梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

一つの節目

2017年12月30日 14時01分32秒 | Weblog
わが社にとって今年はどんな年だったのか、私にとってはどのような今年だったのか。振り返ってみて、わが社にとっても私にとっても、今年は一つの節目だったのではないかと感じています。

最初に、わが社にとってです。今年の年明け早々、20代そこそこの男女二人が入社しました。研修期間中には、色々な業務に取り組んでもらい、ようやく専任の仕事が決まりました。一年近く、慣れない仕事によく耐えて、頑張ってくれました。

4月には私の息子が大学を卒業して、わが社の正社員となりました。息子は大学の三年から、夏と春の休みを利用して、アルバイトでわが社の現場で働いてきました。正社員となってから、営業のサポート業務など、新たな配置となっています。

最新鋭の出力6kのレーザー切断機を導入して、二年半経過しました。5台ある溶断機械では、このレーザー機が一番収益を上げていて、大いに貢献しています。社員の提案によって導入が検討され、開先切断機能をオプションとして付け加え、新設を決定した機械です。

開先とは、切った製品を主に溶接する時に必要な、切断面を斜めに切る二次加工です。従来わが社で一次加工して、外注先にこの開先の二次加工を依頼していました。それがこのレーザー機は火口が傾斜する機能があるので、一括の加工で可能となりました。導入当時の課題は開先の技術力でしたが、試行錯誤を重ねデータを社内で集積し、なんとか広く製品化できる段階に達しました。

このオペレーターは、わが社に入社して5年、やはり20代半ばの社員です。先述の二人の新入社員と息子も含め、年齢が近いこのような若人に、将来のわが社を担ってもらうことを願います。

わが社は1年半前に、3年中期経営計画を作成し、現在ちょうど半分が過ぎました。以上のようなことも含め、歩みは遅いかもしれませんが、それに向けて前に進んでいます。この計画の半分の節目を感じています。

次に、私にとってです。私は今年10月に65歳を迎え、世間でいえば准高齢者となり、人間のライフサイクルでいえば老年期に突入しました。40歳や50歳代では、70歳を超える自分を想像できませんでしたが、65歳となり、現在のこの気力・体力の5年後に迎える70という年齢が見えてきました。

私は40年前に大腿骨頚部を骨折し、それによって歩き方がぎこちなく股関節が曲がらない状態で今日に至っています。しかし幸い他には持病も無く、一切薬も飲まずに生活ができていることに感謝しています

その私の足に突然転機が訪れました。1ヶ月前に初めて行った療法院で、私の怪我の経緯とその症状を聞いていた院長は、「曲がらないのは、梶さんが動かしてこなかったからです!」と。現在その施術を続けています。40年間これ以上機能の回復がないと信じきっていた私の足の節目、来年に明るい希望を持てる心境になっています。この話は、またあらためてお伝えしようと思います。

一年間、拙文のブログにお付き合い下さいまして、有り難く、御礼を申し上げます。来年もよろしくお願い致します。
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私とは何者か(その3)

2017年12月23日 10時23分17秒 | Weblog
前回お話しましたように、私の独自性は何かを考える時、鍵になることがあります。怪我をして避けられない境遇として耐えたこと、家業を継がせるとの父親の想いに素直に従ったこと、その先代の死後助けられた方々の意見を受容させてもらったこと。この三つです。

しかし、忍耐力と素直さと受容性というのは、これはあくまで私自身が捉えている主たる独自性です。この私を、他者は全く違う見方をするかもしれません。その違いを前提として自分が認識している独自性を捉えなくてはならなし、自分の独自性を語る時に慢となることを戒めなくてはならないと、このテーマを書きながら感じています。

そしてこの独自性は、こうありたいとの願望や、こうなりたいとの希望なのではなく、今現在のありのままの自分として捉えなくてはならないと思われますので、中々厄介なものなのかもしれません。

自分が今感じている三つの独自性は、おおよそ社会人になってからのものです。それ以前の、生まれ育って、両親から受けた愛情や、兄弟関係や、学校での教育や交友関係なども、ベースになっていることは確かです。

例えば幼児期に母親から愛情を十分に注がれなければ、その欠落は大人になっても影響します。それを引きずったまま成人になってしまうのか、どこかでそれを補填し修正して乗り越えて歳を重ねていくかによって、独自性も全く違った方向性を示すことになるはずです。

芸術や学問の分野で、師匠と出逢って才能を開花されて、アイデンティティを確立した専門家は多いと思います。それに限らず普通の仕事においても、社内の上司または取引先の方の中で、師と仰ぐ人に出逢い、仕事の仕方や心構えや生き方までも、影響を受けることだってあります。

