梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

23年前の3月

2013年03月30日 10時23分43秒 | Weblog
今から23年も前のこと、平成2年3月の時の話しとなりますが、私は37歳でした。先代である父が前の月から腰の痛みを訴え、3月に入りとうとうその痛みに耐えられず、いつもの習慣で温泉に行って治してくると言い出しました。

母を連れて向かった先は、山梨県の下部温泉でした。この下部温泉は、古くは武田信玄の隠し湯として、またスポーツ選手の体の故障療養などでは有名な処です。昔学生相撲を取っていた父が、何度か持病の腰痛を治した温泉でした。

温泉に行ってから3日目位に母から悲壮な電話が入りました。「お父さんの痛みが更に悪化して殆ど自分でも歩けない状態になって、食事も喉を通らないのよ」。明らかに異常です。相談の末、東京に戻り医者に診てもらうことにしました。

東京から社員が電車で下部に迎えに行き、父が運転して行った車を回収しながら、自宅には戻らずその足で病院に直行しました。私の学校の同期で、父親も何回かは診てもらっていたお医者さんが居る、総合病院に向かいました。

緊急の血液検査などの結果から、箇所は特定出来ないが癌であることが判明しました。ベッドに空きもあり、即刻入院となりました。当時は本人への告知も慎重な時代。父親には検査入院とのことで、お茶を濁した形としました。

一週間単位で体力の低下が著しく、それによって精密検査も全部は受けられず、治療や手術などに決定打を欠いたことも事実です。入院二週間後、意を決し、父親にはありのままの事実を告げました。父親は、既に覚悟はしていました。

ちょうど入院三週間後、温泉に行ってからまた自宅を見ることもなく、病院のベッドで息を引き取りました。3月の頭まで、第一線で現役社長として仕事をしていましたので、凄いオヤジであったとしか言いようがありません。

3月28日の夜、病院の地下の遺体安置所に家族が集まって来ました。底冷えする一夜を明かした記憶が、今でも鮮明です。その時、桜が咲いていたかははっきり覚えていませんが、毎年桜と共にこの時の3月を思い出します。

梶哲商店がその後、何が変わって何が変わっていないか、自分では全てを明確には出来ませんが、先代の死と共に私の社長業がスタートしたことは言うまでもありません。先代の早過ぎた死も、今考えると全てに意味があったと思います。
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先代の供養

2013年03月23日 06時18分08秒 | Weblog

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、20日の春分の日はちょうどそのような陽気となりました。その日は幹部社員二人と浅草のお寺にある先代の墓参りに行って参りました。

大企業でもありませんし、毎年恒例にしている訳ではないのですが、今年も幹部社員の方から声を掛けてくれました。去年は先代の23回忌でもあり、親族だけで法要を行ったのを知って、幹部社員から墓参りの申し出がありました。

現在居る社員は全員先代を知りません。先代が存命中に働いていた社員であるのならばまだしも、このような申し出は私としても嬉しい限りです。

当日のお寺では春季彼岸会が執り行われており、本堂では、お彼岸の意味だとか親鸞聖人が言いたかったことなどの法話があり、多くの皆さんが集まって来ていました。境内では桜が見事に開花し、墓参りの人波が絶えません。

私達は墓参りを済ませ、繁華街を散策。祝日でもあり天気も良かったので、浅草は相変わらずの人混み。外人の観光客が目立つのは、ここ最近の円安の影響も大きいのでしょうか。

昔は沢山の映画館が密集していたロック街は、今ビルの建て替えラッシュ。建物が老朽化して、最後の映画館が昨年末閉館になりました。その一つ筋が違う、中央競馬会から新仲見世に通じる一帯は、愛称ホッピー通り。牛すじやモツの煮込みなど食べさせる、通りにテーブルを出している店が立ち並びます。

幹部社員とは昼食をする約束をしていましたので、その中の一軒に飛び込みました。皆さん昼間からお酒を飲んでいます。私たちも当然のことながら、ビールを頼みました。

行き過ぎる人を横目で見ながら、暖かな日差しを浴びての、この解放感は何とも言えません。つまみを食べながら、お酒が進むにつれて、閉ざされていた心の蓋が開いたように、普段話すことがない話題がどんどん出てきます。

例えば会社の将来を語るにしても、会社で真面目に語っていても話は進みません。こんなことも、たまには必要ではないか。先代の供養に感謝です。
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矢沢さんの一周忌

2013年03月15日 12時48分25秒 | Weblog
3月6日に、アメリカ在住の日本人の方からこのブログに突然コメントを頂きました。一年も前に書いた、中米グアテマラで邦人が殺害されたことの内容(去年3月に『矢沢さんを悼んで』と題し掲載)についてのコメントでした。

グアテマラまで訪ねて行ったこともある矢沢さんが、去年強盗の凶弾に倒れました。その矢沢さんと、40年前にニューヨークの高島屋のテレビ売り場で一緒に仕事をされていた方が、どこをどう探されたのか私のブログにたどり着いたのです。

