まちの形
2017-11-12 | 旅
私はどうやら方向感覚に優れているらしく
初めて訪れるまちも地図なしで歩けることが多い。
特にわかりやすいのは城下町や宿場町。
「まちのヘソ」があるからだ。
港まちもわかりやすい方かもしれない。
まちの形は人の流れによって作られるものだから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/86/b53925f614c1b414537555da6d330dd4.jpg)
昨日1日で気仙沼の市街地もだいたい掴めた。
・・・が、そのまちの形は6年前の津波によって
大きく変わってしまったのだという。
港から続いていたらしいかつての市街地は消え、
味のある古い建物が
歯抜けになってしまったまちに点在するのみ。
被災直後に付けられた「残して良い」という○マークが
建物の壁やシャッターにまだ残っているところもあり、
そのリアルさを目の当たりに言葉がでなかった。
大船渡線、気仙沼線が交差する鉄道の要衝だったが、
一関からの大船渡線が気仙沼まで届くだけで
あとはもう線路すらない。
「線路だったところ」が残っている風景は悲しい。
港から離れた市役所〜気仙沼駅のあたりは
津波被害を免れたらしく、いい感じの街並みが残り、
無くなってしまったまちと対照的だ。
災害により変わったまちの形はわかりにくく、
そのコントラストは残酷だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/51/c7c3537b3663433978399a00d23a9c2a.jpg)
かつての市街地から移転した店が集まった
仮設商店街や飲み屋街があちらこちらで目につく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/9a/824831e0600e32368ff6dd9c39b59bdb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/78/40a2313df45593039ab0e2f065f9c863.jpg)
地形により天然の良港になっているから
それでもまだ、
もしかしたら被害は軽減されたのかも知れないが、
現地の人の当日の話は生々しくて重い。
生死がほんの偶然によって分けられた日。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/0d/0b786cc3f275836aa397503a297de318.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/f2/b7598ed9e3799d489818f7d084d13690.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/5e/375a14d7cc76d69ef9002d31fd0cc75c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/b7/6d04ce090ab06b77332a4c1e60707cd0.jpg)
さすがは港まち。
内陸の人間はなかなか食べることがない
美味しいものをたくさんいただいた。
ご馳走さまでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/3b/6b6350becc63f9648acb53e2f0183691.jpg)
まちの形は変わってしまったけれど、
そこに住む人たちは今を、これからを生きている。
また新たなまちの形が徐々に形成されていくのだろう。
旧市街地のかさ上げ工事が続き、
まだまだ時間はかかるのかも知れないが、
変わりゆくまちをまた見に来たいと思う良いまちだった。
それにしても、旧市街地に残っていたあのレトロな建物。
これからも残していって欲しいなぁ。
初めて訪れるまちも地図なしで歩けることが多い。
特にわかりやすいのは城下町や宿場町。
「まちのヘソ」があるからだ。
港まちもわかりやすい方かもしれない。
まちの形は人の流れによって作られるものだから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/86/b53925f614c1b414537555da6d330dd4.jpg)
昨日1日で気仙沼の市街地もだいたい掴めた。
・・・が、そのまちの形は6年前の津波によって
大きく変わってしまったのだという。
港から続いていたらしいかつての市街地は消え、
味のある古い建物が
歯抜けになってしまったまちに点在するのみ。
被災直後に付けられた「残して良い」という○マークが
建物の壁やシャッターにまだ残っているところもあり、
そのリアルさを目の当たりに言葉がでなかった。
大船渡線、気仙沼線が交差する鉄道の要衝だったが、
一関からの大船渡線が気仙沼まで届くだけで
あとはもう線路すらない。
「線路だったところ」が残っている風景は悲しい。
港から離れた市役所〜気仙沼駅のあたりは
津波被害を免れたらしく、いい感じの街並みが残り、
無くなってしまったまちと対照的だ。
災害により変わったまちの形はわかりにくく、
そのコントラストは残酷だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/51/c7c3537b3663433978399a00d23a9c2a.jpg)
かつての市街地から移転した店が集まった
仮設商店街や飲み屋街があちらこちらで目につく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/9a/824831e0600e32368ff6dd9c39b59bdb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/78/40a2313df45593039ab0e2f065f9c863.jpg)
地形により天然の良港になっているから
それでもまだ、
もしかしたら被害は軽減されたのかも知れないが、
現地の人の当日の話は生々しくて重い。
生死がほんの偶然によって分けられた日。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/0d/0b786cc3f275836aa397503a297de318.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/f2/b7598ed9e3799d489818f7d084d13690.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/5e/375a14d7cc76d69ef9002d31fd0cc75c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/b7/6d04ce090ab06b77332a4c1e60707cd0.jpg)
さすがは港まち。
内陸の人間はなかなか食べることがない
美味しいものをたくさんいただいた。
ご馳走さまでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/3b/6b6350becc63f9648acb53e2f0183691.jpg)
まちの形は変わってしまったけれど、
そこに住む人たちは今を、これからを生きている。
また新たなまちの形が徐々に形成されていくのだろう。
旧市街地のかさ上げ工事が続き、
まだまだ時間はかかるのかも知れないが、
変わりゆくまちをまた見に来たいと思う良いまちだった。
それにしても、旧市街地に残っていたあのレトロな建物。
これからも残していって欲しいなぁ。