梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

副会長に再任され

2013年05月31日 18時52分19秒 | Weblog

東鉄連平成25年度の定時総会が、29日に茅場町の鉄鋼会館で行われました。24年度一社入会はあったものの十社退会があり、期末には325事業所となり、実際は2つの団体にまたがって加入している会員もあり、実数では306社となりました。

会員数の減少傾向は残念ながら歯止めはかかっておりません。廃業や転業やその他破綻などの理由で退会されるのは仕方がないとはいえ、会員が減ったからといって、会の吸引力や魅力まで失うことは避けなければなりません。

私は江戸川鉄栄会の会長に任ぜられて、上部団体へ派遣される形で、その東鉄連の常任理事となって7年が過ぎました。常任理事会は下部加盟9団体の各会長によって構成されていて、原則そこから会長と副会長が選ばれます。そして私が東鉄連の副会長を仰せつかったのは4年前になります。

東鉄連の会長が今年度改選されたのですが、その新会長からまた指名を頂き、引き続き副会長をさせて頂くこととなりました。その重職である以上、東鉄連の維持・活性化は私の役割と考えて、気持ちを新たにしているところです。

9団体から更に数名ずつ東鉄連に派遣され、理事として任命され、4半期に一度開催されるのが理事会です。その理事会で近頃、東鉄連はマンネリ化しているとか、この理事会自体活気が無く面白くない、との意見がちらほら出ています。

マンネリは何故起こるのでしょうか。会の目的が、今の複雑な経済環境ではっきりしない。常任理事が一定の任期で変わる為に、責任を持った継続した仕事がなかなか出来づらい。事務局任せにしてしまう方が楽だ。新しい事業をすると労力とお金が掛かってしまう。

色々と理由は出てきます。しかし、役を引き受けた役員の一人一人が、前向きな発言をすることで、責任を持った行動をすることでしか、マンネリの打破など不可能です。少なくとも、長く居る私はその責任と覚悟を重く感じています。

総会の後、元寺尾関、現錣山(しころやま)親方の“私の相撲人生”と題して講演。「部屋で生活を共にする弟子はファミリー同等。弟子に教わることで私も成長している」との言葉は印象的でした。
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固定観念の打破

2013年05月25日 08時33分33秒 | Weblog
詐欺であるとか騙しとかは、当然のことながら欺く側は狡猾で下心がある人間であり、その結果罪も無い善人が損害を受けます。従って、騙す人間は全くの悪人であるという見方は誰も否定はしないでしょう。

過去わが社は、本来の扱い商品ではない鋼材を販売し、その販売先から代金が回収出来なくなった苦い経験をしました。最初は即金で商品を引き渡し、暫くしてから掛売りになり、その決済もクリアーして数量が増え、そしてその後・・・。詐欺まがいの行為に引っ掛かったのです。

売上増は大事、利益も必要、よって新規のお客様が増えることを希求する。これは間違ってはいません。しかしその販売先をしっかりと見ないで、何故わが社に新規に注文を下さるのかを場合によっては疑い、その検証もしないで突き進むのであれば、欲得だけの危険な商売になりかねません。

わが社には取引先の与信管理規定はあります。しかしルールを作ったからといって代金回収が盤石ではないことは明白です。自分の儲けや欲得から一旦離れ、技術や提供するサービスを常に磨くことを本質とし、お客様からわが社が本当に必要とされているかを見極める必要があります。

過去の失敗を、一時期は被害者意識で、騙した方が一方的に悪いと思い込んでいました。しかし今冷静に考えてみると、騙されたわが身に問題があったことを認めています。自己の欲得が、知らず知らずの内に正当化され固定化されて、詐欺を引っ張り込んでいたということです。

自分の考えが固定化され、自分の都合の良い方へと解釈してしまうのは、このような詐欺に遭ってしまうことだけに限らず、常に身近に起こることだと思います。

詐欺師はあらゆる想定をして巧妙にシナリオを作り人間の隙を狙ってきますが、自分に降りかかってくる世の中の事象も複雑怪奇の様相をもって試しをしているのかもしれません。

固定化される考え、つまり固定観念の打破は人間の永遠のテーマかもしれませんが、少なくとも自分は正しいと思い込まない努力は続けなくてはなりません。
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現役社長の訃報

2013年05月18日 06時00分35秒 | Weblog
私と同じ歳の社長が亡くなられました。同業者でもあり、その会社とはお取引もさせて頂いておりました。業界団体においては要職に就かれ、長年積極的に活躍されており、その若さでの現役社長の訃報は業界でも驚きは隠せません。

確かに腰の不調は今年の初めから訴えられていました。椎間板ヘルニアであるとご本人は仰っていましたが、それが癌による痛みだったとは。わが社の営業部長曰く、一か月前に会社を訪ねた時はにこやかに対応して下さったとのこと。

“ぞうさん”と皆から呼ばれていました。その由来は詳しくは知りませんが、やはり象に相応しい体格で、屈託の無い笑顔や、人の陰口など言われたことの無い気性から、業界では珍しく愛称で呼ばれ多くの人から親しまれていました。

7年前に私が東鉄連の常任役員に選ばれてからは、ぞうさんとは話す機会や飲む機会が増えました。その人望で東鉄連の厚板部会の部会長を長年務められていて、そんなぞうさんから誘われ厚板部会のメンバーに加わらせて頂きました。

