風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

多様性

2017-11-07 | 世界・平和
人間はひとりひとり違う。
容姿も、性格も、生活環境も、思考も、出自も、育ちも、仕事も。
すべて一致するという人間などどこにもいない。
そういう人たちがともに共生する社会だからこそ
「多様性を認める社会」というのはごく当たり前のことであって
今さら大上段に掲げることではない。
ひとりひとりが幸福を追い求め懸命に生きている。

問題はその許容範囲をどう考えるかだろう。
「障がい」という言葉があるけれど
それだって「違い」「個性」と捉えるべきことだし
国籍や民族や宗教や肌の色はもっとそうだろう。
誰かを排除すというのなら、自分がいつか排除される恐れもある。
(これはイデオロギーのことを言っているのではない)
たくさんの人間がひしめき合って生きているこの星の上で
「自分が一番」「自分だけ良ければ」「自分が正しい」という論理は
共生を否定し、他を貶めることに相違ない。
相手の立場に立って考え、妥協点を探りながら
長い間人間たちはこの星の上でともに生きてきたし、
これからもそうあるべきだろう。
排除し、殲滅し、囲い込み、虐げた歴史を反省し学びながら。

LGBTだって、結婚しても旧姓を使いたい人だって
心身に不自由を抱えた人だって、他国籍を持った人だって
誰がいつそうなるかもわからないごく普通の人たちだし、
この社会を構成する人間のひとり。
ともにこの社会を生きる構成員という
当たり前の意識を持たないと社会は成り立ってはいかない。



「高等教育を無償化」という政策を掲げて勝利した与党が
選挙が終わってしまったら「無償化する大学を選別する」とのこと。
学生が何をもってその大学を選んだのか、何を学ぼうとしているのか、
そんなことも全く考慮なしに・・・ということだろうか。
誰もが偏差値だけで大学を選んでいるわけではなかろうに。
この方針は弱者切り捨て、地方切り捨てにつながる気がしてならない。
専門学校は?短大は?
もしその方針の理由が「財源」ということならば
裏付けなしにそういうことを選挙で訴えた人や党こそ糾弾されるべきだ。
コメント
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