前回までのおさらいです。『才能の正体』の本に添って、才能のあらたな認識でした。才能は誰もが持っているもので、秀でている人の結果だけみて特別だと決めつけず、その才能を引き出す確かな方法もある。多くの人はその才能を潰している。その人の才能を育もうとしている、傍にいる人のフィードバック(以下略:FB)を考察してみる必要がある。そのような流れでした。そのFBについて著者の見解を、また次に引用します。
世の中で最もFBしてくるものは、鏡である。自分が今どういう状況か的確に映し出し、より綺麗になりたいとかカッコ良くなりたため、人は鏡を見ている。また鏡は、良くなった結果も確認できる。これは何を意味しているのかというと、人間はFBを受けより良くなろうとする生き物である。しかしその鏡が意志を持っていて、「今日の髪形は決まってないね」「年取ったね」とマイナスな点ばかりいわれたら、素直に聞けるでしょうか。でもほとんどの人が、人に対してこの間違ったFBしている。
実際に鏡が行っているのは、人為的な良い悪いの判断ではなく、単なる客観的なFBである。ところが、子供が勉強する姿勢が悪い場合、親御さんはどう声をかけているか。「姿勢が悪い直しなさい!目も悪くなるわよ!」みたいに、命令するとか余計なことを言ってしまうが、一番いいFBは「背中が曲がっているね」と事実だけ言う。すると、こちらの話しを聞こうとする姿勢をみせてくれるようになるのです。
本来、人はFBされることに弱い生き物。人は自分が正しい思とっている価値観に支配されている。何かしらのFBを受けると、後悔した過去を振り返って、もっと良くならないといけないと、直そうとしているのです。それでは、上司が部下の才能を伸ばすための、一番簡単な方法とは何でしょうか。それは「中立的なFBを、ただひたすらすること」です。中立的とは、FBにあたって上司の価値観を挟まないこと。すると部下が持っている価値観の通りになっていく。すなわち部下自身が持っている理想の姿です。
上司の主観的な意見や価値観を押し付けると、それに従わなくてはならないと思わせたり、あるいは反発させてしまったり、合わないと感じた部下は離れていきます。頼んでいた書類を元に打ち合わせをすることにしていたが、約束の時間になっても部下から書類が上がってこない。そんなケースです。上司は頭から注意するのでなく、「予定していた打合せのスタート時間は?」と尋ねる。事実だけを聞いて、相手に答えさせる。これが中立的FBなのです。威圧的FBは何一つメリットがありません。
著者坪田信貴さんの、FBについての持論はこのようなものです。多くの教え子の才能の正体を見極め、開花させた実績があるかこその説得力でした。
さて、わが社において社長(上司)と社員(部下)の間で、この中立的なFBがなされているかどうかです。上に立つ人は先ずは、才能は誰もが持っているのだと強い信念を持つことです。そして、その才能を潰してしまう危険性を持っているのも、上に立つ人だと認識しなくてはなりません。
「社長の資質とは一体何なのか?」と問われれば、判断・決断力、先見性、洞察力、実行力、統率力、人間力などなどがあげられます。その一つ判断・決断力ですが、永遠絶対なものではないと私は考えます。AとBの選択を迫られ、Aを選んで10年経過し、相応の結果が出たとします。しかし10年前に遡りBを選択して、その結果を比べ検証できない限り、その判断・決断力が絶対正しかったのかどうか分かりませんし、時代の変化でその評価も違ってきます。
ではあらためて、社長の資質で何が必要かと問われれば、社員とどれほど寄り添えるか、自分とは異質な社員を生かし切れるかだと思います。つまり、社員の自主性をどれだけ引き出せるかです。これは誰でもが持っている能力かもしれません。そんな考え方があったので、プラスの意図もマイナスの意図も加えないで、ただ事実のみを根気強く言う、坪田さんのFB論は共感しました。