そのブログと写真を見て、昔の思いが湧き出て来たとのことで投稿をして頂きました。私を通して、ご家族にご冥福を祈っていることを伝えて欲しいとのことでした。しかし矢沢さんご本人とはメールによってしか連絡を取っていなかったので、奥様はましてスペイン人であり、残念ながらその方の意には添えませんでした。

矢沢さんの葬儀にも参列出来ず、ご家族にお悔やみも言えない。しかし、地球の裏側には未だ矢沢さんが存在しているようです。矢沢さんらしい、粋な演出なのかもしれません。

それにしても不思議です。ほぼ一周忌の時期(命日は3月7日)に、矢沢さんを知る方から、海外から私宛にコメントを頂くとは。今回の主旨からそれるかもしれませんが、地球規模で私のブログを見て下さったことに感動を覚えます。

矢沢さん宅の敷地内にある迎賓館。日本の演歌など、カラオケの曲が沢山歌えるところでした。
  

滞在中、素敵な奥様の手料理をご馳走になりました。
  

あらためて、ご冥福をお祈りいたします。

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息子とのひと時

2013年03月09日 10時51分24秒 | Weblog

週末を利用し後は休暇をとって、長男と家内と私と三人で旅行をしました。長男がなんとか大学に受かり、受験勉強から開放され、新たな大学生活を迎える一つの区切りとして決行しました。

振り返ってみると、長女の時も次女の時も、節目の時に小旅行をすることが我が家の慣わしとなってきました。家族で喜びを共有するにしても、次のステージに気持ちを切り替えるにしても、非日常の旅は最適となります。

反面その間、寝食を共にして四六時中一緒に居るのですから、良い面も悪い面も普段見えないところも見えてしまいます。子供の物の考え方なども、日頃気付かない新しい発見をすることもあります。

これまで私は息子には意味も無く勉強をしろとは一切言いませんでした。家内はそのような私の対応に不満はあったかもしれません。しかし彼自身が、しっかり目的を持って能動的に勉強しなくては、親からの強制は威圧になります。

私自身ある時期まで母親から勉強を強要され、その刷り込まれた威圧感がいまだに残っています。仮にそれによって世間で言われている良い大学に入れたとしても、一生涯通用するような、本質を学び実践することを修得した訳ではありません。親は長い目で子供を見守ってあげることが、大切だと私は考えます。

「多くの本を読んでみたい」。今まで本を読む機会が無かったのか、あまり読書に興味が無かったのか、旅行中に息子がぽつりと言い出しました。継続してくれればと願うばかりです。

旅館に泊まった際、家庭ではこんなチャンスはありませんので、息子を誘って大浴場に一緒に入りました。「父さん、背中を流そうか」。期待はしていませんでしたが、嬉しい限りでした。息子の背中も洗ってやりました。身体だけは大きくなりました。

親の背中を流すなど、どこで教わってくるのか。大学では、色々な価値観ともぶつかることでしょう。親の教育は及ばないところまできているのかもしれません。今回の旅は、むしろ親側の子供離れの旅だったかもしれません。
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おやじギャクの真価

2013年03月02日 09時38分42秒 | Weblog
街中で外人に道を尋ねられました。その場所は知っている、時間はある、でも英語力には自信がない。あなただったらどうしますか。簡単な回答がありますので、最後にお伝えします。

日経新聞日曜版の一番後ろのページに、文化欄があります。『英語で笑わす「はとバス」男/臨時ガイド半世紀、ユーモアとデータで喜ばす/佐藤卯一』との表題で記事が載っていました。

26歳の時からはとバスの東京近郊観光ツアーで、外国人のお客様のガイド役を務めた方です。最初は事務的に説明をしていて、ほとんど話を聞いてもらえず、お客様の眠そうな顔を見て落ち込んだと言います。

仕事を重ねるうちに、お客様は勉強のためではなく、楽しむために旅をしている、本当に大切なのは笑いだと気付いたのです。以来、英語のおやじギャクを磨いて、楽しませることを追求してきた方です。

バス座席の切符で、二列目のB席、つまり「トゥー・ビー」を渡す時に、「To be, or not to be」とつぶやくと、シェイクスピアの悲劇ハムレットに出てくる名ゼリフを欧米人で知らない人はなく、いつも車内が大笑になったそうです。

「バスは10時に出発します。1分過ぎでもバスはいません。乗り遅れた人はあそこの素敵なホテルに自費で泊まって下さい」。説明口調で集合時間を強調するより、ギャグを交えると、乗り遅れるお客様がいなくたったと言います。

記事を読んでいて、これは会社で起きていることなのかもしれないと思いました。自己中心で淡々と話す社長の話など、社員はあまり真剣に聞いていないと。会社でのユーモアが、私にもっとも欠けている要素かもしれません。

人の話す言葉の情報は聞いている人には10%も伝わらず、身振り手ぶり、言葉の抑揚や口調、あるいは見た目、そのようなものが後の90%以上も左右すると、アメリカの心理学者メラビアンの法則があると最近教わりました。

道を聞かれたら、「Follow me!」。なにげなくこう答えて案内しちゃいましょう、と佐藤卯一さんは仰っています。
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