風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

今日の朝日新聞より

2007-03-18 | 風屋日記
1面に載っていた見出しがまっ先に目についた。

「地方国立大『存続ムリ』」

経済財政諮問委員会が唱える「競争原理導入」に対し
文科省がそれに沿って各国立大学の交付金の増減を試算。
全87校のうち70校で交付金が減り、
うち47校は半分以下となって経営が成り立たなくなるとか。
交付金が減らない大学を持つ県は
宮城、茨城、千葉、東京、神奈川、新潟、愛知、京都、
大阪、奈良、兵庫、福岡の12都府県だけ。
あとの県は全ての大学の交付金が減る。
中でも東北地方は宮城以外の5県にそれぞれある国立大学の
全ての交付金が半分以下に減ってしまうという現実。
それは「=無くなる」ということだ。

現在学生数や設備に連動して学が決まっている交付金を
「大学の努力と成果に応じたもの」に変えようという提言だ。
努力と成果と言いながら、上記の都府県を見ていると
明らかに(北大を除く)旧帝大や筑波、横国、神戸、奈良女子、
あるいは一橋、東工などの首都圏の大学だけを
実質的に優遇しようという意図が垣間見える。
ここまで露骨に地域格差を拡大したいのか。
地方の教育をどう考えるのか。
農業、工業など地方の生産力の上に乗った首都圏じゃないのか。

わたしが高校時代にももちろんたくさんいたが
(うちの母ちゃんもそのひとり)
首都圏の難関といわれる国立大、私立大に進める学力を持ちながら
家庭の経済的理由で地元にしか進学することのできない学生が
長男の同級生にもたくさんいた。
学年トップクラスで当然東大や東北大への進学と目されていた子が
余裕で岩手大学へ進学し、真剣に勉強している。
有名どころの大学の学生よりも優秀な子は岩手大にもたくさんいるよ。
もっともっと勉強や研究をしたくても、
残念ながら施設や設備が不十分で成果を出すことが難しいけど
それでもできることを精一杯やっている。

今回の提言はそういう子たちの切り捨てだ。
結局「田舎もんや金のないやつは大学なんぞ行かなくていい」
ということなのだろうか。
そして金があり、進学した先の大学へ国が更に交付金を出し、
格差社会が問題となっている中、更に拍車をかけることになる。

文科省自体はその考えに反論すべく試算してみせたらしいが、
国をリードすべき経済界の人達がそういう考えを持っていることが
何だか情けなく、がっかりしてしまうのだ。
裕福な彼らも、そして彼らが指示する都会のボンボンのアベちゃんも
結局その深刻さを理解できないんだろうねぇ。

彼らは「再チャレンジ」というけれど
切り捨てられた人間たちは最初のチャレンジすらできないんだよ。
なんともここで書いているけど、
教育と福祉だけは効率や合理性でものを考えてはいけない。
インフラのひとつとして考える必要がある。

    ◇      ◇      ◇      ◇

今日の書評欄からも収穫がいくつか。

「アダムの旅~Y染色体がたどった大いなる旅路~」
   スペンサー・ウエルズ著 バジリコ刊 1,890円
人類の起源に関する新説。面白そう。

また、今年中にヘーゲルの「精神現象学」の本が出るとか。
改めてヘーゲル読んでみようかなぁ・・・。
コメント (5)
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