梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

備える(その3)

2020年03月28日 06時39分25秒 | Weblog
今世界は、“コロナ危機との戦い”の最中です。それも見えない敵との戦いです。新型コロナウイルスに、個人として備えるのであれば、予防策を講ずることと免疫力の向上だと思います。

師事している先生の勉強会で、スタンダードプリコーション(標準予防策)を学びました。これは医療・ケアを提供する場で、患者の血液や粘膜や体液等から感染するとみなし、プロの従事者が適用するものです。その予防策の一つ手洗いで、最も洗い損ないやすい部位は、親指の後ろ側であることを知りました。感染に備え、今後これを励行します。

日本で新型コロナ感染による死者には高齢者が多く、また基礎疾患がある人は重症化しているとのことです。食事、睡眠、運動、精神面、自己免疫力を高める要因は他にもあるでしょうが、これも普段からの備えである生活習慣が左右します。

ある人が、免疫力を高めるには“笑い”も大切だと言っています。笑うと、唾液中のIgA濃度が上昇するとのこと。外敵の侵入を防ごうと粘膜面で主体的に活躍している免疫物質があり、それがIgA(IgA抗体)です。抗体は侵入してきた病原体にくっついて、無力化する働きがあります。IgAは様々な病原体に反応する守備範囲の広さが特徴です。IgA濃度が低下すると、病気にかかりやすく疲労感も高まるようです。

見えないけれど、新型ウイルスは私の目の前に存在しているかもしれません。見えない敵を侮ってはいけませんが、過度に恐れていては何も出来ません。打つ手は講じ、対峙しなくてはなりません。敵というなら戦わなくてはなりません。しかし問題は、その戦い方です。

戦い方としてはあの有名な『孫子の兵法』がありますが、戦わずして勝つことを理想としたのがこの兵法です。「戦争とは国家の大事であり、国家の存亡の分かれ道であるので、戦うのかをよく熟慮しなければならない」と、最初に説いています。 

孫子は、“昔の善く戦う者は先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ”と言っています。昔の戦上手は、まず自軍の守りをしっかり固めたうえで、敵が弱点をあらわして勝てる態勢になるのを待った。戦う前に、先ず破られない態勢を整えることが大事との意味です。言い方を変えれば、事前にやるべきことや備えることを怠れば、何か事があった時は、もはやそれまでです。

“災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 これはこれ災難をのがるる妙法にて候”良寛和尚の言葉です。災難に逢うときは災難に遭い、死ぬ時には死ぬしかない。私たちがどんなに手を尽くしてもそれは変えられない。だとしたらそれらを受け入れて生きるしかない、というのが本来の意味です。

形だけ繕うのではなく、万一を常に想定して対策を考え、いざという時に実践できるように己を整えておく。有事に痛い目に遭うのは、想定不足や不備への警告ではないか。良寛和尚のこの言葉を、私はこのように解釈しています。

人類の歴史においては、数々のパンデミックがあり感染症との戦いを繰り返してきました。十四世紀から二十世紀にかけては、ペスト、天然痘、コレラ、スペイン風邪。そして二十一世に入って、サーズやマーズなどです。私は今回の新型コロナウイルスも含めて、これは何か天の啓示だと受け止めています。

満ちても足るをしらない強欲性。自分だけよければの排他性。自分を顧みない傲慢性。人類の愚かさを気付かせるための、天の所業。そのように私は思えてなりません。危機に備えることを通して、謙虚になろうと努力します。
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備える(その2)

2020年03月21日 06時33分54秒 | Weblog
わが社では「防災の日」を、年2回設けています。関東大震災(大正12年)があった9月1日と、東日本大震災があった3月11日です。この防災の日は東日本大震災を契機に設けました。

9年前の3月11日午後2時46分、立っていることもままならないほどの、体験したことがない揺れを感じました。ようやく揺れも収まり、確認すると社員も無事でしたが、その後大震災の恐ろしさを思い知らされます。

わが社は千葉県の浦安地区で、液状化によって機械装置の基礎など被害を受けました。当日は帰宅難民の社員も出してしまいました。その後何日間も上下水が止まったり電気の使用制限を受けたり、工場操業にも支障をきたしました。その災害をリマインドし、日頃から備えることを目的とした防災の日です。

防災の日には昼全社員が食堂に集まり、会社で備蓄していたペットボトルの水とインスタントラーメンを実際使って、災害時を想定して食事をします。賞味期限の古い順から、入れ替える為でもあります。その後、既に作成してある防災マニュアルの確認をします。各人には非常用持ち出し袋も常備するようにしました。

わが社の建屋は一階が工場倉庫で二階が事務所となっています。一階にはクレーンもあり天井も高いこともあって、二階のフロアーのレベルは地上7m近くあります。わが社の目と鼻の先には東京湾があり、大地震での津波から身を守る為、全員が二階に避難すれば安心かもしれませんが、万一の場合は直ぐ前に在る会社(六階建て)に避難を要請する旨を事前に伝えて承諾を得ています。

