私は1960年(昭和35年)生まれ。現在満48歳だ。
記憶に残る風景や周囲の人達を覚えているのは
せいぜい1965年(昭和40年)頃からってとこだろうか。
で、ふと気になって
1965年に、今の私の年齢である48歳だった人が
何年生まれかちょっと調べてみた。
・・・1917年(大正6年)!!
大正ヒト桁生まれの人が、
私の5歳当時今の私と同じ年齢だったんだねぇ。
世界恐慌時は12~15歳でリアルに体験してるだろうし、
終戦時には28歳だから、当然その方の人生にとって
戦争は様々な形で暗い影を落としていることだろう。
1965年当時は定年が55歳のところも多かったから
48歳といえば仕事の上ではもう大ベテラン。
5歳の私から見れば大人ってのは20~30代であり、
50歳近い人は落ち着いて、一家言を持つ初老の人だろう。
ちなみにうちの親父よりも更に6歳も年上にあたる。
それでは1917年生まれの人が記憶している
だいたい1922年(大正11年)頃に48歳の人は?
・・・1874年(明治7年)生まれだな(^^;
明治維新の残滓がまだ残り、
文明開化が急流となって日本に流れ込んでる時代。
48歳に至る間に日清、日露の2つの戦争を記憶している筈。
(親父方の祖父がもしかしたらこの年代かな?)
急激な欧化、富国強兵の風潮、大正デモクラシー、
時代に翻弄されながら自分をしっかりと持ち、
自らの目と力だけを頼りに生き抜いた世代だ。
1965年頃の48歳よりも更に人生の大ベテランとして
どっしりとその存在感を周囲に示していたのだろう。
今日のエントリーで何を言いたいのかというと、
まずひとつには
いかな軽佻浮薄な現代社会に生きているといえども
48歳のワタシはあまりに惑いすぎてないか。
ヘラヘラと軽口を叩き、浮ついて生きてはいないか。
流行ものを手に入れひとり悦に入ったりして
人生の意味や理念を忘れてはいないか・・・ということ。
そしてもうひとつは
これまでを振り返った時に自分が感じるよりも、
はるかに長い時間を生きてきたのだなということ。
物心ついてから20歳までをとても長く感じていたが、
いつの間にか20歳以降の方が長くなってしまった。
実家で過ごしたのは18歳まで。
それからの方がその倍近い時間を過ごしている。
結婚したのが26歳、それからすでに22年余。
まもなく独身時代と同じだけ母ちゃんと過ごしたことになる。
いつの間にか自分の人生はすでに折り返した。
1日1日をじっくりと大切に生きなくては。
記憶に残る風景や周囲の人達を覚えているのは
せいぜい1965年(昭和40年)頃からってとこだろうか。
で、ふと気になって
1965年に、今の私の年齢である48歳だった人が
何年生まれかちょっと調べてみた。
・・・1917年(大正6年)!!
大正ヒト桁生まれの人が、
私の5歳当時今の私と同じ年齢だったんだねぇ。
世界恐慌時は12~15歳でリアルに体験してるだろうし、
終戦時には28歳だから、当然その方の人生にとって
戦争は様々な形で暗い影を落としていることだろう。
1965年当時は定年が55歳のところも多かったから
48歳といえば仕事の上ではもう大ベテラン。
5歳の私から見れば大人ってのは20~30代であり、
50歳近い人は落ち着いて、一家言を持つ初老の人だろう。
ちなみにうちの親父よりも更に6歳も年上にあたる。
それでは1917年生まれの人が記憶している
だいたい1922年(大正11年)頃に48歳の人は?
・・・1874年(明治7年)生まれだな(^^;
明治維新の残滓がまだ残り、
文明開化が急流となって日本に流れ込んでる時代。
48歳に至る間に日清、日露の2つの戦争を記憶している筈。
(親父方の祖父がもしかしたらこの年代かな?)
