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梶哲日記

鉄鋼流通業相談役の日々

縁と外国人就労(その5) ~『シン鎖国論』の要約(1)~

2025年05月17日 05時34分29秒 | Weblog
今までKさんの仕事を通して、外国人就労を正規のルートで見てきました。最近読んだ本で、正式なルートではない外国人就労問題を知りました。著者山岡鉄秀『シン鎖国論』。国がその対策を間違えると、「日本の自死」を招くという内容です。第一章「移民解禁という愚かすぎる政策選択」、少し長いのですが、2回に亘ってその内容を要約・引用したいと思います。

自宅の敷地内で外国人同士が殺し合い。乱闘をしていたのはクルド人(トルコ国籍)たちで、原因は男女関係(不倫)を巡るトラブル。突然暴走したクルド人の運転する車が飛び込んできて、1階の自宅がメチャクチャになってしまった。市民は普通に生活する権利が脅かされています。連日深夜近くになると、街の主要道路を違法改造車や、大音量を誇示し猛スピードで爆走する車が列を連ね、住民たちの安眠を妨げます。日本人女性を見かけたら執拗にナンパを繰り返す。これが埼玉県川口市や蕨市でたった今起きている現実なのです。クルド人問題、日本社会が初めて直面する異常事態となっています。

正確な全体像は把握されていませんが、クルド人たちは2023年に入って倍増し、4000人くらいいると言われていて、そのうち3分の2以上は、住民登録がない“不法滞在者”ではないかと推測されています。クルド人とは基本的にはイスラム教徒とのことですが、総じて敬虔ではなく(飲酒の習慣がある者も多い)、日本社会とのトラブルは宗教的生活様式に由来するものではなく、遵法精神が皆無で日本の法律や最低限の常識的なふるまいを一向に理解しようとしない点にあるようです。彼らは、大小複数のクラン(一族郎党)ごとに団結し、利害が一致しない部分ではいつも抗争を繰り返しています。

クルドはトルコ、イラン、イラク、シリアの山岳地帯の住民族で、人口は3000万人~4000万人とされ、歴史上一度も「独自の国家」を持ったことはありません。第一次世界大戦でオスマン帝国が消滅した後はトルコ政府に同化政策を強いられ、従わない場合には抑圧されたため世界各国に難民として逃げ出しているというイメージがありますが、1990年代にトルコがEU加盟のために社会・司法制度を変更して以降、現在は同化政策や死刑も廃止され、差別政策は行われていないとされています。トルコにおいては人口の2割弱に当たる1500万人がクルド人です。

なぜ彼らは日本にやって来るのでしょうか。理由は、それでもトルコで暮らすよりは“まだ経済的にはマシ”だと考えるからです。トルコでも貧しいという彼らがどうやって日本まで渡航して来て、どのように生計を立てているのか。過去に来日し(合法的に入国しているかどうかは人による)定住しているクルド人の中には成功者も現れました。具体的に言うと、解体業、産廃業、ケバブショップの経営などで利益を上げている人たちです。

そもそも、日本とトルコとの関係はたいへん良好で、とびきりの友好国だと言えます。一つはエルトゥールル号遭難事件がその契機になっているでしょう。明治23年に、本州最南端の和歌山県串本町沖で、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が折からの台風の影響を受けて座礁、機関が爆発して587名が死亡するという大変な海難事故がありました。このとき串本町の人たちが命がけで救助作業に当たり、69名を助けたのです。そして明治政府は生き残った乗組員たち全員を2隻の軍艦に乗せ、無事にオスマン・トルコまで送り届けたのでした。トルコ政府はこの救難活動を行ってくれた日本に対して深く感謝し、小学校の教科書にも載せているため、トルコ人で親日感情を持たない人はほとんどいないのだと聞きます。

