梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

残念な報告

2014年03月29日 09時39分36秒 | Weblog
電炉で平鋼を生産しているメーカーの二社が、二月と三月に、それぞれ事業撤退を決めました。どちらも堅実経営で知られたメーカーではありますが、近年の平鋼需要の激減や価格競争の激化から赤字経営を強いられてきた結果と、業界紙は報じています。

どちらも昭和20年代に創業され、伸鉄からスタートして、単圧そして電炉メーカーに発展してきた経緯があります。平鋼の国内の年間需要規模は、昭和40年代には40万トンだったのが、平成バブルは200万トンを超えたと言われます。

しかしその需要は現状、90万トンまでに退潮しています。二社が撤退するまでは、国内では八社が月間8万トンの市場を分け合っていて、ここ数年でも平鋼メーカー各社の採算は一段と悪化して、限界を超えた状況だったと言われていました。

実は、わが社はこの二社とは昭和40年代から取引がありました。わが社の昭和27年創業がスケールの回収業であったことから、伸鉄・単圧・電炉メーカーにそのスケールを求めたのは当然のこと。二社と取引が開始されたのは自然の流れでした。

その後、わが社はスクラップ事業に進出しました。市中のスクラップを買い集め、伸鉄メーカーにそのスクラップを加工した材料を販売出来たのも、以前からスケールでお取引があったメーカーであればこその産物でした。

昭和50年代に入り、スケールの集荷や伸鉄材の加工から撤退したものの、電炉メーカー向けにスクラップを納入する業務は継続していました。平成10年頃までは、その内の一社とは、長くお取引をさせてもらってきました。

更に、わが社は昭和54年に別会社として運送会社を立ち上げました。この二社に働き掛けたところ、帰り便を利用したわが社の運賃が評価され、地方への発送で起用され、ある期間お仕事を頂きました。
 
振り返ってみて、わが社の業歴でこの二社の占める割合は少なくありません。わが社の今日の礎を作って下さったのも、この二社であることは間違いありません。

戦後創業し、日本の復興に鉄鋼製造で貢献されて60有余年の二社。わが社と業態は違えども、規模は及びもしませんが、先代はこの二社の事業撤退をどう受け止めるでしょう。昨日の28日は、先代の命日。伝えなくてはならない、とても残念な報告です。
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仕事を侮らない

2014年03月22日 06時18分24秒 | Weblog
先週の土曜日幹部社員三人と、浅草の菩提寺に、先代の墓参りに行ってきました。先代は平成2年3月に急逝しましたので、24年経過したことになります。幹部からの申し出によって、この3月の墓参りが、2年前から恒例となりました。

墓参りが終わり幹部と共に、浅草から日本橋浜町に向かいました。萩本欽一さん演出・主演の『ほめんな ほれんな とめんな』、明治座3月公演を観る為にです。去年のわが社創立60周年行事に、演歌歌手の谷本知美さんが出演して下さいました。その谷本さんが出演者の一人として舞台に立っていたからです。

ほぼその一週間前に、私と家内は国立劇場3月歌舞伎公演を観る機会を得ました。幹部の一人から二枚のチケットをもらったからです。その幹部は友人からもらったチケットでしたが、当日どうしても都合が悪くなり私が譲り受けたもので、言わばそのお礼で明治座に幹部社員を招待しました。

私は歌舞伎を以前観たことはありましたが、台詞にちょっと難解なところもあり、進んで歌舞伎座に行くこと等ありませんでした。しかし、今回は歌舞伎の面白さに魅了されました。演目は、『處女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)-切られお富-』。中村時蔵のお富の役に、気が付いたら、ぐいぐいと引き込まれてしまいました。

テレビや映画は、何回も撮り直して最高の作品を作り上げます。演劇や歌舞伎は、生の世界の勝負でありやり直しがききません。それだけに迫力があり、それが芝居の醍醐味であり、またそれによって観客との一体化も図れます。

たまたま観たテレビが、今回の公演で最後になる萩本欽一さんの番組でした。いつも芝居の一シーンは、リハーサルをやらないと言っていました。常にテンションを上げて、アドリブを活かしマンネリズムを避ける意図があるようです。

歌舞伎の世界では、何代にもわたり伝統芸能を子孫に伝えてきた、ゆるぎない伝承方法があります。同じ題目でも筋書きが分かっていても、役者自体に存在感があり、幾度となく観客は足を運ぶ魅力がそこにありそうです。

私達の普段の仕事に置き換えてみると、仕事を侮(あなど)ることなく、本当に真剣になって取り組んでいるのか。お芝居や歌舞伎からも、学ぶことは多くあります。
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社員の採用事情(その2)

2014年03月15日 09時49分51秒 | Weblog

2週間前に行われたハローワーク主催の合同面談会は、JR市川駅の近くにあるホテルの会場で行われました。会社を代表して、営業部長がブースを仕切りました。わが社の他に、鉄鋼流通加工業三社も参加していたとのことでした。

午後から行われた面談会のわが社のブースには、幸いにも5~6名が集まったとのこと。入れ替わり立ち代わり、途切れることも無く、面接対応に追われたとのことです。昔の事を思い出すと、集まるかの不安はありましたが、今回は行った甲斐がありました。

日本は今、特に建設業や運輸業では深刻な人手不足の問題を抱えています。景気の悪化局面で人材が流出することや、好景気になっても技能職は速成では育たない構造もあります。また拘束時間に比べると給料が決して高くなく、他の職種で、もっと楽をして稼げる選択肢もります。それぞれの業界には、特有の問題が存在しているようです。

