風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

日本語表現の美しさ

2017-11-27 | 文化
はじめに断っておくが
美しい言語は日本語だけではない。
英語でも、フランス語でも、中国語でも、どんな言葉でも
それぞれの文化に根差した美しさがある。
中国語なんて、今も日本語の古事成語や四字熟語に
美しい表現が残っているもんね。

さて日本語独自の美しさから、日本文化を垣間見てみよう。

●おはよう
「お早う」が元々の言葉。
「お早うお出かけですね」「お早うお働きご苦労様です」など
正確には「お早う」の後ろに言葉がつくのだろう。
それを略して途中で止めることにより
余韻を残す表現になっている。
「こんにちは」「こんばんは」も同様。

●さようなら
「左様なら」が語源。「それならば」という意味。
これも略した言い方で「左様ならまた会いましょう」のように
そのあとに本来なら言葉が続く。
親しい知人などとの別れの挨拶に「それじゃ」というのもほぼ同じ。

●たそがれ時(かはたれ時)
夕方の時間帯を「たそがれ時」というのは一般的だが
朝まだ明けきらない時間帯のことを「かはたれ時」と言う。
実はどちらも同じ意味で、薄暗くて相手がよくわからない状況を指す。
「誰そ彼(たそかれ)」「彼は誰(かはたれ)」と書くとわかる。
これは私が好きな、本当に面白い表現。

●おめもじ
最近聞かなくなった言葉だが、明治の文豪などの作品でよく見る。
「(特定の相手に)会う」ことを言う敬語。
本来の言葉は「お目にかかる」なのだが
敬語であるその言葉をさらに直截的な言い方を避けることにより
より敬語としての格をあげると同時に、親愛の上も表す感じ。
漢字で書くと「お目文字」となり、「お目にかかる」を略している。
女性言葉なのだが、こういう例は他にも
「おしゃもじ」「湯もじ」などがある。
どうも花街で使われ始めた言葉らしいということをどこかで読んだ。

●小春日和
よく晴れて暖かい秋の日を表す。
最初の「小」は「少し⚪︎⚪︎みたいな感じ」という比喩の意味。
だからそのあとに続く言葉をやんわり否定する。
春ではないけど春のようなので小春日和。
同じような表現に「小憎らしい」や「小馬鹿にする」などがある。

●麦秋
私が日本語の中で一番好きな表現。
麦が実り、黄金いろになった収穫時期のことを言う。
しかしその季節は6月後半から7月初旬の初夏なのだ。
麦が色づき、こうべを垂れる姿がまるで秋のようだということで
麦にとっての秋・・・麦秋となる。
こうやって書いていても、つくづく良い言葉だなぁと思う。


総じて見ると、日本語は「略してボカす」表現が多い。
悪く言うと「はっきりものを言わない」ということになるのだが、
それは余韻を残したり、奥行きを出したりするためであり
相手が言わんとすることを洞察したり、慮ること、
あるいはその後の言葉を相手に委ねることが
おそらく日本古来の奥ゆかしい文化なのだろう。
だから誰かを「排除する」とか「死ね」とか言うのは
本来の日本文化には無い、無粋で無作法なことであることがわかる。
ネット上の言葉もそうだよね。
(的を得ているかどうかは別として)あまりに直截的。
JK言葉の方がまだ伝統的日本語表現に近い略し方をしていると思うよ。
コメント
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