一方、1980年に始まったイラン・イラク戦争がエスカレートして都市攻撃戦が始まった1985年に、現地駐在や出張でイランにいた日本人を救ってくれたのがトルコでした。3月17日、イラクのフセイン大統領が突然、「今から48時間後より、イラン全土上空を『戦争空域』に指定する」、つまり、軍用・民間の区別なく、イラン上空を飛ぶ飛行機は無条件に攻撃すると宣言したため、各国政府は自国民をイランから脱出させるために、大慌てで救援機をイランに飛ばしました。しかし、あろうことか当時の日本政府は「安全が確保できない」「自衛隊機を外国に飛ばすのは憲法に抵触するのでは?」と、救援機を出さず自国民を見捨てたのです。イラン国内には当時215名の日本人がいましたが、出国できないと聞いて絶望していたところ、タイムリミットが刻々と迫る中、テヘランのメヘラバード空港にトルコ航空の特別機が2機着陸します。邦人たちは全員このトルコ航空機に分乗し、無差別攻撃が開始される直前、無事にイランを脱出してイスタンブールに到着することができたのです。当時の駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は、「私たちは、エルトゥールル号の借りを返しただけです」と答えたそうです。

こうした歴史を背景として、日本とトルコの間には「90日以内の滞在であればビザを免除する」という協定が結ばれています。この「ビザなし」の条件を使ってトルコ国籍のクルド人が次々と来日してくるわけです。90日が経過した後、一旦出国してから戻る者もいれば、そのまま不法滞在を続ける者、さらには難民申請をする者もいます。2023年6月にようやく入管法の改正案が参議院本会議で可決、成立しました。従来は、「難民認定の申請中」であれば送還が認められていませんでしたが、今回の改正によって、3回以上難民申請をした人の送還が可能になりました。それまでは、難民でない人が送還を免れるために申請を繰り返す「濫用」が頻発しており、実際に難民申請を繰り返すことで20年以上滞在しているクルド人もいるそうです。

日本に来ているトルコ国籍のクルド人たちは難民ではないし、移民とも違います。川口市に集住しているクルド人たちは、経済的理由で日本に来て、入国後は不法滞在を続けているケースがほとんどなのです。今回の入管法改正に関して、「日本は諸外国と比較して難民認定率が低い」とか、「難民申請中の送還は国際法違反だ」という批判もありますが、難民保護の問題と外国人の不法滞在に伴う社会問題の多発という問題を同列で語ってはいけません。川口のクルド人問題は、一つは出入国管理の運用の失敗であり、もう一つは、日本社会における労働集約型産業をどう維持していくかという構造上の問題に繋がっていきます。 ~次回に続く~
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縁と外国人就労(その4)

2025年05月10日 01時11分30秒 | Weblog
外国人の人材派遣会社のKさんに同行して、弟は3回ベトナムに行きました。その内の1回に私の知人(KMさん)も加わっていました。KMさんも運送会社を経営していて、後にKさんの会社から3名ベトナム人を採用することになります。今回はKMさんと私の出逢いからスタートします。
   
そもそも私とは、KMのお父さんとの縁が始まりです。28年ほど前ですが、お父さんが梶哲商店に突然訪ねて来られます。昭和40年代、わが社の運転手を製鉄所で見掛けて、感動したというのです。制服やヘルメットをきちっと身につけてテキパキと構内で作業をしていたわが社の社員に刺激を受け、いつかは会社を訪ね、梶哲の社長に会いたかったとのこと。

当時わが社は、関東一円の電炉メーカーの構内に入りミルスケール(※欄外注釈)を集荷していました。私の先代は戦時中、大学生の時に志願して海軍に入隊していたので、その軍隊教育を会社に持ち込んだのでした。KMのお父さんは昭和40年代、白ナンバーで運送の仕事をしていました。いずれ運送会社を自分で興して社員を抱えた時、わが社を見習いたいと長年思っていたそうでしたが、中々足が向かず意を決しわが社を28年前訪ねてくれた時は、先代は既に亡くなっていたのです。

お父さんは東北岩手県の出身。地元の中学を卒業して直ぐに、15歳の春集団就職で上京します。最初に就いた仕事が、自転車でのデパートの商品の配送でした。運転免許を取得してトラック運送の道に入り、念願の運送事業の許可の申請をして、ようやく受理されます。そこまでの道のりだけでも並大抵の苦労では無かったようです。良い荷主にも恵まれ、社員も100人を超えて、運送業界では中堅クラスまで一代で築き上げます。

