梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

今考えると(その2)

2012年08月31日 18時32分37秒 | Weblog
M&Aにおいて企業を買収する場合、その会社はどのような企業価値があるのか、即ち幾らで買収するのか、その計算方式は色々あります。その方式で価値が算出されたとしても、売り手側と買い手側がありその折衝の中で決められるものであり、買収方法にも色々あります。

わが社の場合それがどうであったのか。破綻した会社に引っ掛かった金額が、当面外へ出て行ったお金が(買収したとして)それにあたります。その後の事業を引き継いで、その加工部門から生まれた、つまり外から入って来た利益は、出て行った金額から相殺してもよいのかもしれません。

わが社の場合、買収とは違い自らが決められなかったので、その出て行った金額が高かったのか安かったのかの判断はつきません。しかし明らかに言えることは、従来の素材販売とのシナジー効果を考えた場合、その効果は大でした。

日本企業のM&Aは7割が失敗と言われるそうです。失敗の主要因は、買収後のマネジメントの問題と言われています。企業文化の融合の失敗、統合プロセスのモニター管理の失敗、コミュニケーションの欠落、従業員の反発・退職、顧客の喪失、予期せぬ競合の動き、等などだそうです。

つまり如何に統合出来るか、人の問題に絞られそうです。わが社の場合は必死でした。M&Aの場合社運を賭けてはいけないと言われますが、選択肢も限られ時間の余裕も無く、わが社は社運を賭けざるを得ませんでした。

互いにオーナー企業であったこともあり、それぞれの会社には全く違った文化や習慣がありました。それこそ伝票から記帳の仕方から仕事の手順から、全てが異なっていましたが、それも乗越えて来ました。

企業にはゴールなどは無く、この統合にしても完成した訳ではありません。しかし10年を経て、企業文化は融合し、新たな梶哲の文化が創られつつあるように感じます。一つここで言えることは、わが社がM&Aとして、溶断加工業に新規参入していたとしたら、恐らく失敗をしていたことでしょう。

M&Aイコール買収や合併とかの言葉は、私には響きは悪いのですが、このような見方も必要かと、今考えています。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今考えてみると

2012年08月25日 10時19分55秒 | Weblog
M&Aとは、『mergers:合併と acquisitions:買収の略であり、企業の買収・合併を主に指す。買収は他の企業を丸ごと買い取ること、合併は複数の企業が法的に一つの企業に合同することである。ゼロから独自に事業を作り上げる時間を買い、自社のビジネスとの相乗効果を発揮させ、競合に対する優位性を早期に確立することが、M&A の主な目的である』。

インターネットで意味を検索するとこのような説明が出てきます。或る会で、大企業で自社の事業開発部で実際にM&Aを担当している方から、講義を受けました。M&Aについてこれ程詳しく、事例を交え話を聴いたのは初めてでした。

M&Aは日本にはまだ馴染まない、特に中小企業では縁遠い話しです。しかしわが社が10年前に行ったことは、結果的にはM&A だったのではないかと感じました。当時素材販売オンリーのわが社が、販売先である溶断加工会社が破綻して、当然大きな不良債権も抱えましたが、その事業をそっくり引き継ぎました。

これはM&Aの戦略類型でいうと垂直統合になるそうです。生産設備や技術ノウハウなどの機能の類似性は低いが、製品やサービスなどの事業の類似性が高い統合です。間単に言ったら、わが社で機能としては無かった加工部門を持つことで、同じ鉄板加工品を使う川下のユーザーに付加価値工程を持って近付いたことになります。

これに対し水平統合とは、機能・事業の類似性が共に高いものであり、同業者のような競合同士の統合となります。本来のM&Aのような形でも、厚板特約店同士の統合は、この業界ではまだ聞いたことがありません。

話を戻しますが、当時わが社はM&Aを目指したものではありません。突然の販売先の破綻、それもわが社での売上では断トツの会社でした。売掛金債権回収を諦めて撤退するか、その会社の事業に関与して行くか、二つに一つの選択肢しかありませんでした。

幸いにもその会社の社長が、わが社が後を引き継ぐのであれば出来る範囲での協力を申し出てくれましたので、その会社が手形決済で不渡りを出して一週間後には、その事業を継承することを決断しました。    ~次回に続く~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道中を楽しんで

2012年08月17日 18時14分15秒 | Weblog
お盆の期間に家内の実家がある山形の酒田に行って来ました。家内の両親は既に他界しています。しかし酒田にはお墓も家もそのまま在りますので、毎年この時期には家内と一緒に行くことにしています。

片道500キロ以上の長距離を車で行き来をするのですが、悩ましいのは帰省ラッシュによる高速道路の渋滞です。今回は11日に往って14日に戻って来ました。当然ラッシュのピークとなりますので、何時出発してどのルートを取るか作戦を立てなくてはなりません。

往きは常磐道~磐越道を通り、帰りは山形道~東北道を通り、いずれも早朝に出発して、全く渋滞には巻き込まれずに大正解でした。でもそこから、私の癖が出ます。

渋滞していない、時間も余裕がある、高速道路は単調である、となると一般道に途中から出てしまいます。一般道でも渋滞が無ければ、そこそこの時間で走れますし、高い高速代金をフルに使うのも何かもったいないように感じます。

