goo blog サービス終了のお知らせ 

梶哲日記

鉄鋼流通業相談役の日々

DIE WITH ZERO“ゼロで死ぬ”(その4)

2025年07月12日 05時25分09秒 | Weblog
今回は、ブログの投稿の終活です。結論から言いますと、今回の投稿が最後で、長年続けたこのブログですが、ブログ仕舞いをいたします。その一つの切っ掛けが、皆さんがご覧になっているブログの上部に赤い帯で、そこをクリックすると、一二カ月前から以下このような文章が掲示されていたからです。

“goo blogサービス終了のお知らせ/この度、2025年11月18日をもちまして、goo blogはサービスを終了することとなりました。これまで私たちは、「みんなの好きを応援する」ことを大切に、みなさまの想いが世界中に届き、読者の心を動かし、共感を呼ぶ─そんな場を目指して運営を続けてまいりましたが、この度サービス終了というお知らせをすることとなり、心よりお詫び申し上げます。2004年3月のサービス開始から21年にわたり、ご愛用いただき誠にありがとうございました”

今年3月に『1000回を振り返り』のタイトルで、その時は更に続ける想いで、梶哲日記を回顧しまた。そこに私のブログの初回投稿日が2006年2月と書いてありますので、goo blogがスタートして二年後だったことになります。私のブログも、goo blogと19年共に歩んできたことになります。今回のgoo blogの質疑応答には、他社ブログサービスに引っ越しも可能との案内もありました。しかし、私はそれを選びませんでした。

終活とは、「人生の終わりのための活動。人間が自らの死を意識して、人生の最期を迎えるための様々な準備や、そこに向けた人生の総括を意味する」との言葉です。死を意識してとか人生の最後とか、縁起が悪いと思われるかもしれません。しかし仏教的な言い方をすれば、生まれたものは必ず死ぬ、死んでいく命を引き継いで生きるために、人は生まれてきたのです。そして生まれた以上は死ぬように、人はできているわけです。ですから死は忌み嫌うものではないのです。

そして終活で大事なのは、生前に為すべきことを為すです。このブログも私に突然何かが起こり、ある日から配信が途絶える可能性もあります。他の誰かが引継いで発信してくれることはありません。ブログをあの世に持って行き、あの世から発信することもできません。DIE WITH ZERO。それ従って、今回このような考えに至りました。このブログも、介護の仕事と同様にここでゼロ・リセットになります。

ブログの最終投稿日(本日7月12日)の夜、二つの終活の記念会を行います。自作・自演・自腹で、家族を集め浦安のホテルで開催します。ブログは本日の投稿で終わりですが、介護の仕事は今月の31日まであります。しかし7月に入り、週の出勤の頻度がだいぶ減りました。私達夫婦を拒絶し続けた彼が、精神医療専門の病院に空きができ急遽入院しました。彼は少なくとも7月中にはGHに戻って来ません。お陰様で、穏やかに仕事を終えることができます。

皆様にはこのブログに長くお付き合い頂き、感謝の念に堪えません。
あらためて、ありがとうございます。
妻にも感謝です、19年間私のブログを事前にチェックしてくれました。
皆様のご多幸を心からお祈り致します。
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DIE WITH ZERO“ゼロで死ぬ”(その3)

2025年07月05日 05時32分01秒 | Weblog
今回と次回は、私の二つの終活の話題です。その終活とは、一つは介護の仕事で、もう一つはこのブログの投稿です。「突然にどうして終活!?」と驚かれるでしょう。しかし私としてはここに至るまで、冷静に物事を受け止め落ち着いて判断したつもりです。短期間でそれが決まりここに公言しますが、私自身その決定に後悔はありません。

今回は、介護の仕事の終活です。結論から言いますと、グループホーム(以下GH)施設の代表が一人の利用者をとるか職員の私をとるかの状況に追い込まれて、利用者を優先した形となりました。そして私と妻は退職することになりました。

当GHには四人の利用者がいて、その内の一人が24歳で強度行動障害者(※欄外に注釈)です。彼の病名は統合失調症ですが、排泄・入浴・食事等の支援は必要なく、普段の生活では自立しています。しかし構音障害があり睡眠障害(10時間近く寝ても睡眠不足を訴える)があり、時々幻覚や幻聴があるようです。

