梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

二ヶ所の和歌山

2016年01月30日 11時09分38秒 | Weblog
明治23年9月にオスマントルコの軍艦エルトゥールル号が、日本への親善と海軍航海訓練の目的を兼ねて来日しますが、その帰路和歌山県串本の大島沖で台風に襲われ座礁します。機関室に大量の海水が入り込み、水蒸気爆発を起し船は大破してしまいます。

そのトルコ軍の船員が崖に流されて、島の村人が発見します。異国の犠牲者の身を案じ必死の救助活動をし、貧しい村人が自らの貴重な食べ物を与えるなどして、漸く69名の命が救われます。しかし乗組員500名以上が亡くなったという大惨事となりました。

去年2015年は日本・トルコ友好125周年の年でしたが、その事件に起因します。日本人から受けた恩は、トルコの小学校の教科書にも載って語り継がれます。しかしこの話はこれで終わりませんでした。95年後の1985年、イラン・イラク戦争が激化したイランから、今度はトルコが日本人を救うという救出劇に繋がっていきます。

日本・トルコ合作による、そのような実話を描いた映画“海難1890”を先日観ました。10年前から構想された作品で、1890年と1985年を上手く繋ぎ合せていました。

話しは変わりますが、同じ和歌山県にある九度山町が今脚光を浴びています。真言密教の総本山高野山への参道、世界遺産である町石道は九度山から繋がっています。この九度山は、NHK大河ドラマ“真田丸”の主人公真田幸村が関ヶ原の戦いで敗れた後、配流地として14年間を過ごした、幸村ゆかりの里でもあります。

真田昌幸・幸村の父子は初め高野山の蓮華定院に入りますが、寒さの厳しい高野山から20kmほど離れたふもとの九度山に居を構えることを許されます。知将真田昌幸は配流から11年後に九度山で死去します。幸村自身も、また老いを感じる年頃となります。

幸村は14年後に大阪冬の陣に参戦するまで、人生の3分の1近くを九度山で過ごしたことになります。この里の村人たちと融和しながらも、このまま朽ち果てたくはない想いも幸村にはあったのだと思います。この九度山での14年間を、NHKの真田丸ではどう描かれるのでしょうか。

実は二年前に私は和歌山県を旅行したことがあり、串本の大島も九度山も訪れました。当時は映画やテレビでこのような処が舞台となるとは思いもよりませんでした。現地を肌で感じていますので、二つの作品はより魅力が増します。
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何の為に行うのか

2016年01月23日 06時32分42秒 | Weblog
営業会議には、あくまでも私はオブザーバー的な立場で参加しています。その営業会議は毎週月曜日の午前中、長くても40~50分で終わるようにしています。参加者は私を含め4名で、打合せの内容の提議や進行は常務がリードしています。

私はオブザーバーですので先に意見を言うのではなく、他意見が出尽くし意見を求められた時に発言するように心掛けています。それでも言い過ぎてしまったのではないかと、後で反省しています。私の発言が、即結論になることは避けなくてはなりません。

営業会議については、何を目的として開催するのかまたその頻度については、過去変遷がありました。一時期、重要なことは常務が私に報告・相談・連絡をすることをもって私は営業会議には参加しない時期もありました。常務に日常業務は任すことを優先した時です。

鉄鋼流通加工の業界を取り巻く環境は厳しく、去年最新鋭のレーザー切断機を導入し加工の仕事を確保しなくてはならない、わが社も例外ではありません。私も営業部隊の一員として営業を側面支援する為、去年の5月頃から営業と共に外回りをしています。

そのような経緯もあり、去年の10月頃から私も営業会議に参加するようになりました。しかしあくまでもこの会議の主体は常務以下の営業部隊です。私を外して討議するような事項や、私が居ない方が話しやすい雰囲気の時は、私は意識的に退出してしまいます。

オブザーバー的参加で感じることです。責任感の強さか事情説明・説得の為か、どうしても上司が話している時間が多く、皆がもっと本音の意見を出せる場になって欲しいと思っています。上司が部下の意見を引き出せる、工夫や知恵も必要かもしれません。

その為にはもう一度、この営業会議は何の為の会議なのかを問い質すことが必要です。単なる営業報告や、出来ないことの言い訳や追及では、全く意味がありません。全ての参加者は、自分の意見を持って何か一つでも発言する気概で参加することが大事です。少なくとも私は営業会議にまた参加して、営業が今考えていることをシェアー出来る場であると感じています。

何の為の営業会議か。教科書的に言えば、営業会議がPDCAサイクルの一翼を担えればいいのですが、最低「やることを決め、決めたことをやる」、一週間行動を起こせる会議になればと願うばかりです。
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年賀状の思い

2016年01月16日 05時26分33秒 | Weblog
遅い年賀状がパラパラと届きますが、いくら遅くとも正月も10日を過ぎれば年賀状の時期ももう終わりです。去年私は、12月27日前後にはなんとか書き終わって全て投函しましたので、お正月はゆっくり迎えることができました。

今年頂いた年賀状の中で、次のような一枚がありました。「今年現役引退となりますので年賀状は本年をもって欠礼させて頂きます。長い間有難うございます」。と書かれていました。25年前に知り合った、鉄鋼業界の方からのものです。

直接商売することはありませんでしたが、一時期は色々と業界の情報交換などさせてもらった方です。その後長い間、年賀状だけのやり取りとなりました。今年還暦を迎えられ現役(鉄鋼の会社)から退かれるので、年賀状を今回で終わりにしたいとの意味です。

