「○○さん!雪が解けたら何になるでしょうか?」会社でもそんなことを言っているのです。私のブログを見ていないであろう社員に、もう一人の社員が問題を出しているのです。聞かれた社員は、「春」とは当然答えられませんでした。その答えを聞いても、その社員はキョトンとしているのです。
それは置いといて、私の家内は恐らく右脳典型人間です。家内の私に対する話には主語が無いと言うか、倒置法と言うか、一瞬何を言っているのか分からないこと度々です。聞き直すと「お父さんは頭が固い。そんなこと理解出来ないの」と言います。
私は確認の意味もあり聞き直すのですが、変化球に弱い、そんな私が左脳型人間なのでしょう。家内は亡くなった自分の母親とは、もっと省略しても話しは十分通じたと言うのです。それはもはや霊感や以心伝心の世界に入っているのでは、と思いますが。
私は小さい頃、ひょうきんで音楽好きで外でも良く遊ぶ、天真爛漫な子供でした。それが小学生低学年から勉強塾や習い事をする様になって(勿論母親の強制的指導ですが)、性格が変わって来ました。そこに長男であるとか、家業を継ぐのだとかの要因が加わり、現在の人格が確立されたのです。
いまだに音楽は好きですけれど、何か楽器を奏でられる訳でもありませんし、元々備わっていたはずの右脳の感性は生かさていません。恐らくこれまでの生き方や習慣で、右脳的な感受性は封じ込められてしまったのでしょう。
年齢的な問題や、長年かかって構築された性格故に、その打破には限界はあるでしょう。でも偏りすぎは直せるかもしれません。固定観念を捨ててみる、物事を柔軟に多面的に捉える観点からも、自分を見直す今回はチャンスかもしれません。
本来人間には右脳と左脳が両方備わっているのであれば、その使い方、バランスではないでしょか。このバランスを保つことが、老化防止、頑固さの回避に繋がるのであるならば、右脳の再生を考えて見る必要性はあるでしょう。
それは置いといて、私の家内は恐らく右脳典型人間です。家内の私に対する話には主語が無いと言うか、倒置法と言うか、一瞬何を言っているのか分からないこと度々です。聞き直すと「お父さんは頭が固い。そんなこと理解出来ないの」と言います。
私は確認の意味もあり聞き直すのですが、変化球に弱い、そんな私が左脳型人間なのでしょう。家内は亡くなった自分の母親とは、もっと省略しても話しは十分通じたと言うのです。それはもはや霊感や以心伝心の世界に入っているのでは、と思いますが。
私は小さい頃、ひょうきんで音楽好きで外でも良く遊ぶ、天真爛漫な子供でした。それが小学生低学年から勉強塾や習い事をする様になって(勿論母親の強制的指導ですが)、性格が変わって来ました。そこに長男であるとか、家業を継ぐのだとかの要因が加わり、現在の人格が確立されたのです。
いまだに音楽は好きですけれど、何か楽器を奏でられる訳でもありませんし、元々備わっていたはずの右脳の感性は生かさていません。恐らくこれまでの生き方や習慣で、右脳的な感受性は封じ込められてしまったのでしょう。
年齢的な問題や、長年かかって構築された性格故に、その打破には限界はあるでしょう。でも偏りすぎは直せるかもしれません。固定観念を捨ててみる、物事を柔軟に多面的に捉える観点からも、自分を見直す今回はチャンスかもしれません。
本来人間には右脳と左脳が両方備わっているのであれば、その使い方、バランスではないでしょか。このバランスを保つことが、老化防止、頑固さの回避に繋がるのであるならば、右脳の再生を考えて見る必要性はあるでしょう。