前にもこの話はここでお伝えしましたが、彼は自分では朝起きられず毎朝職員を手こずらせます。他三人の利用者の朝食時間は7時、彼の場合は8時過ぎになってしまいます。それこそ朝食もとらずに、デイ介護の送迎車が来る9時台までギリギリ寝ていることもあります。GHが開設してから一年経過しますが、当初から彼を入居させる計画で、定員が満たない段階でこのような利用者を容認し、特別扱いしてしまった事実は否めません。

彼は母子家庭で育ち、母親は金銭感覚に疎く長年国の生活保護を受けていて、彼の障害者年金を当てにしていた様子です。彼のわがままや身勝手がエスカレートしたのが今年始め、その母親が自己破産したことが切っ掛けとなります。それを理由に、彼は母親から実質縁を切られた形となりました。その恨みや腹いせが、GHで料理を作っている私の妻に向かいました。「女の手料理に下手な愛情は要らない」「梶さんの奥さんは嫌いだ」と、あからさまに言い出し、妻の料理を食べず拒否が始まりました。

母親への歪んだ憎しみが、私の妻へ向けられたのです。妻からしたらとばっちりです。縁もゆかりもない彼から、誹謗・中傷を受けたのです。そして3月代表が仲介に入り、彼の態度は収まったかのようにみえました。しかし、それが4月頃から再燃します。説得→しばらく収まる→また再燃、それが5月頃まで繰り返されます。繰り返す度に、その反動・反感が更に妻に襲い掛かるのです。「俺が、代表に説得・説教されているのは彼女の存在だ」。と、恐らく彼はそう考えたのでしょう。

「他の職員の方が提供する食事なら問題なく食べるし、私が作って残すのであれば食費が無駄になる」とは、妻の主張です。「拒否が続くなら、GHから自分が身を引いた方がいい」と、6月代表に申し入れをします(実質退職)。その時の、妻のくやしさや落ち込みは大きいものがあました。

私はそれに相前後して、現在の勤務を半減して欲しいことを代表には伝えていました。この夜勤を週3回続けることは、これからずっとは無理であり、長く務めさせてもらうなら、ペースを落としてもらいたいとの意向でした。そして代表はそれを受け入れ、私の後を埋めるために、新たに職員を募集し幸い二人の採用を決めることができました。

妻が去ってからです。彼の矛先は私に向かってきました。私が作った食事も何回かに一度、拒絶するようになりました。その背景は、私が他の職員と違ってきちっとGHのルールに従わせようとするので、彼にとってみると自由勝手ができないのです。彼にとってみると、自分がしたいことをさせない、排除したい人物、生贄・ターゲット探しです。

代表は4月頃より、このような問題が続くのであれば、彼を精神医療専門の病院に入院させ、医師に治療を任せ薬の調整等をしてもらった方がいいかもしれない、との見解を示していました。強度行動障害者の場合、入院治療調整後またGHに戻る、このようなケースがあるそうです。しかしそれは、実行されませんでした。代表に「私が関与する限り食べない・起きないは、彼にとっても得策ではないのではないか」と伝え、私自ら辞退を伝えました。その策しかなく、それはそれで納得した対処です。

代表から「梶さん夫婦には、精神的に強い負担をかけてしまい申し訳ない」との謝意があり、「彼は学生の頃から知っていて、情が入ってしまったことは間違いない」との弁明がありました。もっと早期に入院が実行できていれば今回の結果にはならなかった、との私たちの思いです。そして後任への引継ぎもあり、私の退職は7月末で決まりました。

決して恨みやつらみではなく、事実を書きました。私をこの歳で雇ってくれた代表や施設に対する恩義は変わりません。しかし夫婦でここまで頑張ってきたのに残念なこの結末、今は少し放心状態です。時を経て、また別の仕事をするかどうか分かりませんが、しばらくはリセットに専念します。   ~次回に続く~

※ 強度行動障害とは(国における考え方)  
自傷、他害、こだわり、もの壊し、睡眠の乱れ、異食、多動など本人や周囲の人の暮らしに影響を及ぼす行動が、著しく高い頻度で起こるため、特別に配慮された支援が必要になっている「状態」とされている。なお、強度行動障害は医学的な診断名ではなく、その人の行動の状態を表す行政的な用語と言われている。

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DIE WITH ZERO“ゼロで死ぬ”(その2)