東日本大震災の翌日は土曜日でした。今後の対策を講ずる為、幹部社員が早朝会社に集まりました。私は会社に車で行く途中、ガソリンが心もとないのでスタンドで給油しました。その時点でスタンドはがらがらでした。その日の午後からスタンドは長蛇の列。中々給油出来ない状態が何日も続きました。

この時の教訓で、私はガソリンタンクの量が半分を切ったら、そこで常に満タンにするようにしてきました。ガソリンが切れそうな状態で同じような地震が発生したら、営業を停止するスタンドもあるかもしれませんので、そこで車は使えなくなります。最低限自分で出来る備えです。

どんな新たな取り組みをしたとしてもマンネリ化してしまうと、慣れて、飽きて、ダレてしまうものです。去年の防災の日に、緊急連絡網で従来の携帯電話からスマホのLINEに切り替えることが懸案でしたが、今年の3月11日の防災の日を迎えるにあたり、いまだに未整備であることが分かりました。

今回の新型コロナの騒動でマスクが市中で買えないので、備蓄のマスクを社員に放出しようとしました。しかし社員の非常用持ち出し袋のリスト上では、マスクが3枚入っているべきものが、1枚しかないことが発覚しました。誰がどう責任を持って行わなければならなかったかの問題はありますが、これもわが社の現状です。

年2回の防災の日を、「ラーメンを食べる日」と呼んでいる社員もいます。ラーメンは一人一食分を用意し、大鍋でまとめて作りますので、分け方で多い少ないがあるかもしれません。当日おにぎりを持参する社員もいますが、実際の災害ではコンビニで簡単におにぎりは手に入りません。

それでも、災害を想定してやり続けることが大事だと私は思っています。災害時は国や自治体に全ては頼れませんので、自力で生き延びることが何より優先です。備えることとは想定力を鍛えることであり、場合によって今までを変えること、固定観念の打破であるともいえます。 ~次回に続く~
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備える(その1)

2020年03月14日 10時09分12秒 | Weblog
“街角景気 震災以来の水準/2月新型コロナで急激に悪化”新聞にこんな見出しが躍ります。内閣府が9日発表した2月の景気ウオッチャー調査によると、景気の現状判断指数(DI)は27.4となり、前月から14.5ポイント大幅ダウンし、東日本大震災後の2011年4月以来の低水準となった、とのことです。

これは2月の指数ですので、新型ウイルス感染拡大に歯止めがかからない、足元の3月はもっと悪化しているはずです。9日からは中国・韓国からの入国制限が始まり、景気をけん引していたインバウンドに逆風が吹き、観光業や飲食業はリーマン・ショックとは比にならない影響が出る可能性がある、と新聞にありました。そして11日WHOはパンデミックを表明。日米で株価が急落し、世界的な経済危機を迎えるかの様相です。

企業は見えないリスクの上に立っているともいえます。リスクには、事前に備えればある程度避けられるものと、外的な要因等でどうしても避けられないものがあります。わが社も避けられないリスクとして、12年前のリーマン・ショックと9年前の東日本大震災の直撃を受けました。今回の新型コロナウイルスもそれに匹敵するものかもしれません。

この3つの事象全てに共通しているのは、景気の悪化です。東日本大震災とコロナウイルスで共通しているのは、生命の危機、イベント等の自粛、そして買い占めです。買い占めは根拠が無くても、人為的・心理的な要因によるもが大きく、いったん火が付くと止まらず厄介なものです。

わが社の歴史において、祖父の時代には関東大震災や戦争があり、父の代の時にはオイル・ショックやバブル崩壊がありました。これらのリスクは、期間や損害規模において私の経験したものと簡単に比較は出来ませんが、その苦難を何とか乗り越えて今日わが社が存在しています。

オイル・ショックの時にも、買い占めが発生しました。今から46~7年前、私がまだ大学生の頃です。第四次中東戦争を機にアラブ産油国が原油の減産と大幅な値上げを行い、日本では石油関連製品が狂乱物価となり、そして買い占め騒動が起こりました。この時も町中の店からトイレットペーパーが無くなりました。

当時わが社は製鉄原料の扱いをメインにしていた時代で、トラックを多く保有していました。同業者の誰よりも最後まで車両を回したい、その父親の一念で、ガソリンとタイヤをいち早く確保しました。ガソリンは懇意にしていたスタンドに前金を積んで、わが社へ優先的に給油を受ける策を講じました。タイヤは新品を大量に買い込んで、わが社の倉庫の2階に積み上げました。