私の先代に会いたいと突然来社された、KMさんのお父さんとはそれが切っ掛けとなり、折に触れお会いすることとなりました。お父さんが主催する会合に呼ばれたり、わが社の経営計画発表会に来賓として出席してもらったり、私より5歳年上のお父さんからは、人生の先輩として、色々な体験や世の中の摂理を勉強させてもらいました。

現在50歳半ばの息子さんのMKさんとは、勿論お父さんとの縁からで、彼が20代から知り合っています。MKさんは30歳でお父さんから社長のバトンを渡され、今日に至るまで立派に後を継いでいます。私が長く続けていた勉強会に、KMさんをお誘いした経緯があります。ある事情があって私はその勉強会から退きましたが、社外の師から学ぶ意義を理解してもらい、KMさんはずっと継続されています。

お父さんは今から22~23年前に私塾を立ち上げました。元々社員教育には熱心な方で、社内で礼儀・作法を運転手に学んでもらっていました。ある時期は採用した社員の定着や躾に相当苦労されていました。運送会社だから運転手だからと、社員教育を諦めませんでした。その長年の積み重ねを、外部の人にも広めたいとの思いが私塾の設立に繋がりました。

私は開所と同時に声を掛けられ、3年前お父さんが亡くなるまで20年近く、塾に通わせてもらいました。参加者は、社内の幹部社員も含め外部の人も入れて、最盛期10名を超えていました。その塾で行われた内容は紆余曲折もあり、毎週末の座禅会へと定着していきました。お父さんが他界した後、KMさんが塾を引き継ぎますが、私はお父さんが他界したタイミングで卒業させてもらいました(KMさんがやりづらいと感じ)。私の代わりに梶哲商店の社長が、現在メンバーとなっています。

この塾の関係者6~7人で、忘年会、新年会、暑気払い、座禅研修旅行等々が開催されてきました。私はこのような集まりには、都合が付けば参加させてもらっています。この集まりに件のKさんを、一年前に、皆さんの了解を得てお誘いしました。皆さんには気持ちよく受け入れてもらい、Kさんもすっかり溶け込んでくれました。以来Kさんは、その集まりに度々顔を出すようになりました。

そのような関係が出来た上で、弟関連の契約の進み具合を見て、改めてKさんをKMさんに単独で引き合わせました。KMさんの会社が運送業の他ロジスティクス事業も展開していることは先述しましたが、整備工場も運営しています(自社トラックだけでも100台を超えているので)。実は今日本では、社会問題になりかけていますが自動車整備士が不足しています。

話しは急展開します。技能実習生や技・人・国の形態ではなく、KMさんの会社は、既に日本で就職経験があるベトナム人の整備士2人と構内作業員1人を、Kさんの会社から採用することになりました。   ~次回に続く~ 
 
※ミルスケール
熱間圧延加工で作られた鉄鋼材料の酸化被膜(酸化鉄)。鉄分が70%以上あり、当時市中から集まったミルスケールは高炉メーカーの鉄源として使われていた。
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縁と外国人就労(その3)

2025年05月03日 03時58分50秒 | Weblog
Kさんに私の弟と会ってもらった後、メタル便提携先の浜松の会社を一緒に訪問して、その会社はベトナムからの2人を運転手としてKさんの会社を通し採用しました。その運送会社は、外国人雇用は初めての試みとなります。その後も、更に外国人雇用の枠を広げたいとのことでKさんに声掛けを続けています。

その経緯を客観的に身近に目の当たりにした弟です。送り出すベトナムの窓口はどうなっているのか、制度をどう活用すればいいのか。そこでベトナムへ(ハノイ)の視察団が結成されます。弟の口利きで集まったのは、メタル便の他地区の提携先、知り合いの運送業社、物流コンサルタントも含め6~7人になったようです。一年前の事です。