2025年06月28日 05時51分01秒 | Weblog
ここで“DIE WITH ZERO”の著者ビル・パーキンスのプロフィールです。1969年テキサス州、ヒューストン生まれ。現在は、アメリカ領ヴァージン諸島に拠点を置くコンサルティング・サービス会社のCEO。アイオワ大学卒業後、ベンチャー・キャピタル、エネルギー業界を専門に金融業界で活躍。ヘッジファンドマネージャーとして大成功を収める。49歳でミリオネアに。その氏の著書にあり前回予告しておきましたが、~子供には死ぬ前に与える~と~タイムバケットの利用~の話を致します。以下、要約です。

~子供には死ぬ前に与える~
“ゼロで死ね”と聞いた時、子供に何も残さないのか、と思った人もいるかもしれない。そうではなく、子供に与えるべきお金を取り分けた上で、残りの自分のためのお金を生きているうちに使い切るべき。そして子供には、あなたが死んだ時の遺産として財産を残すよりも、死ぬ前に財産を与えるべきだ。アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)の調査によると、人が遺産を相続する平均的な年齢は60歳だそうである。晩年になってから相続をすることが多いということだが、これでは子供たちは受け取ったお金を最大限に活用できるタイミングを逃している。子供がお金を最も必要とするのは、一般的に26~35歳くらいで、それを過ぎるとお金の絶対的価値はどんどんと落ちていく。子供に財産を分け与えたいのなら、金額のことだけではなく、できる限り最適なタイミングを考えるべきだ。

~タイムバケットの利用~
人生のステージの有限性を意識するためのツールとして、タイムバケットがある。方法としては先ず、25~29歳、30~34歳というように、時間で区切り(バケット)を作る。そこからあなたが死ぬまでに実現したいと思っているリストを書き出し、それぞれを実現したい時期のバケットに入れていく。するとリストの中には、人生の特定の時期に行なった方がいいものが見えてくるはず。登山をしたり、ロックコンサートに行くなら若い時の方が楽しめるし、古典小説を読んだりクルーズ船での旅行などは、歳をとってからでも楽しむことができる。期間を明確にすることで、同じ期間に同時にやるのは難しいことや、具体的に段取りを組まなければ実現が難しいものがあることにも気づく。例えば、家族を持ってからでないとできないことや、独身の時の方がやりやすいことが明らかになれば、それぞれの人生のステージにおける優先順位が変わってくる。タイムバケットを作ることで、漠然と死ぬまでにできたらいいなと思っていたことを、現実的な問題として捉えることができるようになる。

私自身の話になります。私は7年前に遺言書を作成して公証役場へ届けました。それは、死んでから子供たちに与える形でした。長男が梶哲商店で働いていて、将来代表となり会社を継ぐことを考え、それなりの相続の想定をしました。娘が二人いて家庭を持っていますが、相応の相続を考慮したつもりです。この度その内訳を前倒しにして、「子供には死ぬ前に与える」、を始めました。そして私の今までの生き方は、長期旅行や他やりたいことは漠然とイメージしたくらいで計画性はなく、お金・健康・時間もバランスを意識して過ごしたとはいえません。またタイミングについても、いつかは賞味期限切れになることも考えずに時間を無駄にしてきた感が強くあります。この度それらを改善しつつ「タイムバケット」を作成しました。この二つを実行してみて、今までが一変し、様変わりしていく感じを覚えます。

更に「子供には死ぬ前に与える」について、です。今私が所有している財産の中には、直ぐ現金化出来ない物もあります。この際、出来る物は現金化します。孫への教育費であれば、金額や条件の制約はありますが、無税で贈与出来ます。いずれ手元に入る、このお金を生前贈与することを娘二人には伝えました。今後の生活設計が立て直せると、娘から感謝されました。「子供がお金を最も必要とするのは、一般的に26~35歳くらいで、それを過ぎるとお金の絶対的価値はどんどんと落ちていく」。本にあっ主張を実感しています。「旬」という言葉がありますが、元々の意味は月の内の10日間単位のことです。正にタイミングとは、ピンポイントなのです。

更に「タイムバケットの利用」について、です。自前のタイムバケットを作ってみて、色々気が付きました。現在私は72歳ですが、80歳まで一年単位で枠を設けそこに何をしたいかを書き入れ、歳相応のやることが明確になりすっきりしました。2029年私たち夫婦は共に76歳となり、結婚50周年を迎えます。またその年は、社長退任10周年でもあります。何か記念すべきことを成そうと思っています。実は、今年7月に長く続けてきたことをこの度終えます(二つの終活)。それに際し、本の影響を受け、自作・自演・自腹で家族を集め祝賀会を催します。その二つの終活について、次回話をさせてもらいます。   ~次回に続く~
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DIE WITH ZERO“ゼロで死ぬ”(その1)

