一昨日、無ら里でのランチの後は
館長先生からお誘いいただき、
新渡戸記念館へ初訪問。
ロビーに雛人形を飾ってるから・・・とのことだった。
行ってみて最初に目に止まったのが↓コレ。
和紙で作られた10cmほどの官女達。
宮廷の中での官女の仕事をランダムに描いたもので、
なんとここに108体もの官女を作ったのだとか。
花見をしていたり、カルタをしていたり、
お茶に興じている姿もある。
仕事ではお金の勘定や、私も初めて知った
洗い張りという作業。
なんとも華やかな官女達の世界に
お袋も母ちゃんも「わぁ!!」と歓声を挙げていた。
何でもこの官女達、ロンドンやモスクワでも
展示されてきたのだという。
↑こちらが官女達を睥睨(笑)するお内裏様とお雛様。
これもまた和紙で作られている。
↑これは花巻人形という名で知られる土人形。
かなり古い時代からあるもので、
真ん中のヤツなんて数百年経ってそう。
私の伯父の家にたくさんあったが、
在京の伯父が花巻の家を処分する時に
ほとんど花巻市立博物館に寄贈したはず。
その時我が家でも2~3体もらったけどね。
↑こちらは木目込み人形。
私の祖母も作っていたのを思い出した。
懐かしい。
古い雛壇の一番下には↑こんなのも。
舌切り雀だけでなく、花咲爺の人形もあったよ。
◇ ◇ ◇
新渡戸稲造はかつて5千円札になっていたけど
実際どんなことをしてきた人なのかそれ程知られていない。
戊辰戦争で負けた南部藩出身ということで
学問で身を立てるべく9歳にして11日間かけて上京。
東京英語学校、大学予備門(現東大教養学部)を経て
できたばかりの札幌農学校でクラーク博士の薫陶を受けたとのこと。
その後アメリカへ留学して奥様と知り合い結婚。
(自由の国アメリカでも日本人との結婚は話題となったようだ)
世界各国で翻訳出版された有名な「武士道」もこの頃書かれたようだ。
(仁や義、礼など日本人の倫理観を明文化した本として知られる)
帰国後は札幌農学校、第一高等学校(現東大教養学部)で教鞭をとり
「世界平和」を唱えたことによって教壇を追われたとのこと。
第一次大戦後、世界平和のためにできた国際連盟では
日本代表の事務次長を務めて世界的に知られるようになり、
後に日本が国際連盟脱退する前後には
ギリギリまで戦争を回避すべくカナダでの国際会議に出席。
その帰途、急病により帰らぬ人となったという。
カナダでの国際会議での演説の一部を聞き
私は新渡戸稲造の思想、哲学にすっかり惚れ込んでしまった。
「民族、国家の違いを越えて人と人とが交流を深めることが、
きっと国同士、民族同士の争いの緩衝になると信じる」
まったくその通り。
私も以前から唱えていることと全く同じ。
平泉の浄土思想にも通じる思想だ。