わが社にとって今年はどんな年だったのか、私にとってはどのような今年だったのか。振り返ってみて、わが社にとっても私にとっても、今年は一つの節目だったのではないかと感じています。
最初に、わが社にとってです。今年の年明け早々、20代そこそこの男女二人が入社しました。研修期間中には、色々な業務に取り組んでもらい、ようやく専任の仕事が決まりました。一年近く、慣れない仕事によく耐えて、頑張ってくれました。
4月には私の息子が大学を卒業して、わが社の正社員となりました。息子は大学の三年から、夏と春の休みを利用して、アルバイトでわが社の現場で働いてきました。正社員となってから、営業のサポート業務など、新たな配置となっています。
最新鋭の出力6kのレーザー切断機を導入して、二年半経過しました。5台ある溶断機械では、このレーザー機が一番収益を上げていて、大いに貢献しています。社員の提案によって導入が検討され、開先切断機能をオプションとして付け加え、新設を決定した機械です。
開先とは、切った製品を主に溶接する時に必要な、切断面を斜めに切る二次加工です。従来わが社で一次加工して、外注先にこの開先の二次加工を依頼していました。それがこのレーザー機は火口が傾斜する機能があるので、一括の加工で可能となりました。導入当時の課題は開先の技術力でしたが、試行錯誤を重ねデータを社内で集積し、なんとか広く製品化できる段階に達しました。
このオペレーターは、わが社に入社して5年、やはり20代半ばの社員です。先述の二人の新入社員と息子も含め、年齢が近いこのような若人に、将来のわが社を担ってもらうことを願います。
わが社は1年半前に、3年中期経営計画を作成し、現在ちょうど半分が過ぎました。以上のようなことも含め、歩みは遅いかもしれませんが、それに向けて前に進んでいます。この計画の半分の節目を感じています。
次に、私にとってです。私は今年10月に65歳を迎え、世間でいえば准高齢者となり、人間のライフサイクルでいえば老年期に突入しました。40歳や50歳代では、70歳を超える自分を想像できませんでしたが、65歳となり、現在のこの気力・体力の5年後に迎える70という年齢が見えてきました。
私は40年前に大腿骨頚部を骨折し、それによって歩き方がぎこちなく股関節が曲がらない状態で今日に至っています。しかし幸い他には持病も無く、一切薬も飲まずに生活ができていることに感謝しています
その私の足に突然転機が訪れました。1ヶ月前に初めて行った療法院で、私の怪我の経緯とその症状を聞いていた院長は、「曲がらないのは、梶さんが動かしてこなかったからです!」と。現在その施術を続けています。40年間これ以上機能の回復がないと信じきっていた私の足の節目、来年に明るい希望を持てる心境になっています。この話は、またあらためてお伝えしようと思います。
一年間、拙文のブログにお付き合い下さいまして、有り難く、御礼を申し上げます。来年もよろしくお願い致します。
最初に、わが社にとってです。今年の年明け早々、20代そこそこの男女二人が入社しました。研修期間中には、色々な業務に取り組んでもらい、ようやく専任の仕事が決まりました。一年近く、慣れない仕事によく耐えて、頑張ってくれました。
4月には私の息子が大学を卒業して、わが社の正社員となりました。息子は大学の三年から、夏と春の休みを利用して、アルバイトでわが社の現場で働いてきました。正社員となってから、営業のサポート業務など、新たな配置となっています。
最新鋭の出力6kのレーザー切断機を導入して、二年半経過しました。5台ある溶断機械では、このレーザー機が一番収益を上げていて、大いに貢献しています。社員の提案によって導入が検討され、開先切断機能をオプションとして付け加え、新設を決定した機械です。
開先とは、切った製品を主に溶接する時に必要な、切断面を斜めに切る二次加工です。従来わが社で一次加工して、外注先にこの開先の二次加工を依頼していました。それがこのレーザー機は火口が傾斜する機能があるので、一括の加工で可能となりました。導入当時の課題は開先の技術力でしたが、試行錯誤を重ねデータを社内で集積し、なんとか広く製品化できる段階に達しました。
このオペレーターは、わが社に入社して5年、やはり20代半ばの社員です。先述の二人の新入社員と息子も含め、年齢が近いこのような若人に、将来のわが社を担ってもらうことを願います。
わが社は1年半前に、3年中期経営計画を作成し、現在ちょうど半分が過ぎました。以上のようなことも含め、歩みは遅いかもしれませんが、それに向けて前に進んでいます。この計画の半分の節目を感じています。
次に、私にとってです。私は今年10月に65歳を迎え、世間でいえば准高齢者となり、人間のライフサイクルでいえば老年期に突入しました。40歳や50歳代では、70歳を超える自分を想像できませんでしたが、65歳となり、現在のこの気力・体力の5年後に迎える70という年齢が見えてきました。
私は40年前に大腿骨頚部を骨折し、それによって歩き方がぎこちなく股関節が曲がらない状態で今日に至っています。しかし幸い他には持病も無く、一切薬も飲まずに生活ができていることに感謝しています
その私の足に突然転機が訪れました。1ヶ月前に初めて行った療法院で、私の怪我の経緯とその症状を聞いていた院長は、「曲がらないのは、梶さんが動かしてこなかったからです!」と。現在その施術を続けています。40年間これ以上機能の回復がないと信じきっていた私の足の節目、来年に明るい希望を持てる心境になっています。この話は、またあらためてお伝えしようと思います。
一年間、拙文のブログにお付き合い下さいまして、有り難く、御礼を申し上げます。来年もよろしくお願い致します。