風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

まちの形

2017-11-12 | 
私はどうやら方向感覚に優れているらしく
初めて訪れるまちも地図なしで歩けることが多い。
特にわかりやすいのは城下町や宿場町。
「まちのヘソ」があるからだ。
港まちもわかりやすい方かもしれない。
まちの形は人の流れによって作られるものだから。



昨日1日で気仙沼の市街地もだいたい掴めた。
・・・が、そのまちの形は6年前の津波によって
大きく変わってしまったのだという。
港から続いていたらしいかつての市街地は消え、
味のある古い建物が
歯抜けになってしまったまちに点在するのみ。
被災直後に付けられた「残して良い」という○マークが
建物の壁やシャッターにまだ残っているところもあり、
そのリアルさを目の当たりに言葉がでなかった。
大船渡線、気仙沼線が交差する鉄道の要衝だったが、
一関からの大船渡線が気仙沼まで届くだけで
あとはもう線路すらない。
「線路だったところ」が残っている風景は悲しい。

港から離れた市役所〜気仙沼駅のあたりは
津波被害を免れたらしく、いい感じの街並みが残り、
無くなってしまったまちと対照的だ。
災害により変わったまちの形はわかりにくく、
そのコントラストは残酷だ。



かつての市街地から移転した店が集まった
仮設商店街や飲み屋街があちらこちらで目につく。





地形により天然の良港になっているから
それでもまだ、
もしかしたら被害は軽減されたのかも知れないが、
現地の人の当日の話は生々しくて重い。
生死がほんの偶然によって分けられた日。









さすがは港まち。
内陸の人間はなかなか食べることがない
美味しいものをたくさんいただいた。
ご馳走さまでした。



まちの形は変わってしまったけれど、
そこに住む人たちは今を、これからを生きている。
また新たなまちの形が徐々に形成されていくのだろう。
旧市街地のかさ上げ工事が続き、
まだまだ時間はかかるのかも知れないが、
変わりゆくまちをまた見に来たいと思う良いまちだった。

それにしても、旧市街地に残っていたあのレトロな建物。
これからも残していって欲しいなぁ。
コメント
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