2025年06月21日 03時50分11秒 | Weblog
今回から、私のグループホームでの勤務時間の短縮(働くことの意味)の捉え方にも大きな影響をもたらした、最近読んだ一冊の本の話しとなります。“DIE WITH ZERO”がその本のタイトル、“ゼロで死ね”との意味です。当然、お金に関する話も多く出てきます。

しかし本書は、お金の稼ぎ方や増やし方などのよくあるマネー本ではなく、逆に「お金の使い切り方」をテーマとした、少し変わった本です。必要以上のお金を貯め込むことを良しとせず、経済的な価値以上の本当の豊かさを追求することを目的としなさい、との内容です。お金と時間を賢く使い切って死になさい、との示唆が含まれています。

その本の『まえがき』に、イソップ童話の「アリとキリギリス」の話が出てきます。夏の間、勤勉なアリたちは、冬の食料を蓄えるためにせっせと働いていましたが、キリギリスは自由に遊んで過ごしていました。その結果、やがて冬が来た時にアリは生き残れましたが、キリギリスは飢え死にしてしまう話です。この寓話の教訓は、「人生には、働くべき時と遊ぶべき時がある」ということです。しかし、キリギリスの結末はもちろん悲惨なものでしたが、アリは果たして幸せだったのでしょうか。短い生涯で働き続け、楽しい時間を一つも持つことなく、アリがそのまま死んでいくとしたら、それが幸せだったと言えるのか。との、新たな見方が書かれていました。以下、“DIE WITH ZERO”の内容を、四つにまとめた要点です。

~1.人生の大事~
人生で一番大切な仕事は、思い出作り。喜びを先送りにしてはいけない。限られた時間の中で幸福を最大化するためには、人生の早いうちに良質な経験をすることが大切。最後に残るのは、結局思い出だけ。人生の充実度を高めるには、その時々に相応しい経験すること。富の最大化ではなく、人生の喜びの最大化をするための方法を探す。経験の価値を信じる。節約ばかりしていると、その時しかできない経験をするチャンスを失う。その結果、世界が必要以上に小さな場所になってしまう。人生は経験の合計だから。

~2.お金の使い方~
今しかできないことにお金を使う。どんな金持ちも、あの世にお金は持っていけない。だからこそ死を意識し、「ゼロで死ぬ」を実践すべきだ。私たちは、喜びを先送りし過ぎている。手遅れになるまでやりたいことを我慢し、ただただお金を節約する。大切なのは、自分が何をすれば幸せになるかを知り、その経験に惜しまずお金を使う。考えているより、老後のお金はかからない。過度に貯蓄せず、早い段階で有効に使う。

~3.金・健康・時間のバランス~
人生をより良いものにするには、お金、健康、時間という人生の3大要素のバランスを、いかに取るかが重要。時間はお金よりもはるかに希少で有限。時間をつくるためにお金を払う方が人生の満足度は上がる。「老後のために貯蓄する」と言っていた人も、いざ退職したらそのお金を十分に使っていない。お金から価値や喜びを引き出す能力は、年齢とともに低下する。身体は間違いなく衰えていく。お金があっても、子供と一緒に過ごせず、経験の共有ができないなら、子供から大切なものを奪っていることになる。お金の価値は、加齢とともに、低下する。人は終わりを意識すると、その時間を最大限に活用しようとなる。

~4.賞味期限/チャンス~
物事には賞味期限がある。そのチャンスを逃さないためにも、大胆に行動すべきだ。リスクを取らないリスクを過小評価してはならない。リスクを取るなら早い段階が良い。また、行動しないというリスクを無視してはならない。子供やパートナーと過ごせたことに後悔する人はいない。多くの人の後悔は、「勇気を出してもっと自分に忠実に生きればよかった」「働き過ぎなかったらよかった」などである。働きすぎで後悔する人は多いが、子供やパートナーと過ごせたことに後悔する人はいない。

番外編として、~子供には死ぬ前に与える~と~タイムバケットの利用~とがあります。これは、次回話をさせてもらいます。

この本との出逢いは、高齢者専門の精神医の和田秀樹さんの書いた本を読んだことからです。氏には「○○の壁」の題名で多くの著書があります。タイトル名は忘れましたが、その一冊に“DIE WITH ZERO”が少しだけ紹介されていました。時間があったら読んでみようとメモしました。実際に読んでみて、大袈裟な表現ですが、この歳で人生観が変わりました。   ~次回に続く~ 