急激な欧化、富国強兵の風潮、大正デモクラシー、
時代に翻弄されながら自分をしっかりと持ち、
自らの目と力だけを頼りに生き抜いた世代だ。
1965年頃の48歳よりも更に人生の大ベテランとして
どっしりとその存在感を周囲に示していたのだろう。
今日のエントリーで何を言いたいのかというと、
まずひとつには
いかな軽佻浮薄な現代社会に生きているといえども
48歳のワタシはあまりに惑いすぎてないか。
ヘラヘラと軽口を叩き、浮ついて生きてはいないか。
流行ものを手に入れひとり悦に入ったりして
人生の意味や理念を忘れてはいないか・・・ということ。
そしてもうひとつは
これまでを振り返った時に自分が感じるよりも、
はるかに長い時間を生きてきたのだなということ。
物心ついてから20歳までをとても長く感じていたが、
いつの間にか20歳以降の方が長くなってしまった。
実家で過ごしたのは18歳まで。
それからの方がその倍近い時間を過ごしている。
結婚したのが26歳、それからすでに22年余。
まもなく独身時代と同じだけ母ちゃんと過ごしたことになる。
いつの間にか自分の人生はすでに折り返した。
1日1日をじっくりと大切に生きなくては。
自分の記憶がある55歳と比較してもどうも。
今は、昔の年齢の八掛けなどと自分自身を納得させているものの、少し落ち着かねば。と考えさせられました。 感謝
でも私から見るわらさんはちゃんと落ち着いて、
きちんとご自分を持ってらっしゃる大人です。
いつまでも若い連中とワイワイやってるワタシ・・・
反省
私、1歳前の記憶があります。
玄関までハイハイして行って飼い犬に触ろう
と転げ落ちタンコブ作って大泣き…
母親に抱き起こされて犬と戯れてご機嫌が直ったw
記憶が曖昧だったけど、後に母から見せられた
犬と切干大根の横で戯れてる写真…
おでこの真中にタンコブが!
10か月の時の記憶でした。
TV「アンビリーバボー」に出られる?(笑)
子宮の中の記憶まではありませんか?
おでこの真ん中のタンコブ・・・
まさか角が生えてくるところじゃなかったでしょうね(^^;
「いとしのエリー」「魅せられて」が流行った年。
「ひとり咲き」もそうですね。
私が大学に入学した年です。
昭和57年・・・
ホテルニュージャパン火災と日航機の羽田沖への墜落が
連日起きた年ですね。
私は大学4年、TV朝日でADやってました。
どんな年代の方にでも、それぞれ様々な記憶がある。
人が亡くなるということはそんな記憶も同時になくなると
いうことですね。
風屋さんの2つ年下ですので、ほぼ同世代(すみません、先輩。)同じものをみてきたといえるでしょうか。
だからこそよかったのは、例えば、東北自動車道の一関~盛岡南開業はS51。今の道路ができる前のことをよく覚えています。そして東北新幹線の大宮~盛岡で部分開業がS57の7月、新花巻も水沢江刺駅もありませんでした。現代の前のよき時代のニッポンを体験している最後の世代というのが自慢です。
生活でいえば、テレビチャンネルは3つ、4つめができてもコンバーター必要。「アナログ」の表示でなはく「カラー」の表示。水洗トイレも家庭の電話もまだまだ少なく、風呂は外。穴のあいてない五円・五十円玉、百円札も使いました。スポーツでは長嶋が巨人でプレーしているのも、作新学院の江川が甲子園で投げているのも、相撲で柏鵬時代も「見た」世代。
元気でいれば、これからもいろんなことができます。
*火事になる前のニュージャパン知ってますし、片桐機長の時は、うなされてTVを見たら二日連続の大事故。忘れません。
かつて新人類と言われたりシラケ世代と言われたり
戦中派~全共闘の旧世代から一線を画した世代のように
悪し様に言われたりもしましたが、
懐かしい日本と現代のJAPANの狭間を埋める
両方知る貴重な世代なんじゃないかと思ってます。
昭和30~40年代の日本・・・
ノスタルジーだけではなく忘れたくない時代です。
一昨日は谷中でその頃を感じてきました(^_^)
どうあがいても自分の夢→世界遺産を見て周る・・・無理 子供が結婚する頃まで生きてればいいやw
初めまして・・・ですよね?
でももしかして?
minoさんってご無沙汰しているあのminoさん?
私もことさら生に執着するつもりはありません。
とはいえ自らそれを断ち切るつもりもありません。
禅問答のようですが、私の心境は「死ぬまで生きる」です(笑)
またおいで下さいませ。