先代の死後、この28年間、自分で経営をしなくてはならなくなりました。失敗をしたり、行き詰まったり、大きな課題を抱えたり、その中で幸いに多くに人に出逢い、影響を受け、そして助けられました。正にその人達との出逢いは、人生を変えるような出逢い、邂逅でした。

その方達の出逢いによって、言ってみれば私の中に化学反応のようなものが起こり、見えない世界が見えることもあり、先に明るい希望が持てるようになっています。

アメリカの実業家で、サミエル・ウルマンという人が“青春”という詩を残しています。その一説に「人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる、人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる、希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる」とあります。冒頭には、「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」とあります。

アイデンティティは、願い事ではないのではないかと先ほど書きましたが、今年65歳を迎え、そのような心の様相を追求し続ける、独自性をこれから持ちたいと思います。
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私とは何者か(その2)

2017年12月16日 05時41分30秒 | Weblog
話は変わるかもしれませんが、先週の土・日曜日で大学の山登りのクラブで、忘年会を兼ねた同期会がありました。去年から一泊二日で、初日は登山、その日の夜は宴会、翌日はゆっくり観光などして昼過ぎに解散、昨年と同じ静岡の沼津に泊まり、今回の参加者は10名でした。

今年は身体の故障者もあり、初日は登山組みと散策組に別れました。登山組みは沼津アルプスという山々へ、私は散策組に。散策といっても、車で伊豆半島の主に北部の名所や旧跡を訪ねました。韮山反射炉、葛城山ロープウエイ(富士見テラス・空中公園)、ジオパークミュージアム「ジオリア」、旧沼津御用邸、と回りました。「ジオリア」とは、伊豆半島の大地の成り立ちや地形の不思議を、分かりやすく体感して学べる施設です。場所は修善寺にあります。

その修善寺の先、天城山系に抱かれるように月ヶ瀬という場所があります。実はこの月ヶ瀬に40年前に、私は約半年間いました。会社に入って2年目、現場で大腿骨頚部を骨折する怪我をして、大学の付属病院で手術をしてその後のリハビリをした所が、その月ヶ瀬でした。

狩野川沿いを修善寺のジオリアに向かう途中で、40年前の想い出が蘇ってきました。10ヶ月間ギプス固定したものの骨は付かず、その初期の治療が失敗して、月ヶ瀬に転院しました。私にとって、怪我をして退院して社会復帰するまでの、通算1年半は人生で最も暗い時期でした。

ただひたすら治るまで、耐えるしか方法はありません。幸い親父の会社に入社していましたので、昇進とか出世の心配はありませんでしたが、社会から一人取り残された敗北感のような思いは消えませんでした。置かれた境遇を受け入れ耐えるとの、この時期が私たらしめた、一つの独自性が形成されたことは確かです。

私は大学を卒業して、父親の会社に直ぐに入りました。他の選択肢が無かったわけでもありませんが、強烈にやりたい仕事があったわけでもありません。正直に言えば、息子に会社を継がせたいという父親の路線に、私はあまり反発も感じないまま乗ってしまった結果だともいえます。

三つ年下の弟も大学卒業後、同じく父親の会社に入社することになりました。私は親父の意見には素直に従うことを是としていましたが、弟はそうではありませんでした。1年半を経て会社に復帰したものの、大腿骨の関節に後遺症が残り、鉄鋼の仕事には戻せないと判断した父親は、別会社の運送会社を興し、私はその会社の社長に据えられました。そこで10年間勤めることになりました。

弟は父親の下、梶哲商店で仕事をしていましたが、段々意見が食い違い、衝突するようになりました。父親は私を本体に戻し、弟を運送会社の方へ移籍する命を下しました。その決断の一年後に、親父は他界します。

何事も自分で判断して行動せざるを得なくなった、環境の変化はそこからスタートしています。その後は、行き詰まったり失敗をしたり、その度に他人からアドバイスを受けて素直に従って、その人達に助けられて今日に至っています。

~次回に続く~
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私とは何者か

2017年12月09日 08時39分47秒 | Weblog
前々回このブログ上で“老年期の覚悟”と題して、身近な人の死や知人の会社の後継問題を通して、私の年齢はライフサイクルからすれば老年期、体力の衰えや死に向き合っていることを認識しつつ、これまの人生が活かされているのかを考え、今後の行き方を更に築いていく必要性について書きました。

前回は“時間とタイミング”と題して、私は人を待たせたくないから待ち合わせの時間には早く行くタイプであり、何かタイミングが合わなかった時、時間を大切に使ったのか、あるいは我を出していなかったかをチェックするよう心掛け、時間を大切にすればその結果は付いてくるものだ、との考えを記しました。

これらを書いた自分を、第三者の目から客観的に見てみると、「私は常に人生を前向きに捉えなくてはならないと考えていて、正論にこだわって固さがみられ、包容性や遊び心が少なく、所謂『べき論』が多いのではないか」、との解釈になります。