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縁と外国人就労(その9) 

2025年06月14日 03時49分10秒 | Weblog
「実は私一ヵ月前に、施設の代表に今の勤務を半減して欲しい旨を申し入れしました。この経緯は次回詳しく説明いたします。その私の補充をするため、代表は求人サイトの利用を試みました」。と、前回この一文を入れました。その説明をさせてもらいます。

6年前私は梶哲商店の社長を退任し、代表取締役会長となりました。それから2~3年間は、後任の社長を補佐しながら伴走してきました。その後は徐々に身を引く形で、去年代表取締役の任も解いて相談役となりました。45年間鉄屋一筋で仕事をしてきた私にとっては、その他の経験は全くしておらず、違う業界の知識も何もありません。

60歳後半、現役からリタイアして、社会と関わる仕事をしない選択肢もありました。一昔前の世相ではそれも当たり前でした。しかし私の中では、「自分は一体何者か」「鉄以外何ができるのか」との疑問が湧き上がり、収めることができなくなりました。その様な課題もあり、他人の話を真摯に聴く、傾聴のセミナーに参加し、一時期はそれに関する仕事に従事することも考えましたが、長続きしませんでした。

3年前の事、地元のハローワークを訪れました。求職者登録をして、この年齢で働ける仕事を探す為です。そしてハローワークから紹介されたのが、今の職場つまり介護職でした。従って自ら介護職を選んだのではなく、私を選んでくれたのが障害者介護の仕事でした。2年間は利用者の生活介護(昼間の仕事)に従事し、1年前からグループホーム(夜間の仕事)に従事してきました。

グループホームの勤務は、16:30から翌9:30まで、これが週三回あります。生活介護の母体である施設が1年前グループホームを新設し、私はそこの責任者として任命され、立ち上がりから色々な経験をさせてもらいました。妻も食事提供の仕事に巻き込んでしまいましたが、共々何とか一年体調を崩すこともなく勤務できました。

「自分は一体何者か」「鉄以外何ができるのか」との疑問にある程度の回答を与えることができた、とも言えます。これから先何年この仕事ができるのか。自分の体力・気力との兼ね合いとなります。長く続けるのであれば無理は避けた方がいいでしょう。そこで、施設の代表に今の勤務を半減にして欲しい旨を申し入れするに至った、のが経緯です。

現段階で私の勤務の半減については、まだ具現化していません。代表は複数の求職者と面談し、二名採用予定で絞り込んでいる最中です。いずれ補充要員が決定すれば、私の仕事以外の時間が増えます。そうなったら何をするか、今から楽しみにしています。さしあたり妻と長旅をしたいと思っています。後任が定着するまで、私の申し入れの期限は設けず、代表に一任しています。私を雇ってくれた恩義があります。

今回がこのシリーズの最終回となります。今回のテーマは、「縁と外国人就労」です。一つの縁が、私の介護職場の勤務状態を半分にしてもらうことに役立つ可能性があるとは思いもよりませんでした。恐らくKさんの紹介するベトナム人留学生をバイトで採用するまで至らないかもしれませんが、先々の選択肢として代表は認識してくれました。

今梶哲商店はKさんが仲介してくれたベトナム人、三人(いずれも二十歳代)と面談しています。二人を採用したいとのとのことです。その二人は現場職で、切断加工機械のオペレーションを担当させるようです。従来現場に従事していた社員は、外交営業に回す可能性も出てきたようです。将来を見据えて、適材適所の配置転換も視野に入れられます。
 
縁とは何でしょうか。初めて会った人と、その後生かされる縁も、一方消えてしまう縁もあります。縁とは実に不思議です。Kさんを私に引き合させたのは、職場同僚の飲みにケーション仲間です。二人で居酒屋で飲んでいた時、喫煙室からKさんを引っ張って来たのがその同僚です。

その同僚は、グループホームの要員となり一時期まで勤務していましたが、事情があって退職しました。接着剤は消えましたが、その縁は発展的に継続しました。一枚の名刺交換からです。この歳で縁はもう増えません。亡くなる方もあり、縁は減る一方です。今回の縁は、外国人就労を共通項として、私の枠を超えて広がっています。嬉しい限りです。

次回は、グループホームでの勤務時間の短縮(働くことの意味)の捉え方にも大きな影響をもたらした、最近読んだ一冊の本の話しをしたいと思います。すこし大袈裟ですが、この歳で人生観が変わりました。

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