現地では、Kさんとベトナムの窓口のパートナー(女性)が、全てアテンドしてくれて密度の濃い視察だったようです。同行したメンバーの中には当初は半信半疑の人もいたそうですが、帰る際にはすっかりこのルートに確信が持てたそうです。その後、弟も含めこのメンバーの中で今日に至るまで、Kさんの会社と契約を交わした先は3社になりました。

ここで、外国人労働者の分類の話をさせてもらいます。以下の4種類に分けることができます。技能実習生、特定技能外国人、高度外国人材(通称:技・人・国)、留学生アルバイト。それぞれの説明です。

 技能実習生:
技能実習(1号~3号)の在留資格を持ち、特定の産業の企業内で就労しながら技術・技能・知識の修得を目指す外国人材。日本で得たスキルや知識を活かすことが期待されます。対象91職種、167作業に該当しなければならない制約はあります。
 特定技能外国人:
特定産業分野において即戦力として活用できるほどの知識又は経験がある外国人材。特定の産業分野(16職種)での外国人労働者受け入れを目的とした在留資格であり、日本語試験と業種ごとの技能試験の合格が必要です。
 高度外国人材(技術・人文知識・国際業務):
専門的な知識や技術力を持った人材。主にホワイトカラーの職種が対象で、日本国内または海外の大学・大学院卒業同等程度の最終学歴を有するか、もしくは10年以上の実務経験を有する外国人材です。高度外国人材は在留期間が長い資格であり、より長く日本で働くことが可能です。
 留学生アルバイト:
資格外活動許可を受けた外国人留学生(事前に地方出入国在留管理局への許可申請が必要で、許可が下りた場合に限り)。外国人留学生は週に最大28時間までアルバイトが認められます(長期休業期間中は40時間以内)。

今回のここまでの話では、技能実習生と技・人・国が対象です。浜松の会社は技能実習生の制度を利用しました。2024年物流問題で、技能実習生に運輸が91種に新たに組入れられ、その会社の採用は日本でも第一号級になるそうです。弟の会社も含めて他2社は技・人・国の対象です。弟の会社は2名採用を決定しましたが、現在入管手続きが込み合っているらしく入社するまで時間を要しています(この時期留学生を優先)。

技・人・国は「専門的な知識や技術力を持った人材。主にホワイトカラーの職種が対象で、高度外国人材は在留期間が長い資格であり、より長く日本で働くことが可能」と、外国人労働者の分類の説明にもあったように、弟は長期的な観点で構内作業や事務仕事の幹部要員として外国人材の採用を考えたようです。

Kさんの会社として、私の縁で生まれた新規の契約で、一時期会社の扱いでは半分ほどを占めたようです。この縁は留まるところを知らず、私→弟→弟の友人に発展しました。更に、私→知人の方へも展開していきます。私→知人、以下その話に移ります。

弟はKさんに同行して、都合3回ベトナムに行きました。その内の1回に、私の知人(以後KMさん)も加わっていました。KMさんもやはり運送会社の社長です。社員は140~150人を擁し、運送のみならず10年ほど前からロジスティクス事業にも進出しました。KMさんの奥様は中国人でありそれを活かし、東南アジア向けに預かった商品をコンテナに入れる輸出業務を請け負っています。次回は、KMさんとの出逢いからスタートしたいと思います。   ~次回に続く~
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縁と外国人就労(その2)

2025年04月26日 03時08分35秒 | Weblog
ほぼ初対面の状態でKさんと2人だけで居酒屋で会って、会社の話を聴き彼の人格に触れ、とても興味を持ちました。前回Kさんの仕事の概要は説明しましたが、Kさんの会社のホームページから、改めてこの仕事への想いが伝わる代表挨拶(K氏)を以下載せます。

