会社での仕事が終わり自宅に帰ってから、夕食時に家内が私に話しかけます。私は聞いているつもりで「うん、うん」とあいづちをしますが、家内からは「聞いてる?」との言葉が返ってきます。言い訳ではありませんが、男は仕事から帰っても頭に会社での出来事が残っていて、家内の話しを聞く集中モードになっていないのです。後日家内からその話が出された時、私は「えっ、そうだった⁈」と言うと、家内から「あなたは人の話を聞いていない」と案の定、手厳しい言葉の返戻となるのです。
娘が悩み事について、ちょっと話を聞いてもらいたいと言います。この時ばかりはしっかりと聞いて相談に応じようとします。実情を話し終えてた娘からの言葉も少なくなります。そのような時、私は何かを言わなくてはとの気持ちが湧いてきて、自分の意見を言い出します。すると娘の表情が硬化してくるのです。私は自分の考えを押し付け、誘導しているのではないかと反省することがあります。あらためて私の意見を聞かれない限り、ただ聞いてあげるだけで良かったのかもしれません。
現在会社で、会長の私が行っているのは、社長からの相談に応ずることです。いわゆるホウレンソウ、報告・連絡・相談を受けることです。それに対しては、既に指示や命令など一切していません。報告や連絡については、質問をしながら、社長の不足を補うことや私の示唆もあってもいいと思っています。相談であれば私の意見を言えます。それでも、社長の選択肢の一つとして、最終的には社長の判断に委ねています。私の役割として、大半は聞くことに徹しているつもりです。
人の話をきくにしても、「聞く」と「聴く」があります。違いは何なのでしょうか。更に「傾聴」との言葉もあります。どのようなことなのでしょうか。母親も子供の話しをしっかりと聴いてあげないと、その子の将来に影響すると言われています。「話し方」の本やセミナーは沢山ありますが、それに比べ「聴き方」の方は殆どありません。それでも最近「聴く力」など耳にします。そのロジカルな分野は、まだブラックゾーンのような気がします。
自分は果たして聴く力がどれだけあるのか。その問題意識があり、「傾聴」についてここ何年かで関心が増しています。私は自宅に居ることが日常となりました。先ずは過去の自分から距離を置くことが大事だと思いつつ、「次の人生設計をどうするか」との気持ちも正直あります。ネットで調べ、ある協会が主催する傾聴セミナーがあることを知って、年内にと意を決し、一週間前(12月18日)受講することにしました。
その協会は、傾聴に関する啓蒙や講習会・講演会を開催している一般社団法人でした。ネットで調べただけでしたので、受講する直前までどんなところなのか疑心暗鬼でした。当日都心にあるセミナー会場に行ってみると協会の事務所があり、その隣が小さいながら会場となっていました。講師の方が既にいらっしゃって、受講生では私が一番乗りで、後から受講生が2人現れます。講師の方も他受講生も全員女性でした。講師を取り囲むように席はロの字で、皆の顔が見える形でセミナーがスタートしました。
セミナーの詳しい内容は次回話をさせてもらいます。ただし一日の受講を終えた後の感想だけを伝えますと、今まで自分には見えていない別の世界があることを知りました。傾聴に関連したテーマの中には目から鱗が多く、傾聴は他人の話を聴くために単に耐えることではなく、スイッチの切り替えが大切であることが分かりました。そして傾聴するには、他者より自分を知ることであり、自分に対してできることが他者に対してもできることではないか、との糸口を見出したように感じました。
講義はたっぷり8時間、組み立てやどのような運びになるのかも興味がありました。『傾聴1日講座(基礎)』のイラストが入ったレジメがあり、それに沿って進んでいきます。おおよそ講師が読んで解説しますが、受講生に読んでもらって質問を受けながら講師が解説する場面もあります。講師だけの一方通行にならず緊張感がありました。あるテーマでは少し時間を与えられ、受講生が考え、話し役と聞き役に分かれ発表し合い、それについて互いにフィードバックするロールプレイングをします。受講者が参加する形の工夫がなされていました。