ドライブが好きな私にとっては、人気が無い高速道路より、その地方の生活や景色がより見える一般道が良いのです。また一度も通ったことの無い道を行くことも、わくわくします。私の場合車の運転はそこへ行く手段では無く、運転そのものを楽しむのが目的となっています。

そんな訳で帰りの東北道は、白河ICで降りてしまいました。カーナビも地図もありませんでしたので、頼りは道路標識のみです。栃木県、茨城県を経て、自宅に着くまで半分以上は知らない道を通りました。標識の地名でも知らない所もありますので、後は感を頼りにしています。

奥の細道で、芭蕉が一箇所の逗留期間として最長の14日間を過ごしたと言われる、大田原市にある芭蕉の里黒羽(くろばね)に途中たどり着き、黒羽城址に在る芭蕉の館を見学しました。こんな寄り道も、旅心をそそるものです。

帰ってから地図を見て通過した道を確認しています。知らない道を覚えるのも一つの楽しみです。全ての道は自宅に繋がっていることも実感しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成田工場のその後

2012年08月11日 04時32分33秒 | Weblog
成田工場を閉鎖して浦安に移転してから、一年四ヶ月が経ちました。工場は空き家状態ですので、誰かに借りてもらうか取得してもらうか、現在までその働きかけは継続中です。

地元の不動産業者に広告を出したり、わが社の取引銀行や知り合いに広く声を掛けたりしています。先日も売却を前提で下見をして頂いた会社があり、当初の感触はとても良かったのですが、契約成立には至りませんでした。

先月その会社の方を成田工場にお連れした際のことです。工場や事務所が、何か空気がよどんでいるような、えも言われずとても暗い感じを受けたのです。去年閉鎖した直後は、このような感じは無かったものでした。

人が出入りして活発に動いていた工場が閉ざされ、人の気配が無くなり月日が経ってしまうと、このような状態に変わってしまうのでしょうか。以前は気にならなかったことですが、完全に片付けがなされていない箇所も、今回は何故か目立ちました。

引越しの際は、移設する機械・設備の撤去や輸送、移転先の設置に目が移ってしまい、出て行く処の片付けは後回しになってしまったのも無理ないことです。その移転最中に、あの大地震が重なり、そんな余裕など無かったのも事実です。

成田の前工場長には、私が見て、感じた状況を伝えました。早速彼は成田に行って、片付けの段取りを組んで、今月内に掃除のやり直しをすることを申し出てくれました。その工場長曰く「あれでは、借り手や買い手がつかなことは、理解出来ました」と、素直に本心を打ち明けてくれました。

4~5人の手で少なくとも一日半は掛かりそうで、水道も電気も止めていますので、この猛暑の中大変な作業となりそうです。“立つ鳥後を濁さず”と諺にもあります。タイミングはずれ込みましたが、その実践をしなくてはなりません。

掃除が終った後は、邪気払いをする意味で、塩で清めてくるつもりです。そんなことが、今後この不動産の活用にどのような影響を及ぼすか分かりませんが、気が付いたことは、今我々が最低出来ることはしておきたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉄栄会暑気払い

2012年08月04日 10時50分09秒 | Weblog

江戸川鉄栄会の暑気払いを、浦安イクスピアリのレストラン『 ロティズ・ハウス』にて、役員と若手会の9名が集まり行いました。この暑さの中、舞浜の地ビールを飲み、炙り焼き料理を食べ、大いに楽しみました。

この秋に行う恒例の家族慰安会の打合せもありましたが、話題はむしろ若手会の今後の活動が中心となりました。今までは単発だったものを、今年度から若手会としては定期的に会合を継続して行く方針を立てました。

講師を招いて魅力がある講習会を主催することや、他の団体の若手会とも交流することなど活発な意見が交換されました。このような飲み会でも、もっと互いに本音で言い合えるベースを作ろうと、突っ込んだ話となりました。

私は25年程前に、江戸川鉄栄会の役員で会計の仕事をさせて頂いていたのが最初です。次に15年程前、書記という肩書きでしたが、実質副会長をさせて頂きました。いずれも3~4年間の短期でした。

その時は、こんな表現をすると語弊があるかもしれませんが、参加していて楽しさも嬉しさもありませんでした。私の気持ちの中では、頼まれたので、義務感で事務的に仕事をしていたからに他なりません。

このような任意団体にあって、加盟しているメリットは実際何かと問われて、明確な答えを出すのは難しいです。しかし一方では、会員相互の親睦を計り会員の事業発展を期することを目的にすると、会則には書かれています。

いずれにしても積極的に参加して自分で価値を求めない限り、忙しく時間を費やしているだけで、何ら意味がありません。私の過去の反省からして、今の若手会には、何ごとも積極参加をして欲しいと願っています。

暑気払いは二次会へと移りました。普段二次会には付き合わない、酒を飲めない若手を誘うと、気持ちよく参加しました。2~3年前、若手会もスタートの段階ではメンバー同士の不協和音もありました。最近まとまってきていると私は思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする