梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

アウシュビッツ(その3)

2017年09月30日 09時35分23秒 | Weblog
遅ればせながらの報告ですが、このアウシュビッツ視察ツアー6日間も無事終わり、9月19日に帰国をしております。帰国して現時点で10日間が過ぎようとしていますが、収容所で体験したこと、また現地で感じたことが脳裏に刻まれています。

勿論、アウシュビッツとビルケナウ収容所で行われていたホロコーストは、70年以上前のことであり、現地に訪れたとしても博物館や施設の残骸から、当時を想像するしかありません。大勢の観光客の中で、収容所跡は、対照的に静寂とし整然としています。

しかし博物館にあったユダヤ人の、連行された際に所持した最低限の遺品や、刈り取られたおびただしい髪の毛や靴の山を見ると、当時ここで行われていた殺戮の悲惨さが浮かび上がってきます。
 両側にある靴の山

このシリーズの(その1)で、何故ユダヤ人がこのような迫害を受けたのかの一片を、書かせてもらいました。ユダヤ人が迫害された理由も、再度考察しておかなくてはなりません。また時代の一こまだけを切り取れば単純化されますが、それ以前の古い歴史を遡ることや、今日まで繋がっている問題も、視野に入れる必要性も同時に感じました。

同じく(その1)で、ユダヤ人の精神科医フランクルを取り上げました。強制収容所の地獄を生き抜いた希な体験を持つ人物です。生き抜いた彼には、この体験を必ず書として著し絶対に生かそうとの目的が明確でした。
 高電圧の有刺鉄線で囲まれた収容所

収容所でフランクルには次々と奇跡が起こります。人間の本質、つまりロゴス(内在する神、又は生きる意味)を知ることによって、生命力は人間の内面に存在し、常に生きる根源を求めていることに気付きます。あらゆる苦から逃げずにそのロゴスや生命力に従うことで、不思議なことが起こったと私は解釈しました。

フランクルは言っています、「人生に期待するのは間違っている、人生の方が私達を待ち受けているのだ」と。とても深いものがあります。あなたが人生の意味を問うのではなくて、あなた自身が人生の意味を問われている。それに答える責任があなたにある。これを自覚しなさいとの意味です。

もし私がアウシュビッツの収容所に入っていたら、フランクルになれただろうか。例えば、もっと飢え死にそうになった人に、自分のパンを分け与えることができるだろうか。今回の大きなテーマとして、その課題を持ち帰りました。

3日間滞在したクラクフは、ポーランドで最も歴史のある都市で、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまでは、ここがポーランド王国の首都でした。旧市街地も残っていて、日本でいえば京都のような存在です。

クラクフから鉄道でワルシャワに移動して、最終日はワルシャワの市内観光となりました。ワルシャワはナチス占領下、大規模なゲットー(ユダヤ人を強制的に収容した居住地区)があった所です。ワルシャワはピアノの詩人といわれるショパン誕生の地でもあります。あらためてショパンの音楽に触れ、ショパンに魅せられてしまいました。
 戦後再建されたワルシャワの宮殿(右側)

 ショパンの心臓が埋め込まれている柱
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アウシュビッツ(その2)

2017年09月23日 06時09分35秒 | Weblog
ドイツ語でアウシュビッツと言いますが、この地名はポーランド語ではoświęcim(オシフィエンチム)と言います。アウシュビッツ収容所には第一と第二があり、第二をビルケナウ収容所と称しています。当時は第三収容所までありました。


第一収容所は、1940年5月ドイツがポーランド軍兵営を接取して、強制収容所として開所。約30の施設から成り、平均して15,000人収容さていたとされ、入り口にはあの“ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)”の一文が掲げられています。ここが現在は、展示博物館となっています。


第二収容所は、1941年10月収容者増を補うため、第一から1キロ半ほど先に開所。東京ドーム約37個分の広さに300以上の施設があり、ピーク時90,000人が収容されていたとされます。アウシュビッツの象徴として映画や書籍などで見られる、収容所内まで、延びた鉄道引き込み線があります。