私の勉強仲間で運送業を営んでいる社長がいますが、去年多くのドライバーが辞めて、一時期は代役を強いられました。国の対策としても、外国人労働者の技能実習制度がありますが、これは技術の供与であって、長期の働き手を確保するものではありません。

その様な外部の状況を考えると、今回は本当に有り難いことです。結局、大卒者3名、高卒者2名(この中には1~2年既に社会で働いた人もいました)計5名が、その合同面談会を経てわが社に面談に来ました。

新卒者が、わが社の規模のような製造現場を希望するのは、以前では考えられないことでした。新卒者の仕事や職種に対する考え方の変化、景気の変動による企業の採用状況の変遷、つまり社会や世相の移り変わり等、色々な要因が絡み合っているように思います。

ここ何年間も、毎年参加している前述の同業社の一社は、今回は面談者が少なかったと聞き及びました。同じ会社でも1年前とは状況が違うようです。わが社には面談者が多かったことは不思議なことです。

その分析がしっかり出来ていなくても、前年に続いて今年も挑戦した結果が今回です。現場の高齢化に直面して、幹部社員達が危機感を持って、何としてでも若返りをしたい、その熱意と行動力が実を結びかけています。

昨日、幹部社員からは、22歳の二人を同時に採用したいとの申し出がありました。私としては、その判断は社員に任せることとしました。
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社員の採用事情

2014年03月08日 09時36分36秒 | Weblog
わが社はこの2~3年位の間は、多少仕事が忙しくなったとしても、現社員でやり繰りをしていく前提で増員を考えてきませんでした。しかし去年の秋に、現場で一人退職者が出ましたので、その補充をすべく募集を続けてきました。

従来募集をする媒体としては、ハローワークに申込み、様子を見ながら、応募者が少ないようであれば求人雑誌や新聞折り込みに広告を出していました。今回もハローワークには登録しましたが反応は薄く、欠員状態が今日まで続き、会社全体で何とかやり繰りをしてきました。

実は、去年わが社は、ハローワーク主催の高卒新卒者の合同面談会にエントリーして、19歳の社員を一人採用しました。その直前にも欠員者が出てしまいましたのでハローワークの勧めもあり、初めての試みでした。現場では数年前から、補充する機会があるのであれば、是非とも若手をとの要望が根強かったのも、新卒を検討した理由です。

20年前の事を思い出します。当時わが社は中小企業同友会に入っていました。入会した理由は、中途社員採用でした。同友会では毎年、共同就職フェアを開催していました。参加した数十社が大きな会場を借りて、大々的に広告を打って、多くの求職者の面談をして社員を採用する。その様な事業があったのです。

当時わが社のスクラップ事業は、3Kの代表の職場でもあり、長年に亘り人手不足に陥っていました。一縷の望みを賭けた、共同面談でした。二回挑戦して、何とか社員を確保しましたが、希望する若さの年齢からは程遠いものでした。

その共同面談では、求職者が集中する企業と、殆ど寄り付かない企業との差が歴然と表れていました。勿論、営業職とか現場職の違いはあるのですが、人気があるのは、会社の規模が大きいとか、サービスや情報産業などでした。独り勝ちをしてしまう企業が在ったのですが、それに対抗出来ない悔しさだけが残りました。

そのような過去の経験が私にはありましたので、去年のハローワーク主催の合同面談会は、わが社に面談を求めて来る新卒者がいるのか、内心は心配でした。幹部社員が嬉々として面談から帰って来て、彼だけはどうしても採用したいとの報告を受けました。

果たしてそのきっかけで、わが社には最年少の一人の社員が入社したのです。 ~次回に続く~
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営業で大切なこと(その2)

2014年03月01日 09時12分38秒 | Weblog
“人は情報によって行動が変わる”と、前回書きました。さて、その情報の信ぴょう性については、検証をしなくてならないことは言うまでもありません。

「梶哲さんは高いねえ」。お客様に価格を聞かれて、この様なことは言われるものです。しかし、どこと比べてどの様に高いのかを、常に押さえておくことは必要でしょう。お客様の仕入れ担当者とすると、安く購入するのが主な仕事となるのですから、常套句として使われていることもあり得ます。

例えば他社と同じ価格であったら、あるいは多少高くても、お客様がわが社を選んで下さったとしたら、その要因は何か。納期なのか、品質なのか、後で何かあった時の対応なのか、あるいはわが社の窓口の受け答えの雰囲気なのか。

人は情報によって行動が変わるのであれば、お客様の、わが社が伝えてしまう情報を、わが社がしっかりと認識しておくことが、特に営業にとっては大切なことです。つまり選ばれる理由を、営業が把握しているかどうかです。

つまり伝える情報は、わが社が持っている価値と言ってもよいかも知れませんが、価値は伝わらないと存在すらしません。お客様が選んで下さる要因は、価格以外であるならば、わが社が持っている、人間が関与する特徴的なものでもあります。

平たく言えば接客・サービスや対応・オペレーションや、言い方を変えれば経営のやり方や、もっと言うと経営理念などになるのかもしれません。

「梶哲さんだったらきっと何とかしてくれる」。今回大量注文を下さった会社の、担当者の上司はそう仰ったのです。「あの梶哲さんだったら」との期待に、応えられたことになります。逆にお客様から「あの梶哲さん」と言われれば、わが社の価値は伝わっていることになります。

しかし、その期待に応えることは簡単ではありません。リピートで受注している仕事や、既にスポットでも受けている仕事も、今回はありました。当然現場サイドでも、量が多いだけに、その中での大変なやり繰りや工夫はあったはずです。

社内の混乱は、お客様の期待に応える為には避けては通れません。営業部隊で大切なことは、普段からの現場との一体化やコミュニケーションも絶対に必要なことです。
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