この第一次オイル・ショックは一年近く続きましたが、その後鎮静化します。わが社に残ったのはタイヤの山でした。未使用での劣化は免れましたが、全部使い切るまで3~4年はかかったと記憶しています。商売を大事にしたいとの気持ちはよく分かりますが、そのようなことを私は見ていますので、今回マスクを買いに走る気持ちになれませんでした。

SNSの利便性や計り知れない効用は確かにあります。しかし簡単便利なものは同時に大きな落とし穴があります。ネットの功罪を見分けなくてはいけません。騙す人もあるでしょうが、それに騙される人もいます。それはネットを通して、勢いがついて飛び火していきます。

「普段からの行いと備えがほとんど全て」と、私は思っています。有事や危機に際し、狼狽えることはないように平時を大事にしたいと考えています。今回のマスク不足にして、もあわてふためき買いに走る醜態は極力さらしたくありません。マスクが無ければ代用品を工夫し、予防と免疫力の向上に努めます。  ~次回に続く~
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死を見つめる(その4)

2020年03月07日 09時56分24秒 | Weblog
その記事のテーマは『冬眠で夢見る 永遠の命』です。病気や老衰や不慮の事故などによって、生きている限り誰しもが最後を迎える。もし寝て過ごすように命が刻む時間を自在に操れたら、死という永遠の終わりが遠のくのだろうか。科学技術の進歩にともない、それは「冬眠」によって可能性があるではないかとの内容でした。

死後に全身の血液を抜き、2~3週間ほどかけて体温を下げ、液体窒素で冷やしたタンクに納め、セ氏マイナス196度に凍結されて、その遺体は眠っている。科学者などが立ち上げた、そのようなことを施す企業がモスクワ郊外にあるそうです。

眠っている人たちの事情はそれぞれでも、技術が大きく発展しているであろう来世紀に目を覚まし、新しい薬や再生医療で若返った体で、新たな人生を始める日を待つためです。20年2月時点で71人を凍結し、半数近くが外国人で、その中に日本人も含まれている。米国に、同じような遺体凍結サービスを提供する研究所や財団もあるとのことです。

これとは別に、一度死んだ肉体を丸ごと蘇らせることなど今は無理だろうが、「仮死状態」に持ち込み、生命の営みを一時停止できることに期待を寄せる専門家も存在する。動物の冬眠とは、心臓も呼吸の活動も極端に低下しもはや「死んでいる」状態。緊急医療などで、この冬眠状態を活用できないかなどの研究が進んでいる。

事故や病気で体が痛むと、体中に酸素や血液を巡らせる動きが落ちる。それでも体中の細胞がそれらを求め、十分に行き渡らないと、脳をはじめ体のあちこちが死に向かう。冬眠に学べば、人間の体を冷却し、酸素やエネルギーの消費を減らせる。冬眠で時間を稼ぐ。寝ているうちに患部の修復や止血を施し、救える命を増やそうとの施策の研究です。

「限りなく死に近いが、死んではいない状態を社会が生かす」。これこそ、冬眠の技術が創造的破壊をもたらす。「冬眠中の人権や義務などはどうなるのか。まだ想像すらできないが、技術の進歩は思いのほか早い」。このように記事は結びます。

人間の凍結保管や冬眠が徐々に現実味を帯びてくれば、生命倫理や死生観も変化するでしょう。弔いなどの社会規範も揺らぐでしょう。残された者にとっても、死が物理的な永遠の別れではなく、蘇って再会する希望が持てる意味は大きいかもしれません。

4回に亘って、「死を見つめる」をテーマに書かせてもらいました。同年輩の友人や親しい方が亡くなって、人間の死をあらためて身近に感じたこと。癌を患い死に直面して、苦しみの中から新しい世界観をみつける患者と向き合ってきた医師の話し。現世の死者は成仏すればあの世に行き、その亡くなった霊と話すことが出来ると言うスピリチャル・テラーの話し。そして今回の、科学技術の進歩にともない、冬眠によって死という永遠の終わりが遠のく可能性がある話しでした。

私自身といえば、死に対しての漠然とした恐怖感は無くなりました。若い頃と違ってこの歳になったせいかもしれません。そして去年社長を退き後継に譲ったことも大きな要因かもしれません。とは言え、与えられた寿命まで生きていこうと思っています。
 
科学が創造的破壊を繰り返せば、我々の死生観も確かに変化していきます。今まで我々が見えなかった世界が広がれば、宗教でカバーする分野も少し狭くなるかもしれません。死や死後の世界が分からないから恐怖を抱くのでしょうが、生死の境目が薄らいでくれば捉え方も違ってきます。
 
しかし今の私は、あの世が在るのか無いのか死後蘇ることが可能なのかどうか、それは別として、現世の今の一日一日大切にしようと思います。毎日普通に過ごせることに感謝します。それこそ今生きていることに奇跡を感じます。

 最近の新聞に掲載されていました
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