この二箇所を二日間かけて視察しました。第一の博物館は、二日間で5~6時間を掛けて、ようやく全展示物をみることができました。この二箇所を、2時間ちょっとで回ってしまう見学者がいるそうですが、ここは観光気分や物見遊山で来る場所ではないと感じました。

また現地に足を踏み入れ、長い時間そこに居ると、肌で感じるものがあります。日本だけで、本や映像で幾ら学んでも伝わらないものがあります。日本から遠いポーランドに、実際行ってみて、その地で多くを学ぶことの意義を、今回実感しました。

収容されていたユダヤ人の中に、囚人を管理する同じユダヤ人が存在しました。「カポ」と呼ばれ、彼らは労働も免除され食料の優遇もありました。ドイツ人看守に気に入られようと、同胞のユダヤ人に対し、率先して虐待したことも事実として残っています。

更に、ゾンダーコマンドの存在です。同じく同胞のユダヤ人の死体処理に従事する特殊部隊です。彼等は、ガス室に送られた人たちから没収した煙草や薬や食べ物を手に入れることができました。しかし外部への情報漏えいを防ぐため、彼等は3か月から長くて1年以内にガス室に送られて、新しく連れて来られたユダヤ人と入れ替りました。

恐ろしいのは、収容所を統括していたSS(ドイツ親衛隊)は、このように直接に手を掛けずに囚人を殺戮するシステムを作り上げたことです。またそのようなユダヤ達は、自分の命や物欲しさに、同胞を裏切りドイツに加担する取引に応じていたことになります。

私達も時代や立場や状況が変われば、ユダヤ側にもドイツ側にもなり得ます。まだユダヤ人の中でも、被害者にも加害者にも、どちらにもなり得ます。

二日間の強制収容所を視察して、強く感じたことは、自分の中に存在するかもしれない残虐性や冷酷性でした。130万人のホロコースト以上に、私が感じたのは、その可能性がある人間の恐ろしさでした。  ~次回に続く~
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アウシュビッツ(その1)

2017年09月16日 07時09分05秒 | Weblog
長年学んでいる勉強会で企画した、アウシュビッツ視察ツアーに参加し、今ポーランドに来ています。参加者20名ほど、9月14日に日本を出発して19日に帰国するツアーです。観光は最終日のワルシャワ市内半日だけで、2日間をかけて、アウシュビッツ=ビルケナウ収容所をじっくりと視察する研修です。

初日は関空からドイツのフランクフルト経由で、ポーランドのクラクフに到着しました。クラクフは、アウシュビッツ収容所へは車で一時間半ほどの、ポーランドで第二の大都市です。何故この勉強会でアウシュビッツへ行くのか、その説明から入ります。

10年来参加している、その勉強会で師事している先生の大学の卒論は、ドイツナチスに関するものでした。そのナチ党の総統になった、あのヒトラーが著した“我が闘争”の第一巻は、1925年に出版され、ヒトラーの自伝的要素やナチ党の結成に至る経緯が書かれています。

第二巻は1926年に出版され、政治的世界観や政策の表明などから構成されていて、この巻の後半部分には、群集心理ついての考察とプロパガンダの手法も記されています。多くのドイツ国民の人身を掌握することによって、世界に類のない強靭なナチ党を作り上げた、そんな独裁者やプロパガンダの本質に、先生は興味を持たれたようです。 

またその勉強会では4~5年前に、ヴィクトール・フランクルを取り上げ、生きることの意味、人生の意味とは何かを学びました。フランクルは、オーストリアの精神科医で、ナチス強制収容所の地獄を生き抜きぬいた、希な体験を持つ人物です。

フランクルはその体験から、“夜と霧”を執筆し、人間が力強く生き抜く為の素晴らしいメソッドを発見しました。この本は1947年の発刊以来、世界中で読み継がれ、日本では1956年に初版が発行されました。アメリカでは1991年に、「私の人生にもっとも影響を与えた本」のベスト10入りしました。

