風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

あれから27年

2022-01-17 | 社会
当時は車で盛岡の勤務先に通勤していた。
冬の自家用車通勤は雪との戦いだ。
毎朝5時には起き、天気予報や外の様子を見て
家を出る時間を決める。
降雪だったり、道路が凍っていたりすると
へたすれば通常1時間20分ほどの通勤時間が
2倍近くかかることもあるし、
日によっては雪かきしてから出なければいけないからだ。

この日も5時に起き、ストーブの前で着替えしながら
天気予報に続くNHKニュースを見ていた。
いつもより早めの出るため朝食を摂ろうとしていた。
その時、TVのニュースが大地震発生の第一報を伝えた。
その9年前に新婚旅行で訪れた神戸周辺が大変らしいとのこと。
ところが大阪や京都、西宮、姫路などの震度は出るが
神戸だけ家を出るまで震度が出なかったことが気になっていた。

午前中仕事をし、昼休みに会社近くの食堂へ。
そこのTVに映し出されていた神戸の街並みの姿に言葉を失った。
高速道路が倒れている。
かつて泊まった三宮のホテルが倒壊している。
空撮では街中から煙が立ち上っている。
唖然とした。
神戸に住んでいる高校の同級生に連絡を取ろうと思ったが
もちろんなかなかつながらない。
1週間後、ようやく電話で話せた同級生は
いつもの軽口を叩くEくんではなかった。
「神様はどうしてこんなことするんだろう」
という彼の言葉を忘れることができない。
自宅周囲で倒壊した家々から何人か助け出しもしたが
一方で悲痛な体験もしたようだった。
11年前の東日本大震災と同様
あの時のことは絶対に忘れない。

ところで、阪神・淡路大震災の時、
もうひとつ忘れられないことがあった。
当時、著作の編集をお手伝いしたこともあり、
いろいろお付き合いのあった当時の東和町長小原秀夫さんが
(東和町は2006年の市町村合併により現花巻市)
地震発生の2日後には数人の職員と救援物資を積み
全国に先駆けて公用車を現地に派遣したことだ。
その判断力、決断力、素早さに舌を巻いた。
のちにそのことを伝えると
「困っている人がいれば手を差し伸べるのは当たり前。
 明日は我が身だしね」と微笑んでいた。
全国的にも話題となったこの人のことも忘れられない。

コメント
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