遅ればせながらの報告ですが、このアウシュビッツ視察ツアー6日間も無事終わり、9月19日に帰国をしております。帰国して現時点で10日間が過ぎようとしていますが、収容所で体験したこと、また現地で感じたことが脳裏に刻まれています。
勿論、アウシュビッツとビルケナウ収容所で行われていたホロコーストは、70年以上前のことであり、現地に訪れたとしても博物館や施設の残骸から、当時を想像するしかありません。大勢の観光客の中で、収容所跡は、対照的に静寂とし整然としています。
しかし博物館にあったユダヤ人の、連行された際に所持した最低限の遺品や、刈り取られたおびただしい髪の毛や靴の山を見ると、当時ここで行われていた殺戮の悲惨さが浮かび上がってきます。
両側にある靴の山
このシリーズの(その1)で、何故ユダヤ人がこのような迫害を受けたのかの一片を、書かせてもらいました。ユダヤ人が迫害された理由も、再度考察しておかなくてはなりません。また時代の一こまだけを切り取れば単純化されますが、それ以前の古い歴史を遡ることや、今日まで繋がっている問題も、視野に入れる必要性も同時に感じました。
同じく(その1)で、ユダヤ人の精神科医フランクルを取り上げました。強制収容所の地獄を生き抜いた希な体験を持つ人物です。生き抜いた彼には、この体験を必ず書として著し絶対に生かそうとの目的が明確でした。
高電圧の有刺鉄線で囲まれた収容所
収容所でフランクルには次々と奇跡が起こります。人間の本質、つまりロゴス(内在する神、又は生きる意味)を知ることによって、生命力は人間の内面に存在し、常に生きる根源を求めていることに気付きます。あらゆる苦から逃げずにそのロゴスや生命力に従うことで、不思議なことが起こったと私は解釈しました。
フランクルは言っています、「人生に期待するのは間違っている、人生の方が私達を待ち受けているのだ」と。とても深いものがあります。あなたが人生の意味を問うのではなくて、あなた自身が人生の意味を問われている。それに答える責任があなたにある。これを自覚しなさいとの意味です。
もし私がアウシュビッツの収容所に入っていたら、フランクルになれただろうか。例えば、もっと飢え死にそうになった人に、自分のパンを分け与えることができるだろうか。今回の大きなテーマとして、その課題を持ち帰りました。
3日間滞在したクラクフは、ポーランドで最も歴史のある都市で、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまでは、ここがポーランド王国の首都でした。旧市街地も残っていて、日本でいえば京都のような存在です。
クラクフから鉄道でワルシャワに移動して、最終日はワルシャワの市内観光となりました。ワルシャワはナチス占領下、大規模なゲットー(ユダヤ人を強制的に収容した居住地区)があった所です。ワルシャワはピアノの詩人といわれるショパン誕生の地でもあります。あらためてショパンの音楽に触れ、ショパンに魅せられてしまいました。
戦後再建されたワルシャワの宮殿(右側)
ショパンの心臓が埋め込まれている柱
勿論、アウシュビッツとビルケナウ収容所で行われていたホロコーストは、70年以上前のことであり、現地に訪れたとしても博物館や施設の残骸から、当時を想像するしかありません。大勢の観光客の中で、収容所跡は、対照的に静寂とし整然としています。
しかし博物館にあったユダヤ人の、連行された際に所持した最低限の遺品や、刈り取られたおびただしい髪の毛や靴の山を見ると、当時ここで行われていた殺戮の悲惨さが浮かび上がってきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2b/28/b6870ece05d88861ef78c0e6344101f1_s.jpg)
このシリーズの(その1)で、何故ユダヤ人がこのような迫害を受けたのかの一片を、書かせてもらいました。ユダヤ人が迫害された理由も、再度考察しておかなくてはなりません。また時代の一こまだけを切り取れば単純化されますが、それ以前の古い歴史を遡ることや、今日まで繋がっている問題も、視野に入れる必要性も同時に感じました。
同じく(その1)で、ユダヤ人の精神科医フランクルを取り上げました。強制収容所の地獄を生き抜いた希な体験を持つ人物です。生き抜いた彼には、この体験を必ず書として著し絶対に生かそうとの目的が明確でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2d/0a/13ac6ae032aec9d5601725a52ab5d90e_s.jpg)
収容所でフランクルには次々と奇跡が起こります。人間の本質、つまりロゴス(内在する神、又は生きる意味)を知ることによって、生命力は人間の内面に存在し、常に生きる根源を求めていることに気付きます。あらゆる苦から逃げずにそのロゴスや生命力に従うことで、不思議なことが起こったと私は解釈しました。
フランクルは言っています、「人生に期待するのは間違っている、人生の方が私達を待ち受けているのだ」と。とても深いものがあります。あなたが人生の意味を問うのではなくて、あなた自身が人生の意味を問われている。それに答える責任があなたにある。これを自覚しなさいとの意味です。
もし私がアウシュビッツの収容所に入っていたら、フランクルになれただろうか。例えば、もっと飢え死にそうになった人に、自分のパンを分け与えることができるだろうか。今回の大きなテーマとして、その課題を持ち帰りました。
3日間滞在したクラクフは、ポーランドで最も歴史のある都市で、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまでは、ここがポーランド王国の首都でした。旧市街地も残っていて、日本でいえば京都のような存在です。
クラクフから鉄道でワルシャワに移動して、最終日はワルシャワの市内観光となりました。ワルシャワはナチス占領下、大規模なゲットー(ユダヤ人を強制的に収容した居住地区)があった所です。ワルシャワはピアノの詩人といわれるショパン誕生の地でもあります。あらためてショパンの音楽に触れ、ショパンに魅せられてしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/36/45/a6b8562b0290d0191080897232bcdb35_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5c/57/ef02f5d5c98164556240be0ce635f6b9_s.jpg)