そのような勉強をしてきた会で、アウシュビッツ視察ツアーがようやく実現の運びとなりました。そして行く前に、私達に宿題が三つ出されました。その一つがフランクルの“夜と霧”を読むことでした。

二つ目の宿題は、“意志の勝利”を観ることです。これは1934年9月ニュルンベルクで行われた、ナチ党の第6回全国大会を記録した長編ドキュメントです。歴史上類を見ない大罪を犯した、ナチスのプロパガンダ映画と分かって観ていても、何故か不思議に映像に吸い込まれていく恐ろしさを感じました。

第一次世界大戦で敗戦国となり、経済的にも精神的にも逃げ場を失ったドイツが、ナチスの台頭に発露を求めた経緯は、察するに難くありません。ユダヤ人は貪欲にドイツの金融市場を牛耳っていたことが、ヒトラー総統に恨みを買ったことは、紛れもない真実です。それまで祖国を持たず選民思想が強いユダヤに対し、ドイツは自国の秩序が守れないと恐れ、そして武力で大量のユダヤ人を迫害したのです。ここアウシュビッツだけで、120万人が絶滅されたと言われます。

三つ目の宿題は、映画“シンドラーのリスト”を観ることです。私は今回初めてこの映画を観ました。観終わった後で色々調べてみると、ドイツ人の実業家オスカー・シンドラーが、軍需工場でポーランド系ユダヤ人を雇うことで、一千名以上の命を救ったことは間違いありませんが、彼は金の為に行っただけとの説もあります。しかし、その生き残った人達の子孫が現在何千人にもなっていることは、明らかな事実です。  ~次回に続く~

 アウシュビッツ(第二収容所ビルケナウ)
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死後の世界は?

2017年09月09日 09時25分28秒 | Weblog
先週の土日(9月2・3日)、奈良と静岡に行ってきました。主な目的は2日に奈良で展示されているものを観るために、翌3日は静岡で集まり(浜松餃子を食べる会)がありましたので、土日に掛けて行ってきました。

奈良国立博物館で、“1000年忌特別展「源信」地獄・極楽への扉”と題した展示があり、7月中旬から開催されていましたが、最後日が9月3日で、その前日に滑り込む形となりました。この博物館は、東大寺、興福寺、春日大社などに囲まれ、奈良公園の一角にあります。周りは緑が多く、鹿が自由に歩き回っていました。

源信(942~1017)は奈良に生まれ、早くから出家して、比叡山で修行を積んだ平安時代の天台宗の僧侶です。死後阿弥陀如来の来迎を受けて、極楽浄土へ生まれることを願う、浄土信仰を広めた僧として知られます。また源信が著した『往生要集(おうじょうようしゅう)』は、具体的な死後の世界を明確に示し、後世へも多大な影響を及ぼしました。

本展では、この往生要集が様々に展開されて、地獄絵を含む六道絵(ろくどうえ)や阿弥陀来迎図(あみだらいごうず)といった、源信の影響下で生まれた名品が一堂に会していました。どの展示品もとても迫力があり、日本人の地獄と極楽のイメージの元となったとの定説は、十分に納得がいくものでした。

「人は死んで何処へ行くのか」「善い行いをしたら極楽浄土へ行けるのか」「本当に阿弥陀が救ってくれるのか」「罪を犯したら地獄へ行くかもしれない」。このような、人間の死後の世界に対する不安は、昔から尽きることがありません。

源信の生きた頃は、民衆の間に末法思想が広がった時代でした。つまり、末法の世になると釈迦の教えの効力が失せ、乱れた時代になるとの思想です。その時代は、相まって天変地異が頻繁に起こり、飢餓や疫病などが巷にあふれ、それは末法の世の前兆だと恐れられていたと言われます。

源信はこれを受けて、比叡山中の経堂を巡り、インドや中国などの膨大な経文(600程)を読破し、仏教の聖典を再構築して、浄土への往生の仕方をまとめたのが往生要集です。往生要集では、最初は恐ろしい地獄を見せ、それから極楽浄土を示し、人間の因果応報の世界を分かり易く説いたと言われます。