この度は〇〇株式会社のホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。私は、元々小さな町工場で長く勤めておりました。そこでは慢性的な人手不足により、従業員一人一人の負担が大きい日々が続いていました。しかし、一つのきっかけにより大きく改善され、仕事の効率化が進みました。それが「外国人」の雇用です。ベトナムをはじめとする外国人は、前向きでやる気のある若い人材が豊富です。参画された外国人は、勤勉で人当たりがよく、指導を快く受け入れて成長してくれました。その真面目な態度や異国で頑張る気持ちを尊重して、他の従業員も歩み寄り、自然と距離は縮まりました。お互い親切で丁寧な対応になっていくうち、職場全体の成長につながったのです。外国人雇用は、今の私たちに足りないものを補ってくれます。これからの時代にマッチした外国人雇用を、より多くの企業様に認知いただきたい。そのお手伝いをさせていただくため、日々取り組んでおります。企業様の目線で、同じ気持ちでご提案させていただきます。


そのHPには、採用までの流れ・料金が明記されていて、その他のサービスがこのように記されています。「就労ビザの申請・住居の手配など必要な手続きはすべて弊社にお任せください」「入社が決定するまでは費用は一切いただきません」「選考の結果不採用となった場合新たな求職者を推薦いたします」「就労後6ヶ月間は弊社にて生活サポートを継続させていただきます」。

返金保証としてこのような事も書かれています。「就労後は就労ビザ取得日を起点として6ヶ月間の保証をしております」「紹介者都合で早期退職した場合下記の保証をいたします」「1ヶ月未満での退職:紹介料の80%返金・もしくは新たな人材の紹介、1ヶ月以上3ヶ月未満での退職:紹介料の50%返金、3ヶ月以上6ヶ月未満での退職:紹介料の30%返金」。

懇切丁寧にそして安心するように、利用する企業の立場に立って分かりやすく説明されています。しかし、創業間近かの会社の採算を考えたら返金保証についてはそこまでする必要があるのかと、私なりの懸念を抱きました。反面、企業を興すKさんの覚悟や意気込みを感じ、何か応援したい気持ちになりました。

そこで、私の弟に会ってもらう事にしました。直ぐに商売上で繋がらなくても、このような若手で頑張っている人物を弟に引き合わせたかったのです。Kさんも弟と会うことを快諾し、3人で会ったのは例の南行徳の庄やです。弟は弟の観点でKさんを受け止めたと思いますが、この3人の会食もあっという間に時間が経ち、話は尽きませんでした。

弟は言うまでもなく、総合トラックやメタル便を運営している運送会社の代表です。物流の2024問題では運賃の値上げなど対処はしていますが、長期の視点での社員採用では盤石ではありません。Kさんの話を聴いて、外国人の就労に関心を持ったようです。そしてKさんはその会食した数日後、浦安にある弟の会社を単独で訪ねてくれます。

Kさんの律儀なところです。弟の会社を訪れる際、事前に何時いつ行きます、事後にこうでした、と報告をしてくれることです。私としても紹介した甲斐があります。その後も、他の人を紹介させてもらいましたが、今日までそれを継続しています。歳は若くても、気になっている相手の気持ちを理解できる方です。そういえば、「私は人にとても興味があります、仕事は人との関係に尽きると思います」と、2人で初めて会った時にKさんが言っていたことを思い出します。
 
それから暫くして、弟はKさんを同行し静岡県の浜松に出張します。メタル便で全国のネットワークを構築している、メタル便提携先の一社(運転手を百人以上擁す)への訪問です。浜松地区は、自動車メーカーを相手にしている大手の運送会社がひしめきあっていて、運転手の争奪戦の様相を呈しています。弟の会社より、まだ運転手がひっ迫していたのです。

色々経緯はあったようですが、浜松の会社はベトナムからの2人を、運転手としてKさんの会社から採用しました。その運送会社からすると外国人雇用は今の私たちに足りないものを補ってくれたのであり、Kさんからするとそれをお手伝いする形で縁が繋がったのです(Kさんの会社HPより引用)。そそて、Kさんとの縁は更に広がっていきました。    ~次回に続く~
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縁と外国人就労(その1)

2025年04月19日 05時56分02秒 | Weblog
2年前、Kさんという方に出逢いました。地下鉄東西線の南行徳駅近くの居酒屋“庄や”という店で、です。彼はその時35歳、私は70歳、親子ほどの歳の差でした。その経緯を説明しながら、今回のテーマに入っていきたいと思います。外国人就労者とKさんは深く関わっています。Kさんとの縁が、私の関係する人に広がりました。

