M&Aにおいて企業を買収する場合、その会社はどのような企業価値があるのか、即ち幾らで買収するのか、その計算方式は色々あります。その方式で価値が算出されたとしても、売り手側と買い手側がありその折衝の中で決められるものであり、買収方法にも色々あります。
わが社の場合それがどうであったのか。破綻した会社に引っ掛かった金額が、当面外へ出て行ったお金が(買収したとして)それにあたります。その後の事業を引き継いで、その加工部門から生まれた、つまり外から入って来た利益は、出て行った金額から相殺してもよいのかもしれません。
わが社の場合、買収とは違い自らが決められなかったので、その出て行った金額が高かったのか安かったのかの判断はつきません。しかし明らかに言えることは、従来の素材販売とのシナジー効果を考えた場合、その効果は大でした。
日本企業のM&Aは7割が失敗と言われるそうです。失敗の主要因は、買収後のマネジメントの問題と言われています。企業文化の融合の失敗、統合プロセスのモニター管理の失敗、コミュニケーションの欠落、従業員の反発・退職、顧客の喪失、予期せぬ競合の動き、等などだそうです。
つまり如何に統合出来るか、人の問題に絞られそうです。わが社の場合は必死でした。M&Aの場合社運を賭けてはいけないと言われますが、選択肢も限られ時間の余裕も無く、わが社は社運を賭けざるを得ませんでした。
互いにオーナー企業であったこともあり、それぞれの会社には全く違った文化や習慣がありました。それこそ伝票から記帳の仕方から仕事の手順から、全てが異なっていましたが、それも乗越えて来ました。
企業にはゴールなどは無く、この統合にしても完成した訳ではありません。しかし10年を経て、企業文化は融合し、新たな梶哲の文化が創られつつあるように感じます。一つここで言えることは、わが社がM&Aとして、溶断加工業に新規参入していたとしたら、恐らく失敗をしていたことでしょう。
M&Aイコール買収や合併とかの言葉は、私には響きは悪いのですが、このような見方も必要かと、今考えています。
わが社の場合それがどうであったのか。破綻した会社に引っ掛かった金額が、当面外へ出て行ったお金が(買収したとして)それにあたります。その後の事業を引き継いで、その加工部門から生まれた、つまり外から入って来た利益は、出て行った金額から相殺してもよいのかもしれません。
わが社の場合、買収とは違い自らが決められなかったので、その出て行った金額が高かったのか安かったのかの判断はつきません。しかし明らかに言えることは、従来の素材販売とのシナジー効果を考えた場合、その効果は大でした。
日本企業のM&Aは7割が失敗と言われるそうです。失敗の主要因は、買収後のマネジメントの問題と言われています。企業文化の融合の失敗、統合プロセスのモニター管理の失敗、コミュニケーションの欠落、従業員の反発・退職、顧客の喪失、予期せぬ競合の動き、等などだそうです。
つまり如何に統合出来るか、人の問題に絞られそうです。わが社の場合は必死でした。M&Aの場合社運を賭けてはいけないと言われますが、選択肢も限られ時間の余裕も無く、わが社は社運を賭けざるを得ませんでした。
互いにオーナー企業であったこともあり、それぞれの会社には全く違った文化や習慣がありました。それこそ伝票から記帳の仕方から仕事の手順から、全てが異なっていましたが、それも乗越えて来ました。
企業にはゴールなどは無く、この統合にしても完成した訳ではありません。しかし10年を経て、企業文化は融合し、新たな梶哲の文化が創られつつあるように感じます。一つここで言えることは、わが社がM&Aとして、溶断加工業に新規参入していたとしたら、恐らく失敗をしていたことでしょう。
M&Aイコール買収や合併とかの言葉は、私には響きは悪いのですが、このような見方も必要かと、今考えています。