今風に言えば、地獄をリアルにイメージ化した僧侶で、死に方マニュアルを作り上げた僧侶なのかもしれません。「嘘を付いたら閻魔様に舌を抜かれる」「悪い事をしたら地獄へ堕ちる」、このような言い方は少なくとも現代に残っていますが、源信の影響であると思われます。 

気が付けば、奈良国立博物館で一時間半ほど費やしていました。その後折角なので、東大寺に立ち寄りました。その日の奈良は、昼間でも気温は30度を下回り、曇り空の下で吹いてくる風に、秋の気配を感じました。

1000年の昔も今も変わらないことは、生きている人間は、死後の世界を未だ誰も経験したことがないということです。死後の世界を考えることは、如何に生きて如何に死ぬかであり、大事なのは私達の目の前の「今をどう生きるか」ではないかと受け止めます。

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人間の判断やミス

2017年09月02日 10時02分01秒 | Weblog
一般紙の夕刊のコラムを読んでいて、目を疑いました。誤植があったのです。文章の句読点の読点(、)が、カンマ(,)になっていました。編集作業の課程で、誤植は校正によってチェックされるのべきものが、間違ったまま印刷されていました。

昔の新聞は手作業で活字を組んで印刷をしていましたが、今やデジタル時代、元の入力データはパソコンで、打ち込みの際読点をカンマに誤変換したのでしょうか。真相は分かりません。珍しいので、思わずその切り抜きを残しました。

私が所属する勉強会では、定期的に会報が発行されており、私も文章を書いて投稿をしています。このブログにしても、そのような文章を寄稿するにしても、書き上がった段階で、他の目で、誤字脱字やおかしな表現など必ずチェックしてもらいます。

現在その役割を妻にしてもらっていますが、かなりの確率で毎回間違いがあります。自分で書き終わり、何回か目を通しますが、自分ではミスは発見できません。むしろ自分ではミスは探せないと割り切って、あえて他人の目を利用しています。

新聞のように世間に広く出回るものは、内部でミスは発見できなくても、このように外の誰かの目に止まります。例えば日記など本人だけのものは、外の目に止まらなければ、ミスは本人すら気付きません。ミスは表面化するものと内在化するものがあります。しかし、発見されようがされまいがミスはミスです。

そのような視点ではなく、今私達が行っている人間の判断について考えさせられることがありました。鈴木貴博著“仕事消滅”という本を読んでいて、感じたことです。「AIの時代を生き抜くために、いま私たちにできること」がサブタイトルで、今人間がしているかなりの仕事が、AIやロボットに置き換わってしまうという主旨です。

衝撃的でしたが、職場の上司がAIに代わる可能性があり得る、との話が書かれていました。人間の上司のように広く考え、判断を下し、指示を出し、部下を評価できるような、量産型のAIは将来やってくると言います。

会社で働くAI上司の目や耳は、ネットワークを介してスマホや監視カメラ、モニターの中に組み込まれるだろう。上司の仕事をマスターした部長や課長のAIから、あなたの日々の活動指示はスマホを通して、あなたに送られるようになるだろう。

「今月の目標達成の為に、今のうちに今月の訪問アポイント数を40%増やす行動を先行しなさい」「昨日の商談先はまだ当分決めてくれそうにないな。後回しにしてC社やD社への営業を優先しよう」「君らしくないミスをした、何か仕事以外に心配ごとがあるのかな?評価に反映しないから言ってごらん!」。

言い表せばAI上司は、このようだといいます。これまでの人間の上司より有能で、そして人間よりも優しいかもしれない。人間関係のストレスが無くなるとの意味では、ひょっとするとモチベーションにもプラスになるかもしれないと。

人間くさい会社の上司がAIに代わると、むしろ公平で優しく判断ミスもしない。冷静沈着に判断を下すAI上司が登場するか、私には分かりませんが、いずれにせよ人間の判断は正しいかどうか、検証することを続ける努力は必要です。

誤植があった記事
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