溶断業では後発であるわが社が、伝統ある厚板部会に参加を許されたのも、ぞうさんの力強い後押しによる賜物です。今ではその部会で同業者の貴重な情報交換をさせて頂いており、わが社の業界動向の把握には大変役立っています。

江東区東雲二丁目の一角はかつては数十社からなる鉄鋼団地であり、そこにぞうさんの会社にもわが社にも工場がありました。今では鉄鋼業はほぼ撤退して、主力は物流倉庫業となりましたが、現在は共に他社に借りてもらっています。

その様な事や、同じ歳で二代目でもあり、お酒の席も決して嫌いではない。等々、互いに共通点が多いのも縁でした。それだけに同じ世代で身近の社長の死は、自分に置き換えてみても、健康管理や後継者問題など身につまされます。

私自身の死生観は、若い時と今とではやはり随分と違ってきています。死に対する恐怖や不安も若い時ほどではありませんし、生きることの意義や死ぬことの意味も、もっと深く考えるべきだとも思うようになりました。

その方の死を、生かされている私達はどう受け止めどう生きて行くのか。ぞうさんのご冥福を、心よりお祈り致します。
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ゆっくりとした連休

2013年05月11日 11時28分16秒 | Weblog

この大型連休は、例年だと家内の実家山形酒田に行っているところです。既に両親もいない実家ですが、家の点検とお墓参りを兼ねて、この連休とお盆の時期には殆ど行っていました。

家内が去年始めたコーラスの発表会が6月に迫り、酒田に行かないのであれば私もこの期間に少しやりたいこともあり、恒例行事は取り止めにしました。

帰省ラッシュの真っただ中、高速道路の渋滞に挑むことには覚悟が要ります。しかしこの渋滞を切り抜けるコツも、学習効果で多少は身に付けてきました。ポイントとしては、混む箇所を何時頃通過するか、混んでいそうであれば迂回ルートを選択するかです。

それでも渋滞にははまります。他でまとまった休みが取れない以上は、この時期を利用するしかありません。

それはさて置き、今回は十分時間があり、私のやりたいことを後半の連休に入る前に箇条書きにしてみました。仕事がらみのこと仕事とは関係ないこと、普段ゆっくり出来ないことは結構あるものです。結論から言いますと、連休中に出来たことは半分位でしょうか。

年賀状と名刺の整理をしました。年賀状も時間を経過して、改めて見てみると面白いものです。年賀状名簿の訂正もかなりありました。頂いた名刺もある時期に整理をしないと溜まる一方です。

家族でバーベキューをしました。外の専用の場所の予約はもう手遅れでしたので、我が家のベランダでしました。キャンプ用の折り畳みテーブルを広げパラソルを差し、卓上炭焼き器で肉や魚を焼き、まるでおままごとの様なバーベキューでした。

絵を描きに出掛けました。東鉄連の京橋鐡友会の主催する水彩画教室に、去年の7月から月一回通っています。時間があれば、外の景色を描いてみたいと思っていましたので。

連休中に行ったことは、良く考えてみると普段の週末にも出来ることです。しかし心のゆとりが無いとなかなか出来ないことなのかもしれません。少なくとも酒田往復1100キロ旅の疲れは出ない、ゆっくりとした時間を過ごせました。
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仕事オフでの交わり

2013年05月04日 10時04分11秒 | Weblog

どうも私は餃子の焼き手専任になりそうです。去年社内でバーベキューをした際に、手作り餃子の美味しい店から社員が買ってきたものを、進んで焼かせてもらいました。そして今回は、「焼いて下さい」と社員から正式に任命を受けました。

後半の連休に入る前日2日、早く仕事を切り上げて、社内親睦のバーベキュー会を催しました。今回は専用のフライパンと鍋蓋まで社員が用意してあり、大量の餃子を焼かせて頂きました。焼き方も慣れて好評でした。

友人から稲盛和夫『盛和塾』小冊子4月号を頂きました。そこには京セラ時代に、稲盛さんが行っていた社内コンパの話しが載っていました。会社が大きくなっても伝統的と言っていいくらい、稲盛さんは社内忘年会をこだわりました。

風邪を引いて熱があっても、連日点滴を打って忘年会に出たそうです。慰安旅行や運動会に「面白くないので休みたい」と言う社員に、「勝手に欠席するのはまかりならん」と稲盛さんは一喝。大家族主義を通し社員に愛情があるからこそ、です。

そこまで私は厳しくは言いませんが、気持ちは全く同じです。一体化や家族主義を求めるのであれば、建前で唱えるのではなくて、行動に移すことが大切です。そして社員が、自然にそれを受け入れてくれるとがもっと大事です。

お酒が入る話なので、固くなりつつある話はこれ位にして・・・。

今年度は努めて飲み会をすることにしました。外のお店で行ったり、会社の食堂で食べ物を持ち込んだり、今回の様に工場内でバーベキューをしたり、それぞれ趣があります。お酒を飲み食べ物を口に入れれば、自然と心も開きます。

社内でする場合は前もっての準備が必要です。でも最近は役割を決めて手分けして、一段と要領が良くなりました。このような仕事を離れたやりとりは、社員同士のコミュニケーションを図るには一役かっているようです。

バーベキューでは、最初は焼き手であるとか役割を決めていますが、自然とやりたい人が交代で行っている社員の雰囲気が、最近はとってもいいです。一方私のほうはビール片手に、餃子の王将ならぬ“餃子の社長”と言ったところでしょうか。
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