本音を隠して建前だけを言っている気持はありませんが、ブログ上で全てを書けない制約があることは感じています。長く書かせてもらっているブログの自分も、このように多少のバイアスはかかるものの、大よそ私の人物像を表してきたものではないかとも思っています。

“もの言わぬは腹ふくるるわざなり”とは、吉田兼好『徒然草』出てくる言葉です。これは「自分の思いをじっと胸の内に閉じ込めたままでいると、どうもスッキリした気分になれない」という意味です。本当は言いたいことを溜め込むと、精神衛生上よくないとのことです。

待ち合わせ時間に早く行くタイプと書いた後に、「それを無駄だとは思ったことはなく、時間が余れば持参している資料や本なども読めるし、物事を考える時間に当てることも出来る。会社に居ることが多い私は、外出し移動している際、世相を観察したり外の空気を感じたりすることに努める」と、前回のブログに続けました。

腹に溜めないで正直申せば、糸を張り詰めたまま緊張を持続することは勿論不可能ですし、時間をルーズに使ったら楽だろうなと思うこともあり、気を抜いてぼーっとしてだらしない私もあります。しかしそれに抗って、無理している、他人からみれば頑なな側面も私にはあり、これが私たらしめているものです。

この私を私たらしめている、私とは一体何なのか。そこに一貫性や同一性として、出てくるもは何なのか。私たらしめているの、言い方を変えれば、その人の独自性であり、独自性とはアイデンティティです。

今回はこの独自性やアイデンティティを、見つめてみようと思っています。いい意味での独自性やアイデンティティについてです。今までの私たらしめた独自性と、これからも確かなものとする独自性について。

~次回に続く~
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時間とタイミング

2017年12月02日 10時24分04秒 | Weblog
「時間は全ての人間に平等である」。このような名言があります。一年365日・一日24時間、この時間は皆に平等に与えられているが、その時間の使い方はそれぞれ異なるとの意味でしょう。しかしちょっとへそ曲がりの人は、人間には寿命があるのだから、そもそも与えられた時間は平等ではないと主張する人もいます。

その人達は、時間の速度が平等なのだと言い張りますが、その異論は置いときます。時間は平等とは、与えられた同じ時間を有効に使っているか無駄に使っているかの、それを常に見直しなさいとの示唆が含まれています。

時間を気にしてよく時計を見る人がいます。しかしそれは癖であり、その人がどれだけ時間の観念を持っているのか分かりません。待ち合わせでも時間ギリギリに来る人がいます。多忙な人なのかなとも思われますが、待っている人は気が気ではありません。交通機関など突発的な事故でもあったら、時間に余裕がなければ、間に合いません。

時間を気にかけているようで、その人達は、実際は大切にしていないのではないでしょうか。人間が時間を使う上では、他人との関係性で費やされる時間もあり、このような時間の観念が希薄な人は、他人に不愉快を与え、事の次第では他人の時間を奪います。

私は待ち合わせの時、早く目的地に着くタイプです。それを無駄だとは思ったことはありません。時間が余れば、持参している資料や本なども読めるし、物事を考える時間に当てることも出来ます。会社に居ることが多い私は、外出し移動している際、世相を観察したり外の空気を感じたりすることに努めます。

以前このブログ上で、大阪の電車の中で、女性のICカード乗車券を一緒に探した話をしました。座席シートの隙間に落としてしまったカードを、中々探せなくて困っている女性を、私は見るに見かねて次の駅で降りる予定を断念しました。「後は運を天に任せよう」というような気持になった瞬間、カードが見つかり、ほぼ同時に電車は次の駅に着きました。私は咄嗟に次の駅のホームに飛び降りました。

時間を英語で、タイムと言います。このタイムを用いて、タイミングとかタイムリーとの言葉にして、ある事をするのに最も適した時機・瞬間、との意味合いとなります。先ほどの「運を天に任す」とは、小さな自分(我)を捨てて、天に寄り添うことだと思います。その天を味方につければ、最も適した時機・瞬間を天が与えてくれて、不思議なことが起こる。

そのよう考えると、“天は時間”と解釈することが出来ます。その時間を味方にすればタイミング良く事が運び、思わぬタイムリーな事が起こる。時間の使い方の結果で、タイミングが合っているのかどうか、判断することも可能なのではないでしょうか。

私はタイミングが合わなかった時、時間を大切にしたかどうか、我を出していなかったかどうかを、チェックするようにしています。時間を大切にすれば、その結果は付いてくると思っています。
 
「時間は皆に平等に与えられている」。その与えてくれている、見えない存在を意識して、自分のものだけではない時間を、大切に使いたいものです。
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