テーマを与えられ短時間で発表するには、今までの体験・経験に裏打ちされた事柄となります。初対面で相手の過去や現在のプライバシーに立ち入ったかのような不思議な体験をしました。悩みや惑いや目指したい人生など、参加者や講師も含め、少人数もあってか、皆さんの生き様が伝わってくるセミナーでした。 ~次回に続く~
娘が悩み事について、ちょっと話を聞いてもらいたいと言います。この時ばかりはしっかりと聞いて相談に応じようとします。実情を話し終えてた娘からの言葉も少なくなります。そのような時、私は何かを言わなくてはとの気持ちが湧いてきて、自分の意見を言い出します。すると娘の表情が硬化してくるのです。私は自分の考えを押し付け、誘導しているのではないかと反省することがあります。あらためて私の意見を聞かれない限り、ただ聞いてあげるだけで良かったのかもしれません。
現在会社で、会長の私が行っているのは、社長からの相談に応ずることです。いわゆるホウレンソウ、報告・連絡・相談を受けることです。それに対しては、既に指示や命令など一切していません。報告や連絡については、質問をしながら、社長の不足を補うことや私の示唆もあってもいいと思っています。相談であれば私の意見を言えます。それでも、社長の選択肢の一つとして、最終的には社長の判断に委ねています。私の役割として、大半は聞くことに徹しているつもりです。
人の話をきくにしても、「聞く」と「聴く」があります。違いは何なのでしょうか。更に「傾聴」との言葉もあります。どのようなことなのでしょうか。母親も子供の話しをしっかりと聴いてあげないと、その子の将来に影響すると言われています。「話し方」の本やセミナーは沢山ありますが、それに比べ「聴き方」の方は殆どありません。それでも最近「聴く力」など耳にします。そのロジカルな分野は、まだブラックゾーンのような気がします。
自分は果たして聴く力がどれだけあるのか。その問題意識があり、「傾聴」についてここ何年かで関心が増しています。私は自宅に居ることが日常となりました。先ずは過去の自分から距離を置くことが大事だと思いつつ、「次の人生設計をどうするか」との気持ちも正直あります。ネットで調べ、ある協会が主催する傾聴セミナーがあることを知って、年内にと意を決し、一週間前(12月18日)受講することにしました。
その協会は、傾聴に関する啓蒙や講習会・講演会を開催している一般社団法人でした。ネットで調べただけでしたので、受講する直前までどんなところなのか疑心暗鬼でした。当日都心にあるセミナー会場に行ってみると協会の事務所があり、その隣が小さいながら会場となっていました。講師の方が既にいらっしゃって、受講生では私が一番乗りで、後から受講生が2人現れます。講師の方も他受講生も全員女性でした。講師を取り囲むように席はロの字で、皆の顔が見える形でセミナーがスタートしました。
セミナーの詳しい内容は次回話をさせてもらいます。ただし一日の受講を終えた後の感想だけを伝えますと、今まで自分には見えていない別の世界があることを知りました。傾聴に関連したテーマの中には目から鱗が多く、傾聴は他人の話を聴くために単に耐えることではなく、スイッチの切り替えが大切であることが分かりました。そして傾聴するには、他者より自分を知ることであり、自分に対してできることが他者に対してもできることではないか、との糸口を見出したように感じました。
講義はたっぷり8時間、組み立てやどのような運びになるのかも興味がありました。『傾聴1日講座(基礎)』のイラストが入ったレジメがあり、それに沿って進んでいきます。おおよそ講師が読んで解説しますが、受講生に読んでもらって質問を受けながら講師が解説する場面もあります。講師だけの一方通行にならず緊張感がありました。あるテーマでは少し時間を与えられ、受講生が考え、話し役と聞き役に分かれ発表し合い、それについて互いにフィードバックするロールプレイングをします。受講者が参加する形の工夫がなされていました。
テーマを与えられ短時間で発表するには、今までの体験・経験に裏打ちされた事柄となります。初対面で相手の過去や現在のプライバシーに立ち入ったかのような不思議な体験をしました。悩みや惑いや目指したい人生など、参加者や講師も含め、少人数もあってか、皆さんの生き様が伝わってくるセミナーでした。 ~次回に続く~