その方の年賀状に対しするお考えなので、私の価値観で計ってはいけませんが、何とも寂しい気持ちになったのも事実です。年賀状だけのやり取りで、随分と長い間お会いもしていない方も数多くいます。しかし毎年届く年賀状は、その方の安否も確認できて、頂けるだけでも嬉しいものです。

何年か前に、年賀状の廃止に世の中が動いたことがありました。理由は、書く手間が面倒くさい、あるいは費用などの面があったと思います。そのような風潮も一時期までで、現在は元に戻ったようです。戻った背景には、たった一枚の年賀状の中に、人間の合理性だけでは片付けられない、人間関係の根本があったのではないでしょうか。

それでなくとも気忙しい年末、年賀状書きは多くなれば年末の大変な行事となります。しかし、出すのは大変だけれどもらうと嬉しいのも年賀状、その方の人間性も表れるのも年賀状、出して出されて礼儀や礼節を確認できるのも年賀状です。

私のような歳になると、一年間の間に新たな出会いがあって年賀状を出し始める人はさほど多くなくなり、むしろ高齢を理由に年賀状を欠礼される人がいて、また住所不明の人があり、送り先は減ることはあっても増えることはありません。

最近はLINEなどで新年の挨拶を簡潔に済ませてしまう流行もありますが、年が改まって一枚一枚手にして離れて相手を想う、正月の一大行事を私は大切にしたいと思います。
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外での気付き

2016年01月09日 09時42分24秒 | Weblog
土曜の朝、一泊二日の勉強会に向かう時の話しです。勉強仲間二人と、新幹線京都駅から乗り換え、私鉄の電車に乗りました。その内の一人が私の悪い足を気遣って座席を勧めてくれて、結局三人で座りました。

ところがそこはシルバーシートでした。関西の私鉄は車両の真ん中にありますので、座った瞬間、そこがシルバーシートであるとは分かりませんでした。優先席を利用される人が乗ってくれば、席を立とうと思っていました。

途中の駅から、白い杖を持った目の不自由な方が乗って来られましたので、私達は直ぐ立ち上がって席を開けました。その方は、ドアの近くに立ったままで座る気配がありません。すると私達の前に座っていた70歳位の女性が、すっと立ち上がってその目の不自由な方に声を掛け、誘導してシルバーシートに座らせました。

そして、私達が降りる駅でその女性も降りました。ホームに降り立つやいなや、私達に「席を譲ってくれて、ありがとう」と言われたのです。私は席を立つのは当然と思っていたので、その女性から私達に対して感謝の言葉が出てくるとは、意外でした。

改札口に降りるエレベーターでも一緒になりました。エレベーターの中に紙屑が落ちていました。私は拾おうかどうしようか躊躇しているちょっとの間に、その女性が拾い上げて、エレベーターを降りて駅の備え付けのゴミ箱へ捨てていました。

なんとその清々しい姿。目の前に起こったことに対して、自分で善処出来ることは率先する。それも自然です。私が行動に移せなかったことは、何も言い訳は出来ません。別れてからも、その女性の言動が強く印象に残りました。

私達は学びに来ているのです。何の為の勉強なのか。勉強の行われている所だけでの勉強では駄目なのです。会社や身の回りのことだけで、公ですべき行動が出来ないことを、恥を持って知らなくてはなりません。

このようなケースは、やらなくても誰からも責められません。しかし、「誰もしないからやらない」ではなく、「誰もしないからこそ自分がやる」まで高めなくてはなりません。その女性の方から気付きをもらいました。
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事を起こすこと

2016年01月02日 08時11分53秒 | Weblog
2016年丙申の年。明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

新年がスタートするにあたり、昨年末に感じたことについて私の今年のモットーとしたいことにも関係しますので、ここで書かせてもらいます。それは東鉄連での創立60周年の冠事業について感じた事です。

そのギネス記録挑戦の事業については、去年12月に二週間に亘って書かせてもらいました。この準備は一年前から行なっており、掛ける費用もある程度多めの予算は組んでいたものの、直前に発生した費用もあり予算をオーバーしてしまう結果となりました。

この事業を立案した段階で、費用や成功の確率の面で、更に何の為にそのような事を行うのか、理事会の中でも賛否が噴出しました。行うことを決定して準備を進めて行く中でも、少数でしたが賛同しない会員の声が絶えることはありませんでした。「我々の積立てたお金をそんなに使って、他でもっと会員に還元してもらいたい」、主旨はそうでした。

組織のトップであれ、独断先行は許されません。しかし9地区団体から選ばれて会の意見をまとめ運営を任されているのが東鉄連理事ですので、責任と権限をもって、そこで最終決定し決行することしか道はありません。

正直言えば、私自身の中でも反対する方の意見も理解出来ます。しかしながら東鉄連として決定した事業は、成功する為に最大の努力をするのが、また理事の役割や責務でもあります。

何も事を起こさなければ、失敗も、批判も、摩擦もありません。評論家は、事を起こすことを恐らく無意識に避けているのでしょう。またやりもしないのに、「できるか、できないか」を論ずることは愚かなことです。「どうすればできるのか」に集中する事がなにより肝要であると、今回の事業に携わって感じたことです。

今回のギネス記録挑戦は、土壇場で種目のどんでん返しもあり当日はトラブルが発生し天候にも恵まれませんでした。それでも世界記録達成できたのは、天の助けもあったのかもしれません。一つだけハッキリ言えるのは、参加した人でなければ、事を起こさなければ、あの感動は絶対になかったことです。
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