「教育・指導・改善は、実は悪感情を生んでいる」とは、坪田さんの言です。伝える側とのしっかりとした信頼関係が無いと、受けた側の心に必ず生じるのが、この悪感情だと断言しています。受けた側は、自分はこうしようと思っていたのに「違う」「こうしろ」と言われているのですから、と。この大きなズレも再認識したいものです。
世の中で最もFBしてくるものは、鏡である。自分が今どういう状況か的確に映し出し、より綺麗になりたいとかカッコ良くなりたため、人は鏡を見ている。また鏡は、良くなった結果も確認できる。これは何を意味しているのかというと、人間はFBを受けより良くなろうとする生き物である。しかしその鏡が意志を持っていて、「今日の髪形は決まってないね」「年取ったね」とマイナスな点ばかりいわれたら、素直に聞けるでしょうか。でもほとんどの人が、人に対してこの間違ったFBしている。
実際に鏡が行っているのは、人為的な良い悪いの判断ではなく、単なる客観的なFBである。ところが、子供が勉強する姿勢が悪い場合、親御さんはどう声をかけているか。「姿勢が悪い直しなさい!目も悪くなるわよ!」みたいに、命令するとか余計なことを言ってしまうが、一番いいFBは「背中が曲がっているね」と事実だけ言う。すると、こちらの話しを聞こうとする姿勢をみせてくれるようになるのです。
本来、人はFBされることに弱い生き物。人は自分が正しい思とっている価値観に支配されている。何かしらのFBを受けると、後悔した過去を振り返って、もっと良くならないといけないと、直そうとしているのです。それでは、上司が部下の才能を伸ばすための、一番簡単な方法とは何でしょうか。それは「中立的なFBを、ただひたすらすること」です。中立的とは、FBにあたって上司の価値観を挟まないこと。すると部下が持っている価値観の通りになっていく。すなわち部下自身が持っている理想の姿です。
上司の主観的な意見や価値観を押し付けると、それに従わなくてはならないと思わせたり、あるいは反発させてしまったり、合わないと感じた部下は離れていきます。頼んでいた書類を元に打ち合わせをすることにしていたが、約束の時間になっても部下から書類が上がってこない。そんなケースです。上司は頭から注意するのでなく、「予定していた打合せのスタート時間は?」と尋ねる。事実だけを聞いて、相手に答えさせる。これが中立的FBなのです。威圧的FBは何一つメリットがありません。
著者坪田信貴さんの、FBについての持論はこのようなものです。多くの教え子の才能の正体を見極め、開花させた実績があるかこその説得力でした。
さて、わが社において社長(上司)と社員(部下)の間で、この中立的なFBがなされているかどうかです。上に立つ人は先ずは、才能は誰もが持っているのだと強い信念を持つことです。そして、その才能を潰してしまう危険性を持っているのも、上に立つ人だと認識しなくてはなりません。
「社長の資質とは一体何なのか?」と問われれば、判断・決断力、先見性、洞察力、実行力、統率力、人間力などなどがあげられます。その一つ判断・決断力ですが、永遠絶対なものではないと私は考えます。AとBの選択を迫られ、Aを選んで10年経過し、相応の結果が出たとします。しかし10年前に遡りBを選択して、その結果を比べ検証できない限り、その判断・決断力が絶対正しかったのかどうか分かりませんし、時代の変化でその評価も違ってきます。
ではあらためて、社長の資質で何が必要かと問われれば、社員とどれほど寄り添えるか、自分とは異質な社員を生かし切れるかだと思います。つまり、社員の自主性をどれだけ引き出せるかです。これは誰でもが持っている能力かもしれません。そんな考え方があったので、プラスの意図もマイナスの意図も加えないで、ただ事実のみを根気強く言う、坪田さんのFB論は共感しました。
「教育・指導・改善は、実は悪感情を生んでいる」とは、坪田さんの言です。伝える側とのしっかりとした信頼関係が無いと、受けた側の心に必ず生じるのが、この悪感情だと断言しています。受けた側は、自分はこうしようと思っていたのに「違う」「こうしろ」と言われているのですから、と。この大きなズレも再認識したいものです。