梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

右脳と左脳2

2009年11月27日 18時26分23秒 | Weblog
「○○さん!雪が解けたら何になるでしょうか?」会社でもそんなことを言っているのです。私のブログを見ていないであろう社員に、もう一人の社員が問題を出しているのです。聞かれた社員は、「春」とは当然答えられませんでした。その答えを聞いても、その社員はキョトンとしているのです。

それは置いといて、私の家内は恐らく右脳典型人間です。家内の私に対する話には主語が無いと言うか、倒置法と言うか、一瞬何を言っているのか分からないこと度々です。聞き直すと「お父さんは頭が固い。そんなこと理解出来ないの」と言います。

私は確認の意味もあり聞き直すのですが、変化球に弱い、そんな私が左脳型人間なのでしょう。家内は亡くなった自分の母親とは、もっと省略しても話しは十分通じたと言うのです。それはもはや霊感や以心伝心の世界に入っているのでは、と思いますが。

私は小さい頃、ひょうきんで音楽好きで外でも良く遊ぶ、天真爛漫な子供でした。それが小学生低学年から勉強塾や習い事をする様になって(勿論母親の強制的指導ですが)、性格が変わって来ました。そこに長男であるとか、家業を継ぐのだとかの要因が加わり、現在の人格が確立されたのです。

いまだに音楽は好きですけれど、何か楽器を奏でられる訳でもありませんし、元々備わっていたはずの右脳の感性は生かさていません。恐らくこれまでの生き方や習慣で、右脳的な感受性は封じ込められてしまったのでしょう。

年齢的な問題や、長年かかって構築された性格故に、その打破には限界はあるでしょう。でも偏りすぎは直せるかもしれません。固定観念を捨ててみる、物事を柔軟に多面的に捉える観点からも、自分を見直す今回はチャンスかもしれません。

本来人間には右脳と左脳が両方備わっているのであれば、その使い方、バランスではないでしょか。このバランスを保つことが、老化防止、頑固さの回避に繋がるのであるならば、右脳の再生を考えて見る必要性はあるでしょう。
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右脳と左脳

2009年11月21日 10時38分10秒 | Weblog
突然ですが問題です。「東海道新幹線‘のぞみ’で、東京駅を出発して30分経ったら、今何処を走っているでしょうか?」もう一つ問題です。「雪が解けたら、何になるでしょうか?」

最初の答えは、品川駅に停まり新横浜駅に着くのが約20分後ですから、その先の藤沢近辺になるのでしょうか。次の答えは、ズバリ水です。これは常識的に考えたら当然の答えです。

ところが昨日こんな問答をしていて、最初の答えは「レールの上」次の答えは「春」と言う人がいるのです。その方は以前このブログでも紹介した、大阪で『きらく療法院やすらぎ』の院長をされているDr.ブルさんこと春田先生です。昨日出張で東京に来られていたのです。

そもそもなんでこんな話になったのかと言いますと、梶さんは左脳派人間だと、春田先生が言うのです。つまり、もう少し右脳を働かせた方がいいのではないかと言うのです。

ことさらながらですが、右脳は映像・音声的イメージや創造性を担うものとされ、左脳は言語や論理的思考が中枢であるとされ、例えば芸術肌の人物は右脳優位、理屈っぽい人物は左脳優位だとする説です。科学的な知見はあまり無いとも言われていますが。

それではどうしたら右脳を働かせることが出来るかとの話となり、春田先生は「そうでんな~、梶さんの持っている我を、一旦捨てることでっかな~」と曰く。私なりの解釈ですが、固定観念を先ずは捨ててみる、本来人間は右脳的な素晴らしい感性も持っているけれど左脳が勝っている限りそれが出てこない。と受け取りました。

前回書いたユーモアと、どこか繋がるところがあります。物事を柔軟に多面的に捉えることにより、自由な発想も浮かぶ、それを私は無意識に封じ込めていたのかも知れません。

ユーモアを身に付ける、ちょっとヒントを頂いた様に思いました。
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ユーモア

