今世界は、“コロナ危機との戦い”の最中です。それも見えない敵との戦いです。新型コロナウイルスに、個人として備えるのであれば、予防策を講ずることと免疫力の向上だと思います。
師事している先生の勉強会で、スタンダードプリコーション(標準予防策)を学びました。これは医療・ケアを提供する場で、患者の血液や粘膜や体液等から感染するとみなし、プロの従事者が適用するものです。その予防策の一つ手洗いで、最も洗い損ないやすい部位は、親指の後ろ側であることを知りました。感染に備え、今後これを励行します。
日本で新型コロナ感染による死者には高齢者が多く、また基礎疾患がある人は重症化しているとのことです。食事、睡眠、運動、精神面、自己免疫力を高める要因は他にもあるでしょうが、これも普段からの備えである生活習慣が左右します。
ある人が、免疫力を高めるには“笑い”も大切だと言っています。笑うと、唾液中のIgA濃度が上昇するとのこと。外敵の侵入を防ごうと粘膜面で主体的に活躍している免疫物質があり、それがIgA(IgA抗体)です。抗体は侵入してきた病原体にくっついて、無力化する働きがあります。IgAは様々な病原体に反応する守備範囲の広さが特徴です。IgA濃度が低下すると、病気にかかりやすく疲労感も高まるようです。
見えないけれど、新型ウイルスは私の目の前に存在しているかもしれません。見えない敵を侮ってはいけませんが、過度に恐れていては何も出来ません。打つ手は講じ、対峙しなくてはなりません。敵というなら戦わなくてはなりません。しかし問題は、その戦い方です。
戦い方としてはあの有名な『孫子の兵法』がありますが、戦わずして勝つことを理想としたのがこの兵法です。「戦争とは国家の大事であり、国家の存亡の分かれ道であるので、戦うのかをよく熟慮しなければならない」と、最初に説いています。
孫子は、“昔の善く戦う者は先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ”と言っています。昔の戦上手は、まず自軍の守りをしっかり固めたうえで、敵が弱点をあらわして勝てる態勢になるのを待った。戦う前に、先ず破られない態勢を整えることが大事との意味です。言い方を変えれば、事前にやるべきことや備えることを怠れば、何か事があった時は、もはやそれまでです。
“災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 これはこれ災難をのがるる妙法にて候”良寛和尚の言葉です。災難に逢うときは災難に遭い、死ぬ時には死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられない。だとしたらそれらを受け入れて生きるしかない、というのが本来の意味です。
形だけ繕うのではなく、万一を常に想定して対策を考え、いざという時に実践できるように己を整えておく。有事に痛い目に遭うのは、想定不足や不備への警告ではないか。良寛和尚のこの言葉を、私はこのように解釈しています。
人類の歴史においては、数々のパンデミックがあり感染症との戦いを繰り返してきました。十四世紀から二十世紀にかけては、ペスト、天然痘、コレラ、スペイン風邪。そして二十一世に入って、サーズやマーズなどです。私は今回の新型コロナウイルスも含めて、これは何か天の啓示だと受け止めています。
満ちても足るをしらない強欲性。自分だけよければの排他性。自分を顧みない傲慢性。人類の愚かさを気付かせるための、天の所業。そのように私は思えてなりません。危機に備えることを通して、謙虚になろうと努力します。
師事している先生の勉強会で、スタンダードプリコーション(標準予防策)を学びました。これは医療・ケアを提供する場で、患者の血液や粘膜や体液等から感染するとみなし、プロの従事者が適用するものです。その予防策の一つ手洗いで、最も洗い損ないやすい部位は、親指の後ろ側であることを知りました。感染に備え、今後これを励行します。
日本で新型コロナ感染による死者には高齢者が多く、また基礎疾患がある人は重症化しているとのことです。食事、睡眠、運動、精神面、自己免疫力を高める要因は他にもあるでしょうが、これも普段からの備えである生活習慣が左右します。
ある人が、免疫力を高めるには“笑い”も大切だと言っています。笑うと、唾液中のIgA濃度が上昇するとのこと。外敵の侵入を防ごうと粘膜面で主体的に活躍している免疫物質があり、それがIgA(IgA抗体)です。抗体は侵入してきた病原体にくっついて、無力化する働きがあります。IgAは様々な病原体に反応する守備範囲の広さが特徴です。IgA濃度が低下すると、病気にかかりやすく疲労感も高まるようです。
見えないけれど、新型ウイルスは私の目の前に存在しているかもしれません。見えない敵を侮ってはいけませんが、過度に恐れていては何も出来ません。打つ手は講じ、対峙しなくてはなりません。敵というなら戦わなくてはなりません。しかし問題は、その戦い方です。
戦い方としてはあの有名な『孫子の兵法』がありますが、戦わずして勝つことを理想としたのがこの兵法です。「戦争とは国家の大事であり、国家の存亡の分かれ道であるので、戦うのかをよく熟慮しなければならない」と、最初に説いています。
孫子は、“昔の善く戦う者は先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ”と言っています。昔の戦上手は、まず自軍の守りをしっかり固めたうえで、敵が弱点をあらわして勝てる態勢になるのを待った。戦う前に、先ず破られない態勢を整えることが大事との意味です。言い方を変えれば、事前にやるべきことや備えることを怠れば、何か事があった時は、もはやそれまでです。
“災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 これはこれ災難をのがるる妙法にて候”良寛和尚の言葉です。災難に逢うときは災難に遭い、死ぬ時には死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられない。だとしたらそれらを受け入れて生きるしかない、というのが本来の意味です。
形だけ繕うのではなく、万一を常に想定して対策を考え、いざという時に実践できるように己を整えておく。有事に痛い目に遭うのは、想定不足や不備への警告ではないか。良寛和尚のこの言葉を、私はこのように解釈しています。
人類の歴史においては、数々のパンデミックがあり感染症との戦いを繰り返してきました。十四世紀から二十世紀にかけては、ペスト、天然痘、コレラ、スペイン風邪。そして二十一世に入って、サーズやマーズなどです。私は今回の新型コロナウイルスも含めて、これは何か天の啓示だと受け止めています。
満ちても足るをしらない強欲性。自分だけよければの排他性。自分を顧みない傲慢性。人類の愚かさを気付かせるための、天の所業。そのように私は思えてなりません。危機に備えることを通して、謙虚になろうと努力します。