利益は絶対に必要です。がしかし、少なくとも利益は目的ではなく手段です。どんな手段を使っても儲けようとする利益至上が目的の会社に対し、取引先などは相手にしないからです。
それでは、わが社の経営理念とは。『わが社は、わが社の鋼材商品をユーザーに提供し、社会に貢献する』と、『わが社は、わが社の仕事を通じ楽しさを分かち合い、社員の物心両面の豊かさを追求する』です。理念の理は、「ことわり」です。ことわりとは、物事の筋道ないしは法則のことです。さらには、自然界の摂理ともいえます。世の中には、何事も順序・秩序があり、支配している原理には逆らえないという意味です。この理に反すれば、会社の存続もないとのことになります。そして理念の念は、「常に心の中を往来してる思い」です。わが社の理念も、それに添ったものでなければなりません。
会社は公器であり、社会との関係性なしでは、会社として成り立ちません。従って、世の中で何か役立っているかの視点、つまり社会への貢献が最も大事です。我々の得意な分野の鋼材商品で、わが社がどれだけ社会貢献できているかです。それは、やはり利他の精神です。私利や私欲だけで、貪欲に浮利だけ求めれば、世間から抹殺されるでしょう。これは理です。
「人間の生きる目的は幸福であり、不幸を求める人はいない」と、いったのはパスカルです。物心両面の豊かさとは、金銭的な豊かさと精神的な豊かさです。人間の生きる目的の幸福は、物心両面の豊かさで追求できます。また、生きることは働くこと、働かない者は生きる資格はないのだ、ともいわれます。働くことで、仕事を深めれば仕事を通して楽しさも実現でき、その成果の報酬も享受できます。物心どちらが欠けても、豊かさや幸せは達成できません。これも理です。
会社の社会貢献と社員の仕事の喜びが繋がっているか。経営理念は公と個を繋ぐ橋渡しだと私は考えます。さてその個の社員の、社訓(わが社社員としての心構え)について次回ふれて、今回のテーマを終えたいと思います。 ~次回に続く~