2009年11月14日 06時08分21秒 | Weblog
会社の環境が厳しい限りその対策を講じ、更なる経費削減などの話も伝えなくてはならず、先日社員に集まってもらいました。しかしその内容は、あくまでも前向きに捉えてもらう必要があります。社員の士気や会社の勢いが無くなっては逆効果です。

そこで話の途中で、皆の気分を変えようとある話をしました。先の見通しが立たないこの時期はある物を食べると良い、それは何でしょうか、と社員に振りました。実はその前日に人から聞いた話しをしたのです。ちゃんと前置きをして。

答えは「蓮根(レンコン)」、その心は、穴が開いていて先が見通せるから。若干名苦笑してくれましたが、見事に外しました。私は不謹慎な話をしたとは思っていませんが、大いに力量不足であったと受け止めています。

“ユーモア”、それは一瞬にして場の雰囲気を変える。使い方によっては想像以上の効果を発揮するものです。苦しさや切迫感や悲壮感などを、一旦肩から下ろしゆとりを取り戻し希望すらもたらすもの。そんなものがユーモアだと思っています。大袈裟に言えば、人間が人間らしく生きる知恵かもしれません。

ユーモアに似た様なものに、“親父ギャグ” なるものがあります。私はユーモアとは、はっきり区別したいと思います。これは人に無理やり笑ってもらうだけに専念して、最後は自己満足です。自分が気持ちよければそれで良いのです。

一方ユーモアの視点は他者を和ますものです。他者の為にするものです。そして前もって準備し、前もって謀(はか)るものでないと、人は誘導出来ません。KYの人(空気を読めない人)には到底出来ないことです。

しかしこのユーモアは、一朝一夕にして身に付くものではありません。またその人の人格の醸し出すものでもあり、意識して長年訓練しなくてはならないかもしれません。

失敗を恐れず(他人には迷惑でしょうが)、こんな時期だけに、ユーモアのセンスは磨いて行きたいと思います。
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話しを伝える

2009年11月07日 11時15分41秒 | Weblog
話すと言っても、種々色々あります。スピーチや発表など一方的に話す場合もあれば、会合や談話など相手と会話する場合もあれば、はたまた独り言や朗読など一人で話す場合もあります。

相手が居ないケースは別として、話すことに共通しているのは、相手に話の内容が伝わるかどうかが大きな問題です。その為には、趣旨の分かり易さや選ぶ言葉の正確さ、また話すテンポ・語尾・抑揚・間合いなど等、きちっと伝わるのに必要な要因は数々あります。 

以前からお話している私の日課、毎朝小冊子を朗読し録音しそれを聞き直す、それは人に話す際に役に立っているものと思っていました。いました、と言うのはそうではなかったのです。(朗読の限りでは進歩はあると思いたいのですが)

先日千葉工場に行った際社員を集め、会社の近況を話したのです。朝礼でも会議でもなかったので、難い話と取られない様に話をしたのです。何気無く録音をしてみようと思い、その録音を後で聞いたのです。

驚きました。「えー、まー、そのー、あのー」が何て多いことか。話すことを前もって整理してなかったからか、気を抜いて話したからか。それとも、それがもう私の癖になっているのか。自分が社員として聞き手に回っていたとしたら、聞きたい話の部類には入らないでしょう。ゾッとしました。

後でもう一度、一人でやり直しました。「えー、まー、・・・」、この無意味な繋ぎの言葉を入れないのは、可也難しいことが分かりました。相手の側に回り、曖昧な表現や不明瞭な言い回しを止め、言葉を吟味して話すのは、相当な訓練を必要とすることも分かりました。

そのやり直しの録音を聞いてみると、実際に社員に話した録音とは雲泥の差でした。話を人に伝えるとはこの様なことなのでしょう。

社長の言葉使いや、社長の話し方は、時として非常に大事です。ただ言っている、ただ話してのでは無く、きちっと伝える努力は大いにしなくてはなりません。
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