現在私は自宅近くの身体障害者のグループホームで働いていますが、その時は母体のデイ介護施設に勤務していました。その施設が南行徳駅近くにありました。私より五つ年下の職員と気が合い、いつしか飲みニケーションが始まり、その開催場所が居酒屋の庄やでした。日中の施設では言えない、仕事に対する前向きな意見や、はたまた愚痴を互いに言い合っていました。

彼はヘビースモーカーで、居酒屋にある喫煙室に3~40分に一回は行くほど。ある時、喫煙室から一人の男性を連れて席に戻ってきます。「面白い男性が居たので、梶さんに是非会わせたくて連れてきた」と、彼。その男性がKさんでした。名刺を出されるので、こちらも咄嗟に名刺交換をしました。第一印象はとても人懐っこく好感が持てる方でした。立ち話で一言二言交わすと、Kさんは自分の仲間の席に戻っていきました。

翌日のことです。Kさんからメールが届きました。「梶さんが、すっと立って名刺を出されたのが印象的でした!」との言葉がありました。「出来れば会って話をしたい」とも書かれていました。改めてKさんの名刺を見ると、『外国人人材紹介事業』『外国人就職コンサルティング』『自動車運転実務講習』『各種セミナー運営』の事業が明記されています。Kさんはその会社の代表取締役で、会社は南行徳に在ります。
   
一対一で、後日夕方庄やで会うことにしました。その縁は今日まで発展的に広がっていくことになりますが、その時は知る由もありませんでした。初対面ではありましたが約3時間、盛り上がりました。Kさんは高校まで野球をやっていたり肘を故障して手術をしたり、身体も大きく顔もメジャーの大谷翔平に何となく似ていました。

起業して未だ一年とのこと。それ以前の10年間は、叔父さんの町工場の現場で働いていました。慢性的に人手不足で困っていた会社が、優秀な外国人就労者(東南アジア系)に救われたそうです。Kさんも色々改善提案をして会社に貢献したようですが、叔父さんにはKさんより年下の息子がいてそちらの方へ肩入れし、正当な評価をしてくれなかったとのこと。彼のお父さんは勤め人、現役のトラックの運転手です。

そこでKさんは退職の決断をします。外国人人材紹介事業をメインとする会社を一人で興します。叔父さんの会社で、真面目な外国人就労者と一緒に働いたことが切っ掛けです。ある人の紹介で教習所のOB教官と知り合って、ペーパードライバーに路上運転の訓練をする事業も併設しました。先々外国人就労者の運転指導や日本の免許取得の手続きをサポートすることも、視野に入れていたようです。

会社は、ベトナム・ネパール・ミャンマー・中国出身の人材を日本に紹介しています。特にベトナムには力を入れていて、Kさん自身ベトナムに頻繁に出掛けて行き、現地の日本語学校を訪れ、日本の企業などの紹介や海外就労者の生活の様子を説明しています。ベトナムの送り出す窓口会社のスタッフとも懇意にしていて、常に円滑な関係を築いています。

この業界には質の悪い斡旋業者も多くある。送り出し側も受け入れ側の業者も、法外な仲介手数料を請求したり約束を履行しなかったり、被害を受けるのはそのお金を払う就労者。日本ではただ斡旋して終わり、後の面倒を見ない業者もいる。Kさんの業界への不信感はつのりますが、それが自社はそのようなことは絶対しないとの信念に繋がっています。

3年前は売り込みに行っても門前払いが多く、頭から外国人を就労することに先入観や拘りを持った企業が多かったそうです。物流の2024年問題でだいぶ様子が変わったそうですが、具体的にどう外国人就労者採用を進めたらよいのか、色々な制度はどうなっているのか分からない企業も多くあるのではないかとのことです。

因みに南行徳の庄やで私と飲みニケーションし、Kさんとの出逢いを橋渡してくれた同僚は施設を去って行きました。Kさんとの新たな縁が、その後また違った縁を呼んでいます。   ~次回に続く~
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